桜井リチャード
初投稿です。よろしくお願いします。
『ピンポ~ン』
天気のいい日曜の午後。十代の少年がワンルームの部屋の隅で、一人ゲームをしながら暇な時間を潰していた。彼は人から名前を聞かれると桜井リクと答えていた。桜井は本名だが実はリクは本名ではない。桜井リクは幼い頃使っていた自称である。高校一年生の今は同級生や教師はリクに声を掛ける必要がある時は桜井と名字で呼ぶので、リクにとって下の名前なんてもうどうでもいい代物だった。偶に嫌な思いをする時を除いては。
リクはゲームの手を止め床に置きのろのろと立ち上がると、キッチンに移動した。キッチン脇にあるインターホンのモニターを覗き込む。大手宅配会社の制服・制帽を身に着けた配達員が画面に映っている。リクは回れ右をしてゲーム機に戻ろうとしたが、再びインターホンの音が室内に響いた。
「はぁ~っ」
人の気配を感付かれたのかもしれないと思い、リクは無視するのを諦めた。かったるいが玄関へ行きドアを開ける。
「リチャード=サクライさんのお宅でよろしいですか……」
配達員の語尾が小さくなっていく。彼はリクの顔をチラリと見ては目を外す、という動作を繰り返した。
リクの顔は名前から連想される非日本人感がない。リチャードきっと日本人離れした顔。なんて有りがちな感覚で居住者を予想していました、と彼の態度にはっきり現れていた。初対面の日本人にはそういう失礼な奴が結構いる。リクはいたたまれなくて下を向いた。
「そうですが……」
リクも配達員同様語尾が小さくなっていく。ここは見るからに単身用の狭いマンションの一室で、室内に置かれているのは殺風景で一人住まいを感じさせる物ばかりで、リチャードという名前の同居人が居るようには全く見えないのもリクにとっては苦痛だった。
リクは荷物を受け取ると、『桜井』の判子を配達員の手の上の伝票に押した。そのままバタン、と音を立ててドアを閉める。床の上に荷物を置いて宅配の箱に張られた伝票を確認した。薄黒く汚れた伝票に書かれた差出人は、
「お父さん」
だった。
リクは興味もないがこのまま放置も出来ず、嫌々荷物の封を開け始めた。ベリッと音をさせて粘着テープを剥がしゆっくりと箱の蓋を開く。まず目に入ったのは大量の発砲緩衝材のチップ。そのチップの海の中に両手を突っ込むと、わさわさと漁り中をたしかめ始めた。直ぐに中を掻きまわしていた手が止まった。リクの手は当たったそれを掴んでゆっくりと引っ張り出す。発泡スチロール製の箱が姿を現した。それを二つに割ると、中には小さなロボットがおさめられていた。一緒に手紙も付いている。これはただのおもちゃと思われた。父はリクにこれと遊べというのか。高校生の息子に小さい子用の玩具を送ってくるような父のリクへの関心のなさを、改めてリクはこの宅配で思い知らされた。
ロボットはよくCMとか広告とかで見掛ける、AI搭載のロボット達に似ていた。でもそれ程人型バランスに近くはない。人よりは頭のバランスが大きくて体はずんぐりむっくり。全体的に丸みを帯び白い塗装がされ、赤いラインが胴部分に入ったプラスチック製のボディ。身長三十センチ弱くらい。思ったよりも重いそれに、リクは驚いた。
リクはロボットを勉強机の上に置くと、外箱の中身を可燃ごみの袋にざっと入れた。外箱は段ボールなので畳んで資源として出す為、玄関方向へ放り出した。次に手紙を手に取った。封筒の中からは四つ折りにされた、A4の白い紙が出てきた。それを取り出し広げた瞬間、リクはそれを猛スピードでまた元の四つ折りに戻した。
『Rick』
それに続くアルファベットの羅列を見た瞬間、リクの脳はその手紙を一瞬で拒否した。それはプリンターで印刷された読みやすい字体だったが、リクは英語が最不得意科目であった。
リクはロボットを発泡スチロールの箱に入れ、その上に手紙を乗せ、蓋を閉め、元の状態に戻した。先程の段ボールに付いている伝票に書かれていた父の住所は日本国内であった。しかしこのロボットを送り返したくてももうそこに父はいないだろうとリクは諦めていた。リクは人生で三度しか会ったことがない、うち一度は小さい頃過ぎて記憶にない、実質二回しか会ったことのない父との関係を思い出していた。
