蛇と魔法と終わりなき渇望②
理事長室を後にして、俺たちは学院内の廊下を歩いていた。
「まずは、倒れた生徒たちの様子を見てみましょう」
セレナが先導しながらそう言う。
リリアはのんびりと、俺は若干緊張気味についていく。
(……正直、ちょっと怖いな)
魔力消失って、一体どんな状態なんだろうか。
想像するだけで、喉がカラカラになる。
そんな思いを胸に抱えながら、重厚な木製のドアの前で立ち止まった。
扉には「医務室」と刻まれたプレートがかかっている。
セレナが軽くノックし、中に声をかけた。
「失礼します。患者の様子を見せていただきたいのですが」
「どうぞ、お入りください」
中から、明るく爽やかな声が返ってきた。
ドアを開けると、そこは広々とした医務室だった。
柔らかな日差しがカーテン越しに差し込み、白いベッドがいくつも並んでいる。
そのいくつかに、生徒たちが静かに横たわっていた。
全員、まるで深い眠りに落ちたかのような無表情で、微動だにしない。
それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「おや、珍しいお客様ですね」
振り向いた先にいたのは、一人の男性教師だった。
長身で、優しげな笑みを浮かべたその人は、
白衣の上にきちんとした青いローブをまとい、どこか柔らかな雰囲気をまとっていた。
「私はリース・グランヴィル。この学院の保健医です。よろしくお願いします」
彼は丁寧に頭を下げた。
その爽やかな仕草に、俺もつられてぺこりと頭を下げる。
「こちらこそ……カケルです」
「リリアよ。よろしく」
「ごめんなさいね、急に患者が増えてしまって」
セレナも珍しく、少しだけ低姿勢だ。
「いえいえ、お気になさらず。彼らの回復のためなら、私もできる限りのことをしますから」
リース先生はにこやかに笑った。
……が、生徒達に視線を向けたとき、一瞬だけ――
言葉にできないような、冷たさがその目に宿った気がした。
(……気のせい、だよな?)
俺は自分に言い聞かせながら、視線を外す。
「先生、この子達は、ずっとこんな状態なんですか?」
俺の問いに、リース先生は静かに頷いた。
「はい……目覚める気配は今のところありません。
魔力の枯渇による、いわば“深層昏睡”状態に近いかもしれません」
「深層昏睡……」
初めて聞く言葉だ。
その言葉の重たさに、自然と息を呑む。
「ただ……」
リース先生は一瞬、言い淀んだ。
そして、やや申し訳なさそうに言葉を続ける。
「これほどまでに魔力が抜けきるのは、通常の病では説明できません。
……何らかの“強い外的要因”があったと考えるべきでしょうね」
「強い外的要因……って?」
俺が聞き返すと、リース先生は淡く微笑んだ。
「……魔力を、吸い取る何か、です」
その言葉が、医務室の空気をひやりと冷たくする。
「もっとも、それはまだ仮説に過ぎません。
ご安心ください、必ず原因は突き止めますから」
リース先生は、そう言って穏やかに微笑んだ。
けれど――
その笑みの奥で、何か別のものが潜んでいる気がして、俺は思わず背筋を伸ばした。
(……なんだ、この違和感)
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「それじゃあ、何か情報が見つかりましたら、報告に来てくださいね」
リース先生は最後まで柔らかな笑みを崩さずに、俺たちを送り出してくれた。
軽く頭を下げて、俺たちは医務室を後にする。
廊下に出た瞬間、俺は思わず小さくため息をついた。
「……なあ、リリア。セレナ」
「なに?」
リリアが首をかしげ、セレナは腕を組みながらそっぽを向いて答える。
「リース先生って、優しそうだけど……なんか、変な感じしなかった?」
俺の問いかけに、リリアは一瞬だけ考え込むような顔をした。
「変っていうか……確かに、ちょっと言葉を選びすぎてる感じはあったかも?」
「私は特に感じなかったけど」
セレナはバッサリと言い切る。
「アンタが疑り深いだけじゃないの?」
「……かもな」
俺は苦笑いしながら首をすくめた。
本当は、あの時見た、あの一瞬の表情が頭から離れなかった。
でも、証拠があるわけじゃない。
それに、今は犯人探しよりも、魔力消失事件の原因を突き止める方が先だ。
(今は、余計なことに気を取られてる場合じゃない)
自分にそう言い聞かせながら、
俺たちは調査のため、学院内を再び歩き始めた。
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「それじゃ、調査開始ね」
学院の中庭に戻った俺たちは、早速聞き込みを始めることにした。
「とりあえず、“最近急に様子が変わった人”を中心に当たろう」
「……そっちの担当、アンタに任せるわ」
セレナが素っ気なく言う。
まあ、わかってたけど……あの態度じゃ、誰も話してくれないだろうな。
「はいはい、俺とリリアでがんばりますよーっと」
リリアと顔を見合わせて苦笑いする。
そんな俺たちの様子に、リリアがふわっと笑った。
「私は女子生徒を中心に聞いてみるわ。カケルは男子をお願いね」
「了解!」
