01/30 Sun.-2
☆
この家の玄関の前で、面白いものを拾っていた。
ソウマは、ニヤニヤとカイトを小突いてはいたものの、その切り札をまだ使わずにいる。
切り札は、一番効果的な時に使ってこそ、『切り札』というのだ。
フトコロに、最高級のジョーカーを隠したまま、カイトが『結婚講座』に翻弄されるのを見ていた。
結婚講座というのは、クリスチャンじゃない人間が、教会で結婚式を挙げるために受講しなければいけないものだ。
神父様の、結婚にまつわるありがたいお話が聞ける、という寸法である。
結婚への心得、というか。
ソウマはその内容を、軽んじているワケではない。
宗教を飛び越えて、素晴らしい話もたくさんちりばめられていた。
が。
カイト向きでは、ないということだ。
あの男に、『どうやって結婚生活を幸福に続けていくか』ということを論じたところで、門前で突っぱねるのが分かっていたからだ。
彼は、自分の手で自分なりにメイを幸せにすると、頑なに思っているようだった。
その気持ちと行動は、最終的には神の教えに背くことではない。
それどころか、見た感じ、誤解を受けやすい夫婦ではあるが、どこに出しても恥ずかしくない、『互いを慈しみ合う』夫婦になるだろう。
どこの神様だって、喜んでくれる精神に違いなかった。
『んなの、分かってんだよ!』
結婚講座の説教で、カイトが何度そう考えるか。
それを想像すると、ソウマの目はランランと輝き、口元はニヤリとしてしまうのだった。
ハルコが。
ふと。
あの当時は、余り考えたことがなかったが、ハルコが『結婚講座』を受けなければならないような、教会での挙式を望んだのは、どうしてだろうか。
ソウマは、彼女の希望通りに、結婚式を挙げる必要があった。
希望はかなえてやりたいという男心もきっちりあったが、それより前に、少々後ろ暗いところがあったのだ。
別に浮気をしたとか、ハルコをないがしろにしたということではな―― いや、結果的にはないがしろにしたのだろう。
彼女のことを、信じすぎていた。
ではなく。
彼女のことを見くびっていた、の方が正しいか。
『遠く離れていても、ずっと2人の心はつながってるさ、ハハン』
男は、そんなロマンチストで、厄介な生き物だったのだ。
だから、少々ハメを外しても度を超しても、ずっと昔から刻んできた時間に、ヒビ一つ入るものかと思っていた。
だから彼は、密林の中に幻の植物を探しに行ったりという、どこかの特番のような真似ばかりしていたのだ。
そのジャングルで、綺麗な宝石の原石を拾って。
これは、ハルコへのおみやげにしようと、予定よりも大幅に遅れて帰国してみれば。
彼女の部屋のドアは、固く閉ざされたままで、ソウマに向かって開くことはなかったのだ。
大ショックだった。
これまで、他の誰よりも当たり前のように開かれていたドアが、叩いても呼んでもダメなのである。
天の岩戸よりも、強力だった。
電話も、すぐ切られてしまう。
何故、そんなに彼女が怒っているのか、理由さえ聞かせてくれないのである。
放浪癖ならいつものことじゃないか、何故今回に限って―― ソウマは、不思議でしょうがなかった。
しかし、同時に一番の危機感を感じていた。
ここでしくじったら、一生彼女を失うのではないかと。
それくらいの本気を、ハルコから感じていた。
分かりやすく、スネたり甘えたりする性格ではないということは知っていた。
物わかりがよく、出来るだけ感情のコントロールを、しようと努力しているのも。
きっと。
それが全部積み重なって、爆発してしまったのだろう。
彼女の感情を、うまく理解することも出来ず、ソウマの方もイライラが積み重なる。
帰国して、一度も会ってないのだ。
もう何ヶ月、顔を見ていない算段になるだろうか。
記憶の中の微笑みは覚えているが、それはきっともう本物ではない。
本物のハルコが、見たかった。
触れたかった。
