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凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
七章 会敵

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第二十八話 幻術

「なっ……!?」


 長身の人影が、二階の窓から落ちてきたのが見えた。

 咄嗟(とっさ)に動きだした幻十郎だが、間に合わない。人影はどさり、と鈍い音を立てて地面に落ちた。


 駆け寄ってみると、落ちてきたのはスーツ姿の若い男だった。血だらけではあるが、まだ息はある。


「何の音だ!?」

「あそこだ!」


 この学校の教師らが騒ぎはじめ、何人かが幻十郎のほうに向かってくる。

 落ちてきた男は教師らに任せることにして、幻十郎は校舎に戻った。


(嫌な予感がする……)


 階段を駆け上がり、二階へと。

 日が沈みきった長い廊下は、あまりに視界が悪い。

 幻十郎は走りながら狐火をいくつも出した。おかげで廊下の一番奥まで見通せる。


「――っ!」


 琴音がいた……のだが、男と対峙していた。法被(はっぴ)に股引き姿であるから車夫だろう。

 だが、この車夫は異様だった。


 その形相は人間のものではなく、琴音の胸倉をつかんで窓に押しつけている。そればかりか禍々しく伸びた爪を、琴音の美しい顔に当てているではないか。


 考えるより先に、体が動いていた。

 幻十郎は駆け寄った勢いのまま、車夫を蹴り飛ばした。


「き……貴様……よくも……」


 突き当たりの壁に叩きつけられた車夫は、やはり人外であった。


「……式神だな?」


 妖気を発していない人外のもの……となれば、呪力を持った誰かが生み出した式神としか考えられない。

 この式神がなぜ琴音を狙ったのかはわからないが、とにかく彼女を無事に逃がすことが先決だ。妖術を使うなら、これ以上〝変化〟を続けることは負担になる。


「あ……貴方は……菊地さま……?」


 よし江の〝変化〟を解き、本来の姿に戻った幻十郎を見て、琴音は床に座り込んだ。


「安心しろ。私が守ってやる」


 その場しのぎの言葉ではない。これは幻十郎の本心であった。


 式神を睨みつけ、術を発動する。

 それは幻術だ。相手の視覚に、幻十郎がつくりだした幻覚を流し込むことができる。


 式神は動きを止めた。大量に発生した霧とともに、二十人以上に増えた幻十郎の分身に、さしもの式神も戸惑っている。


(だが、あくまで虚仮威(こけおど)し。幾らも持ちはすまい)


「立てるか?」


 幻十郎は、琴音に手を差し伸べた。


「は、はい……」


 おそるおそる握ってきた小さく柔らかい手は、小刻みに震えている。

 この娘を守ってやりたい――。そう思わせるには充分だ。


「あ……でも、足が……」


 足を挫いたか、あるいは恐怖ですくんで力が入らないのか。立たせてみると、琴音は歩き難そうにした。


「じっとしてろ」


 幻十郎は、両腕で琴音を横向きに抱え上げた。琴音が戸惑いの声をあげる。


「えっ……あの……」

「幻術を使って、奴を足止めした。いまのうちに逃げる。私の首に腕を回せ。そのほうが安定する」

「はっ、はい……」


 素直に従った琴音を抱えたまま、幻十郎は走りだした。

 式神を操っている者が近くにいるだろうが、とにかくいまは琴音を無事に逃がすことが最優先だ。


 もうすぐ階段……というところで。


「むっ」


 禍々しい色の幕が下りていることに気づいて、幻十郎は足を止めた。


「これは……まさか……!?」


 足で蹴ると、硬い壁のような感触があり、そこから先に進めなくなっている。

 何度も蹴ったが、ヒビ一つ入らない。


「結界を張らせてもらいましたで」


 西国訛りの若い男の声に振り返ると、目を光らせた式神が悠々と歩いてくる。


「くっ……」


 もはや車夫だった面影もなく、獰猛(どうもう)な野犬のような顔に変化している。


「さすが妖狐の幻術は一流ですな。せやけど私には通用しませんわ」


(足止めにもならなかったか……)


「すまないが下りてくれ」


 幻十郎は、琴音をそっと下ろした。


「身を低くして、じっとしているんだ。動かないように」


 そう言い置いて、幻十郎は琴音を隠すようにして式神を待ち受ける。


「ど、どうするのですか……?」


 琴音が震える声で訊いてきたのを、幻十郎は背中で受け止める。


「戦って撃滅する」


 言い切ったものの、勝てる自信などない。

 そもそも自分は戦闘要員ではない。あくまで諜報員であり、これまでずっと悪しきあやかしとの戦闘は避けてきた。妖刀を携えている本隊の隊員に任せれば良かったのだから。


 だが……そうも言ってられない。必ず勝たなければ、琴音の命が危うい。

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