3 時の鐘
胡麻博士による、川越の歴史の話題は続く。
「戦国時代には、川越は扇ヶ谷上杉氏の支配下だったのだね。この頃に、初雁城が築城されたのだ」
「初雁城って、川越城のことでしょう?」
「そうだね。築城したのは、名将太田道灌だったそうだよ。太田道灌は、同じ頃、江戸城を築城したことでも有名なんだ。この後、北条氏の時代を経て、ようやく徳川氏の時代になるのだね。ちなみに後北条氏の時代には、その河越城をめぐって、川越夜戦という有名な奇襲戦があったそうだ」
蔵造りの街並みである一番街商店街をさらに方に向かうと、東明寺というお寺があるのだが、ここが川越夜戦の舞台だったらしい。そんな話を、いつか本で読んだことを百合菜は思い出した。
「川越の歴史上の偉人といえば、天海僧正だよ。徳川家康が、江戸に入った頃、この川越の無量寿寺、今の喜多院に天海という僧侶がいた。これが、のちの南光坊天海だったのだね」
「天海僧正ですね」
「そう、天海僧正は、徳川家康の信任を得て、政界に君臨したドンだが、それだけでなく、比叡山延暦寺の復興のためにも尽力したのだよ。比叡山は、織田信長の焼き討ちの後、非常に荒廃していたからね。三代将軍の徳川家光の頃には、江戸城で一番権力を持っているのは女とお坊さんだ、と言われていたのだとか。女というのは、家光の乳母の春日局、お坊さんというのは、天海僧正のことだそうだ。天海僧正は、上野の寛永寺の開祖でもあるんだ」
これが後に重要なことになるのだが、百合菜はもちろん、そんなことはまだ想像もしていなかった。
「その頃、川越藩主で有名だったのが、知恵伊豆と呼ばれていた、松平信綱だよ。川越をめぐるのなら彼のことを知っていた方がいい。彼は、島原の乱、由井正雪の乱を鎮圧し、明暦の大火の対応もしたとされる凄腕の男だ。現在の小江戸・川越の街をつくりあげたのは、彼の功績によるところが大きいのだよ。川越の大火災の後に川越藩主になってな、川越城を大規模に拡張し、現在の川越の原型ともなる町割りを行ったのが彼だったそうだ。川越街道や、新河岸川の改修も行ってな。年に一度、巨大な山車が練り歩く、川越祭りも、彼がはじめるように言ったものだったそうだよ」
「川越と言えば、松平信綱なんですね」
と、百合菜は満足げに頷いた。
「そうそう。今でも、川越市民に慕われている存在だ」
胡麻博士は、すでに鰻を食べ終えて、腹をさすっている。
百合菜は、川越祭りか、と思った。巨大な山車が何台も川越の街をまわる氷川神社の祭りだ。一度、行ってみたいな、と思っているがなかなか機会がない。いつか全国の祭りをめぐってみたいと思っているのだが、まだ高校生なので、しばらく叶いそうもない。
「まあ、せっかく川越に来たのだから、蔵造りの街を一度見ていきなさいな。川越の町は火災が多かったから、燃えにくい土蔵造りの建築物が多く建てられたのだよ」
「だから、蔵造りの街というのですね」
「そうだね。蔵造りの建築は多いが、特に、江戸時代の頃のもので、大沢家住宅という文化財がある。あとは明治の大火の後、作られたもので、有名なものでは山崎家住宅などがあるから、是非、一度見ていきなさい」
胡麻博士と夕紀百合菜は、そんなこんなで、鰻屋をあとにすると、蔵造りの店並みがずらりと続く、一番街商店街にやってきた。
重々しい屋根と、分厚い壁をもった黒色の土蔵造りの店がずらりと建ち並んで、時代劇の世界に迷い込んでしまったようだ。しかし、それだけでなく若者受けのいいモダンな雑貨店なども営業している。
それほど広くない道路の真ん中をバスや自家用車が走り、その横を観光客が列を成して歩いている様は、見ているとひやひやする危ない瞬間がある。
まんじゅうを蒸している香りや、焼き団子の醤油の香りが鼻をくすぐる。
蔵造りの建物だけでなく、かつての川越のデパートや、銀行の洋風な建築も見どころらしい。
「時の鐘を見に行こう……」
と胡麻博士は言いながら、一番街商店街の中心に向かって歩いてゆく。
時の鐘というのは、今でも川越のシンボルとなっているが、江戸時代の川越城主、酒井忠勝という人物が作ったものらしい。現在、残っているのは、明治の大火災の後につくられたものだが、江戸時代の頃の姿をしっかり残しているという。
「時の鐘は今までも、そして、これからも時刻を告げてゆくのだよ……」
「そうなのですね。胡麻博士」
歴史は、ロマンを感じる人間の方の勝ちである。世の中には、こうした鐘の音に無感動な人間もいるとは思うが、とにかく歴史好きの二人は、その鐘を前にして、川越の歴史に想いを馳せる。そこに川越の歩んできた歴史を感じるのである。
ふたりが時の鐘を見上げていると、その柱の下から、時の鐘の向こう側にある薬師堂の参拝をたった今終えたらしき、男性が出てきた。
百合菜は、はっとした。
「祐介さん!」
「あれ、君は……。そして、あなたは」
それは私立探偵の羽黒祐介だった。




