第12話(紅)
クレナ達を乗せた天馬がゆっくりと高度を下げ、大聖堂の前に降り立つ。
背中から地面に降りたクレナを見ると、天馬は妙に馴れ馴れしく褒めて褒めてと言わんばかりに身を屈めて彼女の胸へと顔を近づけてきた。
「まるで、使い魔みたい……」
『お前の召喚獣だろう』
「いや、でも……こんな姿は初めて見ました」
図体が大きいくせに子犬のように接してくる天馬に対して、クレナは仕方が無いのでその天馬のたてがみを労うように軽く撫でてやる。すると、天馬はブルルと鳴き声を上げた後で眩い光と化し、クレナの胸元に収めていたカードの中へと吸い込まれていった。
キラーマンティスのような魔物ではない。聖獣という奴だろうか……未来のクレナもあまり見たことはないが、何とも奇妙な存在である。因みにクレナは四足歩行の動物よりも鳥類の方が好きだったりするのだが、天馬のたてがみの感触もそう悪くないと感じていた。
そんなクレナの姿を一瞥した後で、ロアが大聖堂へと向き直り、その建造物の紹介を始めた。
「あれが、ルディア大聖堂です。この聖地を象徴する場所で、姉上はあの中で創造神ルディアの神託を受けていたのですが……」
『聖剣と聖槍は? あの中にあるのか?』
「あ、はい……大聖堂の奥には三種類の神器が封印されていますけど……本当に詳しいですね、クレナさん」
ルディア大聖堂のことは、未来の記憶からよく知っている。そう長い間でもなかったが、一時期の間未来のクレナ達が拠点として使っていたことがあるのだ。
フォストルディアの創造神、ルディアの御神体が祀られているルディア大聖堂。尤もクレナ達が来た頃には神巫女ロラの存在はこの地にはなく、神託を聞くことは出来なかったものだが。
しかし大聖堂の最深部に封印されている三種の神器――クレナ達が訪れた時は二種の神器だったが、その武器には浅からず縁があった。
「あ、来ましたよ!」
初めて訪れた筈なのに既視感があり、その既視感の理由も理解している自分に妙な感慨を抱いていると、大聖堂の方からこちらへ向かってくる三人の人影が見えた。
粗野な風貌をした体格の良い壮年が一人と、ロアと同じぐらいの少年が一人。親子のような凸凹コンビだが、共通しているのは二人とも同じ服を着ており、首元から背中に掛けて高貴そうな紅のマントを纏っていることだった。
そんな二人の姿がはっきりと見えるほど近くまで来ると、ロアが彼らの名を呼びながら嬉しそうに手を振った。
「団長! トム!」
「ロア、お前! 本当にチキュウ人連れて……」
「待てトム。ロア、そっちの娘はチキュウの民だな?」
「……はい。無理を言って、協力していただきました」
「……わかった。話は後で聞く」
トムと呼ばれたそばかすの少年がもの言いたげにロアに詰め寄ろうとするが、団長と呼ばれた壮年がそれを制し、一言二言ロアと言葉を交わすなりこちらに向かって歩み寄ってきた。
そしてクレナの前まで出向くと、片膝をついて頭を下げた。
「チキュウの民よ、事情はこのロアからお聞きしたものと思われますが、この度は申し訳ありませんでした」
「だ、団長!?」
粗野な容貌の彼が表した真っ直ぐな謝意にクレナは内心で驚き、ロアとトム少年が声を上げる。
団長と呼ぶからには、恐らく彼が聖地ルディアの誇る最強の戦力である聖堂騎士団の団長なのだろう。その団長が何処とも知れぬ小娘を相手に、出会って早々に頭を下げて謝っている。なるほど、確かにそれは異様な光景だろう。
しかしクレナには、彼の謝意よりも彼の存在そのものに対して解せない点があった。
『誰だ?』
聖地ルディアの聖堂騎士団のメンバーとは、未来のクレナも何度か会ったことがあり世話にもなっている。特に騎士団長からは不相応に得ることになった「C.HEAT」という力の使い方から魔法の使い方、武器の使い方と何から何まで戦士として未熟だったクレナを短い間ではあるが鍛えてもらった恩があり、その顔は確かに覚えていた。
しかし目の前の人物と未来のクレナが世話になったルディア聖堂騎士長の顔は、明らかに違うのだ。
その差異を不審に思っていると、彼が粗野な顔立ちには似合わない丁寧な口調で自らの名を名乗った。
「申し遅れました。私は聖堂騎士団団長、ガルダ・ノンストと申します」
『……紅井クレナ』
