姉。
湯船万歳。
私は今、広い浴場の大きな湯船にたった一人です。じきに他のお客さんが続々と入ってくるでしょう。それまで一人を満喫します。
蜂もどきと蟻もどきを退治したのは今では一週間前のこと。あの後、近くの村にたどり着く前に雨に降られて、私たち三人は盛大に濡れました。折り畳み傘を差そうかと思いましたが、とても風が強かったのでやめました。私が魔法に失敗していなければ濡れずに済んだのですから、エドワードさんとジークさんには本当に申し訳ないことをしました。
この大浴場が売りの宿のあるこの町に着いたのは今日のお昼過ぎ。魔物の巣を見つけたことを報告書に書いて飛ばして、夕飯の前にお風呂に入りに来てみれば運良く誰もいなかったのです。あ~極楽~。
「今日も暑かったねー」
「本当に」
「お風呂が自慢の宿なんて初めてよね」
「ねー」
「魔法でいろいろやってるらしいけど、どんな魔法かしら」
「さあね。ま、入ればわかるでしょ」
おや、脱衣所の方から声が聞こえてきます。どうやら一気に何人もきたようです。
脱衣所と浴場を仕切る戸が開けられる音がして、何気なくそちらを見て、戸を開けた人物と目があって、
「え」
「あ」
私と彼女はほぼ同時に声を出しました。
何でこんな所で彼女と――エイミーと会うのでしょう。
「あ、ああ、アンタ! 何でここにいるの!」
「……ここに泊まってるから」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよ!」
「じゃあ聞くんじゃない」
「そうじゃなくて! そうじゃなくて…………もう何でもいいわ……。魔法使うんじゃないわよ」
「使わないよ」
杖がありませんからね。よほどの危機に陥らない限り杖無しで魔法を使わないようにエリエント先生にきつく言われています。
エイミーたちが魔法で動いているらしいシャワーらしきものに驚きながらも体を洗っている間に浴場から脱出しようと思ったのですが、常に誰かに見られていてできそうになかったので、おとなしくお湯に浸かっていました。
「せっかく一緒にお風呂に入ってるんだから、いろいろ聞いちゃうよ~」
エイミーの仲間の一人がそんなことを言いながら私のすぐ横に体を沈めました。さりげなく離れようとした瞬間、
「逃がさないよ~」
腕をがしっと掴まれ、
「お風呂に入ってる時くらいは仲良くしようよ」
さらには反対側にも人が来て、逃げるのが難しくなりました。ううう、他のお客さん来てくれないかな……。
「あなたはどこから来たの~? あ、答えてくれないとくすぐっちゃうからね~」
そんなー。私はくすぐられるのにとても弱いのです。
「……地図で見るとロシアの下の中国の下の北朝鮮の下の韓国の下の国から」
「もっと簡単に言いなさい」
回りくどく言ってみたら目の前に来たエイミーに睨み付けられました。
「言ったってわからないと思う」
「言ってみなさいよ」
「日本」
「どこよそれ」
「さっき言った」
エイミーが小さく舌打ちしたのが聞こえました。
「……どんな国?」
「島国」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。豊かさとか強さとかを聞いてるの」
「結構豊か。庶民も旅行する」
ずっと掴まれていた腕が放されました。質問に一応は答えているからでしょう。
「どんな宗教があるの?」
「いろいろ」
「どんな生き物が住んでるの?」
変なことを聞いてきましたね。
「人間とか犬とか猫とか。この国やあんたのとことたいして変わらないと思うけど」
「アンタはその……ニホン、だっけ? そこで何をしてるの?」
「高校生」
「何それ?」
「学生」
何故かエイミーの顔に「勝った!」という感じの笑みが浮かびました。
「アンタが神使なんて生き物じゃないのはよーくわかったわ。ニールグは嘘つきね」
む……ニールグの皆さんごめんなさい。神使のことまで頭が回りませんでした。一応、反論っぽいことはしておきます。
「……じゃあ、あんたは私が人間に見えてるのか」
「…………微妙」
ぼそっと言ったきりエイミーは黙り込んでしまいました。微妙って何それ。
「あなたはどうして魔法語が話せるの」
エイミーの後ろから固い声と殺されそうなくらい怖い視線が投げかけられました。この視線には覚えがあります。彼女は以前私が口を塞いだ人です。かなり恨まれているようです。
「それ、わたしも聞きたいな」
「私も!」
「あたしもー」
いくつもの視線が私に向けられました。うわー好奇心旺盛ですねー。そこのあなた頼みますからその怖い視線を寄越さないでくださいお願いします。
「生まれてからずっと周りの人が魔法語を喋ってたからです」
私の答えに彼女らは不思議そうな顔をして、「どういうこと?」や「何で?」などと聞いてきましたが、もう答えるつもりはありません。私ばかり聞かれるのはずるいです。くすぐりは防ぐ! 視線には耐える! というわけで、私も質問します。
さあ答えてもらうぞエイミー!
