第八章 時間の分岐路
第八章 時間の分岐路
「こいつ、いつまで寝てんの」
「今までとは違うエネルギーの使い方をしたからね。大分消耗したはずだし、寝かせておいてあげよう」
オクゼツくんは死神との戦いが終わってから、ずっと眠り続けている。あれからもう三週間だ。健康状態に問題はない。ここで起こしてしまう方が、かえって回復と強化の妨げになってしまう。寝る子は育つというし、よく寝かせておこう。熟成して目覚めてくれるだろうしね。発酵まではしないでもらいたいけど。
死神の戦力はなんとなく分かった。警戒するべき厄介な相手は「王」と呼ばれていた奴くらいかな。実際に会うことになるのは、まだ先になりそうだから、それまでに手は打っておかないと。王以外の奴は皆になんとかしてもらおう。師匠が暗躍してきた結果がこの状況なのだから、戦力的には問題ないはず。ガンジイさんやムクならどうとでもなるはずだ。光側の連中に関しては、戦力に計上しないでおこう。頼りにならない。
予測不可能な点としては、レイレイだ。無の力を発動させたのは、おそらく彼女だろう。そしてそれを収めたのも彼女だろう。師匠がなにかしら手は貸したはずだけど、最終的に力を制御したのはレイレイ自身のはず。無の力を戦力とみなしていいものか、おれにも見当がつかない。レイレイ単体で見るなら、切り札のような働きを期待していい。でもなぁ。無の力を自在に扱えるようになったら、正直死神よりずっと恐ろしいんだよなぁ。
だってそれ、もう人間ではないナニカに変質してる。そのナニカが、この宇宙の崩壊を乗り越える可能性になるのかもしれないけど。だけど崩壊を乗り越えることだけを目的とした、人間のことなんて一切考えていない存在になっている可能性もあるわけで。さて、どうしたものかな。
「ま、考えたところでどうにもならないか!」
「ていうか、さっきの話本気なの?」
「もちろん!楽しみでしょ?」
「そんなわけないし」
さっきヤヨイちゃんに一つ提案を、というか指令を出した。ガンジイさん達のグループに合流して、今後一緒に行動すること。おれは死神の王と戦う為の準備を整えるとして、ヤヨイちゃんにはレイレイを守る仕事をしてもらう。死神は間違いなくレイレイを、無の力を宿した魂を標的にしてくる。ヤヨイちゃんの偵察能力なら、危険を事前に察知することが出来る。後はガンジイさんが適切に対処してくれるはずだ。それに、おそらく光側の連中から、戦力になりそうな兵がガンジイさん達に同行している。なら闇側からも兵を送っておかないと。どちらかの勢力をひいきされるのはよくないからね。ガンジイさんがどちらかだけを優先するなんて、ありえないと思うけど、一応ね。
「じゃ、早速行こうか。どこにいるかはだいたい察知してるから、その近くまで闇の扉を使って飛んで行こう」
死神の襲撃から、もう三週間になる。わたしたちは順調に旅を続けていた。この三週間で、わたしとナナゴウはずいぶん進歩したと思う。まずわたしは弓で鹿を狩ることが出来るようになった。明がくれた弓の性能がいいこともあるが、どこかこう、物の視え方が変わった感覚がある。一度無の力に呑まれた影響だろうな。これまではただ獲物を狙っていただけだったものが、その行動の先が視えるようになった。うまく言葉で説明出来ないが、魂の思考回路を視ることが出来ている感覚だ。
「まだ攻め手が直線的すぎる。それでは敵に全て防がれてしまう。今目の前にいる相手ではなく、未来の相手を打つ感覚を掴むのだ」
「はい」
ガンジイとナナゴウは稽古の真っ只中。そう、まさにそれだ。未来の相手を撃つ。その感覚を理解出来るようになってから、私の狩りの腕は突然進歩した。まぁ、物事を習得するっていうのは、どの分野でもそういうものだろう。あるとき急に、今まで出来なかったことが出来るようになる。コツを掴むというのかな。ナナゴウも毎日ガンジイに稽古をつけてもらって、動きが見違えるほどよくなった。ムクのように、踊っているような動きを見せるようになった。
「相手の動きの先を打ち抜くのだ。攻防ともにだ。次は私の攻めを受けてみよ」
「お願いします」