リクの物心が付いた時、面倒を見てくれていたのは母方の祖父母であった。母親はリクが一歳の時に事故で亡くなり、父親に関しては外国の人だと教えられた。父親は仕事も外国で日本に来ることは滅多にないので、なかなか会えなかった。リクの名前がリチャードなんて日本人としては妙なのも、彼が付けたからだ。
祖父母は孫をリチャードの愛称『りく(Rick)』と呼んだ。父親が、その方が日本人は呼び易いだろうと言ったからだった。幼稚園の先生や友達、小学校の同級生達も彼を『りく』と呼んだ。桜井リク、それが、リクが日頃呼ばれる名前となった。
リクは一度も父親に会ったことがないというか顔さえ知らないのを、特に疑問に思いもせず子供時代を過ごしていた。祖父母はリクに優しかった。母親を亡くし父親に会えないリクを不憫と言い、随分と可愛がってくれた。幼稚園や学校行事も親に代わって二人が参加した。祖父母が常にリクの傍にいてくれたから、両親がいない境遇を特に寂しいとも思わなかった。
しかし小三の時に祖父が亡くなった。母親が亡くなった時に父親は日本に来たそうだが、リクはその時まだ一歳で記憶はない。その為この時リクは生まれて初めて父親の顔を見た。父親は祖父の葬儀の数日後に、築四十年以上の広いとはいえない祖父母の家に現れた。リクの父親はアメリカ国籍の白人だった。
暗めの金髪と吸い込まれそうに澄んだ綺麗な青い瞳。リクの目の前に現れた父親は、長身を屈めて視線を合わせ、
『リック、大きくなったなぁ』
と日本語で話し掛け、頭を撫でて抱き締めた。その時リクは驚いて固まった。
リクの顔は母親似である。仏壇に置かれた母の遺影からして、リクと良く似た顔であった。母親は童顔で、年齢より若く見える可愛らしい顔をしていた。美人かどうかは好み次第とは思う顔だが、のっぺりとしたタイプの東洋人顔ではない。それによく似たリクは日本人としてはそれほど薄い顔ではないのに、ハーフとはまず認識してもらえなかった。目の色も日本人らしくブラウン。唯一それっぽくない所は髪の色で薄茶色をしていて、他人からは純粋な日本人にしては髪色が薄めの子供だと不思議がられた。リクは髪の色より顔立ちから――小学生だから漠然としてはいたが――父親の予想は外国籍のアジア系であった。白人とは思いもしなかった。
父親は直ぐに祖母と話を始めた。養育費について事務的に必要最小限のことを話すと、後は弁護士がやってくれると言って急いで帰って行った。滞在時間は十分となく、リクにとっては一瞬だった。
帰り際に欲しいものはあるかと聞かれて流行のゲーム機の名前を言ったら、後日それがリク宛てに送られてきた。御礼を言おうと差出人住所(日本国内)に手紙を書いたが、それは届かずに戻ってきた。住所に該当する人物は住んでいなかった。それがこのロボットを父親に送り返しても、届かないであろう予想の理由だった。
次に父親が現れたのは、祖母が亡くなった時だった。リクが中二の終わり頃だ。祖母の死でリクの身内は父親のみとなった。祖父母の遺産の手続き――そんな物は殆どなかったが――リクの新しい住まい、その他諸々の手続き、父親は電話やパソコンで自身の仕事を熟しつつ、この時は少し長めに日本に滞在した。
祖父母の家は祖父が亡くなった時に税金の問題で処分され、遺産処理の後祖母とリクは隣町のアパートに引っ越していた。そのままそこにリク一人で住み続けるのは問題があったようで、父親はリクの為に新しく部屋を用意してくれた。通うであろう高校の側がいいだろうと父親は言った。高校は中学の近くの公立のどこかと思っていたが、何故か父親は私立を勧めた。学費は出せるという。家庭の状況が状況なので、中学の担任は特別に突然の面談を受け入れてくれた。
数日後の放課後,父親が学校にやって来た。父親と並んで職員室の方へ廊下を歩いて行くと、放課後とはいえ沢山のクラスメートと擦れ違った。
