蛇髪の少女と失われた光①
※ここからは、本編では描かれなかった魔物娘たちの過去を描く外伝短編集となります。
――蛇髪の少女は、村の中でいつもひとりだった。
私はセレナ。メデューサの魔物娘よ。
物心ついた時から、とある村の老人に育てられていた。
「親はどこにいるの?」
幼い頃、何度か尋ねたことがある。
けれど、老人は決まってこう答えた。
「昔々の話じゃよ。気にするな」
それ以上、老人が何かを教えてくれることはなかった。
両親がどんな人だったのかも、なぜ自分が老人の家にいるのかも、私は何も知らない。
ただ――村では、私の存在は“腫れもの”のように扱われていた。
「見たら石になるって本当?」
「髪……動いてる……こわ……」
「下半身、蛇みたいだった……」
そんな声が、村のあちこちから聞こえてくる。
私の髪は、生まれたときから蛇だった。
感情に合わせてうねり、驚けば逆立ち、嬉しければ首を傾げる。
下半身も人間とは違い、長い蛇の身体へとつながっている。
地面を滑るように進むその姿も、私にとっては生まれたときから当たり前のものだった。
けれど、村の子供たちには“怪物そのもの”に見えたらしい。
私にとって当たり前の姿も、彼らにとってはそうではない。
人々の目には、いつも怯えと距離が滲んでいた。
やがて噂は勝手に形を変え、ひとり歩きしていった。
「目を合わせたら石にされる」
「触れたら呪われる」
本当の能力とはかけ離れた噂が、まるで怪談のように広がっていった。
子供ながらに、それが間違っていることくらいわかっていた。
私が誰かを石にしたことなんて、一度もないのだから。
けれど、それを説明する相手すらいなかった。
次第に、村の輪から外れていった。
いつの間にか、ひとりでいることが当たり前になっていた。
「別に……ひとりのほうが楽よ」
そう口にするたび、胸の奥が少しだけ痛んだ。
その痛みをごまかすように、私は老人の家へ戻った。
家の壁一面は、本棚で埋め尽くされていた。
古い魔術書に、神話や歴史の本、旅人が書き残した記録まで、所狭しと並んでいる。
老人が趣味で集めたという膨大な本の山は、村で浮いていた私にとって唯一の逃げ場だった。
ページをめくれば、現実では怖がられる私も、本の中では誰にも拒絶されない。
物語も、魔術の理論も、古い言い伝えも――そのすべてが、私を受け入れてくれているように感じた。
蛇髪たちは本の端をつついて遊ぶのが好きで、老人はそんな様子を見るたび、「やれやれ」と笑っていた。
その笑顔だけは、村で暮らす私に安らぎを与えてくれた。
時おり、勇気を振り絞って老人に尋ねた。
「私は……どこから来たの?」
「どうして、髪が蛇なの?」
けれど老人は決まって苦い顔をして、答えをはぐらかした。
「セレナ、お前はお前じゃよ。他の誰でもない」
そう言って頭に手を置いてくれる。
けれど、私の出生についてだけは、どうしても語ろうとしなかった。
――知らないほうがいい。
そんな気配すら感じて、それ以上踏み込めなかった。
そんなある日、老人は珍しく真剣な眼差しを向けてきた。
「セレナ、お前……学院へ行ってみる気はないか?」
「学院……って?」
老人が差し出したのは、一冊の冊子だった。
表紙には『アインベルグ魔法学院 生徒募集』と書かれている。
「ここなら、お前の好きな本も魔術も、もっと学べるじゃろうて」
老人の声はいつもと変わらず淡々としていた。
けれど、その言葉にどんな思いが込められているのか、私にはわからなかった。
私のためを思ってくれているのか。
村で浮いている私を、少しでも自由にしてやりたいと思ったのか。
それとも――ただの厄介払いなのか。
老人は嘘をつく人ではない。
でも、何もかも正直に話してくれる人でもなかった。
だからこそ、私はその表情の意味を読み取れなかった。
けれど、その冊子を手に取ったとき――胸の奥に、かすかな光が灯った。
もしかしたら、変われるかもしれない。
ここではないどこかに、私を見てくれる人がいるかもしれない。
そんな希望を抱いたのは、生まれて初めてだった。
蛇髪がゆらりと揺れるのを感じながら、老人に向かって小さく頷いた。
「……行ってみたい」
こうして村を離れ、アインベルグ魔法学院へ向かうことを決めた。
◇ ◇ ◇
村を出て、アインベルグ魔法学院にたどり着いたとき、思わず息を呑んだ。
――世界は、こんなにも広かったの?