ガンジイはゆっくりとした動作で、ナナゴウへ攻め手をぶつけていく。これを毎日稽古の締めにしている。毎日見ていても不思議だ。本当にゆっくり、スローモーションのような速度でガンジイは攻撃していく。ナナゴウもそれに合わせた速度で攻撃を防ごうとする。だが、これがなぜか防げない。パンチを防いだと思ったら、いつのまにか横腹に蹴りが入っている。蹴りを払ったと思ったら、なぜか頭に手刀を入れられている。面白そうだから、私も受けさせてもらったことがあるが、まるで魔法をかけられているような体験だった。
「今日はここまでだ」
「ありがとうございました」
稽古の後は、小休止を取ってから食事の時間だ。今日はわたしが仕留めた鹿を、ムクとミニちゃんが焼いてくれている。光側の施設から持ってきたブロック食はもう全部食べてしまったから、現地調達の暮らしに戻っている。
「ナナゴウ、心臓食ったことあるかー?」
「ないです」
「じゃあナナゴウにやるぞ!鹿は心臓が一番美味いぞー!」
「いえ、みんなで分けましょう」
まだ堅苦しさが抜けないが、ナナゴウも旅に馴染んでいる。この堅苦しさはたぶん抜けることはないな。元々百人いる少年兵たちのトップだったわけだし、大人びているところがあるのは当たり前だ。年齢的には子供でも、精神的に子供でいることを許されない立場の子がいる。それがナナゴウだったんだろうな。
「このまま闇の本部まで行けたらいいのよ~。のんびり平和が一番なのよ~」
「そろそろ何か起きそうだけどね」
「死神はまだ動きを見せぬ。必ずどこかで現れるはずだ」
「……このまま、真っすぐ東へですね」
おや、ナナゴウが何かを気にしている。それに気付いたがわざわざ聞き出さなくてもいい。ナナゴウは気にかかることがあれば、それをちゃんと言葉にしてくれる。
「実は多少道がそれるのですが、僕の生まれた村が近くにあります」
「寄りたい理由があるのか?」
「はい。意味のないことですが、倒したい闇人がいます。人ではなく犬ですけど。僕の唯一の友達だった犬です」
動物型の闇人には、わたしの村が闇の扉に呑まれたとき以来、遭遇していない。あの時襲ってきたのは、犬やらカラスやらが融合したキメラだったが、ガンジイが一撃で叩きのめした。
「どうするガンジイ?」
「お前の村が、闇の扉に呑まれたのはいつのことだ?」
「五年ほど前です」
「……立ち寄らねばならぬほどの、理由ではないな」
「はい、分かっています。このまま旅を続けましょう」
物分かりがよすぎる子供というのも、あまりよろしくないと思うなぁ。でも実際、わざわざ時間を使って寄るほどの理由でもない。その犬の魂を倒して供養してあげたいというところかな。でも五年前か。あまりに時間が経ちすぎている。魂はとっくに闇に侵食され、ただのエネルギーの塊になってしまっているだろう。
「村に行くのなら、死神との戦いが終わった後でもいいですからね」
「今は先を急ぐべきだ。そのときは私も同行しよう」
今回はナナゴウの生まれの村には寄らないことになった。旅の目的地を目指すことが最優先。よほどのことがない限り、寄り道をすることはないだろう。
さて、食事の後はお楽しみの時間だ。四日ぶりの水浴び。進行ルート上に川や湖があったときにだけ、体を洗える。気分が軽くなるし、健康上でも大事なことだ。ナナゴウも機械の体だけど、洗浄は必要らしい。隙間に入り込んだほこりや小石を放っておくと、故障の原因や機能低下に繋がるそうだ。
「今日はナナゴウも一緒に入るかー?」
「女性と一緒に水浴びは出来ませんよ」
「でもミニちゃんも一緒だぞー」
「ムクさんは恥じらいというものを覚えるべきですね」
それはそう。ムクは裸のまま平気で辺りをうろうろする。実際もう、ガンジイにもナナゴウにも裸を見られてる。ガンジイが何度たしなめても本人は一切気にしないから、もう改善のしようもないと思う。ナナゴウもムクの裸体を見ても気にしていない。この年頃の子なら、視界の端からちらちら見てしまうものだろうと思ったけれど、「僕はソノコさん以外の裸に興味はありません」と真面目に言い放ったのは、正直とても気持ち悪かった。
「もし園子に誘われたら、一緒に入る?」
「そっ、ソノコさんがそんなこと言うわけないでしょう!?」
「もし言ったら?」
「くっ、その物言いはなんと卑怯な……!」
「素直に入りたいって言えばいいのに」
「僕の純愛を愚弄するつもりか……!?」