ガルダ・ノンスト――その名前はやはり、クレナの知る聖堂騎士団長のものではなかった。
「相変わらず、敬語が似合わないっすねー」
「うるせぇ黙ってろ! 団員が異世界召喚なんかやっちまったら、騎士団の沽券に関わるんだよ!」
「は、はい!」
「すみません、団長……」
クレナに対しては騎士団長の名に相応しい礼儀正しい物腰であるものの、少年二人に対しては見た目通りの乱暴な言葉であしらっている。その姿は大柄な体格もあって中々迫力があったが、どこか子供達とじゃれている父親のように見えてクレナには妙な感覚だった。
そんな三人のやり取りを無言で眺めていると、ふとこの場に近づいてくる強い魔力を感じた。
「……!」
――そして、クレナは見た。
彼らと同じ騎士団の服を纏った、紫色の髪の青年の姿を。
色白で整った顔立ちは、まさしく未来のクレナの記憶に存在する世話になった聖堂騎士団長の姿だった。
「マキリス……」
「む?」
思わず彼の名前を呟いてしまったが、その声を聴かれてしまったらしく青年――マキリスが怪訝そうな表情でクレナを見る。
すると自らの顎に指を当てながら、マキリスはクレナに対して訊ねた。
「私の名前を、ロアから聞いたのですか?」
「いえ、僕の方からは何も……うわッ」
「よけいなこと、いうな」
クレナは決して、ロアから彼の名前を聞いていたわけではない。しかし、その事実を知られれば何故地球人が自分の名前を知っているのかと不審に思うだろう。
馬鹿正直にも余計なことを口走りそうだったロアの足を踏みつけると、クレナは日本語で彼に耳打ちした後で「そうだ」と翻訳魔法を掛けた言葉でマキリスに応じ、納得させた。
しかしマキリスは当然ながら子供のロアとは比べ物にならないほど頭が回り、それ故に地球人に自分達の情報が誰に聞かれずとも知られていることを知れば、クレナに対して他国や魔王軍のスパイなのではないかと明後日の方向に疑いを抱く可能性が高い。こればかりは迂闊に彼の名を呟いた呟いたクレナの落ち度だが、こんなことで余計な勘繰りをさせて彼との関係を悪くするのは望ましくなかった。
特にここは人目が多い。いつの間にか遠巻きではあるものの、こちらの様子を窺っているギャラリーの姿が何人か増えていた。日本の高校の制服というこの世界では異質な装いをしている小娘という存在が、物珍しく見えるのは道理であろう。
その衆目の中でガルダ団長の傍らを横切り、クレナの前にマキリスが出てきた。
「ご存知のようですが、私の名はマキリス・サーバエルと言います。こちらの事情はロアから聞いたものと思いますが、私から詳しく説明致しましょうか?」
『……いらない』
「では、私から貴方に一つ質問させていただきたい」
一見礼儀正しく見える対応の中でこちらを探るような目で見つめる彼は、そう言って単刀直入に訊ねた。
「貴方は、我々の役に立ちますか?」
簡潔、かつ歯に衣着せぬ物言いである。
真っ先に来ると思っていた発言が今になって出てきたことに、クレナは心の中で苦笑する。
彼らの立場からしてみれば、神巫女を助ける為に仲間が掟を破ってまで地球から救世主を連れてきたのだ。そんな経緯を経た上でいざ戦いの時が来た時、その救世主様が実は平和ボケした能無しだったとなれば目も当てられない。
勝手に連れ出しておいて何言っているんだコイツ……というのがクレナの本音だが、それを言ったのがあのマキリス・サーバエルだと思うと怒りよりも先に愉快さが来る。
「おい、マキリス!」
「副団長! それは……っ」
「ロアは黙っていろ。団長、いかに潜在能力が高いとは言え、フォストルディアに召喚されたチキュウの民が最初から力を使いこなしていた例は無いと聞きます。そして今の我々には、訓練してチキュウの民を育てている時間も無い。即戦力にならないのなら、お嬢さんには直ちにお引き取り願うのがお互いの為です」
「それはそうだが、言い方ってもんがあるだろうが!」
「団長は妙なところで律儀すぎる」
ガルダ団長としては、仲間の独断行動に巻き込んでしまったことに対してクレナに負い目があるのだろう。故に彼の言い方を咎めたが、気取った台詞を吐き捨てるマキリスはどこ吹く風だ。
「ふふ……」
「む……?」
ああ、やっぱりコイツ、マキリスだ……と目の前の人物のことを改めて理解したクレナは、思わず頬を緩めてしまう。
