第11話 平塚の大先生との出会いと感謝
取り敢えず貧乏だった小学校高学年の頃の私の家。
あの当時、離婚はきっとまだまだ忌避すべき空気感が漂っていたと思う。
だから誰に頼るでもなく一人奮闘していた母。
元々内職で体に不調を抱えて、どうにか入れた職場は壁材などを生産する工場だった。
アスベストとかの規制の入る前。
ガラス繊維と言う怪しげなもので作る防寒材。
日に日に咳き込むことの多くなった母を、私は心配していたのだけれど。
最終的に体を病み、それとともに精神も病んでしまった母。
今思えばそのころから私は母の仕事を少しでも減らそうと、食事を作り始めていた。
…思い出すと涙が出そうになる。
ああ。
母さん、本当にあなたは頑張っていたよ?
でもね。
今でも腑に落ちないよ。
あれは――
本当に正しかったのだろうか?
※※※※※
因みにその当時と言えば。
オイルショック後の好景気状態の日本。
上手く立ち回って金を稼ぐ人がいる一方。
弱い立場、しかも学のない人たちは。
きっとしなくてもいい苦労をしていたのだと、今なら思う訳です。
例えば行政サービス。
頼ってしかるべきだった。
でもね。
実は利用するにはかなりの理解と時間が必要だという事。
結果母は違うものに縋る。
中学校しか卒業していない我が母。
田舎が嫌で飛び出し『頑張ればどうにかなる』という、まさに昭和気質の我が母は。
あり得ない苦悩を抱えながら、私を育てようと身を粉にして働いてくれていた。
そりゃあ壊れますよ。
うん。
そして寄り添うように優しくささやく宗教。
ああ。
きっとそんな家族、多くいたのでしょう。
※※※※※
きっかけはうちのおじいさんの入院だった。
田舎の、母の大嫌いな私の祖父。
そうはいっても実の父親。
なけなしのお金を使い、母は一人田舎へと向かった。
そして彼女は出会ってしまう。
『霊視』出来るという、自称霊能者。
狐様を奉る新興宗教の教祖様に。
※※※※※
『朝はね、東に向かって祈るのよ。そうすればすべてうまくいく』
早朝たたき起こされる日々。
なぜかその辺で拾ったようなはっぱを口にくわえさせられ。
その横では同じように口にはっぱを加え、何故か薄い白っぽいローブのような物を羽織り一心不乱に呪文を紡ぐ母。
空気が凍る。
異常な事態なのに、否定できないあの空気感。
マジでカオスだ。
いわゆる教祖様である平塚の大先生。
彼女の教え、今思えば。
――ただの健康法だった。
うちには財産など何もない。
誰が見ても貧乏だった。
ウチが提供していたのは、いわゆる“霊視代金”のみ。
1回5,000円。
うん。
儲からんよね。
何はともあれ。
体に不調を訴えていた母は。
みるみる間に元気になって行った。
顔つきはヤバかったけどね?!
“信じる”
――すがるしかなかった。
結果回復する母。
子供ながらに驚いていたよ?
そして当然のごとく私も連れていかれ、染まり始める。
ええ。
感謝してますよ?
そのたびに高級なレストランへ連れて行ってくれたのですから。
普段質素なものしか食べてなかった私。
初めてというレベルで食べた和牛のステーキ。
そして可愛くない私の感想は。
『臭い肉』でした。
※※※※※
大人になった今、あれが高級だったという事は分かる。
良い肉はいわゆる“にくにく”しい。
血の匂い?
まあ。
残念ながら私にとって高級なハンバーグとは、レトルトのハンバーグだった。
コホン。
でも。
いったいあれは何だったのだろう。
私たちのような貧乏人。
施すその意味。
宗教と言うファクターを外してみれば。
ただ単に金持ちが貧乏な我々に施していた事実。
今でもわからない。
あれからすでに40年以上が経過しているので。
きっとあの平塚の大先生はお亡くなりになっているとは思う。
もちろん母が叔母の勧めで違う宗教に入信してからは、付き合いは断たれていたので。
その後のことなど知りません。
ああ。
でも間違いなく救われていた事実。
正しいかなんて、わからない。
それでも。
感謝しているのは、本当だ。
ぽつぽつ投稿していきます。
不定期ですね(笑)