「あんたの名前は、エイミー・ランストーラで合ってる?」
「そうよ。いきなり何よ名前なんか聞いてきて。っていうか質問に答えなさいよ」
「あんたのこと探してる二人組に会った?」
おっと、横からくすぐろうとする手が伸びてきました。させるかっ。
「探してる? 誰と誰が?」
「あんたにっそっくりなっ、十歳くらいの、女の子、と、私と同じくらいの歳の、金髪の男子。女の子はレベッカって呼ばれてた」
くすぐりを防ぎながら答えると、エイミーの目が大きく大きく見開かれました。
「何で、何でレベッカが? 男の名前は?」
「知らない。聞いてない」
くすぐろうとしていた手がおとなしくなりました。もう襲ってこないだろう、なんて油断はしません。こういうのは隙をついてくるものです。
「顔は? 目の色とかは?」
「んー、目は濃い緑だったかな。髪の毛さらさらに見えた」
ふっと殺人的視線が感じられなくなりました。見れば視線を送ってきていた人が手で両目を覆っています。目を休めているように見えます。もしかしたらあの視線を送ることは目が疲れることなのかもしれません。
「そんな、ロイまで……何で、どうして? いつどこで会ったの?」
エイミーがずいっと詰め寄ってきました。
「確か……二週間くらい前にひまわり帝国の、め、メ、メロン、じゃなくて、メロ、メロなんとかっていう町の近く。あんたとは遺跡で会ったって言っておいた」
あれー? 私が質問していたのに、また私が答えているではありませんか。
「どうして……どうしよう。どうしましょう。ああ。落ち着いて、落ち着くのです、私。あの二人なら大丈夫。でも……!」
あら? 気の強い女勇者エイミーのはずが可憐な乙女エイミーに見えます。
「あの、いつもと違いませんか」
くすぐろうとしていた人とは反対側の人にこっそり聞いてみました。
「面白いでしょ? こうやってたまに貴族のお嬢様っぽいところが出てきちゃうの」
「そうなんですか」
エドワードさんがエイミーのことを「庶民に溶け込んでいる」と言っていましたが、今のエイミーはあまり溶け込んでいません。これでおしゃれで質の良い服を着ようものなら庶民からは完全に浮いた存在となるでしょう。
落ち着こうとしてまったく落ち着けないエイミーを見かねたのか、「面白いでしょ」と言った人――いつもエイミーを宥めている人――がエイミーの肩にぽん、と手を置いて言いました。
「エイミー、何を慌ててるの。レベッカちゃんもロイさんもすごく強いんでしょ」
え、あの少年はともかくあの女の子まで? ザ・お嬢様みたいなあの子がすごく強い? ああなんてファンタジー……!
「でもっ、それでも心配なのっ」
「いくら心配だからって慌てちゃ駄目でしょ。それに」
宥めている人が一旦言葉を切って、こちらを手で示しました。
「この子のところの勇者に笑われちゃうかもよ?」
「……! それは嫌」
エイミーが気の強い女勇者に戻りました。が、心配そうな顔をしたままです。
「怪我とか病気はそう簡単にしないでしょうけど、レベッカは常識不足気味なのよね……ロイが一緒なら大丈夫だとは思うけど……」
「じゃあ、二人を探しに行く?」
「そういうわけには……」
「いいじゃない、ちょっとくらい寄り道したって。勇者だって家族を大切にするものだと思うよ」
「……ありがとう」
エイミーの顔が明るくなりました。それでは質問を再開しましょうか。
「あのレベッカっていう子はあんたの妹さん?」
「そうよ」
「じゃあ、あの人、ロイ? とかいう人は、お兄さんか弟くん?」
「違うわよ」
「友達?」
「それも違うわ。……近いかもしれないけど」
「じゃあ何」
エイミーの顔がお湯に入っていてただでさえ赤いのに、さらに赤くなりました。そして少しだけ可憐な乙女に戻ったようです。
「ロイは、その、私の……許婚、なの」
「え」
ええええええええ!? い、いい、許婚ですと? そんな存在がエイミーにいたとは……。でもよく考えれば、彼女は貴族ですから許婚がいてもおかしくないのかもしれません。友達に近いかもということは、仲がいいということでしょうか。
「隙あり~」
おおっと、再び横から手が。させるものですかっ。
「で、その二人がっ、あんたを探してる、理由の、心当たりはあるの」
とりあえず質問再開。しつこい手め!