分担を決め、それぞれ別れて情報集めを開始した。
「最近、誰か急に変わったとかって聞いたことない?」
俺は学園の片隅でくつろいでいた男子生徒に声をかけた。
ちょっと警戒されるかと思ったけど、意外とすんなり答えてくれる。
「うーん……ああ、ユアンって知ってる?」
「ユアン?」
「三年生だよ。あいつ、前は魔法まったくダメだったんだけど……最近、なんか急に化けたって噂だぜ」
「急に?」
「うん。前は授業中に爆発とかよく起こしてたのに、今じゃ教員顔負けって感じだし。正直、俺らもびびってる」
男子生徒は肩をすくめながら苦笑する。
「すごいっちゃすごいけど……なんか、前とは別人みたいで、ちょっと怖いんだよな」
「……そっか。教えてくれてありがとな」
手を振って別れた後、リリア達と合流するため中庭に戻る。
リリアもいくつか情報を拾ったらしく、すぐに声をかけてきた。
「どうだった?」
「“ユアン”って生徒が怪しいって話を聞いた。
前は落ちこぼれだったのに、ここ最近、魔法の才能が急に開花したらしい」
「……なるほどね」
リリアは静かに頷き、すぐ近くにいたセレナに視線を送った。
「セレナは?」
「別に。特に有益な情報はなかったわ」
腕を組んだまま、セレナはあっさりと言い捨てる。
「でも、“急激な才能の開花”っていうのは、確かに引っかかるわね」
セレナがそう呟くと、蛇の髪の一匹がぴくりと動いた。
(魔力消失事件と関係あるかもしれない……)
俺たちは無言で頷き合い、次の行動に移ることにした。
目指すは――
噂の生徒、ユアンを探すこと。
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「よし、まずはユアンを探そう!」
そう言って、俺たちは学院内を手分けして歩き回ることにした。
だが――
「いないな……」
「ここにもいないみたい」
「どこに隠れてんのよ」
しばらく探し回っても、ユアンの姿は見つからなかった。
(おかしいな……普通に授業受けてるとか、そういうんじゃないのか?)
学院は広い。寮棟もあるらしいし、授業の合間にどこかに消えてても不思議じゃない。
とはいえ、これだけ探しても見つからないのは妙な話だ。
「少し休憩しない? こっちのカフェテリアで」
リリアが提案して、俺たちは学院内のカフェスペースへと向かった。
「……にしても、最近おかしいよな」
近くのテーブルでは、数人の生徒たちが雑談している。
耳を傾けると、どうやら魔力消失事件について話しているらしい。
「また一人倒れたって聞いたよ」
「マジで? どこで?」
「図書館の奥の、閲覧室だってさ」
(図書館……!)
思わずセレナとリリアと顔を見合わせる。
「……偶然、じゃないわね」
セレナが小声で言う。
「私たちが行った場所だし」
「もしかして、ユアンもそこに?」
「可能性はあるな」
少なくとも、ユアンの行動範囲に何かヒントがあるかもしれない。
「よし、もう一度図書館を調べてみよう!」
俺達は立ち上がり、再び学院内を駆け出した。
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再び訪れた図書館は、昼間だというのに妙に静まり返っていた。
(……こんなに静かだったっけ?)
空気がどこか重たい。
まるで、図書館全体が息を潜めているみたいだ。
「閲覧室って、奥のほうだったよな」
「ええ、確かあっちの廊下を進んだ先よ」
リリアに案内されながら、俺たちは奥へと足を踏み入れる。
──ガチャリ。
閲覧室の扉を開けた瞬間、ふわりと冷たい空気が頬を撫でた。
中には誰もいない。
けれど、その静けさがかえって不気味だった。
「……なんか、寒くない?」
「魔力の残滓かしら」
セレナがぽつりと呟く。
「魔力の残滓?」
「強い魔力が使われた場所には、しばらくこんな余韻が残るの。
ただ、普通の魔法使いじゃここまではならないわよ」
(つまり……)
誰かが、ここで何か異常なことをやった――ってことか。
俺たちは慎重に室内を探り始めた。
──しばらく探していると、
リリアが閲覧室の隅で何かを見つけた。
「カケル、こっち!」
急いで駆け寄ると、リリアが指差した先には、
落ちた紙片がひとつ、ひらひらと床に転がっていた。
拾い上げてみると、そこには雑な走り書きがあった。
「もっと……もっと力を……」 「止めたくない……!」
震えるような字で、そう書かれていた。
「……誰かの、メモ?」
「筆跡からして、生徒のものね」
セレナが冷静に分析する。
「でも、これ……」
リリアが呟く。
「まるで、何かに取り憑かれたみたい」
背筋がぞわっとする。
「……もしかして、ユアン?」
可能性は高い。
だとしたら、彼は――
(魔力を欲しがっている? それとも、何かに操られてるのか?)
考えれば考えるほど、嫌な予感が募っていく。
「とにかく、この痕跡を手がかりに探しましょう」
セレナがピシャリと言う。
「それと、もう一度生徒たちの証言を集め直すわよ。
ユアンについて、もっと詳しく」
「了解!」
俺は紙片をそっと胸ポケットにしまい、再び学院内へと走り出した。
事件の真相に、ほんの少しだけ、近づいた気がした。