9.レーンディアの剣
警鐘がけたたましく鳴り響いている。
動悸が酷く、目がかすんで足元もふらつく。
寝不足なのか、ストレスなのか、はたまた左腕の傷のせいか。
受け入れがたい現実から逃げるために、本能が前に進むことを拒否しているのか。
クロエは屋敷の広い庭の外れにある、今は寂れた建物の螺旋階段をただひたすら上っていた。
随分昔に建てられ、手を加えていないためにエレベーターなどは存在していない。
石畳で出来た階段を一段一段上るその足取りは危うく、目はうつろである。
左の腰には二本で一対を成すレーンディアの宝剣を差し、右手にはくしゃくしゃになった手紙を握っていた。
その手紙は兄であるシスルの使いが部屋まで届けにきたものである。
『0時に外れの塔頂上にて通過儀礼を行う』
とだけ綺麗な字で書かれた紙。
クロエはその手紙の指示通りに塔の頂上を目指していた。
0時を告げる鐘が鳴る。
鳴り終えると同時にクロエは頂上へと出た。
心地よい風が汗ばんだクロエの頬を撫でて、揺れる黒髪が視界を遮る。
邪魔な前髪を左手で掻きあげて前の視界が開けると、そこには案の定意思の強そうな瞳でクロエを見据えているシスルがいた。
彼の右腰にはクロエの持つ剣と一対を成す宝剣が差さっている。
良く良く考えて見ればクロエとシスルは外見こそ良く似てはいたが、他は何一つ対照的であった。
性質的なものであればまず聞き腕が違う。性格も正反対。
意見など一度も合ったことがなかった。
まるで鏡映しのような2人であり、幼少期はそれでも仲良くやっていた自分をふと思い出したクロエは思わず失笑してしまう。
幼いころは嫡男シスルが勿論のように後継者であり、自分は妾の子としてこれからどう生きて行けばいいのか不安であったのに、今はこうも立場が逆転してしまっている。
たかが鍵の資格を有するというだけで、自分の存在がこうも嫡男の存在を蔑ろに出来てしまうものなのか。
気が合わず、常に意見が対立していたが、だからクロエがシスルのことを嫌いで憎んでいる。後継者の座につけて精々している。
などという噂は噂でしかない。
気が合わず、常に意見を真っ向から否定したのは、シスルが自分には到底追いつけない憧憬であり、それを認めたくない自分が常に顔を出していたからである。
正直、クロエはシスルを尊敬していた。
ただ28年間一度もそれを素直に告げられなかっただけであった。
失笑を零したクロエにシスルは眉根を寄せた。
嘲笑にでも見えたのだろうか。
クロエがそっと一歩踏み出すとシスルも一歩踏み出し、クロエが大きく踏み出すと、またシスルもそうした。
そうして1メートルほどの距離を置いて落ち付くとシスルは剣の柄に手を掛けたが、クロエはその様子を見ても見動き一つ、否、眉一つ動かさなかった。
「剣を取れ、クロエ」
「出来ない相談だな」
真剣に響いたシスルの声とは裏腹に、クロエは冗談でも言うようにふわりと軽く言いのけた。
「お前はわざわざ、俺に殺されるために剣を取るのか?‘シスル’」
「・・・ああ」
「なら、一層聞き入れられないな」
口端を釣り上げて、呆れかえったような声色でクロエは肩を竦めた。
シスルは反駁することなく、一層眉根を寄せて目を細める。
その表情はやはりクロエに良く似ていた。
まるで自分を見ているような錯覚に落ちたクロエは余裕のある表情から一変、苦々しそうに吐き出す。
「レーンディアの矜持を俺に説いたお前が、命を差しだすために剣を取るのかって聞いてんだよ!シスル!」
「・・・」
「なんとか言えよ。お前はそれで納得出来るのか?」
「これは俺の責務だ。お前が当主として就くための儀礼であることは知ってるだろう?」
声を荒げるクロエに対して、シスルは平静を崩さない。
一瞬押し黙ったクロエに対して、シスルは続けた。
「これが俺とお前に与えられた役目であり、運命で、レーンディアが定めた轍だ。
俺はレーンディアの誇りにかけてそれに従う。ただそれだけだ」
まっすぐに言い放ったシスルの瞳は固い意志と決意を告げていた。
クロエには到底真似できない覚悟であった。
それでもシスルの犠牲はクロエの望むところではない。
