02/01 Tue.-4
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「ユウちゃん!」
メイは、驚いた。
まさか平日の、しかもこんな時間に、家にいるとは思ってもみなかったのである。
ただし、すごい鼻声だった。
パジャマも、自慢の赤茶けた髪もぐしゃぐしゃで、熱のせいか目も潤んでいる。
「お゛ね゛ぇ゛ぢゃーん゛」
そう言って、抱きついてくる甘えっこの身体を、彼女はぎゅうっと抱きしめた。
リンは、メイの小さな時から面倒を見てくれたが、その代わり、彼女はユウを小さな時から面倒を見ていたのである。
ゲームが好きで、いつも話して聞かせてくれた、大事なお友達だった。
「ほら、そんなメソメソしないの…男の子でしょ?」
一度抱きしめた後、その身体を引き剥がす。
身体は小さいけれども、ユウは来年には中学生だ。
あのリンとマサの子にしては、ちょっと気が小さいのが、彼女の心配のタネだった。
「あ?」
ぽろっと。
本当に、うっかりぽろっとこぼれ出たみたいな声がして、メイは振り返った。
その声が、カイトのものだったからだ。
目をパチパチとしながら、彼はじっとユウの方を見ていた。
ああ。
カイトがどうしてそんな声を出したのか、彼女は分かってちょっと笑ってしまった。
ユウは、とても可愛い顔をしているので、よく性別を間違えられるのである。
街を歩いていても、大体女の子に間違われる。
その容姿のおかげで、子役として芸能界へのスカウトもあったのだが、本人がイヤがったので話が流れた。
『私やマサの小さな時も、こんなものだったわよ』
そうリンが言うので、その血を引いているなら、きっとユウも大きくなるに違いない。
いまの姿を見る限りでは、ちょっと信じられないところがあるが。
「あのおじちゃん…誰?」
ぎゅっと、メイのスカートを握って、ユウはカイトの方を見る。
人見知りが激しいので、新しい人が来るといつもこうだ。
「……!」
また、カイトがショックを受けたように目を見開いた。
メイと同じ年で『おじちゃん』と言われたら、確かにショックだろう。
う。
しかし、彼女はそれどころじゃない。
リンは勘がいいので、すぐに彼との関係を気づいてくれたが、ユウは子供なのだから、分かりやすい言葉で教えてあげないといけないだろう。
どういう単語なら、すぐ分かってくれるのだろうか。
『恋人』とか『旦那さま』とか―― ああ、恥ずかしい!
メイは、心の中で身をよじらせた。
正しい言葉なのに、どうしてこんなに気恥ずかしいのだろうか。
こうやって、2人で知っている人の前に立つことなんか、今までほとんどなかったせいだ。
事情を知っているハルコとかソウマには、今更そんな言葉を使わなくてよかったのだから。
ああ…うぅ。
心の中で、汗をいっぱいかいた後、ユウの方を向く。
「あのね、ユウちゃん…あの人は…お姉ちゃんの、すごく…大切な人よ」
ああ、カイト聞かないで!!!
恥ずかしい。
メイは、背中の視線を振り払うようにしながら、決死の覚悟でそう言った。
そこにカイトがいなければ、彼が聞いていないと分かっていれば、もう少し楽に言えたに違いない。
しかし、この距離では絶対に聞かれてしまう。
本当のことだし、何の間違いもない。
でも、どうしてこうも恥ずかしいのか。
「大事って? ユウより?」
子供らしい反応が返ってきて、またも彼女を困らせる。
まだ、この世の中にはいろんな好きがあることや、いろんな大事があることを理解出来ていないのだ。
「ユウちゃんも大事よ…ユウちゃんも大好き。でも、あの…もうちょっとしたら、きっとユウちゃんにも分かるから」
結局、最後はどこかで聞いたことのあるような、陳腐な言葉になってしまった。
その違いを、うまくここで言葉に出来るほど、メイの口は器用に出来ていないのだ。
「ユウもう子供じゃないよ! ちゃんと好きの意味分かるよ…将来、おねーちゃんと、結婚するって約束したじゃない!!」
どうも、子供扱いしたことに腹を立てたらしく、ユウは鼻声のままで反論してきた。
彼の言う約束とは、ちっちゃな時にありがちのもので。
もう随分前の出来事だ。
