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02/01 Tue.-5

「ごめんなさい…」


 恥ずかしくて、小さくなったような声が助手席から聞こえる。


 運転しながらちらりとそっちを見ると、声通りの様子のメイが赤い顔のままこっちを見ていた。


 さも、申し訳なさそうに。


 あの魚屋の前で、それはもう大変な騒ぎになったのだ。


 彼女を取り囲んで、周囲の住民が集まり、質問と再会の喜びの大合唱だったのだから。


 地元付き合いの薄いカイトからすると、信じられないような出来事だった。


 いかに、彼女がとても可愛がられていたのかが知れて、『当然だ』と思うのと同時に、『面白くない』という気持ちも入り交じる。


 しかし。


 カイトにとって、幸せなこともあったのだ。


 住民の最初の矛先はメイだったが、次の矛先は、当然見知らぬ男である彼に注がれた。


 それ自体は、ちっともありがたくない。


 だが、彼女は恥ずかしいながらも、一生懸命カイトの存在を、みんなに紹介してくれた。


『大事な人』


 あの、ユウとかいう性別不明の子供にも言った言葉を、何度も何度もメイは繰り返したのだ。


 最初に言われた時は、衝撃的だった。


 リンに言った時よりも、はっきりとした言葉だったのだ。


 子供の言うことだからと我慢はしたが、ムカムカするような言葉も、あのチビに言われた。


 オジサンだの、メイと結婚するだの。


 けれども、それを補った言葉がそれだった。


 大事な人―― その言葉は、カイトの中で何度も何度も、彼女の声でリフレインした。


「あ、見えてきた…」


 メイが小高い丘に、視線を投げる。


 そこが、どうやら墓地らしい。


 なかなか二人を離してくれなかった住民も、彼らの目的が墓参りであると知るや、快く見送ってくれた。


 花屋は、わざわざ供える花まで持ってきてくれる始末だ。


 本当はすでに、途中の花屋で買っていたのだが、いくらあってもいいだろうと、どうしても引っ込めようとしなかった。


 おかげで、車内は花の匂いだらけだ。


 菊の、苦い緑の匂い。


「お父さんね、全然お酒飲まない人で、私はてっきりお酒が嫌いなんだと思ってたの」


 車を降りて、墓地の方に向かう。


 荷物は、全部カイトが持とうとしたが、花だけは彼女に預けた。


 自分が持っているよりも、そっちの方がいいと思ったのだ。


 二つの花束を抱えたメイは、不揃いの石の上を注意して歩いている。


 そして、唇からは父親のこと。


 黙って聞きながら、カイトは歩いた。


「でもね、リンお姉さんとか近所のおじさんとかの言うことには、お父さんってすごいお酒好きな人だったんだって。前は工場も羽振りがよかったから、毎晩みたいに居酒屋で飲んでて」


 彼女は、少しあてどない感じでしゃべる。


 どうしても、カイトに聞かせなければならない話ではないような口振りで、でもぽろぽろと言葉を落としていく。


「けど…お母さんが死んでから、お酒をやめたんだって…大人になって、『何で?』って聞いたら、『酔って帰っても、もう靴下を脱がせてくれる人はいないからな』だって」


 メイは、ちょっと笑った後、言葉と足を止めた。


 一つのお墓の前だった。


 供えられていた花は枯れ落ち、石が汚れている。


 彼女は、慌てた動きで掃除をし始めた。


 カイトは、余り役には立たない。


 何かしようと思っている間に、彼女がテキパキと動いてしまうからだ。


 ただ、墓石を冷たい水できれいに拭き上げようとした時は、その雑巾を奪い取った。


 奪い返そうとする彼女を押しのけて、ぐいぐいと拭っていく。


 ありがとうと言われたが、拭くので忙しいフリをして聞こえないことにした。


 そして、ようやく掃除が終わった。


 花も、溢れんばかりに活けられた。


 見違えるほど、綺麗なお墓になって。


「お父さん…今まで放っておいてごめんね」


 墓の前に立ちつくしたまま、彼女は小さな声で墓に呼びかけた。


 娘の声だ。


 顔は、後ろにいるカイトから見えないが、きっと娘の顔になっているに違いなかった。


 カイトの、知らない時代のメイ。


「私の、一番大事な人を連れてきたよ。お父さんは、自分の方がカッコイイと言うかもしれないけど、それはお母さんが思ってるからいいよね?」


 背中が。


 小さく震える。


 カイトの目の前で。


「カイトって言うの。ゲームソフトを作ってるの…まだ、私はやったことないけど、きっとすごく面白いよ。お父さんは、ユウちゃんのやってたマリオで、マリオと一緒に動いて笑われちゃったけど」


 とりとめのない言葉。


 彼は、その背中をじっと見ていた。


 邪魔をしてはいけなかった。


 いまは、メイが大事な父親と話をしているのだ。


「私ね…カイトが酔って帰ってきたら、靴下を脱がせてあげるの。そしたら、私も立派な奥さんだよね? ご飯を作って、カイトにおかえりって言って、そんな毎日毎日を大事にして…ずっとずっと彼のことを好きでいたら…私でも、ちゃんとお母さんみたいな奥さんになれるよね…おかあさんみた…い…」


 邪魔。


 してはいけないと思っているのに。


 震える声。


 愛しい気持ち。


 溢れ返る思いを、どうして我慢なんか出来よう。


 カイトは、彼女を抱きしめた。


「こいつは!」


 ぎゅっと。


 背中から。


「こいつは…オレが幸せにする! 大事にする! 一生ぜってぇオレが守ってやる!」


 聞け!


 天国とか言うものがあるなら、今だけドアを開けて、耳かっぽじってよく聞け。


 メイを愛して大切に思ってるなら、オレを見ろ。


 オレの顔を覚えておけ。


 カイトが一生、いまの宣言を忘れないように。


 彼女を、うっかりにも傷つけてしまわないように―― 大事に大事に抱きしめて、ずっと笑わせていられるように。


 ちょっとでも約束を違えたら、呪いに来い!


 けど。


 呪われようと、誰から非難されようと、憎まれようとも。


「ぜってぇ…こいつを手放さねぇ」


 抱きしめる腕に力を込める。


 道は遠い。


 いや、ずっとずっと遠くていいのだ。


 遠ければ遠いほど、ずっとメイは隣にいる。


 それどころか、たどりつく場所なんかいらなかった。


「お父さん…」


 抱きしめた身体が、小さく呼ぶ。


 2月の風は冷たい。


 こんな平日に、墓地には誰もいない。


 けれども。


 カイトは、腕に花を抱えていた。


 暖かい、春と同じ匂いをしている。


 優しい人肌の鼓動を持っている。


 たった一輪の花。


「お父さん…この人が、一番好きな人。もう、反対しても…ダメだからね」


 カケオチしちゃうから。


 抱きしめた腕が、ぎゅっと強く握られた。


 もう、寒くなくなった。


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