光の翼、闇を超えて⑥
――光に包まれていた感覚が、ふっと途切れた。
視界を覆っていた白が徐々に薄れ、代わりに冷たい地面の感触が全身へと伝わってくる。
勢い余って前につんのめり、そのまま地面に倒れ込んでいた。
「……っ、ぐ……」
手をつこうとするが、腕に力が入らない。
頭がくらくらする。ここは……どこだ?
霞む視界のまま、俺は辺りを見回した。
「……カケル!」
耳に届いたその声に、心臓が大きく跳ねる。
はっと顔を上げると、そこに立っていたのは――紛れもなくリリアだった。
「リ……リア……?」
彼女は一瞬、言葉を詰まらせる。
そして、堪えきれないように駆け出してきた。
気づけば、俺の身体は強く抱きしめられていた。
「よかった……! 戻ってきてくれて……!」
彼女の腕から伝わる温もり。
すぐそばで感じる鼓動。
そのすべてが、俺に教えてくれる。
俺は本当に――あの闇から帰ってきたのだと。
リリアの胸に顔を埋めたまま、かすれた声を絞り出した。
「……声が……聞こえたんだ」
リリアが小さく瞬きをする。
「声……?」
「ああ、皆の声だ。セレナも、ヴァネッサも、ライアも、エルザも、エリシアも、トーラも……そして、君も」
闇の中で聞いた皆の言葉が、今も胸の奥に鮮明に残っている。
その一つ一つが、立ち止まりそうになるたびに俺の背中を押してくれた。
「皆が俺をここまで連れ戻してくれたんだ……そして、あの人も」
その言葉に、リリアの赤い瞳が揺れる。
誰のことを指しているのか、彼女にはすぐに分かったのだろう。
けれど、リリアは何も言わなかった。
ただ、震える腕にさらに力を込め、俺を抱きしめる。
「……カケル」
その温もりが、すべてを肯定するように胸の奥へと沁み込んでいった。
だが、その静かな余韻を切り裂くように、甲高い咆哮が闇を震わせた。
「ば……馬鹿な! 貴様の肉体と魂は、余が完全に支配していたはず!」
振り返ると、そこに立つヴァルギルスは、もはや人の形を保ってはいなかった。
闇そのものが凝り固まった影法師のように輪郭は揺らめき、その奥で紅い光だけが不気味に煌めいている。
リリアに抱きしめられたまま、息を吐く。
そして彼女の腕からそっと離れると立ち上がった。
足はまだ震えている。
それでも、不思議と迷いはなかった。
「ああ……確かに支配されていたさ。だけど、もう俺は闇に縛られない! 光に向かって進むと決めたから!」
その言葉は空気を震わせるほどに響いた。
闇の中に、一条の光が差し込んだように。
「何を……ほざくか……!」
ヴァルギルスの瞳が、ぎょろりと揺らめく。
その視線を、真正面から受け止めた。
ヴァルギルスは、嗤いを含んだ声で吐き捨てた。
「貴様に……何ができる。今の貴様には、もう余の力はない。貴様はただの、無力な人間なのだぞ!」
その言葉は嘲りに満ちていた。
だが、不思議と俺の心は揺れなかった。
隣に立つリリアへと視線を向ける。
「……リリア。ペンダントを貸してくれるかい?」
リリアは驚いたように瞳を瞬かせた。
「え……カケル、それは……」
その表情には、戸惑いと不安が入り混じっている。
だが、俺の眼差しを見つめるうちに、次第にその迷いは消えていった。
リリアはそっと胸元に手を伸ばし、長年大切にしてきた羽根のペンダントを外す。
その手が小さく震えているのを、見逃さなかった。
「……必ず、返してね」
囁くようにそう告げると、リリアはペンダントを俺の手のひらへと乗せた。
その温もりが残る羽根を、両手でそっと包み込んだ。
その瞬間――手の内側から柔らかな光がにじみ出し、やがて眩い輝きとなって迸った。
掌から溢れ出した光は宙へと伸び、形を持つようにひとつの輪郭を描いていく。
光が収まった時――。
俺の手には、一本の剣が握られていた。
白銀に輝く刃は、炎のように揺らめく光を纏い、見る者すべてを圧倒するほどの神聖さを放っている。
「……これが」
手にした剣を見つめると、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
勇者の想い。
リリアの願い。
そして、仲間たちの声。
そのすべてが、この刃に宿っている。
ヴァルギルスの瞳が大きく揺らぎ、低い声が震えた。
「な……んだと……?」
光を帯びた剣を見つめる。
すると、その名が胸の奥から自然と溢れ出した。
「……エスペランサ」
その言葉は、まるで長い間眠っていた名を呼び覚ますかのように、空気を震わせた。
だが、それは勇者が遺した剣の名でも、誰かに教えられたものでもない。
俺自身が選び、その決意と共に名付けた――新たな光の名だった。
名を与えられた瞬間、エスペランサはさらに強い輝きを放った。
闇を切り裂くような白金の光が刃を包み込み、呼応するように全身へ熱が駆け巡る。
「これが……俺の闇を超える剣だ!」
柄を強く握りしめ、ヴァルギルスを見据えた。
もう、迷いはない。
エスペランサを構え、深く息を吐く。
全身に宿る光の奔流を刃に乗せ、地を蹴った。
「うおおおおおッ!!」
地を蹴り、風を裂き、ただ一直線に突き進む。
対するヴァルギルスも闇を纏う剣を構え、獣のような咆哮を上げながら迎え撃った。
――ガキィィィィンッ!!
