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休日にせもの誕生日

 休日に降る雨は憂鬱だ。

 朝から降る雨は気持ちを落ち込ませる。

 そんな雨の朝に嫌な電話を受けると、余計に最悪の気分に浸れる。


「……そうだね」

 低い声が私の口から漏れた。

「うん……そうね」

 口から出てくるのは、コールセンター勤めとは思えない雑な一言。

 私はスマホを肩と顎で支えて寝転がり、むくんだ足を窓枠にひょいっと上げる。

 雨粒がガラスの向こうを叩き、足の先に伝わる。それが不思議と心地いい。

 しかし電話の主は、そんな私の態度に気づきもせず言葉を続けた。


『仕事は? 問題ないか?』


「まあ……順調。うん、正社員だし? ボーナスもあるよ。福利厚生もちゃんとしてるし……結婚? 恋人?……まあそのあたりは縁のものだし。心配しないで、私、うまくやってるから」

 電話の向こうから聞こえてくるのは、低くて単調な声。

「心配しないで……お父さん」

 口から漏れたのは、自分でもわかるほど感情のこもらない声だ。

『……それで……お母さんの具合はどうだ』

「お母さん……ねえ」

 床に転がしてあるスーツケース。ミニポケットを探ればボロボロの貯金通帳が指に触れる。

 中にずらりと並ぶのは、毎月15日の自動振込み。

 振込先名から視線を外して、私は通帳を放り投げた。

「元気だよ。随分、落ち着いたみたいだし」

 そうか。よかった。感情のない父の声を聞きながら、私も二言三言、声をかける。

 そして適当な別れの言葉を口にして、電話を切る。ついでにスマートフォンの電源まで切ってしまう。

 時間にして10分。

 それが私の一年に一度、娘としての義務だ。

(仕事より疲れる……)