小学校時代周囲の反応はそれほどあからさまではなかったが、中学校に入ってからリクはクラスで浮き始めた。リクは隣町に引っ越した所為で、小学校の学区とは違う中学校に入学した。小学校はそれ程遠くなかったのでそのまま学区外でも通い続けていたが、中学校はかなり遠くなってしまうので祖母が学区内の中学校に決めたのだ。しかし逆にそれは小学校時代の同級生が全くいないということで、親しい友達がいないリクは直ぐに周囲から距離を置かれ始めた。
中学生になる頃には髪の色は薄茶色から栗色に変わったが、他の日本人の子供達のように真黒にはならなかった。当然ハーフ顔ではなく髪を染めているだけの日本人にしか見えないリクには、リチャードという名前は不釣り合いであった。変人な両親が後先考えずに付けたのだろうと学校では思われた。アメリカ国籍の白人とのハーフだなんて誰も信じてくれなかった。古くて狭いアパートに祖母と二人で暮らしているのも、遠巻きにされることに拍車をかけた。両親は子供を自分達で育てられず、リクの家庭は複雑な事情があるのだろうと判断された。友達もできなかったし、からかわれたり、手を出されたりした。この頃のリクはこんな名前を付けた父親と、この髪の色を恨んでいた。
廊下を行く父親とリクは、目を剥いている奴、あんぐりと口をあけている奴、ヒソヒソ話をする奴、周囲の好奇の目に晒されていた。教員室で会った担任まで、クラスメート達と大して反応は変わらなかった。リクの父親と対面した担任は全身固まったまま、声も出ない。
「日本語は話せます」
父親のその一言で担任の肩の力が抜けていった。担任は英語教師ではなかった。
別室で面談が始まると、父親はとんでもない高校名を担任に言った。それはリクも噂で聞いたことのある私立の名門校で、授業料も高いし何より社会的地位の高い保護者の家庭の子供達が多いことで有名であった。祖母は近所の適当な公立高校名を学校の提出書類に書いていたので、これはかなりの進路変更であり担任も焦った様子で、要書類書き換えとメモっていた。
その高校の受験に関して担任はリクの学校の成績よりも先に、遠回しに育った環境や経済面の心配をした。対して父親は自信満々に問題ないと繰り返す。そのまま第二希望の高校を選んで、あっという間に面談は終わった。
そしてリクの住居は今現在暮らしているマンションの部屋に移り、父親はそれっきり現れていない。中学の卒業式も高校の入学式も保護者無であった。この部屋には父親から頼まれたと言っている弁護士が週に何度も訪ねてきた。生活費は定期的に父親から弁護士経由で渡されていたので、その他の問題――生活が荒れてないか、何か困ってないか等――をチェックしていた。父親に報告し今後の対策を話し合ったりする為だと言っていた。父親より少し若そうなその弁護士は父親とは昔から親しいとかで、リクに夕食を奢ってくれたり、『頑張って合格しよう』等と言って受験勉強を見てくれたり、しつこい位関わってきた。受験勉強を見てくれたのは有難かったが、そんなに心配されなくても不良になろうなんて考える程バカではない。
弁護士は自分の連絡先をリクに教えて、困った時はいつでも連絡するように言い、もしもの際はマンション内の大人を頼るように頻りに言っていた。でもリクは出来るだけ周囲を頼りたくはなかった。運良く以前から足の悪くなってきた祖母に代わって一通り家事をやっていたので、一人放り出されても日常生活に何ら問題はなかった。周囲の大人に頼らずに生活できた。中学時代は友達なんていなかったし、高校は入学式が数日前に執り行われたばかりでクラスメート全員の名前と顔もまだ一致していない。ここに訪ねてくる人間なんて弁護士だけなのだ。その弁護士も義務教育が終わってからは、訪ねて来る回数が随分と減った。結局リクは十五歳の誕生日を目の前にして、一人日本に置き去りにされたのだ。
しかし今まで散々放り出しておいた息子に宅配を送り付けてくるなんて父は何を考えているのかと、リクはもやもやした気持ちを抱えたままロボットの入った箱を見詰めた。ロボットは弁護士に相談して送り返してもらおうと、部屋の隅に箱ごと置いておくことにした。
読んでくださり、ありがとうございました。




