02/12 Sat.-4
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やってられっか。
カイトは、ネクタイをむしり取りながら、タクシーに飛び乗って会社に来てしまった。
ドアを開けて大股で開発室に入るや、スタッフの視線が一斉にこっちに投げられる。
みな、何か言いたげだ。
んなヒマがあんなら、仕事しろー!!
明日が納期なのは、周知の事実だ。
それを、すっぽかすような形で終わるのに、やはりカイトは耐えられなかったのである。
当たり前のように、ガッと自分の椅子に座り、コンピュータを立ち上げた。
しかし、現実問題として、今から具体的に何をすればいいのか分かっていなかった。
現在の進行状況を、飛び入りのカイトが知るはずなどないのだ。
その飛び入りという言葉でさえ、彼はムッとした。
ここは彼の城であり、多くを把握していたいと思っていたのに。
機嫌が悪いのは、この地点までたどりつくまでの様々な経緯。
式場では、背中にびっしょり汗をかくほどの、リハーサルをやらされたのだ。
しかも2人きりではなく、ハルコとソウマもいる。
挙げ句、両親までご登場とあっては、ただでさえ深い眉間のシワが、更に深く刻まれることとなった。
かなりのヒットポイントを奪われながらも、何とかそれが終わった後。
まだ、カイトの災難は続いていた。
これから集まったみんなで会食、などという話が持ち上がったのだ。
いや、それは最初から予定されていたことだったに違いない。
でなければ、どうして既に店が予約されているのか。
結婚式前の会食のことを、何とかというカタカナで言われたが、そんなカタカナなどどうでもよかった。
そんな、くだらないことで時間を費やすより、いまの切迫した仕事の方が、余程大事だったのだ。
ただ。
気になることが一つあった。
メイだ。
朝の落ち着かない様子を見ると、どうしても心配になってしまう。
こうして、カイトが仕事している間に、何事か起きるのではないか、と。
うぅ。
背に腹は、代えられなかった。
カイトは、非常にハラの立つことではあるが―― 彼女を、両親に預けたのだ。
仕事が終わったら、迎えに来る、と。
大丈夫だから、などと言おうとするメイだったが、最終的には彼の気迫に押されたのか、その件を飲み込んでくれた。
ふぅ。
しかし、多少は気が楽になったのは確かだ。
「社長…」
苦笑して現れたのはチーフで。
やれやれ、という表情を隠しきれない様子だった。
ギロリと、睨み上げる。
出社した件についての言及はするな、という暗黙の威嚇だった。
ちゃんと理解しているらしく、彼は何も言うことなく、現在の進行状況の報告を始めた。
「万事、順調ですよ。けれど、ギリギリまで慎重にチェックする予定にしています」
発売されてから、バグが見つかっては遅いので。
周囲を見渡すような動きを見せたので、カイトもつられて顎を動かした。
ヨレヨレの、背広を着ている人間もいる。
会社に泊まりこんでいるのだ。
こざっぱりした格好をしているのは、家が近くの人間だけ。
あとは。
「ねぇねぇ、見てー!! ミニゲームで最高得点が出たのー! ほらほら!」
相変わらず。
カイトは、目を細めた。
ハナは、健在だった。
「あっ、シャチョー!! 披露宴の招待状ください~~~~!!」
そして―― まだあきらめていなかった。
※
夜。
11時に、親の家に殴り込む。
「もう今日は遅いから、泊まっていったら? 何だったら、メイちゃんだけでも」
などという母親から、何とか彼女を奪還して。
車の中。
「写真を…見せてもらったの」
一緒にいなかった時間を埋めるように、メイがしゃべり始める。
どうやら、彼の実家での出来事のことらしい。
写真?
カイトは、眉を顰めた。
ハルコやソウマに預けるよりは、まだ親の方がマシだろうと思って、彼はそっちを選んだのだ。
しかし、どちらの夫婦にせよ、過去のカイトを知っていることは確かだった。
どのくらいの過去か、ということで違うだけである。
大学以降のことは、ソウマ夫婦の方が知っているだろうが、その前となると。
クソッ。
余計なことしやがってと、自分の両親を攻撃する。
勿論、想像上のことだが。
「一枚…もらっちゃった」
赤信号で止まった時―― 爆弾発言があった。
なにー!?
大慌てで彼女の方を見ると、大事そうにバッグを押さえているではないか。
その中に、カイトの昔の写真が入っているというのだ。
「だっ、出せ!」
こんな、恥ずかしいことはなかった。
彼は、何とかそれを奪い返そうと。
いや、もう最初から破り捨てる気だった。
どんな写真か分からないが、どれにせよ耐えられそうになかったのだ。
「だめー!!!」
バッグを隠すように、カイトより遠い側に持っていってしまう。
とんでもないと首を横に振る彼女から、何とか写真を取り返そうと思っていたのに。
プァッパー!!!
後ろの方から、激しいクラクションに阻まれる。
信号が、青になってしまったのだ。
山ほどの悪態をつきながら、カイトは車を走らせた。
「だって……一枚も写真持ってないし」
怒らないで。
彼の苛立ちが分かったのか、メイが懇願するような声を出した。
怒ってねぇ!!!
と、思う心の声も激しいので、説得力はなかった。
大体、写真を持っていないのはカイトも一緒だ。
2人で、カメラのフィルムの中に収まったことなど、いままでに一度もない。
過去の薄さを、証明する材料が積み重ねられているようで、それで余計に苛立つ。
『気持ちが通じてさえいれば、このくらいじゃ不安にならないはずだぞ?』
リハーサルの時に、ソウマがムカつくことを言った。
指輪を外して、不承不承彼に預ける時のことだ。
その時は、『るせー!』と聞く耳も持たなかったのだが、結局図星だった。
指輪がなくても写真がなくても―― 本当にお互いの『好き』がしっかりさえしていたら、いちいちグラつかずに済むものを。
そこを、他人に鋭く指摘されたのが腹立たしい。
写真なんかなくても。
オレがいるじゃねーか。
過去のカイトよりも、いま現物がここにいるのだ。
そんなに顔が見たいなら、いつだって見せてやるのに。
そんなもんより、オレを見ろ。
このセリフを言うために、さんざんいろんなものを総動員していたのだが。
それが、全て準備を整えるより先に、車は家に帰り着く。
その夜―― またもムキになって、カイトは自分を主張してしまった。




