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迷惑かけまいとしてるのに

 国境の川を越えてから早くも十日が経ちました。

 今はちょっとした山を登っているところです。小学校低学年でも簡単に登ることができそうです。あー、小一の遠足を思い出す……。

 少しぼうっとしながら歩いていると、ドサッ、と何かが落ちたような音がすぐ後ろから聞こえました。振り返ってみるとそこには、黒い子豚、じゃない、魔物!

「ギュッ」

 気が付いたら魔物を蹴り飛ばしていました。魔物が山道から外れて斜面をころころ転がっていきます。

「やるじゃないか、レイちゃん」

 エドワードさんが魔物を追って斜面を下っていきました。……はっ、しまった。エドワードさんに手間をかけさせてしまいました。

「怪我はないか」

 ジークさんが心配してくれました。

「大丈夫です。どこも痛くないです」

「そうか。それなら」

 ジークさんは途中で言葉を切ると、さっとしゃがみました。その直後、ジークさんの上を何かが猛スピードで通っていきました。

「ギャッ」

 通っていったかと思えば短い悲鳴のようなものが聞こえました。

 悲鳴が聞こえた方を見てみると、コウモリのような魔物が木の根元でひっくり返っていました。……ふむ、どうやら魔物はジークさんに突撃したもののあえなくかわされ、木に激突したようです。

 魔物はあっさりとジークさんに聖剣で刺されました。

 魔物が空気に溶けきった頃にエドワードさんが戻ってきました。

「あの、変な方に蹴って、ごめんなさい」

「いいよ、たいしたことじゃないから」

 今日もエドワードさんはあっさりと許してくれました。……うー、迷惑をかけないようにしようと決めたばかりなのに。

 山登りを再開してしばらくしてから、ジークさんが急に立ち止まりました。

「魔物が見えた気がする」

 ジークさんが見ている方を見てみましたがそれらしきものは見えません。木が邪魔です。今度はどんな魔物なのでしょうか。

「あ、いた。大きいな」

 エドワードさんは見つけたようです。

「どんなのかよくわからないけど、斬ってくる」

 そう言ってエドワードさんが一歩踏み出した時、

「グオオオオオオ」

 というなんとも低い鳴き声が聞こえてきました。それを聞いたエドワードさんはぴたっと止まり、

「……これ……」

 なんということでしょう、エドワードさんの顔が青くなりました。もしかして、かなりまずいのがいるのでしょうか。

「キュウウウウウン」

 今度は高い鳴き声が聞こえました。

「レイちゃんあいつを鳴けないようにして。早く!」

 うわわ、エドワードさんがいつになく慌ててる!

【魔物ー! 鳴くなー!】

 これでもう大丈夫なはずですが……。

「ありがとう、レイちゃん」

 エドワードさんはほっとしたように言いました。

「今度こそ斬ってくる」

 エドワードさんが駆け出したのとほぼ同時に魔物も動いたようで、私にも魔物の姿が見えました。四本足で頭には大きな角がついています。あの形は鹿でしょうか。

 エドワードさんが剣を振ったのが見えました。お? 黒くて長いものが飛んできます。たぶん魔物の角でしょう。

 角らしきものは私のすぐそばに落ちました。それが空気に溶けていくのをぼけっと見ているうちにエドワードさんが戻ってきました。

「レイちゃんがいて良かった」

 お役に立てて嬉しいです。……ところで、

「あの、焦ってたみたいですけど……」

「あの魔物はね、前話したうるさい魔物なんだけど、覚えてるかな」

 うるさい魔物……ああ、そういえば草原でそんな話を聞きました。鹿みたいな魔物で、鳴き声を聞いて耳がおかしくなるかと思ったとエドワードさんは言っていましたね。

「あいつはさ、鳴き声がどんどん大きくなっていくんだ。一匹だけでもかなりうるさいのに、前に見た時は群れでいたから大変だったよ……耳を塞ぎたくてもそんなことしてたら殺されかねないしさ……」

 山賊三十人程を相手にしても余裕で勝つ――相手は空腹やら栄養不足やらで満足に力が出せない状態ではありましたがそれでも一対三十は普通は大変でしょう――ようなエドワードさんに「大変」と言わせ、顔を青くさせ、慌てさせる……なんて恐ろしい。魔法を使うことができてよかったです。

 ところで、

「その時はどうやって倒したんですか。うるさくて苦労したってことは、魔法を使える人が一緒にいなかったってことですか」

「ああ、あの時はね、父さんに『ちょっと魔物倒してこい』って言われて山に行ったんだ。で、あいつらがいたから戦ってみたんだけど、あんまりうるさくてその場にいるのがつらいもんだから、もう逃げちゃおうかって思ってたら、運良く教会の人たちが来て手伝ってくれたんだ。司教様が何か言ったと思ったらあいつらが一斉に口を閉じたのにはびっくりしたよ。しかもそれっきり全然鳴かなかったし。そういえば呪文だけの魔法が使われるの見たのあの時が初めてだったなあ……」

「それ、いつのことなんですか」

「十歳の時」

 うわあ、十歳で山に魔物退治に行っちゃうんですか。しかも「ちょっと魔物倒してこい」だなんて魔物退治なのになんだかおつかいのようですね……。

「……あんまり驚かないね?」

「え、驚いてますよ。……エドワードさんとエドワードさんのお父さんならそういうこともありそうだなとは思いましたけど」

 エドワードさんは偶然とはいえ八歳で魔物を倒していますし、彼のお父さんはかなり大胆なことをやる人のようですからね。

 そんなことを話しながら歩いていると、キイイィィ、という大嫌いな音がどこからか聞こえたので思わず立ち止まりました。

 キイイィィィィ!