 温かいスマホを額に乗せて、私は長い長いため息をつく。


「お父さんとの電話、ちょっと緊張してません?」


 次の瞬間、私の顔を幽霊さんが覗き込んでいた。

「盗み聞きしないでよ」

「だーって。聞こえるんですもん」

「……一年に一回だけだからね。精一杯可愛い娘を演じてたでしょ」

 幽霊さんは寝転がる私の隣に可愛らしく着地して、小首をかしげる。

「一年に一回だけ?」

「誕生日なの」

 私はため息をつきながら、湿った床に顔を押し付けた。

「誕生日にだけ、連絡が来る」

「えっ。おめでとうございます! お祝いしなきゃ、ケーキ買いに行きましょう、コンビニに!」

 ぱっと顔を輝かせる幽霊さんは、私の誕生日なんてどうでもいいのだ。コンビニへ行く理由を欲しがってる。

 その顔を眺めながら、私はぱたぱたと手を振ってみせた。

「誕生日は昨日で、父親は一日勘違いしてるから」

 正直、私は父の顔を忘れている。覚えているのは花火の夜、黒に沈む父の背中だけ。

「私が小学校のときに両親が離婚したからね。それから会っちゃいないのよ」

 父もまた、父親としての義務を忘れてないのだ。彼が覚えているのは、私の名前と一日間違えた誕生日。

 その日には、必ず電話が鳴る。

「面倒で訂正してないだけ。今日は誕生日じゃないの」

 コンロに鍋をかけ、湯を沸かす。ぼこぼこと湧く泡を眺めながら、凝った肩を鳴らす。

 ……中学生以降、誕生日は憂鬱だ。その翌日のことを思ってしまうから。

「お昼、ラーメンでいい?」

「駄目です。昨日はお誕生日だったんでしょ? OLさんは生きていて、ちゃんとお誕生日があるんだから、お祝いしなきゃ」

 湯気を浴びて、私は心底面倒な顔をする。

「ありがと。気持ちだけでじゅうぶん。ラーメン、トンコツでいい? 賞味期限やばいから」

「それも食べたいけど、ケーキが良いです」

 幽霊さんは相変わらずの強引さで、私の上をぶんぶんと飛び回った。



「ケーキ、すっごくおいしい!」

 女の子らしい顔と声で、幽霊さんが幸せそうに目を閉じる。

「コンビニってすごいですね。こーんな本格的なケーキがあるなんて」

 机の上にはフルーツショートケーキ。

 プラスチックのケースの上に、ちょこんと鎮座するケーキ。それに合わない缶チューハイと、甘いオレンジジュース。

「コンビニのケーキって初めて買った……」

 スイーツコーナーに並ぶ浮かれたケーキ。存在は知っていたが手にとったのは初めてだ。

 どうせ乾ききったケーキなんだろう……と思いきや、本格的な味に驚いた。

 軽い食感の生クリームに、ふわっとしたスポンジ。

 酸味の強い、イチゴ、桃、キウイがごろりと挟まれて、ちょっとカロリーが低く見えるのも良かった。

「いいお誕生日ですね。お祝いのケーキもあって。あ、でもラーメンもあとで作ってくださいね。トンコツで、卵入り」

「私のお金だけど」

「でもあたしからOLさんに向けての気持ちが入ってますから」

 幽霊さんが食べた箇所は、味が消えていく。無味になるだけでなく、突くと灰のようにさらさらと消えていく。

 ……人間の体もこうであればいいのに、とプラスチックの甘いフォークをくわえたまま、私はそう思った。

「さっきの電話ですけど……お母さん病気なんですか? それになんで嘘ばっかりいうんです? 正社員じゃないしボーナスも無いって、前にそう言ってたじゃないですか」

「何で勝手に聞くのよ」

 幽霊さんはふわりと浮かんで、天井すれすれを横切っていく。

 彼女の体にしてみれば、電灯も天井も壁もカーテンも関係ないのだ。便利だな、と時々思う。

「聞こえるんですよ。共有してるから」

「人のことWi-Fiみたいに気軽に繋げないでよ。切って」

「切れないんですって。周波数がすごく合うから」

 幽霊さんは床に滑り込んで膝を抱える……膝から下は、存在しないわけだが。

 それを見て、私は先程までの父の声が思い浮かぶ。まるで四角くに切ったような、硬い声。

 遺伝子上の父として、義務感だけが出す声だ。

 だから私も、娘として最低限の声を出す羽目になる。

 それは、お互いに嫌な気持ちにならないための妥協点。

「……適当に流しておけばお互い嫌な気持ちにならないでしょ」

「あんまりうまく行ってないんですね。あたしんところと、同じ」

 にこり、と幽霊さんが微笑む。

「といっても、あんまり、覚えてないんですけど。お父さんがすごく……あたしのこと大好きで。過干渉ってやつです。だから恋人が逃してくれたんですけど」

