01/30 Sun.-1
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「よぉ、元気そうじゃないか」
……来やがった。
カイトは、半目でドアの方を見た。
性懲りもなく、ソウマ夫婦がご入場してきたのである。
怒鳴って叩き出さないのは、昨日の約束をすっぽかした後ろめたさがあるためだ。
ちょっとくらいなら我慢してやる、というところだった。
しかし、長居は望んでいない。
彼女との生活を、しっかり身体に刻みつけようとしている日々なのに、なかなかうまくいかないせいで、他人に対して広い心が持てないのだ。
結婚式という、大きなイベントが立ちふさがってしまったせいもあるだろうが、つい数日前まで、女性の神秘な部分に振り回された影響も大きかった。
触れたいのに触れられないというジレンマが、いろんなものを総動員してカイトを責め立てたのである。
ようやく、大きな瓦礫は取り除かれたが、大邸宅を建て直すまでには全然遠かったのだ。
しかし、本日のソウマは、少々表情がよろしくなかった。
いつものにこやかな微笑みとは、少々色合いが違っていたのだ。
いや、確かに微笑んではいる。
微笑んではいるのだが、腹に一物ある微笑みだった。
昨日、すっぽかしたことを、ネに持っているのだろうか。
心の狭い男だ。
「昨日はどうも……」
部屋まで案内してきたメイが、小さくなりながら2人に詫びの姿勢を見せる。
その身体を、ぐいっと引っ張って、自分の陣営に連れ込んだ。
昨日の件で謝るとしたら、彼女ではなく自分で。
しかし。
面と向かって、ソウマに謝る気などなかった。
まだこの時点で怒鳴っていないのだから、そこから悟れ、というところだ。
「いいのよ…カイト君に邪魔されなかった分、素敵なプランが組めたのよ。場所と時間しか決まっていなかったものね」
ハルコが、にっこり微笑む。
ソファに、4人揃った日曜の午後―― 天気は薄曇り。
雪でも降りそうな、寒い日。
招待状の準備を早くするために、プランを決めるよりも先に日時と場所だけを決定していたらしい。
カイトは、本当に式関係にはノータッチだったので、よくは分からない。
分かるのは。
この2人の、笑顔から想像するに。
相当なプランが出来上がった、ということだろう。
「それでね、ちょっとどうしても2人で行ってもらわなきゃいけないところがあって…カイト君は、忙しいでしょうけど、何とか数時間折り合いをつけてね」
にこにこ。
笑顔のハルコが、チラシを差し出す。
結婚式関係のものにしては、ちょっと地味に感じる、そのコピーしたようなチラシに、カイトは目をやった。
「私たちが挙式した教会で、あなたたち2人も挙式の予定なんだけど……そこでね、これを受講してきて欲しいの」
『結婚講座のご案内』
チラシのタイトルは、それだった。
結婚講座ぁ????
カイトは、その聞いたこともない四文字熟語を見つめたまま、疑問符のカタマリになった。
タイトルの下に並んでいる、小さな文字を読もうとするのだが、宗教用語らしい漢字やカタカナが最初に目に入ってしまって、全然主旨が掴めない。
しかし、言葉だけを聞くならば、まるで結婚に関する勉強をしにいくところのような。
「私たちの時も、ちょっと急だったから、この教会が一番よかったのよ。講座を受けるのが、2回でいい教会なんて、まずそうはないもの。普通は、最低でも3回。長いところになると6回で、1ヶ月以上通わないといけないのよ」
ハルコは、その講座とやらの内容の説明もせずに、当たり前のような口調でどんどん話を進めていく。
もしかして、分かっていないのは自分だけなのかと思って、焦りながらちらっと横目でメイを見ると、彼女もきょときょと、まばたきをしていた。
「結婚講座はいいぞぉ。心が洗われるぞ…お前の目から、ウロコが落ちるのを、是非見たいもんだな」
はっはっは。
ソウマは。
余裕のある笑みというよりは、『ざまーみろ』という空気を含んでいた。
おそらく、この結婚講座なる内容が、カイトにとっては拷問のようなものなのだろう。
彼は、それを知っているのである。
「月曜日の夜7時から2時間くらいの講座よ。明日と、来週の月曜日の2回ね。ちゃんと一緒に受けないと、結婚式はなくなると思ってね」
ハルコの発言が終わる直前、ソウマの身体が跳ね上がった。
その後の、視線の交わし合いから判断するに、彼女は夫の身体をつねり上げたのだろう。
さっきの彼の発言を、妻は気に入らなかったのか。
そういえば、この2人の結婚もカイトたちほどではないとは言え、決まってからはスピーディーだった。
2ヶ月くらい、だったか。
あの時は、カイトもいろいろとばっちりを食った。
いきなり仕事のできる秘書が、職場から連れ去られたのである。
そう。文字通り、ソウマは『職場からハルコを連れ去った』のだ。
あんなに、彼女にトチ狂っているとは思わなかった。
いままでは、何でも分かり合った恋人同士の顔で、大人の恋愛とやらをしているように思えていたのに、いざフタを開けてみたら、見たこともないソウマがいたのである。
『こいつは返してもらうぞ!』
ドアの外の喧噪に気づいて、カイトが社長室から飛び出してきた時―― ソウマはそう宣言した。
事態を把握できない彼の目には、ソウマがハルコを肩に担ぎ上げている姿が。
バタバタする脚から、黒いハイヒールが片方脱げて床に転がった。
唖然とするしかなかった。
この事件が起きる直前くらいまで、2人がケンカらしいものをしているのは分かっていたのだが、こんな騒動にまで発展するとは思っていなかった。
確か、原因は。
ソウマの放浪癖が長すぎたことか、長すぎた上に、まったくハルコに連絡をしなかったことか。
とにかく、その辺りだ。
結局、1ヶ月後に退職。
と言っても、ほとんど引き継ぎ関係だけにしか、出社しなかったが。
2ヶ月後に挙式、という事態になったのである。
結婚式のことを、思い出そうとした。
しかし、カイトは式場までは呼ばれなかったので、どういう挙式風景だったのかは分からなかった。
式場前で出迎えてライスがどうとか、という話もあったようだが、彼がそんなものに顔を出すはずがなかった。
大体、あの時もいろいろ会社が忙しくて、披露宴なるパーティに出席した時は、かなり頭が朦朧としていた。
ただ、ちょっと違う感じの披露宴だった。
席が用意してあるのではなく、立食形式とか言うヤツで。
堅苦しくなかったのはありがたかったが、後半眠くなって、近くにあった準備室のようなところで、うたた寝してしまった。
カイトの、自慢できない態度はさておき、目の前の夫婦の様子を見るからには、どうやらハルコの希望の結婚式だったようだ。
まあ、その行事そのものが女のためにあるようなものだから、どこでもそんなものなのだろうが。
「すごく素敵な話が聞けるわよ…2人でデートだと思って、言ってらっしゃい」
カイトの心も、ソウマの心も脇に押しのけて、ハルコはいきなりメイを陥落させる手段に出た。
いきなり性差別に出られると、とっさに割って入れない。
「あ、はい……」
ほら。
クソッ。
素直なメイが、頷いてしまったではないか。
これで、つまらない男たちは―― 何の反論も出来なくなってしまったのだった。