光と闇。
二つの刃が真正面からぶつかり合い、凄まじい衝撃が爆ぜる。
閃光が周囲を染め上げ、地面が抉れ、空気が震えた。
激しい鍔迫り合いの中、ヴァルギルスの瞳が大きく見開かれる。
「こ、この……光は! まさか、あの勇者の!」
怒りと恐怖が入り混じった叫びが響き渡る。
「おのれ! 死してなお、余に歯向かうか!」
歯を食いしばり、エスペランサを握る手に力を込める。
「……違うな! これは――俺の光だ!」
刃の狭間で火花が弾け、互いの顔を照らし出す。
渾身の力でヴァルギルスの剣を弾き返した。
体勢を崩したその身体へ、エスペランサの一閃を叩き込む。
――ズバッ。
光の刃が闇を切り裂き、ヴァルギルスの胴へ深い傷を刻んだ。
「ぐっ……!」
呻き声を上げながら、ヴァルギルスは転移し、後方へと逃れる。
だが、距離を取った奴の瞳に浮かんだのは――驚愕だった。
「……くっ!? 傷が……再生しない、だと……!?」
傷口から黒い靄が漏れ出している。
それでも、傷が塞がる気配は微塵もなかった。
エスペランサの光が、ヴァルギルスの闇を打ち破ったのだ。
ヴァルギルスが黒い靄を纏い、俺の背後へと転移する。
気配が揺らぎ、首筋へ闇の刃が迫った。
だが、その刃が届くより早く――灼熱の奔流が割り込んだ。
「――っ!?」
背後から飛来した炎弾が、ヴァルギルスの胴を焼き裂く。
「うぐっ……!」
苦悶の声を漏らしながら振り返ったヴァルギルスの先に、黄金の魔眼を輝かせるセレナの姿があった。
「さっきはよくもやってくれたわね……! お返しよ!」
憤怒を込めた声に、ヴァルギルスの紅い瞳が爛々と輝く。
怒りのままに転移すると、今度はセレナの目前へと現れ、闇の剣を振り下ろした。
だが、その刃が彼女の身体を裂くことはなかった。
黒いマントを翻して舞い込んだ影が、流れるような動きで剣を受け流す。
「――ふん。そんな技のない攻撃など、容易いものだ」
ヴァネッサだった。
深紅の瞳に余裕を浮かべながら、護身術を思わせる身のこなしで闇の剣を逸らしていた。
「おのれ……! 雑魚共がぁ!」
苛立ちに染まった咆哮と共に、ヴァルギルスはなおも闇の剣を振り下ろす。
しかし、その刃は再び空を切った。
ヴァネッサは微かに笑みを浮かべ、ひらりと身を躱す。
そして――彼女が避けた、その背後。
「――捕らえたわ」
そこには、セレナが待ち構えていた。
黄金の魔眼が強く輝き、石化の魔力が解き放たれる。
「しまっ――」
ヴァルギルスは咄嗟に目を逸らそうとする。
だが、わずかに遅かった。
身体が軋むように硬直し、ほんの一瞬、その動きが止まる。
そして、その隙を逃すまいと――ヴァルギルスの頭上をひとつの影が覆った。
「潰れてっ!」
エルザの巨大な鉄槌が、凄まじい勢いで振り下ろされる。
その一撃が地を震わせ、炎の粉塵を巻き上げた。
「ぐっ……!」
直撃する寸前、ヴァルギルスの姿が掻き消える。
だが――その逃げ先へ向かって、俺はすでに駆け出していた。
「――はあああっ!」
勢いのまま、エスペランサを振り抜く。
ヴァルギルスは闇の剣で受け止める。
だが、光と闇が激しくぶつかり合った瞬間――。
バキィンッ!