 幽霊さんはやっぱり愛らしい。この顔にこの性格だ。男親は過保護になるだろうなと簡単に想像がつく。

「どの家庭にも……色々ありますよ、ね」

 ケーキの最後の一欠が、さらりと空気に溶けて消える。同時に、二人の間に沈黙が落ちた。 

 思い返せば、幽霊さんが無言になることはほとんどない。

 小鳥のように一日中べちゃくちゃ喋っているので、この家は以前よりずっと賑やかになった。

 この静けさを破ったのも、やはり幽霊さんだ。

「あたし、死んでるからお誕生日のOLさんに何もしてあげられない……じゃあ、せめてお化粧の方法、教えてあげます」

「は?」

 ふわっと浮かんで、ガッツポーズ。

「気になってたんです。OLさん、いつもお化粧適当でしょ。お化粧教えてあげます」

「誰に見せんのよ。最低限、社会人としてのマナーを守っていれば」

「はい、化粧ポーチあけて」

 幽霊さんは頑固で我儘で、こうと決めたら動かない。

 窓を激しく叩く雨音を聞きながら、諦めた私は化粧ポーチを取り出す。何が悲しくて、休みの日にまで化粧をしなければならないのか。

 彼女のいうがまま、チークにアイシャドーなどを乱雑に机に並べる。

 生クリームがこびりついたプラスチックケースに、缶チューハイ。汚れた化粧道具。雨の音、薄暗い部屋……不思議なくらい退廃的な雰囲気だ。

「ブラシは斜めに……ああ、もう! そうじゃないです! 下手! 乗り移ってやってあげたい!」

 どこかアンニュイな雰囲気をぶち壊すのは、幽霊さんの声だ。

 斜めに動かせ上から叩き込め。分からないままに言うことを聞いていれば、顔がどんどん変わってくる。

 すごいな、と表情を出せば幽霊さんが調子に乗るので、私はわざと唇を噛みしめる。

「表情固くしないでください。それと次は眉を……」

 私がポーチを探れば、ぽろりと一枚の紙が転がり出た。くしゃっと握りつぶしてかばんの奥に放り込んでいたものだ。

 文字の虫である幽霊さんは、すぐさまそれに飛びついた。

「文字!」

「なんでもかんでも読まないでよ」

 飛び出したのは、会社で配られたもの。中には、注意喚起の文字が刻まれている。

「貴重品の……取り扱い……注意して……」

「会社で最近泥棒が多いんだって。まあ仕方ないよね、ロッカーには鍵ついてないし、カバンは仕事の部屋に持っていけないし」

 ぐしゃぐしゃになった紙を広げれば、数行の簡易な文章がある。

 ここ一ヶ月ほど、社内で起きている盗難事件の注意喚起だ。

「貴重品は透明のビニール袋に入れて部屋に持って入れるけど、あんまり大きなものはロッカーに入れるしかないでしょ。それを狙われるんだって」

 ……残されたカバンに貴重品は入っていない。それなのに狙われる。盗られるのは、大したことのないものばかり。

「ノートとかペンとか、乾電池とか? どうでもいいようなものを、色々盗られるんだって」

 だから警察を呼ぶまでもない……というより会社としては、おおごとにしたくないのだろう。

「だから私は財布を持たない主義。電子マネーで済むし。社員証とスマホだけで、ロッカーに置いとくカバンは空っぽ。だから被害なし」

「だから化粧直しの道具も持っていかないんですね……」

 じっとりと、幽霊さんは私を睨む。

「リップも持っていかないなんて信じられない」

「防犯よ」

 ……大体、犯人はわかっているのだ。と、私は心のなかでぼんやりと思う。

 赤いマニキュア、赤い口紅。ネズミ主任と不倫を重ねる、あの女。

 ちょうど一ヶ月前、彼女がロッカーで不審な動きをしているのを見かけたのだ。その後から、盗難騒ぎが勃発した。

 彼女が何をしているのかはわからない。人の弱みを握ろうとしているのか、それとも単に手癖が悪いだけか。

 わかることは、ただ一つ。

 面倒なことには足を突っ込まないほうが良い。それだけだ。

 しかし幽霊さんにとってはそんな教訓はくそくらえなのだろう。彼女は文字をじっと見つめたあと、決意を込めた目で拳を握る。

「じゃあ私がその犯人突き止めます。一個いいことすれば一個……はい。OLさん、次は眉をちゃんとしましょう」

「顔、顔ってねえ」

 私の顔を至近距離で覗き込む幽霊さんは、相変わらず美人だ。

 化粧も完璧、髪のカールも完璧。彼女はきっと完璧な姿のときにで死んだのだろう。

(彼氏と痴話喧嘩のときに死んだって言ってたけど……そんな時にまで?) 

