血に染まる
唯とリンの《バーンド》は、飛び出した勢いのまま《ストレンジャー》アロガントへと迫る。
右義手には炎が煌々と灯っており、破壊を解き放つその瞬間を待っている。
全身が焼け爛れ、手傷を負った《ストレンジャー》アロガントに防げる一撃ではない。
「今度こそ」
それでも唯は、《バーンド》は油断せず右の拳を引き絞る。そして、それがもっとも威力を増すだろうタイミングでそれを突き出した。
「終わり、だ!」
「唯!」
リンの緊迫した声が、唯の意識を揺さぶる。警告、上から来る……それを感じ取るも、解き放たれた《バーンド》の動きを止めることは出来ない。
そして、それは唯にとって突然の邂逅だった。
直上から降下してきた黒いレリクスが、《ストレンジャー》アロガントを踏みつけ地に伏せさせる。と同時に、《バーンド》の拳を右手で受け止めたのだ。
炎は炸裂し空間を揺さぶるも、黒いレリクスは右手を離すことはなかった。
否、それどころか。強く握り潰すように力を込めている。
「ッ! くそ! なんだお前は!」
痛みに耐えながら唯は、《バーンド》は右の拳を引こうとする。しかし、万力で挟まれているかのように拳は動かない。
黒いレリクスは、これといった特徴のないレリクスだった。濡れそぼったような黒い外装に、真っ赤なツインアイ……大きな口を思わせる顎が、特長と言えば特長だろうか。
また、右腕はアームドレイターだが、左腕が義手のように見える。このレリクスの左腕は、工場にあるような、ロボットのアームのように無骨で無機質だ。
「……赤い《ブランク》か?」
そして、黒いレリクスはそう呟いた。掠れ、枯れ果てた肉声に、機械のようなノイズの混じった……そんな男の声だ。
「そういうお前は」
こちらを離そうとしない黒いレリクスに対し、《バーンド》はならばと左義手で相手を掴む。
「何なんだよ!」
《バーンド》はそのまま、強引に相手を持ち上げ地面に叩きつけようとする。しかし、黒いレリクスは《バーンド》の右義手を捻り、唯の力を利用する形で《バーンド》を投げ飛ばす。
「なッ!」
地面に背を打つ《バーンド》だったが、拘束が解けたことを確認し、跳ね飛ぶようにして起きあがる。右半身を僅かに引き、黒いレリクスを睨む。
「黒いレリクス……また《クロウ》やそこら辺の輩か?」
唯はそう問い掛ける。唯にとって、黒いレリクスという存在は凶兆に等しい。かつての強敵が使っていた《クロウ》に《クロウレイジ》、その亡骸を使った《ホロウ》に《ホロウレイド》……それらを思い出させるからだ。
「《クロウ》? あのカラスか」
しかし、黒いレリクスはそう言うと首を横に振る。それは否定でもあるし、呆れているようにも見える。
「唯。あのレリクスは、黒くなんかない」
だが、黒いレリクスが口を開く前にリンがそう告げる。その声は感情を押し殺したように冷たい。
「血で……レリクトの血で染まってる」
そして、リンは黒の正体を看破した。唯は、《バーンド》は自身の両義手を見遣る。そこにはべったりと、赤黒い血が付着していた。
「止まらないんだ。止める必要もないが」
黒いレリクスは、否。血濡れたレリクスはそう呟く。ならば、この血は目の前のレリクスが今尚流し続けているのだろうか。しかし、その疑問を口にする前に状況が変わる。
血濡れたレリクスに踏み付けられていたアロガントが咆哮を上げながら起き上がったのだ。
地濡れたレリクスは、ひょいと飛び退いて地面に降り立つ。
「まずい、回復された!」
唯は、《バーンド》はそう言いながら拳を構え直す。血濡れたレリクスと交わしたやり取りは短い。だが、アロガントが再生するには充分過ぎる時間だ。
「もう一度!」
「待って」
《バーンド》は飛び掛かろうとするも、リンがそれを制止する。その理由は、わざわざ説明されなくとも分かった。
血濡れたレリクスが、一歩二歩とアロガントに迫っていたからだ。
《ストレンジャー》アロガントもまた、こちらではなく血濡れたレリクスを警戒している。