甲高い音を立て、闇の剣が砕け散った。
「なに……!?」
その驚愕を逃さず、さらに一閃を叩き込む。
「ぐおっ……!」
深く刻まれた傷口から、黒い闇が噴き出した。
ヴァルギルスは呻きながら転移し、俺たちから大きく距離を取る。
「……くっ……まだだ!」
ヴァルギルスは残った力を振り絞り、召喚の呪を吐き出す。
「来い……! 我が眷属よ! 行け! 奴らを殺せ!」
その声に応じ、黒い靄を纏った数体の魔獣が姿を現した。
だが、圧倒的な群れではない。
その数はわずかで、纏う闇の力も明らかに衰えている。
魔獣たちが咆哮を上げ、俺たちへ襲いかかろうとした――その刹那。
「闇なんかに……!」
天より、無数の閃光が降り注いだ。
エリシアの放った光の矢が、次々と魔獣たちの身体を貫いていく。
「光は闇に負けません!」
魔獣たちは絶叫を上げ、光の中でもだえ苦しむ。
そしてその身体は焼き尽くされ、跡形もなく消滅していった。
「おのれ……おのれおのれおのれええええ!」
ヴァルギルスは怒りに身を任せ、再び力を解き放った。
その背から、禍々しい闇に覆われた二本の異形の腕が伸び出す。
岩をも砕くほどの膂力を秘めた腕が、蠢くように大きく広がった。
ヴァルギルスは転移で俺の目前へと現れる。
そして、四本の腕を一斉に振りかざした。
逃げ場すら押し潰すような、凄まじい破壊の奔流が迫る。
だが――その一撃が俺に届くより早く、仲間の叫びが響いた。
「やらせるかよぉッ! ライア!」
トーラが咆哮と共に飛び込み、異形の右腕から繰り出された拳を真正面から受け止める。
蹄で大地を踏みしめ、全身の筋肉を躍動させながら、その剛力を真正面から押し返す。
「ああ! 任せろ!」
応じるようにライアも駆け込み、もう一方の異形の腕を剣で受け止める。
激しい火花が散り、金属の悲鳴が空気を切り裂いた。
「きさまらあああああっ!」
ヴァルギルスは怒号を上げ、力任せに四肢を暴れさせる。
その瞬間を、逃さなかった。
「逃がすかよ!!」
踏み込みと同時にエスペランサを振り抜く。
光の刃が閃き、異形の両腕を一息に両断した。
断ち切られた闇が悲鳴のように爆ぜ、ヴァルギルスの身体が揺らぐ。
ヴァルギルスは呻き声を上げながらも、なお闇の力を手放そうとはしなかった。
失った異形の腕の代わりに漆黒の剣を形作り、その身を紅い靄で包み込む。
「ぬうううう……まだだ! 余はまだ負けぬ!」
今度は転移を使わない。
獣のような雄叫びを上げ、ヴァルギルスは真正面から俺へ突進してきた。
振り下ろされる黒き刃を前に、エスペランサを構え、迎え撃とうとする。
「……っ!」
その時――横合いから、颶風のような気配が駆け抜けた。
藍色の髪が翻り、ヴァルギルスの眼前へ一つの影が舞い込む。
ドゴォッ――!
リリアの脚が魔力を帯びた鮮烈な蹴りとなり、ヴァルギルスの顔面を捉えた。
闇を裂くような衝撃が走る。
「がはっ……!」
ヴァルギルスが後方へのけぞり、纏っていた赤黒い靄が乱れて散った。
リリアは振り抜いた脚を戻すと、俺を振り返って叫ぶ。
「カケル! 今よ!」
その声に、全身が熱を帯びる。
力強く地を踏み込み、そのまま一気に駆け出した。
「……これで――終わりだッ!」
エスペランサの光刃が、闇を切り裂く。
まばゆい一閃が戦場を駆け抜け、ヴァルギルスの影法師のような身体を容赦なく断ち割った。
「ぐああああああああああああああああ!!」
断末魔の叫びが、戦場に響き渡る。
ヴァルギルスの身体が崩れ、その身を形作っていた闇の靄が四散していく。
再生することも、転移することも叶わない。
エスペランサから溢れる圧倒的な光が、残された闇さえも呑み込み、消し去っていった。
「馬鹿な……余が……この余が……!」
声は次第に掠れ、やがて途切れる。
最後に残ったのは、虚空へ溶けていく微かな残響だけだった。