 また聞こえてきました。いーやー! この音は嫌ー! 誰だ黒板ひっかいてるのは! 

 キイイイイイイイイィィィィィィィ!

 耳を塞いで耐えていると、エドワードさんが何かを言いました。不愉快な音が続いていたのと耳を塞いでいたせいでうまく聞こえませんでしたが、「魔物」という言葉は確かに聞こえました。

 そうか、黒板じゃなくて魔物のせいか!

【黙れー!! 口を閉じろー!! 静かにしろー!! 音を出すなー!!】

 とにかくいろいろと叫んでみると、不愉快な音はぴたりと止みました。ふう……。

 安心していると肩にエドワードさんの手が置かれました。彼は困ったような顔をしてもう片方の手でジークさんを指しました。

 ジークさんは杖を私に差し出していました。……杖?…………杖! あああああ! 私、杖持ってない! 持ってないのに魔法使った!?

 杖は少しでも安全に魔法を使うために持っているべきものです。初心者は絶対です。それなのに私は杖をいつの間にか手放していました。

 エドワードさんもジークさんも何か言いたそうにしていますが、ただ困ったように私を見るだけです。

 私はいつもと同じように、魔物を対象として魔法を使ったつもりです。確かに魔物だけに効果を絞るようなことは言っていませんがいつもならそれでもエドワードさんたちは大丈夫なはずです。でも今回は杖がありませんでした。魔法がうまくいっていない可能性は大いにあります。というより絶対うまくいっていません。今、二人が声を出せないのは間違いないでしょう。この山に他にも人がいたとしたらその人も声を出せないでいるかもしれません。

「ごめんなさい……」

 またこういうことをしてしまうなんて!

「……よっぽど嫌だったんだね、今の音」

「はい……。あの、喋りにくかったりしませんか?」

 杖無しで使った魔法で何か変なことが起こっていないか心配になって聞いてみると、エドワードさんもジークさんも、

「大丈夫」

 と答えました。よかった……。

「さっきの、魔物の鳴き声ですか」

「たぶんね。――ねえ、レイちゃん、静かにさせたついでに倒そうよ。ってことで魔法使って魔物呼んで。今度はしっかり杖持ってね」

 そうですね、魔物を放置しておくわけにはいきませんものね。

【魔物ー! こっちに来い!】

 もしかしたら大量に来るかと思いましたが、来たのはたった五匹でした。

 豚もどき、翼付きうさぎもどき、狐もどきが一匹ずつ、りすもどきが二匹います。豚と狐とりすの一匹は普通の動物と同じくらいですが、うさぎともう一匹のりすは大きいです。うさぎは豚と同じくらい、りすはすいか三つ分くらいの大きさです。ちなみに巨大りすの頭の上に小さいりすがのっています。

 魔法で動けなくした魔物たちを見て、エドワードさんは首を傾げて言いました。

「うるさいのどれだろう。豚みたいなのは違うかな?」

 私が蹴った時、キイイイイ、なんて鳴いていませんものね。ですが、あの魔物とこの魔物が同じ種類のものであるとは限りませんし、大きいのと小さいので鳴き声が違うのかもしれません。それにあの不愉快な音が鳴き声だとも決まっていません。

「ま、どれでもいいか。――レイちゃん頑張れ」

「はい」

 今回魔物を倒すのは私の役目です。まずは魔法でまとめて攻撃してみます。魔物たちが来るまでの間に魔法陣は描いておきました。

【水よ湧け 濡らしてしまえ 何もかも】

 呪文を唱えると、大量の水が勢いよく魔法陣から出て魔物たちに当たりました。魔物たちは倒れましたが消えませんでした。

 もう一度同じ魔法を使ってみると、大きいりすもどき以外は全部消えました。

「こいつ、他のを食べて強くなったのかもな」

 そう言ったのはジークさんです。おそらく彼の言うとおりでしょう。頭の上の小さいりすはこれから食べられるところだったのだと思います。

 この辺りをこれ以上水浸しにするのもどうかと思うので、こんどは別の魔法を使います。今度の魔法は魔法陣を描くのにはとても苦労しますが、呪文は短くてわかりやすくてとても簡単です。五七五にはなっていません。

 描きかけだった魔法陣をなんとか完成させました。間違えてはいないはずです。あとは呪文だけ。

【風よ、切り裂け】

 魔法陣が強く輝いた直後、魔物が綺麗に真っ二つになりました。魔物は空気に溶けていきます。ああ、よかった、うまくいった……。

「レイちゃん、今日は失敗しなかったね。魔法陣描くの上手になったよね」

「綺麗になったし、速くもなったな」

 今日もエドワードさんとジークさんは怒りませんでした。それどころか褒めてくれました。本当に優しい人たちです。ますます迷惑をかけるわけにはいかなくなりました。

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