「間違ってる。レーンディアの在り方は間違ってる。
俺は約束したんだ。お前を守るって・・・ヴォルタに・・・」
ヴォルタ。その名にシスルは初めて動揺を瞳に映した。
俯いたクロエはそんなことは知らずに尚を続ける。
「お前が死んだら、ヴォルタはどうなるんだ。
お前の勝手で引き取ったなら、最後まで面倒みてやれ。
また捨てるっていうのか?あんな小さいヤツを・・・」
ゆっくりと頭を上げたクロエは目を見開いた。
何故なら、先ほどまで強固な光を放っていたシスルの瞳が、動揺と悲しみに揺らいでいたからである。
クロエは唇を引き締め、意を決したように柄を握り、そっと宝剣を鞘から抜き出す。
月光に光り輝く刀身は、一つの濁りもない水面のように彼の顔を映し出す。
未だちゃんと覚悟を決められていない自分の顔を見て、クロエは自分自身を鼻で笑った。
そんなクロエを見て、シスルは少しばかり首を傾げた。理解出来ないとでもいう風に。
先程まで抜剣を拒否した彼は、次は自ら剣を抜いたのだ。当たり前だろう。
「命と当主の座。両方をかけて俺と戦え」
「何を言っている?当主の座には資格が必要不可欠だ」
「いいや、今この世界には世界の鍵が現れた。
レーンディアの紛い物の力はこの世界には必要ない」
鍵の資格とは、世界の鍵の模造品のような能力であった。
しかい今、世界には本物が現存している。
「パラレルの管理はセキに任せればいい。
そしてレーンディアの当主はただ一人でいい。
理屈なんて必要ない。お前は大切なもののために・・・勝つために俺と戦え」
クロエの力強い言葉に圧倒されたシスルは、クロエをしばらく見据えた後、意を決したようにゆっくりと剣を抜いた。
それは月光をすべて吸収し尽くしてしまいそうな漆黒の刀身の剣であった。
お互いの呼吸音が耳に届いてくる。
吸って、吐いて・・・そして次に吸う瞬間、両者は剣を振り上げた。
レーンディア家には代々受け継がれる伝統が沢山ある。
細かいものから重要なことまで。
それはレーンディア家が成り立った当初からずっと守られてきた誇り高きものであった。
最重要事項は勿論、後継者選択に関してである。
レーンディアの後継者に必要なのはただ一つ。
鍵の資格を有していること。
しかしここには落とし穴が一つある。
レーンディアには同じ血を分けた兄弟の弟が当主になることは許されない掟があったのだ。
何故、そんな掟が出来たのかは不透明なのが事実であるが、それは暗黙の了解で受け継がれてきた。
方法は簡単である。
当主の資格を持った弟が兄の命を断てばいいのだ。
そうしてレーンディアの由緒正しい血統が受け継がれてきたのであった。
ロゼは血が繋がってはいない。
そうなればクロエが掟に従い、殺さなければいけないのはシスルということになる。
だからヴォルタはクロエを見て‘叔父さん’と言ったのだ。
おそらくヴォルタは養女であり、養父はシスルであることに気がついたセキは、たどたどしく語るヴォルタの説明を聞きながら全てを理解した。
ヴォルタが言うには、庭の外れにある塔の方へ向かったらしい。
何故その塔なのか。
それは特殊な儀礼をおこなう時には決まってそこが選ばれるということを彼女が知っていたからである。
中庭を抜けて、細い道を通り辿りついた隠されたように建てられた大きな塔。
屋敷からは上手く見えない位置に建てられてあり、風貌も随分と怪しく、深夜であるからか建物が古いせいか。怖気が走るほど不気味である。
中に入ると広いホールの外側には螺旋階段が塔に巻きつく蛇のように頂上へと繋がっているようだ。
ヴォルタを連れて走っているのもあって中々上へと上がれず、小さな少女の体力ではすぐに息切れてしまった。
一刻を急ぐセキはヴォルタを背に負って駆け足で階段を上って行く。
息が切れる。夜ではあるが立夏の暑さに汗が次から次へと流れて、視界を遮る。
しかし一番辛いのは、限りなく伸びる階段に足が付いていけなくなってきたことであった。
筋肉が悲鳴を上げて意思よりも動きが鈍くなってきてしまったのだ。
しかし完全にそうなってしまう前に出口が見えた。