園子が絡むと急に不審者になるからなぁ、この子。初恋をこじらせた男の子って、みんなこんな感じになってしまうのかな。そしてわたしとムクで先に水浴びを済ませ、次にナナゴウとガンジイが水浴びをしようとした矢先だった。
「なにかが来ています。人型、体型は子供です」
ナナゴウが何者かの接近を感知した。ナナゴウは温度検知でものを見ている。この崩壊した闇の世界の中では、かなり遠距離まで高温の物体を捉えることが出来る。感知範囲で言えば、ガンジイやムクよりも上だ。
「死神かー?」
「まだ分からぬ。警戒せよ」
全員が身構えていたのだが、ナナゴウが捉えた何者かは、ずいぶんと呑気な調子で、わたしたちに声をかけながら近づいて来た。
「おーい、うちは危なくないしー。カンスケのお供だしー」
黒人の女の子だ。手を振りながら、よろよろと歩いてくる。たいまつも持たずに、一人でここまで来たのか。なんだか疲れてるみたいだ。けっこう遠くからここまで歩いてきたみたい。
「あの子、嘘はついてないよ。本当にカンスケの仲間だ」
「なぜそう思うのだ?」
「魂が、嘘をついてないのが視えるの」
「いつからそれが?」
「……いつからだろう。今この瞬間かな。視えるの」
ガンジイは小さく「ふむ」とつぶやき、訝しげにわたしを見てきた。怪しんでるわけじゃない。信用してないわけでもない。わたしを心配している。なんだろうこれ。いつからだろう。人の考え、感情が視える。魂の状態が視える。
「どうするじいちゃん?」
「麗冷の判断は信用出来る。あの子と会話してみるとしよう」
「……カンスケの連れか……」
ナナゴウの声に翳りが生まれた。明確な憎しみの感情が含まれている。まだ詳細は知らないけど、ナナゴウは闇側の勢力のせいで、ずいぶんと大変な経験をしてきたらしいことは分かる。
「敵対するようなことはしないでね」
「分かっています。みなさんを困らせるようなことはしません」
女の子はわたしたちのところまで来ると、ぺたんと座り込んだ。呼吸も乱れているし本当に疲れてるみたい。女の子は水を飲ませてあげると、ふぅと大きく息をついてから、突然こう言い放った。
「闇人が消えたし」
文脈がないから、意味が分からない。女の子はガンジイを見上げると「カンスケからの伝言ね」と言って、状況の説明を始めた。
「うちとカンスケは、ここから少し離れた所にある闇の扉まで転移してきたの。で、あんたらと話す為に合流しようとしたんだけど、変なことが起きてた」
「闇人が消えた、と?」
「そ。あんたがガンジイでしょ。カンスケから『ガンジイさんに説明して、おれと合流してほしい』だってさ」
女の子の名前はヤヨイというらしい。闇側の勢力の一員。現在三名しかいないその内の一人だ。
「ここまでの道には、普通に闇人いたぞー。その辺にいつも通りなー」
「こっから先にはなんにもいないし。だからうちもここまで来れたよ。うち戦いに関してはど素人だから。闇人がどこに消えたのか、カンスケにも分かんない」
「カンスケは何をしておる?」
「闇の扉のとこで、周囲のエネルギーの流れを分析してる。死神がなにかしたのかもしれないからってさ」
闇側もすでに、死神の存在を知っている。もしかすると、わざわざ闇側の本部まで行かなくても話がまとまるかもしれない。ここはカンスケに合流した方がよさそうだ。それに、結果的にナナゴウにとっても半分だけいい話になった。
「その闇の扉は、僕の村があった場所です」
「丁度よかったね。犬の供養も出来るよ」
「カンスケと顔を会わせたくはないですが」
ナナゴウは闇側の勢力を憎んでるからね。こんなに早くそのボスと顔を合わせることになるとは考えてなかっただろう。ここから協力関係を結ぶ必要があるとはいえ、まだ心の整理はついてないはず。
「あんた、光側の兵でしょ」
「そうですが」
「ちっ」
ヤヨイは見せつけるようにしかめっ面をしながら、ナナゴウに向かって舌打ちした。ナナゴウは「そうですか」と大人の対応で流した。……でも内心はとてつもない怒りが渦巻いている。ヤヨイに対してではなく、闇側の勢力に対しての怒りだ。自分の感情を殺す術を覚えていないと、こんなに平静を装うことは無理だろう。ヤヨイの方にも激しい怒りが視える。なんだろう、なんで急にこんなに視えるようになったんだろう。人の魂が手に取るように理解出来る。
