4 名探偵羽黒祐介
「どうしたのだね。どうして君がここにいるのだね」
と胡麻博士は興味深そうに、祐介に尋ねた。
祐介は、人類史上最高の美男子である。前髪がさらさらと風になびき、鼻筋の通った美顔が麗しく、憂いのこもった美しい眼差しが並び、わずかに口元が微笑んでいる。
祐介は、池袋に事務所を構える私立探偵であった。今年で三十歳になる。胡麻博士や、百合菜とは殺人事件の捜査で知り合った仲だ。
「実は、殺人事件の捜査をしているんです」
と祐介は、周囲の人々に聞かれないよう、小声で言った。
「殺人事件の捜査とは……。最近、川越で起こったのですかな」
「ニュースをご覧になっていないのですか。二日前に、川越市内に流れている新河岸川の土手の下で、著名な歴史学者が刺殺されたんですよ」
「そんな事件が! 百合菜君、知っていたかね」
胡麻博士に振り向かれて、百合菜はかぶりを振った。百合菜は、連休になるまで勉強にかかりきりになっていた。紫雲学園の寮にいると、外の出来事に疎くなるのだ。
「それは大変じゃないか。一体、どんな事件なのかね」
と胡麻博士は、興奮した様子で、祐介に向き直る。
「新河岸川の土手の下で、歴史学者で大学教授の大沢哲治氏が、縄で縛られた状態で、刃物で背中を突き刺されて死亡していたのです」
「大沢先生だと! わたしもお世話になったことがあるお方だよ。江戸時代の仏教史を研究なさっておられたんだ」
と胡麻博士はさらに興奮した様子で叫んだ。時の鐘の周囲に取り囲んでいる人々が好奇の目で胡麻博士を見る。百合菜は、これはまずい、と思って、ふたりの腕を掴むと、市役所のある方向へ引っ張ってゆくことにした。
三人は、市役所には向かわず、できるだけ人が少ない道を選んで歩いていった。多目的ホールのある市民会館があったので、その敷地内の出入り口の前のベンチに腰掛けた。ここは日陰になっている。胡麻博士は自動販売機でジュースを購入し、半分ほど飲むと、幾分、興奮がおさまってきたようだった。
「しかし、大変なことだ! こいつはおったまげた……」
胡麻博士は、うっと叫んで、そのペットボトルで自分の頭を叩くと、悩ましげに額を抑えた。
祐介は、それについては何も触れずに、鞄の中から一冊の手帳を取り出した。
「胡麻博士。驚くべきことはこれだけではないんです。その遺体の側には、漢字が一文字ずつ記入されたカードが六枚落ちていました。そこには被害者の血の指紋が押しつけられていました。その六枚のカードに記入されていたのは『信』『天』『綱』『重』『海』『頼』の六文字です。これをどう考えるか、今、埼玉県警の捜査当局は完全に意見が分裂しているそうです」
胡麻博士は、大きく目を見開き、震えながら、祐介の手帳に記された、その六文字をまじまじと見つめた。そして、すぐにあることに気付いた。
「これはもしかして『信綱』『天海』『重頼』じゃないかね。ほら、組み合わせるとそうなるよ。川越の歴史上の三偉人の名前だよ。信綱は、松平信綱。天海は、南光坊天海。重頼は、河越重頼。しかし、これは一体……」
「そうです。そう主張する捜査関係者もいます。埼玉県警の中には、歴史が好きな警官がいますからね。しかし、殺人現場に残されたメッセージとしては不自然ではありませんか?」
「それは確かにな……」
「埼玉県警のある刑事が僕の知り合いでしてね、今回、僕に相談を持ちかけたんです。僕は早速、川越の歴史からヒントを得ようと考え、図書館で通史を読み、観光地をうろついていたのですが、正直、お手上げです」
「そうだねぇ。それは不思議な事件だ。ねえ、羽黒さん。大沢先生が殺されたということなら、わたしも黙ってはいられない。是非、捜査に協力させてくれ」
「ご協力いただけますか。実は、歴史が詳しい方に色々教えていただきたかったんです」
「まかせなさい」
胡麻博士の目が、キラキラと輝く。
「それには、まず、事件の概要を知らなければならないな。そこの喫茶店で、話を書こう……」