↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
凶星のハイカラ乙女 ~明治ハレー彗星奇譚~  作者: 立花鏡河
四章 カフェー夢見草

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/68

第十五話 珈琲とソーダ水

「そういえば、今日は放課後に【新入生歓迎の会】の打ち合わせがあったんだわ。いつもより一時間遅く迎えにきてね、栄八さん」

「へい、わかりやした」


 栄八は、琴音の嘘を疑うことなく受け入れた。いつものように女学校の校門で琴音を下ろしたあと、愛想なく人力車を引いていく。


(信じたみたいね)


 琴音は、ほっと胸を撫でおろした。

 今日は、よし江たちとカフェーに行く約束の木曜日だ。気持ちのいい快晴のため、余計に気分が浮き上がる。

 まだか、まだかと落ち着かない心地で授業を受けて、ようやく放課後を迎えると――。


「大丈夫よ、琴音さん!」


 先に校門に行ってもらったよし江と弥生が、校庭の木陰から様子をうかがっていた琴音を手招きする。栄八が琴音に言われたことを忘れる可能性もあるので、栄八が来ていないことを二人に確かめてもらったのだ。


 安堵した琴音はサッと駆けだし、革製の編み上げブーツの足音を響かせた。琴音の躍動する姿に、下級生たちが見惚れている。


 二人と合流した琴音は、蛇ノ目村では見せない笑顔を浮かべながら大通りに出た。

 帰りは裏門から校舎に入り、何食わぬ顔で正門から出ていけばいい。


 多くの人が行き交う大通りにあっても、三人並んで歩くと人目を引いた。【桜高女】の生徒は、この町の華である。すれ違う詰襟の男子学生や立派な身なりの紳士も、必ず振り向いた。

 もっとも、大半が琴音の美貌に目を奪われたのであるが。


 三人は小間物を置いている店に立ち寄り、いまどきの乙女らしく簪や手鏡などを見て回ったあと、勧商場の隣にあるお目当てのカフェーまでやってきた。真新しい【カフェー夢見草】という看板が目印だ。


「わあ、このお店ね」


 まだまだ珍しい西洋風の店構えに、琴音の心が躍る。


「……入りましょうか」


 逡巡(しゅんじゅん)したあと先陣を切って店内に入っていった弥生に、よし江と琴音も続く。

 大人に伴われずにカフェーに入るなど、滅多にない三人であったから、ちょっとした冒険である。


「いらっしゃいませっ!」


 すぐに溌剌(はつらつ)とした女性の声が飛んだ。季節に合った桜色の着物の上に、白いエプロンをつけた女給だった。


「三名様ですね。こちらへどうぞ」


 琴音たちとそう変わらない年齢であろう女給は、愛想よく四人掛けのテーブル席に案内してくれた。よし江と弥生が隣り合って座り、琴音は向かいに腰を下ろす。

 中は広々としていて、八つほどのテーブル席のほか、十人は座れるカウンター席があったが、ほぼ席は埋まっている盛況ぶりだ。煙草の煙が充満し、濃厚な珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。


 三人は、きょろきょろと店内を見回した。


 壁には美しい西洋画が飾られ、豪奢な花瓶には見たこともない派手な花が挿(さ)されている。見たところ客も学生は琴音たちだけで、大人の世界が形成されていた。

 品書きを見ると、珈琲やお酒のほか、パンケーキなどの洋菓子から、ライスカレーやカツレツまで提供しているらしい。


「珈琲一杯が十銭ですって!?」


 お小遣いを充分貰っているよし江と弥生は平気そうだが、あまり貰っていない琴音は目玉が飛び出そうだった。

 よし江と弥生は珈琲を、琴音は一番安いソーダ水を注文する。

 程なくして運ばれてきたソーダ水を一口飲むと、さっぱりした炭酸が、やや汗ばむ陽気には心地いい。


 店内の雰囲気に慣れてきた三人は、あれこれと話に花を咲かせた。

 会話の中心になるのは、やはり琴音だ。毎日のようにもらっている恋文の話題、そして……千賀子との一件だ。


「偉かったわね、琴音さん」

「そうそう。胸がすくような思いだったわ」


 よし江と弥生は褒めてくれるが、琴音は何と言っていいかわからない。結局、丹羽の所為(せい)で有耶無耶(うやむや)になってしまったのだ。


(頼りになる男の人なんて、そうそういないのだわ)


 今回の件で丹羽に失望したばかりではない。乙女なら誰しもが憧れる、男との浪漫(ろまん)的な恋愛なんて所詮は絵空事だと、琴音はすっかり幻滅したのだった。


「それにしても……幾江さんが折檻されていることによく気づいたわね?」


 おもむろによし江に訊かれて、琴音はぎくり、とした。


「そういえばそうね。琴音さん、いきなり走り出すんですもの。驚いたわ」


 弥生も同調したので、琴音は必死に言い訳を絞りだす。


「えっと、それは……激しくなじるような声が聞こえたから……」

「そんな声、聞こえた?」

「いいえ、ちっとも気づかなかったわ」


 よし江と弥生は顔を見合わせ、不思議そうにしている。


「わたし、とっても耳がいいのよ。蚊のまつ毛が落ちる音だって聞こえるんだもの」

「それって、たしか……清少納言の『枕草子』だったかしら」

「ああ、『大蔵卿ばかり耳とき人はなし』ね」


 琴音が冗談に紛らわせて言うと、二人は笑って、それ以上は追及しなかった。


「……それにしても千賀子さんって酷いわね。どうしてかしら。琴音さんと大違い……」

「よし江さんったら」


 弥生がたしなめると、よし江は慌てて口を押さえて、

「ごめんなさい。余計なこと言ったかしら」

 と謝った。


「いいのよ」


 琴音は首を振って、薄く笑った。

 琴音と千賀子が異母姉妹であることは校内では周知の事実ながら、何となく触れてはいけない【禁句(タブー)】になっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。