「カンスケの命令で、あんたらと一緒にいることになるし。死神との戦いが終わるまではね。ふん」
「六〇才なのに、子供っぽいね」
「……え、うちのこと?」
「うん。六〇才でしょ?体は八才のままだけど。あぁ、でも精神の成熟具合は十代前半程度か」
「レディーの年齢ばらすとかありえんし。ていうかあんたなに?なんで分かるの?」
「視えるの」
ヤヨイは少し怯えた表情になって、ガンジイの後ろに隠れた。怖がることないのに。ただあなたの魂のなにもかもが視えているだけなのに。ヤヨイは歩くのがもう辛そうだから、ガンジイが肩車してカンスケの元へ向かうことになった。こうしてみると、おじいちゃんと孫娘にしか見えないな。ナナゴウは静かにして、先頭を歩いていく。……本当によく出来た子だなぁ、そして悲しい子だ。心の中にはまだ怒りが渦巻いているけど、それをヤヨイに向けようとはしていない。ヤヨイにそれを向けるのが理不尽であることを理解してる。子供が自分の感情を素直に発露出来ないのは、あまりにも健全ではない環境で生きてきた結果だ。
わたしたちは進路を変え、ナナゴウの生まれの村へと向かうことになった。そういえば、その村に来ているのはカンスケだけなのかな。オクゼツはなにをしているのかと考えていると、ムクが先にそれを聞いた。
「なー、オクゼツ元気かー?」
「あいつの知り合い?あいつ死神と戦ってから、ずーっと寝てるし」
「死神と一戦交えたのか?」
「うん。ただあの死神、最初からオクゼツを殺す気はなかったみたいだし」
ヤヨイから死神が闇の本部を襲撃してきたときの話を聞き、ガンジイとムクは嬉しそうにしていた。成長したオクゼツと再会するのを楽しみにしているみたい。そしてやはり死神は、それぞれ個別の信念を持っていることも分かった。死神の使命に準ずる一方で、個々に考え方の違いがある。この先でおそらく、単純に戦う為ではなく、別の目的のためにわたし達に接触する死神が現れると思う。
「オクゼツってさー。強くなったらじいちゃんみたいに、体でっかくなったりするのかー?」
「闇側の人間は、肉体とか精神の状態が変化しないし。基本的には進歩も退化もしない。だけど、とんでもない心境の変化とか、人間性が大きく変化するときには、肉体も一緒に変わるかも。そのときはかなりエネルギーを消耗するから、ずっと寝たきりになったりするし。実際オクゼツは三週間ぶっ続けで寝てる」
「次に会うときが楽しみだ」
「だなー!あいつどうなってんのかなー!」
「なんであいつ、あんた達からこんなに好かれてんの?」
「わたしは別に好きじゃないよ。なんか人を引き付けるところがあるんだろうね」
そんな話をしながら足を進め続けるが、ヤヨイが言っていた通り、本当に闇人が一切いない。突然消滅するなんてありえないし、全体が同じ方向へ移動し、姿を消したとしか考えられない。でも闇人に意志なんてないし、なにか尋常ではない力を持つ者が、この世界に干渉しているのだろう。
「ナナゴウの村って、まだ遠いの?」
「いえ、もうすぐ着くはずです」
「ヤヨイよ、一つ聞かせてもらうが」
「ん?」
「お前はどうやって我らの元まで来たのだ?たいまつも持たず、目印もなかったであろう」
「カンスケに言われた方向に歩き続けただけ。あんたらがあの位置にいること、カンスケには予測済みだったみたいよ」
とっくに分かっていたけど、ただものじゃないな、あの人。わたし達の歩行速度、辿っている進路、全てを完璧に予期していたのか。魂の状態が視えるようになった今のわたしなら、カンスケの正体を見破れるかな。どう考えても普通の人間じゃない。わたしの考えが正しければ、おそらく救世主だ。
「……ん?救世主ってなに?」
「なんの話だ?」
「あー……。いや、気にしないでいいよ。ただのひとり言」
……なんだ、さっきからわたしに何が起きてる?無の力に呑まれたときに、わたしの魂に染み込んできた多大な情報。それを無意識のうちに、肉体へと移動させてしまっている。PCのデータ移行作業みたいだ。サーバーから端末へ情報を移す作業。……サーバーから、端末へ。
私の魂は、サーバーに繋がったままの状態で維持されてる……?サーバーはこの宇宙。端末はわたし。宇宙の意思と、わたしの意思が、接続されている……?