「……あるわ」
「何?」
「アンタには関係ないでしょ」
「じゃあ、あんたの妹が、強いってさっき聞こえたけど、あの子強いの? そんな、感じには、見えなかったけど」
「それがレベッカのすごいところなのよ」
エイミーは誇らしげにそう言いました。
「勇者が選ばれるのがあと四、五年くらい遅かったら――間違いなくあの子が勇者として旅に出てるわ」
「へえ。あんたはどうして、勇者に選ばれたの」
「アンタには教えない」
カーメイ教と一緒で、儀式と称したくじ引きだったりして。ご神託とかだったらエイミーは胸を張って答えるでしょう。
「じゃあ、あんたの妹が、間違いなく勇者になったって、根拠はっ?」
よし、しつこい手を抑え込んでやりました! ふふふ、暴れたって放すものですか!
「レベッカは本当にすごいのよ! アタシとあの子を同じ歳にして比べたら、何歳の時でもいろんな点であの子が勝つわ。あの子はアタシの自慢の妹。誇れる妹。レベッカ・ランストーラの姉であることはアタシの――私の大きな喜び」
何それ。
「……妹に負けてばっかりで悔しくないの。っていうか何で妹なんかを誇りに思えるんだ」
残念ながら私には理解できません。素晴らしい妹がいればわかるものでしょうか。
「妹“なんか”って何よっ!」
ものすごい勢いでエイミーに怒られました。同時に、くすぐろうとしていた手がおとなしくなりました。彼女もエイミーの勢いに驚いたのでしょうか。
「そりゃあね、悔しい、負けたくないってよく思うけどね、それ以上に誇らしいものなの。妹っていうのはかわいい大切な存在なの。アタシのこと慕ってくれるし」
慕ってくれる? 誰が? 妹が……?
「……負けた……」
「え?」
よりにもよってエイミーに私は負けてしまいました。私には妹と弟が慕ってくれた記憶などありません。馬鹿にされた記憶ならたくさんありますが。
「何か言った?」
「独り言」
「そう。……まあ、アンタも妹か弟ができればアタシのこの気持ちもわかるわよ」
「……いる。しかも両方」
またもやエイミーの目が大きく見開かれました。何をそんなに驚いているのやら。
「アンタに妹と弟がいる? アンタが、姉?」
エイミーの顔には「信じられない!」と書いてあります。
「お兄様とかお姉様とかいる?」
「いない」
「……てっきり誰かの妹か一人っ子なんだと思ってたわ」
ぐっ、誰かの姉らしくないということですね。自覚はあります。旅に出てからはエドワードさんとジークさんを兄のように思って頼っていて甘え気味なのは事実です。
……もうお湯から出ましょうか。長く浸かり過ぎました。立ち上がった私を見たエイミーが、
「逃げるの?」
などと挑発的に言ってきましたが、そんなものには乗りません。というより乗れる程の気力がありません。お風呂に入ったのに疲れてしまいました。
「のぼせた」
エイミーたちは意外にも何も言わず、すんなり出させてくれました。
エイミーたちが同じ宿にいることをエドワードさんとジークさんに伝えに彼らの部屋に行くと、部屋に入った途端、何故かジークさんにじーっと見つめられました。
ジークさん、私がそういうの駄目なのは知っているでしょう?
「どうしたんだい?」
「えっと、エイミーたちがここにいるんです。お風呂で会いました」
「ええー。それはめんどくさいなあ。どれくらいここにいるつもりかな」
「エイミーのことを探してたあの二人を探すみたいですから、あんまり長くはいないと思います」
「うーん、十五人全員で行ってくれるかなあ。ところでジーク、何でそんなにレイちゃんを見つめてるんだ?」
エドワードさんの問いかけに、ジークさんは私を見つめたまま答えました。彼は自身の行為が私の精神に多大なダメージを与えてることをわかっていないのかもしれません。
「さっき、夢を見た」
「そういえば寝てたな。どんな夢だ?」
「神様が出てきた。いつもいろいろ教えてくれる神様だと思う。声が同じだった」
「それはすごいな。で?」
「神様が『お前は好きなやつはいないのか』って聞いてきた」
な、何故いきなりそんなことを?
「いない、って答えたら、『お前の姉がお前くらいの頃には好きなやつがいたぞ』って言われた」
なんと! ジークさんにはお姉さんがいるのですね!
「それから、『お前の兄も最近気になるやつがいるようだぞ』とも言ってた」
おお! お兄さんまで! ジークさんは三兄弟の末っ子なのでしょうか。それともまだ他にもいるのでしょうか。
「起きてから、俺の姉と兄を想像してみようとした。でもうまくいかないから、レイを見れば兄は駄目でも姉はなんとかなるかと思った。レイは姉だから」
「……効果は?」
「……あまりないようだ」
それは、やはり私が姉らしくないからでしょうか……。これからは、もっと誰かの姉らしくするべきなのでしょうか? でもどうやって?