最初に動いたのは《ストレンジャー》アロガントだった。咆哮しながら電柱を振りかざし、それを思い切り振り下ろす。
重量の乗った一撃は、荒削りとはいえ危険だ。しかし血濡れたレリクスは右手をかざし、その電柱を受け止めることで対処した。
それだけではない。電柱に指を、爪を食い込ませるようにして握りしめ、それを振り上げるようにして手放す。
電柱を掴んでいたアロガントが、逆に振り上げられ前方にぶん投げられたのだ。
地面に叩き付けられたアロガントは、すぐに立ち上がり電柱を構え直す。だが、それよりも数瞬速く血濡れたレリクスは踏み込んでいた。
踏み込みながら、血濡れたレリクスは右手でレリクト・シェルを掴み、それを口に運んでいた。
「あいつ、シェルを」
「食べたの?」
《バーンド》が、唯とリンが見たままを口にする。頭部の外装が、飾りだと思っていた無骨な顎が開き、そこへシェルを放り込んでいた。
血濡れたレリクスは右腕を引き絞り、《ストレンジャー》アロガントに肉薄する。アロガントは咄嗟に電柱を構え盾とするも、それが最後の行動となった。
「はッ!」
掠れていても尚、力強い意志の込められた声が響き、同時に右腕が突き出される。血濡れたレリクスの右ストレートが、アロガントの構えた電柱へと命中する。
レリクトが炸裂し、電柱は一瞬にして粉砕された。その後ろにいたアロガントも例外ではない。圧縮されたレリクトは正確に、電柱とその向こう側にあった核を撃ち抜いた。
『devastate』
アロガントは爆散することなく崩れ落ち、快音と共に粉々になった。砕け散ったガラスを思わせる光景だが、吹き荒ぶ冷風を感じその正体に気付く。アロガントは、一瞬で凍り付き、一瞬で砕かれたのだ。
散らばった氷はすぐに解け、そこかしこに血痕を残していた。アロガントの血ではない。全て、目の前にいる血濡れたレリクスから生じたレリクトだ。
血濡れたレリクスは姿勢を正し、《バーンド》の方を見る。
その視線に敵意はない。だが、唯は警戒を解かずに問う。
「お前はプラトーなのか。それとも」
その所在を、真意を問う。しかし、血濡れたレリクスはそうかと呟くのみ。
「なら、やはりここにもプラトーがいるんだな」
そう言って、血濡れたレリクスは背を向ける。
その態度が声が、在り方が。なぜか無性に気に入らず、唯は舌打ちを返す。
「お前!」
そして、そのまま掴み掛かろうとした瞬間だった。《バーンド》の外装が霧散し、生身の唯が勢いそのままに転びかける。
「って、リン!」
アクシデントやトラブルではない。リンがレリクスを解除したのだ。灰色の燐光は人の形を取り戻し、血濡れたレリクスに歩み寄る。
「教えて。貴方は誰? そのレリクス、《クロウ》とは設計が違う。どちらかと言うと」
「リン」
血濡れたレリクスはリンの名前を呼び、リンは口を噤む。
「……このアロガントは次元をさまよい、自我を失った。残ったのは莫大なエネルギーと獣の本能だけ。見境なく暴れる危険な存在だ。これからも何体か出てくるかも知れないが」
血濡れたレリクスが僅かに振り向く。真っ赤なツインアイが、リンの姿を捉える。
「その様子なら何とかなるだろうさ。そっちは任せる、俺に構うな。そこの間抜け面にもそう伝えておけ」
掠れて枯れ果て、機械で調整しているのか時折ノイズの混じる声で、血濡れたレリクスはそう告げる。
言いたいことを言ったのか、興味を失ったのか。血濡れたレリクスは身を屈め、大きく跳躍して離れていく。
「って、お前! 話は終わってないぞ!」
こちらの質問には何も答えていないと、唯は怒鳴る。血濡れたレリクスは何も応えず、動きを止めることすらしなかった。
入れ替わるように、隣にエイトとゼロの《アーマードロウ》が降り立つ。ずっと様子を見ていたのだろう。
「どうする? 追うのか?」
エイトの問いに、リンは首を横に振る。
「ううん。とりあえず……一回戻る」
冷静、と言えばそれまでだが。どこか物静かなリンは、血濡れたレリクスが去っていった方向をずっと眺めていた。