そうだ……そう言えばお前は、こんな奴だったな。
カッコつけで見栄っ張りで、その癖誰よりも責任感が強い。
弱者を戦わせることを嫌い、弱者を虐げる者を許さない。そんな立派な信念を持ちながら感情表現が不器用で、老若男女問わず意図が伝わりにくい。俗に言う「面倒くさい男」だった。
そんな彼は滅びゆくこの世界の在り様を憎み、いつしか伝説と呼ばれた大聖堂に眠る「聖剣ヴァレンティン」を抜き放った。
その聖剣を天に掲げながら、彼は高らかに革命を宣言した。フォストルディアの正義は我にある。我こそが真の勇者、悪を滅ぼす「神勇者」であると――戦場の中でそう叫んだ彼は数少ない同志を集めて魔王軍とフィクス帝国、両方に反逆を仕掛けたのだ。
そんな大それた行動の根幹にあったのは、未来のクレナことアカイクレナへの恋慕だったと言うのだから滑稽な話である。
彼はどういうわけか、未来のクレナに惚れていた。だから、召喚勇者が望まぬ戦いを続けることを許せなかったのだ。
しかし彼の行った世界への反逆は、何とも残酷な結果に終わってしまった。
彼の抜き放った神勇者の聖剣ヴァレンティンは実は伝説の聖剣を模したレプリカに過ぎず、本物ではなかったのだ。
それ故に剣は魔王との激戦に耐えられず折られてしまい、彼は敗北してしまった。
……せめて最期は自分の腕の中で眠れたのは、彼の救いだったのかもしれない。そんな、未来のクレナの記憶である。
そんなマキリスは未来のクレナや仲間達に戦い方を教えてくれた師匠でもある。
彼とはそれなりに濃い時間を過ごした間柄であり……当の未来クレナからしてみれば恋愛感情は皆無だったようだが、このフォストルディアでは一番好感の持てる人物と評価していた。……人間よりも、人間らしい男だったと。
それが、クレナの知るマキリス・サーバエルという騎士である。
「それで、どうなんですかお嬢さん? 貴方は現時点で、我々の戦力になりますか?」
そのマキリスが今、至って真面目な表情でクレナに詰め寄り、言葉は冷たく、頭の裏では力の無い地球人を戦わせたくないからとわかりにくい善意で追い返そうとしている。
迫真の剣幕はクレナが普通の少女であれば縮こまっていたところかもしれないが、未来の記憶により彼の人柄を知るクレナにはその姿がどうしても可笑しく見えて――思わずその顔面を殴ってしまった。
「ブッ」
――と、クレナの拳が彼の鼻に当たった瞬間、間抜けな音が聴こえてくる。
衝動的に思わずやってしまったクレナの、最低の行為であった。
「……!?」
「ひぇっ」
その光景を目にした者達の反応は三者三様であり、団長は目を見開いて驚愕し、トム少年は怯えの目でクレナを見つめ、ロアは諦めの入った表情で天を仰いでいた。
周りのギャラリー達もまた騒然としており、中には彼への無礼を働いたクレナを取り押さえようとする騎士団員達の姿も見えたが、起き上がったマキリスがそれを片手で制し、滴り落ちる鼻血を袖で拭いながらクレナに向き直った。
「フッ……今のは良い拳でした。溜めも無しにこれほどのものが打てるとは」
『いきなり殴って悪かった。貴方ならあのぐらい避けれると思った。すまない』
「煽ったのはこちらです。人は見掛けに寄らぬと良い勉強になりましたよ」
『だが、殴る必要は無かった。もっとわかりやすく、私の力を見せるとする』
クレナの力が戦力になるかどうかという問いは、不意打ちとは言え彼が手加減したクレナの拳を避けられなかった時点ではっきりしているだろう。未来の世界でクレナに拳の打ち方、人の殴り方を教えてくれたのは何を隠そうこのマキリスなのだが、クレナと初対面であるこの時代の彼がそれを知るわけもない。
彼ならば今の拳だけでもクレナが戦力として有用なことは伝わっただろうが、無駄な鼻血を流させた詫びとしてクレナは内なる魔力を高め、あえて他のギャラリー達にも見せつけるように「C.HEAT」を発動した。
「……っ? なんだ、この炎は……!」
「火炎魔法……? 違う……何だろう、これは……」
「温かい……光……」
「おお……ルディア様……っ」
クレナの身体から放たれた浄化の炎が渦を巻きながら奔流していくと、瞬く間にこの町のあらゆる景色を覆い尽くしていく。
突如として流れてきた紅蓮の炎に飲み込まれた人々は、最初こそ炎に焼かれると阿鼻叫喚に包まれたが、その紅蓮が自分達の身に害を及ぼすものでないことに気づくと一様に困惑の声を上げる。