石畳の大通りは遠くまで続き、その両脇には高い建物が立ち並んでいる。
行き交う人々も人間だけじゃない。耳の尖ったエルフに、獣の耳を揺らす獣人、翼を広げて空を飛ぶ少女の姿まであった。
どれも、村では見たことのない光景だった。
蛇の下半身を滑らせて進む私にも、珍しそうな視線は向けられる。
けれど――あの村で感じていたような怯えや敵意は、ほとんどなかった。
それだけで、少しだけ緊張がほどけた。
「……大丈夫。きっと、ここなら」
そう小さく呟き、アインベルグ魔法学院の門をくぐった。
「セレナさんですね? こちらで入学手続きをお願いします」
受付の女性は、私を見ると穏やかに声をかけてきた。
蛇髪を怖がる様子も、下半身の尾を珍しがる様子もない。
「え、えっと……はい」
緊張に反応した蛇髪がびくつき、受付台をぺちぺちと叩く。
恥ずかしくなり、俯いた。
「大丈夫よ。緊張してるだけよね、髪も」
女性は気にした様子もなく、微笑んだ。
そんな反応をされたのは、生まれて初めてだった。
――ここでは、本当に普通に扱ってもらえるんだ。
胸の奥がじんわりと温かくなり、私は入学手続きを終えた。
◇ ◇ ◇
入学オリエンテーションが行われる大広間には、大勢の新入生が集まっていた。
皆、それぞれ楽しそうに会話している。
村では考えられなかった賑やかさに圧倒され、逃げるように壁際へ移動した。
下半身の蛇はぐるりと丸まり、蛇髪たちも落ち着かない様子でそわそわと動いている。
「だ、大丈夫……静かにして……」
私がそう言うほど、蛇髪たちは余計にもぞもぞと動き出す。
近くにいた生徒が驚いたようにこちらを見て、その視線に胸がきゅっと縮こまった。
――やっぱり、怖がられてる……?
さっきまで感じていた安心が、急にしぼんでいく。
村を出ても、結局どこにも私の居場所なんてないんじゃないか。
そんな不安が胸をよぎった、そのときだった。
「ねぇ、それ……!」
突然、目の前に一人の少女が飛び込んできた。
陽光のような金色の髪に、青空を思わせる明るい瞳がきらきらしている。
「すごい! ほんとに動いてるの? ちょっと触ってみていい?」
「ええっ!? む、無理よ!」
驚いて尾がびくっと跳ね、蛇髪たちが一斉に逆立った。
けれど、少女はそんな蛇髪を前にしても怯むどころか、興味津々といった様子で手を伸ばしてくる。
「わっ、ふにふにしてる! かわいい……!」
「か、かわっ……!?」
可愛い?
この髪を……?
生まれて初めて向けられた言葉に、思わず固まった。
そんな私に構うことなく、少女は楽しそうに話しかけてくる。
「ねぇ、あなた名前は? 私はティナ! 支援魔法が得意なの!」
「わ、私は……セレナ、だけど……」
「あ、やっぱりセレナって感じする! よかったら隣座っていい?」
うまく返事ができなかった。
こんなふうにぐいぐい距離を詰められたことなんて、一度もない。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
蛇髪たちも緊張しながら、そっとティナを見つめている。
結局、私は小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
入学後、すぐに魔力測定と簡易魔法の練習が始まった。
魔法適性は“攻撃系”。
石化能力への適性が高く、魔力そのものも強いと診断された。
ただ、その力をうまく制御できない。
「えっと……この魔力を、球状にして……」
「ちょっと強すぎるかもよ、セレナ!」
ティナが慌てて横へ回り込んだ、その瞬間――
ボンッ!
制御しきれなかった魔力が弾け、蛇髪たちが一斉に逆立った。
「う、うわぁあああ!!」
周囲の生徒から笑い声が漏れる。
「なにあれ!」
「魔力が暴れてる!」
胸の奥がずきりと痛んだ、そのときだった。
ティナが迷わず手を握ってきた。
「大丈夫? 次はもっとゆっくり、ね?」
その声に、責めるような響きも、からかうような色もなかった。
ただ当たり前のように、失敗した私の隣にいてくれる。
――この子は、今までの人たちとは違う。
初めて、そう思った。
◇ ◇ ◇
夕方。
授業が終わった後、ティナに誘われて校舎の中庭を歩いていた。
「ねぇ、今日どうだった? 魔力、すっごかったよね! びっくりした!」
「び、びっくりしたの!? やっぱり……」
「ううん、いい意味で! だって本当に綺麗だったよ。魔力の光」
思いがけない言葉に、蛇髪たちがふにゃりとうなだれた。
ティナは笑いながら、隣を歩いていた。
「私ね、入学して最初に話したいと思ったの、セレナだったんだ」
「……どうして?」
「直感! ……って言ったら変かな? でもね、あなたを見た時、『あ、この子と仲良くなれる』って思ったんだ」
胸がどくんと跳ねた。
「……変じゃないわ」
そう答えると、ティナは嬉しそうに目を細めた。
「じゃあさ、これからも一緒にいよ?」
少し迷った。
けれど、最後にはそっと頷いた。
「……うん。悪くないわね」
こうして私は、村では決して知らなかった“友情”という灯りに触れた。