「子よ、抱え込むな」
「うん、大丈夫。やばいと思ったらすぐ相談する」
特に危機感はない。やけに心が落ち着いてる。わたしの計画通りに動けばいいだけだ。
それから十分ほど歩き、わたしたちはナナゴウの村に着いた。まぁ、当たり前だがすでに「村」ではなくなっている。そこにあるのは闇の扉だけ。人が暮らしていた痕跡なんて、一切残っていない。草木も無く荒れた大地。小石が転がる平野が広がっているだけだ。
「ナナゴウが言ってた犬も、もういないんじゃないかー?」
「本当に闇人がいませんね」
「カンスケはどこにいるのだ?」
「……おっかしいし。視界は視えてるのに、そこにいないし」
「重複した別空間にいるよ」
カンスケはここにいる。ただ「裏側」にいるだけだ。一枚の紙の表にいるのがわたし達。カンスケは裏面にいるだけ。
「麗冷」
「なに?」
「なにが視えておる?」
「あと二〇秒後、ナナゴウとヤヨイは裏面に行くよ。ミニちゃん、こっち来て」
「どうしたのよ~?」
わたしはムクの頭の上にいたミニちゃんを抱き上げて、ヤヨイに押し付けた。ヤヨイは困惑しながら受け取ると、ミニちゃんをぬいぐるみみたいに抱きかかえる。
「ミニちゃんはいざってときに頼りになるから。本当にまずいと思ったら使って。ミニちゃんも、ヤヨイのこと守ってあげてね」
「よく分かんないけど了解なのよ~」
「あとナナゴウも、ヤヨイのこと守ってあげてね。じゃ、行ってらっしゃい」
「詳細を聞く時間はないということですね。分かりました」
麗冷の様子がさきほどからおかしい。どこか私達とは違うものを視ている。先日無の力に吞まれた影響か、人知を超えた所に行ってしまったような印象を受ける。今も突然謎の発言をした後、ナナゴウとヤヨイに向け手を振っている。これから一体なにが起きる?
……矛盾した表現になるが、なにも起きずに、なにかが起きた。突然ナナゴウとヤヨイは姿を消した。予兆は何一つなかった。音も光も、わずかな揺れ一つ感じなかった。何も起きていないはずだが、二人は目の前から消失した。
「消えちゃったぞ!どこ行ったー?」
「麗冷、詳細を聞かせてくれ」
「……あれ、分かんなくなっちゃった。何が起きたんだろう」
きょとんとした顔で麗冷は呆けている。さきほどまで視えていたものが、突然視えなくなったのか?