炎であって炎ではない、勇者として得たクレナの能力。圧倒的な量の炎に飲み込まれながらも身体は無傷で、熱さも息苦しさも感じないその現象に誰もが目を見開いていた。
寧ろ病人や怪我人などはこの炎を浴びた瞬間、身体が蘇ったような活力に満たされたことだろう。
この浄化の炎は、クレナの使い方次第では毒にも薬にもなる。今使ったのは薬としての力だが、一瞬にして町を炎で飲み込むという外見上の光景は一同の心に鮮烈なインパクトを与えた筈だ。
「君は……いえ、貴方は一体、何者なのですか?」
全身から無尽蔵に炎を放ち続けるクレナの姿を見つめるマキリスの目が、訝しむものから畏敬の眼差しへと変わる。
彼らの崇める創造神ルディアは太陽の化身であり、不死鳥の如き火の鳥の姿をしていると言う。
信心深い彼のことだ。浄化の炎という神秘的な炎を操るクレナを前にして、クレナのことを神の御使いか何かではないかとでも疑っているのだろう。未来ではそんな感じで、クレナのことを陰で天使扱いしていたことを覚えている。
そんな意図が込められていたのであろうマキリスの問いに、既に自分の名前を名乗っているクレナはクレナなりに考えた自らの存在を日本語で言い放った。
「うつわ、だよ」
やがて町の全てが紅蓮に飲み込まれた時、クレナは頃合いと判断し、炎の放出を止める。と同時に、それまで広がっていた紅蓮がまるで幻だったかのように掻き消えていった。
そしてその時にはクレナに対して頭を高くしている者は、ロア以外は誰も居なかった。
……どうやら力を見せつけるにも、少しやり過ぎてしまったらしい。
「……チキュウの民よ、本当に、私共に協力していただけるのですか?」
『団長、顔を上げてくれ。他の住民達もだ。私は神の御使いでも天使でもない。そうへりくだる必要は無い』
超常的な力の発生に圧倒され、クレナのことを神の御使いではないかと疑っている様子だ。クレナの力が妙に創造神ルディアと共通点があるのも、それに輪を掛けているのだろう。
今の浄化の炎はクレナが無能ではないことを大多数の民にアピールする為、意図して派手に見せつけたのは確かだが、マキリスや騎士団長まで委縮させてしまうのは本意ではない。悪人や魔物相手ならともかく、善人を相手に「C.HEAT」という降って湧いたような力をひけらかして悦に浸れるほど、クレナは面の皮が厚くないつもりだ。
クレナがこの口でへりくだる必要は無いと言っても彼らはまるで信じていない様子だったが、とりあえずは片膝をつけたままではあったが頭を上げてくれた。
そんな彼らに、クレナは言う。
『ロラ・ルディアスには世話になった。そして、ゼン・オーディスには恨みがある』
クレナに視線を集めたまま静まり返っている町と言い、団長達の畏敬の表情と言い、今しがたクレナが行った浄化の炎の奔流は予想以上の反響を得たようだ。しかし悪知恵の働くクレナは、それならばその反響を利用させてもらうことにする。
生憎クレナは自分が真っ当な人間などとは欠けらも思っていないし、謙虚な人間だとも思っていない。どちらかと言えば自尊心が高く、人に命じられるよりも命じる方が好きな性分だ。
……だからこそ、トラックの事故で落ちぶれてしまった自分に耐えられなかったのだから。しかし未来のクレナの記憶の器になった今のクレナなら、かつての自分を客観的に分析することが出来る。
崇められたいわけではないが、命令される立場にはなりたくない。我ながら身勝手なものである。
『部下にはなれないが、神巫女の奪還には協力する。それでいいか? ガルダ団長』
「ええ、ご協力を感謝します……今回の責任は全て私にありますので、どうかこ奴らの非礼をお許しください」
『許しを乞うよりも、神巫女を取り戻すことに全力を尽くせ。私はお前達にとって都合の良い救世主にはならないが、道を開く力にはなってやる』
我ながら、何様のつもりだと呆れてしまう上から目線である。
しかし、彼らの中で自分の立場を低く設定されるわけにもいかない。この紅井クレナという勇者もどきには仲間が居ないのだから、虚勢だろうと侮られるわけにはいかなかった。
これがこの時代における紅井クレナと、聖地ルディアのファーストコンタクトだった。