それを今更蒸し返されては、メイも困ってしまう。
リンに助け船を求めたが、彼女は面白そうな笑顔で、そんな様子を見ているだけだ。
どうしよう。
ユウの攻撃にやられっぱなしのメイは、必死に言葉を探した。
出来る限り、純真な心に傷をつけないように説明するには、どうしたらいいのか。
「おねーちゃんね…あの人と…結婚するの」
本当は、『結婚したの』が正しいのだけれども、この時はそう言えなかった。
結婚式との順番が違うことで、ユウが後で混乱することを避けたのだ。
それに、人に言う時は、こっちの方が言葉として落ち着くような気がした。
けれども、恥ずかしいことには違いない。
後ろの方にはカイトがいて、自分を見ているのがはっきりと分かる。
その視線にくじけそうになりながらも、メイは一生懸命真剣に言葉を綴った。
「結婚…しちゃうの?」
じわっと、目に涙を浮かべてユウが繰り返す。
「うん、そう」
こくりと、彼女は頷いて。
ユウの頭を撫でてあげる。
「もう、ユウのお姉ちゃんじゃないの?」
置いていかれるような目で見られて、メイは困った。
やっぱり、まだいろんな好きや大事の意味を、この子は理解していなかったのだ。
「ううん、ずっとユウちゃんのお姉ちゃんよ」
ぎゅっと、パジャマの身体を抱きしめてあげる。
母性本能というものを、ユウにはずっと覚えてきた。
そういう気持ちで、ぎゅっと。
「ホントに?」
肩越しに心配そうな声。
「ホントよ」
ぽんぽんと、背中を叩く。
「結婚式には来てね。ユウちゃんも…お姉ちゃんをお祝いしてくれると、すごく嬉しいな」
そっと、離して顔をのぞき込む。
うん、と小さく頷いてくれて、胸があったかくなる。
リンの方を見上げると、『お見事』という風に目を細めてくれた。
「ほら、お前はもう寝ろ…カゼをうつすぞ」
ついに、貫禄のあるマサの大きな手が伸びてきて、ユウの身体を奥の方に引きずり戻してしまった。
おねーちゃーん、と最後まで手足をバタバタさせていたが、ついにその声も遠くなってしまう。
う。
こうなると、居心地が悪いのはメイだ。
これから振り返らなければならない。
そこには、カイトがいる。
さっきまで、ユウを相手にいろんなことを言ったのだが、それを全部聞いた人が後ろにいるのだ。
どんな顔をして振り返ればいいのか。
「あっ、あのね…」
とりあえず、まだそこにいてくれるリンの方を向いて、話を続けようとした。
そうしていれば、カイトの方を振り返らずに済むし、話をしているうちにさっきのことを忘れてくれるのではないかと思ったのだ。
面白そうに、クックックとリンが笑うものだから、余計に焦った。
どういう気持ちか、彼女にはバレバレな気がするのだ。
「あのねっ、結婚式は2月14日で平日なんだけど、あ! しょ、招待状持ってきてるの…招待…くっ、車の中だから取ってくるね!」
リンの視線にもいたたまれなくなって、メイはそこに止めてある車のところまで戻ろうとした。
急いでいるポーズを取れば、カイトの方を見なくてすむと思ったのだ。
そして、駆け出した一歩目。
余りに焦って。
「きゃっ!」
見事に、蹴つまずいてしまった。
古くてデコボコになった歩道は、昔から何度となくメイを転ばせていたが、それはいまも健在だったのである。
が。
彼女を受け止めたのは、歩道ではなかった。
腕。
背広の袖が見える。
あっ。
カアッと、身体が熱くなる。
この腕を、メイが忘れるはずがなかった。
「ご、ごめんね…ありがとう」
うつむいたまま態勢をきちんと戻すまで、その腕はずっと支えてくれていた。
更に恥ずかしくて、顔が見られなくなる。
「あっはっは…合格合格! こんな上等な男は、なかなかいないよ!」
リンの、大きな声のひやかしのおかげで。
何だ何だと―― 近所の人たちが、表の方に顔を出してきてしまった。
「あら、メイちゃんじゃないの!」
「おっ! メイ!」
「あんた! あんた! メイちゃんだよ! メイちゃんが来てるよ!」
きゃー!!!
オシメをつけていた頃から知っている人たちが、ぞろぞろと出て来てしまって、メイは恥ずかしさを隠すどころではなくなってしまった。