「あー、そっか。分かった、二人がいたからだ」
「つまり?」
「ナナゴウとヤヨイだよ。光と闇。この世界を構成してる正と負のエネルギー。両方が近くにいたから、わたしの感覚が広がってたんだ」
私には理解出来ぬことだが、麗冷には納得がいっているようだ。これだけ落ち着いているということは、ナナゴウとヤヨイは無事にいるということでいいのだろう。……だが、この子は……。
「大丈夫だよ。わたしは、わたしのまま」
「ならばよいが……」
「なー、ナナゴウたちどこ行ったー?」
「向こうにはカンスケがいるから、任せておけば大丈夫だよ。こっちも準備しないと」
「戦いの準備か」
「そう、裏面にいる奴が、こっちに飛び出てくるはず。闇の扉の中からね。それを撃退するのが、こっち側にいるわたしたちの役目になるよ」
「それは死神のことか?」
「分からない。さっきまでなら視えてたんだろうけど。でもなにかが出てくるはず。それだけは分かるの。気を付けて」
我らは闇の扉から少し距離を取り、麗冷が言う「なにか」の出現に備えた。私とムクが並んで立ち、後ろに弓を構えた麗冷。二人とも、立派な戦力になってくれておる。人間にとって最も集中を維持することが難しいのは、変化のない状況が続くときだ。たいまつの火が一度燃え尽き、別のたいまつへと火をつけた。それなりに長い時間が経過したが、二人とも集中を保ち続けておる。
そして状況の変化は訪れた。陣形を変えた方がよさそうだ。ムクもすでに気付いているであろう。
「麗冷、後方から何かが接近してくる。私が対処しよう。お前とムクで闇の扉を注視してくれ」
「分かった」
私は手斧を収め、麗冷の後方に立った。武器は必要ない。ただ言葉で伝えればよいだけだからだ。
「敵対するつもりがないことは分かっておる」
「さすがだな。こんなに早く気付かれたか」
「やはりか。先日、私の前に現れた死神だな」
「おう、また会えて嬉しいぜ」
闇の中から、軽快な足音を立てながら現れたのは、人型の生物だった。……人型ではあるが、体表がトカゲを連想させる鱗に覆われておる。顔もトカゲに近く、頭髪や眉といった体毛がない。体はそれほど大きくなく、私よりほんの少し小柄な程度だ。しかしその中に密度の高い筋力が潜んでいることが見て取れる。衣服は着用しておるが、腰巻を身に着けているだけだ。獣人ともまた違う、初めて見る種族だ。この世界とは別の場所にいた生命ということであろう。
「俺はノイヴァンジェドゥミェーヌって名前なんだけど、この世界では難しい発音だから、ノイでいいぜ。死神の仲間もそう呼んでるしな」
「私はガンジイだ。戦うつもりで来たわけではないようだな」
「まあな、結論から言わせてもらうぜ。ガンジイ、お前死神にならねぇか?」
「その気はないな。この世界でやるべきことがある」
「そりゃあな。もちろんいきなり承諾するなんて考えてねぇさ。今日はその説得に来たわけだ」
ノイと名乗った死神は、麗冷とムクにも声をかけ、まだ戦いの準備はしなくていいと言った。死神はいつそれが起こるのか、すでに予期しているようだ。しかし、先日出会ったときから感じていたが、ずいぶんと砕けた物腰をしておる。私を死神の一員に加えようというが、その為に友好的な態度を取っているわけではない。これが元々の性格なのであろう。
「で、お前さんが無の力に定められた魂か」
「敵対関係なのに、ずいぶん明るい感じで話してくるね」
「死神はまぁたくさんの世界を刈り取る必要があるわけだがよ。そこに哀れみだとか悲しみなんて感情を一々込めてたらもう、心がもたないからよ」
「いや、わたしたちは死神に怒りを向ける立場にいるんだけど」
「ははは、そりゃそうだな!だからこそ、俺の説得に応じてくれって話!」
ノイはその場にあぐらをかいて座ると、腰にぶら下げた円筒状の物のふたを開け、中に入っていた液体を飲み始めた。おそらく酒だ。この世界とは別のところから調達したものであろう。このまま相手に主導権を握られたままはよくない。私は先手を仕掛けることにした。
「クラフォンという名の死神は、お前の仲間だな」
「……なんであいつの名を?」
「さきほどカンスケの使いの者と話をした。それは聞いていなかったようだな」
「あぁ、俺がこっちに来たのはついさっきだ」
「その死神はこの世界に、可能性の芽を見出したそうだ」
「……ほう。……ほう、なるほど。聞かせてくれ」
私はヤヨイから聞いた話をそのままノイへと伝えた。場合によっては可能かもしれぬ。この死神、ノイを我らの味方につける。死神からこちらへ寝返らせるは言い過ぎであろうが、別の道を拓けるかもしれぬ。
「……そうか、そのオクゼツっての、気になるな」
「では、お前はどうする?」
「……じゃ、俺も可能性を試させてもらうか。お前らこのエネルギー体、闇の扉って呼んでたか。この中から何が出てくるか知らねぇだろ」
「分かるの?」
「それに勝ってみな。俺に可能性を見せてくれ」
「で、何が出てくるか分かるの?」
「お前らが、闇の核、と呼んでる化物だ」
次回へ続く……




