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かわいい。
ロレンツォ・ヴァシーノは頬杖をつきながら眼を蕩けさせていた。ふにゃふにゃと言いながら蒸したチキンと根菜をすりつぶしたものを食べる美しくも物憂げな獣をうっとりと眺め、自身は紅茶を飲む。
……かわいい。
猫のチビはハシェルの町外れでロレンツォが拾った。やけに大きかったが産まれたばかりの子猫のようでとても危うげに動き、ロレンツォは食事の支度から排泄までを親のようにせっせと世話した。
いまやとても大きくなり、サイズは大型犬くらいになったが、言うことを聞く賢さがある。おまけにかわいい。
「ふ、ふへへ」
形相をデロデロに溶かしてチビを撫でる。枕になるし、荷物も運ぶ。犬のようにソリを引く日もあれば、ロレンツォを乗せて移動してくれることもある。
優秀で賢いチビを撫でくりまわし、ブラシを通す。舞い上がる毛など気にもとめずに丁寧に丁寧にブラシを通して、……むずむずした心のままにボフリと顔を埋める。すぅ、と息を吸い込み、日向の匂いを肺いっぱいに詰め込んだ。
「はーーー、しあわせ!」
ぱあああっ、と明るい顔をしたロレンツォは、120パーセントの笑顔を浮かべた。
ロレンツォ・ヴァシーノは、前世の記憶がある。
とはいえ、日本人だった頃の記憶である。この世界は地球と異なり、かつての記憶で役に立つようなものは浅学なロレンツォには分からなかった。
文明知識でチートしてやるぜ!という意気込みはこの世界の謎物理法則であるマナなるものの前に引き潰され、魔法なるものに自信をブッ壊され、そして貴族でありながら三男であるために世継ぎにもなれない。
家族仲は悪くないが、大貴族とも呼べない片田舎の貴族に産まれ、三男坊がいつまでも実家にいるのは外聞が悪い。
ロレンツォは早々に家を出て、一人暮らしをすることにしたのだった。
幸い、貴族の家に産まれたことで文字の読み書きと簡単なマナーは教えて貰い、算術は日本の義務教育程度はわかる。師匠に教えを請い、こちらではメジャーな錬金術師という職についた。錬金術といっても、やることは薬師のようなものだ。
胃薬や風邪薬などを調合して店に置くのがロレンツォの仕事である。
これに必要な薬草は出来る限りは家の庭で育て、足りない分は森に採集に出掛けたり、ギルドがあるのでそちらで依頼して採って来て貰うことになる。
そのため、ロレンツォは朝起きたらすぐに井戸で水を汲み、畑に水をやる。ついでに家にある水瓶いっぱいに水を移す。鶏に穀物や野菜くず、玉子の殻などを餌さとして出してから水をやり、薪を割って火を起こして自分とチビの食事を作る。
そこからようやく仕事にかかるのである。
魔法や錬金術というファンタジーの用語が飛び交いつつも、実際には極めて自給自足的なものだった。飢饉に備えて庭には雨水を貯めた池を作って鯰などを育てており、果樹も植えている。冬に向けて地下貯蔵庫を作って瓶などに保存食を詰めたり、塩や小麦などもここに入れているが、これは自助努力であり、いわゆる国が用意した電気ガス水道というインフラは無い。
不便なものだ。
「チビ、市に行こうか」
ナァンと鳴いたチビを撫で、鞍をつける。
鐙に足を乗せると、ゆったりとチビが動いた。
チビに乗って町の中央へ向かい、賑やかで騒がしいエリアへと足を踏み入れた。騎獣を持つ者は貴族や商人、武人など結構いるため、チビが格別に目立つということもなく、ロレンツォはいつも通り薬草薬を手に立ち並んだ市を見て回る。
「コショウはさすがに高いか……」
スパイス屋を覗いて呻く。
薬もかなり値が張るが、それよりも高いとされるのがスパイスだ。遠方から来る香り高いスパイスは少量で金貨に置き換わるので、そうそう気軽に買えるものではない。
諦めてどこでも買えるような塩と唐辛子を買い、チビの背中に乗せる。価格帯や欲しいものなどは即時購入せずに目を付けておき、とりあえずぐるりと市場を回ることを目的とする。
「おお、ロレンツォさん。お久し振りです」
「お疲れさまです。ご注文のヤハーの毒薬とアータカの解毒薬を持ってきました」
「どうもどうも」
でっぷりと突き出した腹と広い額が特徴的だが、妙に愛嬌がある笑顔をしたギルド職員に注文された薬を渡した。
採集のみならず、モンスターの討伐から護衛、調査依頼から果てはお使いまで多種多様な依頼が持ち込まれるギルドでは、討伐任務のために一般的に必要な薬品はある程度保存しておく必要があるそうだ。それも、薬品には使用期限があるため、定期的に入れ換える必要があり、そのような場合にロレンツォのような錬金術師に良く話がかかるのであった。
まあ、ギルドから依頼される高額のものは基本的に長い付き合いがある者に依頼されるため、ロレンツォのような一般人に振られる仕事はまだまだ低級の薬ばかりだ。
「そういえば、ロレンツォさんに依頼ですよ」
「へぇ、個人指名なんて珍しい」
えーっと、どこだったかな、とごちゃごちゃした机をひっくり返しながら、職員は一枚の粗悪な紙を取り出した。
インクが滲みやすく、ざらざらしていて書き味も悪いが兎に角安いので、長期間保存する必要がない場合は重宝される。依頼が完了すれば即座に廃棄されるため、もはやメモ用紙のようなものだ。
「あー、これだこれだ。カルロです。西の獅子カルロ」
「……えらい大物じゃないですか」
「おや、お知り合いじゃないんですかい?」
眉を寄せたロレンツォに、職員はひょいと眼鏡を持ち上げる。
知り合い……?
小首を傾げて記憶を探るが、覚えがない。もしかしたらどこかで名乗らないまま知り合い、そのツテで依頼したのかもしれないが、そうであればお手上げである。記憶を探ってもしょうがないだろう。
しかし、西の獅子カルロといえばギルドでもゴールド級だ。
上からゴールド、シルバー、ブロンズ、アイアンと階級があるギルドにおいて、ゴールドは英雄視されがちである。
国家からも依頼を受けることがあるゴールド級と知り合っていた? ……この僕が? いつの間に?
「依頼内容は?」
「子猫の数ヶ月に渡る保護と育成です。やりますか?」
「やります!」
力強く宣言すると共に、ロレンツォは自身に依頼された理由がわかった気がした。
なんせ、ロレンツォはこの町一番、いやもしかしたら世界有数の猫好きであると喧伝していたからである。