 疑問が浮かんだがすぐに忘れた。

 急に恥ずかしくなり、私は彼女を押し返そうとして……その手は冷たい空気に包まれた。 

 そうだ、彼女は死んでいる。

「結局、ごまかすって事でしょう?」

「味付けですよ」

 つん、と幽霊さんは顎を突き出して、胸を張る。

「お野菜だけ食べても、そりゃあ美味しいけど……普通はドレッシングかけたり、煮込んだり炒めたりするでしょ? 美味しくするための味付け」

「味付け……私、食べ物じゃないんだけど」

「あたし、許せないんです」

「なにが」

「素材を生かさない人って」

 幽霊さんは最高の笑顔で微笑んだ。

「ほら、眉をあたしの指の伝う通りに描いて」

 その勢いに押されるように、私は眉筆を動かす。

 いつもは化粧なんて5分で終わる。あれこれと弄る方が面倒だ。どうせ、私と顔を突き合わすのは、パソコンモニターだけなのである。

 ……しかし今は違う。今は、幽霊さんが真正面にいる。

 それはなんとも不思議な気恥ずかしさだ。



「ほら、鏡を見て下さい」

 整えて、なでて、なじませて。

 やがて幽霊さんが満足したように鼻を鳴らして鏡を指差す。

 そこには、くっきりとした顔立ちの私がいた。

 眉は濃く、目つきも鋭い。

 いつもは能面のようにのっぺらした顔が、妙にはっきりとしている。口紅の角度も鋭角だ。

「濃くない?」

「あたし、それくらいが好きです。あたし好みの顔にしたんですもん。すっごく綺麗」

 うっとりと、まるで宝石でも見るような蕩ける目で、幽霊さんが私の顔を覗き込む。

 恥ずかしくなって顔を背けると、彼女は頬に触れるほど私に近づく。

「……そういえばOLさん、お父さんに恋人作れって言われてたでしょ」

「何勝手に」

「じゃあ……あたしと恋人になればそこの問題は解決ですね」

「は?」

 ……今日の幽霊さんは、妙にハイテンションだ。言葉が軽く、ふわふわしている。

 なにか変だぞ。と、私は机の上を横目に眺めた。

「だって、一番お手軽じゃないですか? 一緒に住んでるし」

「何言って」

「ああ……あたしも……」

 幽霊さんの手が、私の頬を撫でる。彼女の長い髪の毛が、私の腕に触れる。ふわふわとマシュマロのような髪の毛だ。幽霊映画にありがちな、黒くてのっぺりした髪じゃない。女の子らしい、柔らかい髪。

「あんな馬鹿な死に方せずに、OLさんのために死ねばよかったな」

 冷たく心地よく……湿度を吸い取るその温度。例えるなら、冷え込んだ秋の朝。さらりとして気持ちのいい……。

「あ! 幽霊さん、お酒飲んだでしょ。幽霊さんのために、オレンジジュース用意したのに!」

 私はチューハイの缶を掴んで、口に含む。やはり、そこにあるのはすっかり味の抜けたただのまずい炭酸水である。

「だって……おれんじ……すきじゃない……すっぱいし……」

「これ、ビールじゃないのよ。度数高いやつなんだから。幽霊さん未成年なのに」

「もう大人ですよぉ……おさけ、あまくておいしい」

 ほにゃ。と音がしそうなマシュマロ顔で微笑んで、やがて幽霊さんは床に崩れ落ちる。

 髪の毛とスカートが畳の上に、緩やかに広がった。

「酔っちゃう幽霊ってさあ……まあいいけど……」

 私もごろりと、幽霊さんのとなりに寝転がる。

 右肩から冷たい空気が広がって気持ちがいい。エアコンいらずだな。と私はほくそ笑む。

 幽霊さんは、丸い頬を上下させてこんこんと眠っている。もう、息なんてしなくていいはずなのに。

(……映らない)

 私はそっとスマホを手に取り、カメラの自撮りモードにする。腕を持ち上げて自分を写せば、畳に寝転がるのは私だけだ。幽霊さん好みの顔を描かれた、私だけ。

 撮影ボタンを押してみても、写真フォルダに収まるのは私だけ。幽霊さんは髪の毛も、顔も、頬も……何も映らない。

(心霊写真のようにはいかないか)

 右側に大きくスペースが空いたその写真はどこか、さみしい。  

 その感情に気づいて、私は慌てて首を振った。

(バカみたい)

 スマホを放り投げて、私は冷たい息を吸い込む。

 窓に当たる雨の音。静かで冷たい室内。青っぽく染まる空気。

 まるでそこは海の底。冷たい海の底に沈んでいるような。

(人魚姫……か)

 一人の男のために命を落とした人魚姫の話を、私はふと思い出す。

 それは、世界で一番嫌いな物語。

 嫌いすぎて私は人魚姫自身の気持ちを考えることをしなかった。

 あんな死に方をした人魚姫だが実は案外、幸せだったのかもしれない。

「……でもさ、幽霊さん。誰かのために死ぬなんて、しないほうが良いよ」

 私の低い声に、返ってきたのは可愛い寝息。幸せそうなその顔に陰鬱は過去は見えない。でも、彼女は恋のために死んだのだ。

 恋のために生き、恋のために死ぬ。それはどんな気持ちなのだろう。

 ……憂鬱な雨の音の中、私はぼんやりと柄にもないことを考えていた。

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