↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
76/127

凍てつく大地と精霊の息吹⑤

ゴーレムが再び動き出す気配はない。

俺たちは改めて、広間の奥を見やった。

そこには、氷と雪の紋章が刻まれた重厚な扉が立ちはだかっている。


「この先に……氷雪の精霊が」


エリシアが呟き、女王から託されたハープをそっと取り出す。

その指先は、寒さではなく、この先に待つ精霊への緊張でわずかに震えていた。


「……行くぞ」


俺の言葉に、皆が頷く。

両手を扉にかけ、ゆっくりと押し開いた。


扉の先は、息を呑むほどの静寂に包まれていた。

張り詰めた冷気が満ち、息をするたびに肺の奥まで冷たさが染み込んでくる。


空間の中央では、巨大な氷の結晶が、まるで心臓のように脈動していた。


その結晶は青白く濁り、表面には蜘蛛の巣のような亀裂が走っている。

その亀裂からは、煙のような冷気が絶えず漏れ出していた。


「……これが、氷雪の精霊の核」


エリシアはハープを胸元に抱え、静かに弦へ指を滑らせる。


張り詰めた空気の中、最初の一音が響いた。

澄んだ音色は氷の壁を伝い、波紋のように空間へ広がっていく。


すると、精霊核が青白い光を放った。

同時に、凍てつく冷気が周囲へと広がっていく。


思わず身構える。

だが、俺の視線の先で、エリシアは微動だにせず音色を紡ぎ続けていた。


その瞳は、どこか遠くを見つめている。

光に照らされたその表情に、驚きと戸惑い、そして深い悲しみが浮かんでいく。


何が見えているんだ……?


俺に感じ取れるのは、美しく響く旋律と、呼応するように脈打つ核の光だけだ。

けれど、この瞬間、彼女だけが精霊の奥底に触れているのは確かだった。


エリシアの指は、なおも弦の上を動き続ける。

その姿は、まるで旋律を通して誰かと言葉を交わしているかのようだった。


やがて最後の音が消え、辺りに再び静寂が訪れた。

エリシアは目を閉じたまま立ち尽くし、深く息を吸ってから、ゆっくりと瞼を開く。


「……わかりました」


その声はかすかに震え、表情には深いかげりが差していた。


俺たちの視線が一斉に集まる。

エリシアはハープを胸元に抱き直し、小さく頷いてから口を開いた。


「精霊様は……長き年月、この地を寒さから守り続けてきました。でも、その代償に“核”が摩耗してしまったそうです」


その瞳には、先ほどまでなかった深い悲しみが宿っていた。


「そのせいで力の流れが乱れ……精霊様はもう、ご自身の力を完全には制御できないそうです。だから……あの吹雪や寒波が絶えず起きているのです」


やはり、この異常な寒さは精霊の力が暴走した結果だったのか。

だが、エリシアはさらに言葉を続ける。


「精霊様は、このままだと……この地がすべて氷に覆われてしまうと仰っていました」


エリシアの声は、氷の壁に吸い込まれるように消えていった。


「そんな! どうすればいいんだ?」


「それは……」


思わず問い詰める俺に、エリシアは言葉を探すように黙り込んだ。

その指先がわずかに震えているのを見て、胸の奥に不穏な重みを覚える。


次の瞬間――精霊核がひときわ強く脈打ち、鈍い光を放った。


床や壁の氷が軋み、ひび割れる音が辺りに響き渡る。

精霊核の周囲に無数の光の粒が生まれ、ふわりと舞い上がった。


その光の中から現れたのは――人の形をした存在だった。


長い髪は雪のように白く、透き通った身体には無数の亀裂が走っている。


その口元から漏れる吐息は苦しげで、凍気の中へ溶けるように消えていく。

俺たちを見据える瞳もどこか虚ろで、焦点が定まっていなかった。


「……あァ……すべて……凍りつけ……」


掠れた声とともに、凍てつく冷気が辺りへ広がっていく。


「これが……氷雪の精霊!?」


思わず息を呑み、闇の剣を作りだす。


「――アァァアアアァァァァッ!!」


精霊が天を裂くような絶叫をあげると、猛烈な氷嵐が巻き起こる。

凄まじい冷気が肌を刺し、視界が一瞬で白く染まった。


吹き荒れる氷嵐の中、精霊の周囲に無数のつらら状の氷が形成されていく。

それらはまるで意志を持つかのように俺たちへ狙いを定め、一斉に射出された。


「くっ――!」


闇の剣で迫る氷を弾き飛ばす。

リリアは魔力を帯びた蹴りで氷片を粉砕し、トーラも拳を振るって次々と叩き落としていく。

俺たちはエリシアを背後に庇い、迫りくる氷雨を必死に凌いでいく。


「精霊様っ! どうか、私たちの声を――!」


エリシアの必死な声が、吹き荒れる氷嵐の中に響く。

彼女は再びハープの弦へ指を走らせた。

澄んだ音色が氷壁に反響し、幾重にも重なっていく。


俺たちは防御を崩さず、エリシアが奏でる時間を稼ぐため、迫る氷を防ぎ続けた。


精霊はなおも氷の刃を放ち続ける。

だがその動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。


チャンスか……?