気力でラストスパートを決めて、ヴォルタを降ろした。
目の前には信じられない光景が広がった。
床には生々しい血と斬撃の痕跡。
息を切らした漆黒の髪が揺れている。
セキとヴォルタに背を向ける形で両膝を付き肩で息をしているの影と、その影に剣を向け非情に見下ろす影。
「クロエ!」
セキは背を向けて、絶体絶命に陥っているクロエの名を呼んだ。
俄かには信じられない光景でもあった。
フランクには敵わずとも、13部は戦闘にも長けた者の集まりであると同時に、クロエやフランクは特に秀でる実力者であった。
そのクロエが今、シスル相手に完敗の状況である。
クロエが持っていたのだろう剣は遥か先に横たわったいて、クロエは苦しそうに肩で息をしながら前のシスルを見上げている。
一方でシスルは、息一つ乱さずに酷薄なまでの無表情でそのクロエを見下ろしていた。
「父様!」
次いでヴォルタがシスルを呼ぶ。
その声で初めてヴォルタの存在に気がついたのだろう――シスルの眉がピクリと跳ねた。
「迷うな」
ヴォルタの声で剣先が揺らいだシスルに対して、クロエの声がシスルの動揺を打ち消すようにぴしゃりと言った。
その声色は絶体絶命の中である筈なのに、凛として芯の通ったものだ。
まるでこの状況を待ち望んでいたかのようにも捉えることが出来る。
「シスル、お前の勝ちだ。
兄上が当主になるべきだ」
それが通過儀礼の型を打ち破ってクロエが出した答えだということをセキは理解した。
しかしそれはクロエの死を伴ってこそあり得る選択である。
まさか仲間のクロエが事切れる場面を黙ってみていられる筈はない。
ヴォルタとセキが同時に2人へと駆け寄ろうとした―――
刹那の出来ごとである。
金属のぶつかりあう甲高い音が聞こえて、シスルの態勢が大きく揺らいだ。
長身の影が2人の間に割り込み、シスルの剣を弾き飛ばしたのである。
あまりにも一瞬の出来事で前の影が誰なのか、セキは確認出来ずにいた。
剣を弾き飛ばされたシスルは衝撃で痺れた左腕を押さえながら、一歩二歩と後ろへと退くと、長身の影がクロエへと振り返った。
フランクであった。
彼の登場はクロエすら予期せぬ出来ごとであったようだ。
当然のように手を差し伸ばされたクロエは、その手を大きく払いのけ、その背からは怒りが沸々と伝わって来る。
「アラン、お前・・・」
声は震えて、二の句は足されない。
フランクはそんな主のことなど無視してシスルへと向き直ると、月に反射して怪しく光る剣を構えた。
「アランはレーンディアの闇であり、剣であり、盾だ」
誰にいったのかは分からない。
ただそれを聞いたクロエがピクリと反応を示して、瞬時に怒りが冷めた気配がした。
膝をついていたクロエが脱力したような気だるそうに立ち上がると、ゆっくりと後方にいるセキとヴォルタへ首だけ振り返った。
良くは見えなかったものの、その瞳は哀愁のようにも感じとれた。
とにかく形成は逆転。二対一。
クロエはすぐにシスルへと視線を戻すと、セキたちには再び背を向けた状態になる。
いつもなら主に忠実に従うフランクがクロエの言葉に耳を貸さない。そんな彼の行動は火を見るより明らかだ。
セキは知らずの内に左右に首を振り、一歩、また一歩と前へ出た。
「やめろ・・・」
小さく訴えたセキに、シスルの視線がふとこちらへと注がれた気がした。
セキはその視線に気が付いて彼の目を見ると、その瞳はすでに諦念に色を無くしている。
フランクは剣を構え、意を決したように振り上げる。
セキの絶叫と石畳を蹴り上げる音、剣が空を切る音が同時であった。
パキンッ・・・!
ふと目が覚めた。
いつも彼が眠っていベッドには綺麗な月明かりが差しこんでいて、カーテンを閉め忘れていたことに気がつく。
涼しい快適な気温の筈なのに、彼は全身を汗ばませていた。
顔を青白く、銀の髪が月光に照らされて彼を一層儚く見せる。
「ああ、もう・・・
まただよ。あの子は一体どれだけ死ねば気が済むの?」
額の汗を拭いながら彼はぽつりと呟いた。
月光を見上げて、スッと双眸を細める。
「苦しいね、慶一郎・・・」