そして、ソウマも爆発した。
白昼堂々、鋼南電気に殴り込んでしまったのである。
そんな彼に、結婚講座を受講させたのは、ハルコの最後の反撃だったのかもしれない。
神父の説教にあったのだ。
『楽しい時間を過ごしたいなら、楽しい相手を選べは良いのです。静かな時間を過ごしたいなら、静かな相手を選べば良いのです。波瀾万丈の時を過ごしたいなら、それに見合った相手を探すことです』
ソウマは、どれも好きだった。
楽しい時間も、静かな時間も、波瀾万丈な時間も。
だから、その時に彼は決めたのだ。
これまで、楽しい時間も静かな時間もハルコとは共有してきた。
唯一、切り分けていた『波瀾万丈な時間』とやらも、これから彼女と共有しよう、と。
山に登る時も、ジャングルに行く時も。
彼女が、『もう行きたくないわ』というまで、連れて行こうと思った。
今のところまだ行きたくないとは言わないが、彼女の身体を考えると不可能だ。
結果的に、2人の世界から波瀾万丈な時間というものは、無事出産するまでは消え去ったかに見えていたのに。
「遅れちゃダメよ。ちゃんと神父様にご挨拶してね」
まるで母親のように、甲斐甲斐しく2人に助言するハルコの姿ときたら、宝の埋まっている島を見つけた船長よりも、目を輝かせていた。
さて。
そろそろ潮時という感じになってきた。
最初は、おとなしくぶすったれていたカイトの気配が、『出ていけモード』にシフトしつつあったのだ。
じきに、キレて怒鳴り出しかねなかった。
おなかの子供は、生まれるまで一体何度それを胎教にするだろうか。
「さて、それじゃ失礼するか」
ソウマは、立ち上がった。
今日は、何もカイトをキレさせる必要はないのだ。
それよりも、素晴らしい爆弾のスイッチを、ソウマが握っているのである。
「あら、そうね」
ハルコも、この切り札の存在は知っている。
多少、プライバシーの侵害にはなるのかもしれないが、じっくり2人でどうするか吟味してしまった。
素直に行くなら、これはメイに渡すべきだった。
が。
「あ、カイトにちょっと話があるから、玄関まで送ってもらっていいか?」
彼らが帰ることに気づいて、ホッとしたカイトの隙間に、そんな針を刺した。
少し真面目な雰囲気を匂わせれば、彼の性格上、ついて来ずにはいられないということを知っていたのだ。
メイ1人だけを残して、彼らは部屋を出たのだった。
「話って?」
階段を下りながら、短気なカイトが聞いてくる。
早く戻りたいに違いなかった。
それに苦笑しながら、最後の1段になってから、懐からジョーカーを取り出す。
「玄関に落ちてたぞ」
後ろも振り返らずに、肩越しにそれを差し出した。
受け取られる感触がして、ソウマは手を離す。
その後、しばらくはカイトの足音はついてきた。
歩調がだんだんゆっくりになり、夫婦との距離が離れていくのが分かる。
きっと、いまそのジョーカーを見ているのだ。
ついに足が止まった時。
彼らも、玄関のドアのところで立ち止まった。
「大事にしろよ」
ニヤッと、ソウマが最後に決めようとしたのに。
ズダダダーッッッッッッ!!!!
もう、カイトはそこにはいなかった。
物凄い轟音を立てて、いま降りてきた階段を走り登って行ったのである。
「ちょっと甘やかしすぎか?」
その轟音を視線で追いかけて、見えなくなった後―― ポツリとソウマは呟いた。
「それじゃ、私もちょっと甘やかしてもらおうかしら。今夜はパスタにしない?」
『パスタ』
それは、ソウマに料理を作って欲しい時の、合い言葉。
「オレは、他の料理も得意だぞ」
何度もそう言ったにも関わらず、ハルコはパスタ料理ばかり彼に任せる。
これは、どういうことなのだろうか。
まだ、自分と彼女の間には『謎』がある。
10年以上の、歳月があってもこうなのだ。
ソウマは、軽く2階の方に視線を上げた。
そこでは、にわか夫婦が一悶着を起こしているに違いなかった。
ざまぁみろ。