一瞬そう思ったが、剣を握ったまま踏みとどまる。

今は攻める時じゃない。エリシアの旋律に賭けるしかない。


エリシアは精霊の声を聴いているのだろう。

その瞳が揺れ、口元がわずかに震える。


「……そんな、そんなこと……」


弦を弾く指が止まり、音色が途切れる。


「エリシア、なんとかならないか!?」


俺が叫ぶと、エリシアは苦しげに顔を歪めた。

ほんの一瞬の迷いの後、その瞳に決意が宿る。

そして、背から光の弓を取り出した。


「……精霊の核を――解き放ちます!」


彼女は震える手で弓の弦を引き絞り、白く輝く矢を精霊核めがけて放った。

光の軌跡が氷嵐を裂き、一直線にその中心へと突き進んでいく。


矢は精霊の胸元へ吸い込まれるように飛び、核へと突き刺さった。


轟音とともに白煌が辺りを包み込み、吹き荒れていた氷嵐を一気に押し流した。

耳を打っていた風の咆哮が途切れ、氷の刃が力なく床へと落ちて砕け散る。


精霊を包んでいた荒々しい冷気が薄れていく。

ひび割れだらけだった透き通った身体が、輝きを帯びていった。


苦しげだった吐息も、今はどこか安らいでいるように感じられる。

虚ろだった瞳がわずかに揺れ、やがてそこに穏やかな光が宿った。


俺たちは息を詰めたまま、その場から一歩も動けなかった。

激しい戦いの余韻だけを残し、辺りには静けさが広がっていく。


「……どうして核を?」


無意識に声を抑えていたのか、自分でも驚くほど低い声が出た。


「……精霊様は、もう長くは持たないと。だからご自身の意思で、解放を望まれたのです」


エリシアの声は震えていたが、その瞳に迷いはなかった。


「最後まで、この地を想っておられました……私たちの手で、安らぎを与えてほしいと」


その言葉に、胸の奥が重く締めつけられる。


「でも、そんなことしたら……加護が得られなくなるんじゃないの?」


リリアの問いに、エリシアははっきりと首を横に振った。


「その心配は……ありません」


「なんでそう言い切れるんだ?」


トーラが訝しむように片眉を上げる。

エリシアは答えず、ゆっくりと精霊核へと歩み寄った。


氷の結晶にそっと手を添えると、光が彼女の指先から核へと流れ込んでいく。

まるで大切な誰かに別れを告げるような、慈しみに満ちた仕草だった。


「……眠ってください。あなたが守ってきたこの地は、必ず私たちが引き継ぎます」


彼女の祈りのような声に応えるように、核がかすかに脈打った。


核からきらきらと輝く氷片が、ほろほろと舞い上がる。

冷たいはずのその光景が、不思議と温もりを感じさせた。


やがて、核は儚く砕け、その中心から手のひらほどの小さな結晶の蕾が姿を現した。

その蕾は、新たな命の鼓動を刻むように、かすかに脈打っていた。


「……これは?」


俺が呟くと、エリシアは頷いた。


「精霊様が残してくださった、新しい命の種子です。いつの日か、この地を守る新たな守護者が芽吹くでしょう」


俺たちは何も言わず、その小さな蕾を見つめた。

戦いも、別れも、そしてこれからの未来も、すべてがその小さな蕾に託されているように思えた。


誰ともなく歩き出した。

その場を後にし、氷の聖域の入り口へ戻ると、外の空気は驚くほど澄んでいた。

先ほどまで響いていた嵐の唸りは消え、目の前には穏やかな雪景色が広がっている。


「……精霊様の最後の加護です。この力が残っている間、もう寒波や吹雪に怯える必要はないでしょう」


エリシアの声は、澄んだ空気に溶け込むように柔らかく響いた。


雪原を渡る風は、今や優しい囁きのように、そっと頬を撫でていく。

俺たちはその景色を胸に刻みながら、帰路についた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。