誓いの刃と、揺るがぬ瞳⑤
登場人物
カケル
種族:人間
主人公。異世界に召喚された青年
リリア
種族:サキュバス
魔王アビスの側近。カケルの監視役でもあり案内役。
セレナ
種族:メデューサ
アインベルグ魔法学院を主席で卒業し、主に攻撃魔法を得意とする。
ヴァネッサ
種族:ヴァンパイア
とある古城に独り住んでいた。幻術を得意とする。
ライア
種族:リザードマン
流浪の剣士。エルザとは幼馴染。
エルザ
種族:サイクロプス
鍛冶職人。ライアとは幼馴染。
俺は控室を出て、人気のない裏手の準備エリアへ足を運んでいた。
戦いの余韻で火照った身体を落ち着けるため、そして、次の一戦に備えて剣を磨くためだ。
仮設の鍛冶場には、試合で使われる武器の修繕や整備を行うスタッフが出入りしており、
選手の一部も道具の最終チェックに訪れる場所だった。
静かに息を吐きながら、俺は台の上に剣を置き、ゆっくりとそれに目を落とす。
刃に傷はなく、刃こぼれも見当たらなかったが、そうして向き合うだけで、不思議と心が整っていく気がした。
「……あの」
控えめで、けれど耳に残る柔らかな声が、背後から届いた。
振り向けば、道具箱を抱えたサイクロプスの魔物娘エルザが立っていた。
「……エルザさん?どうしてここに?」
名前を呼ぶと、彼女はわずかに目を丸くし、すぐに小さく頷いた。
「…隣、いい?」
「あ…ああ。もちろん」
彼女は俺の隣の作業台に腰を下ろし、無言で剣の手入れを始める。
金属と砥石の擦れる音だけが、静かに空間に響いた。
ふと、彼女がこちらに顔を向けた。
大きな一つ目が、まっすぐに俺を見ている。透明感のある瞳だった。
視線がぶつかっても、どちらも逸らさなかった。
言葉の代わりに、その静けさの中で何かが確かに伝わってくるような気がした。
「…さっきの試合、見てた。アグナの動きを…止めたところ」
「…あ、ああ。ギリギリだったけど、なんとかね」
不意に我に返り、言い訳のように言葉を継ぐ。見つめ合っていたことに、遅れて恥ずかしさが込み上げてきた。
「次、ライアでしょ。…あの子、手を抜いたら、嫌う」
「…勿論、本気で迎え撃つよ」
ふとエルザの手入れしている剣に目がとまる。
「その剣はライアの?」
「そう…私が作ったの」
その返答は短くて静かだったけれど、わずかに滲む熱が感じられた。
言葉の後に続く、ほんの一拍の間。誇りが、そこにあった。
「へぇ…すごいな」
思わず口に出していた。
鍛冶に詳しいわけじゃない。でも、自分で作った剣を誰かに託すという行為が、
どれだけの想いを伴うのか――それくらいは、何となくわかる気がした。
少しだけ間を置いて、俺は続けた。
「なんていうか、戦ってる時のライアって…ただ強いだけじゃないって思ったんだ」
エルザの手が止まる。視線は伏せたままだが、ほんの一瞬、気配が変わった気がした。
「信念、みたいなのがあって剣を握ってるように見えたんだよ」
「それって、君がライアに託した想いでもあるじゃないかってね」
言いながら、自分でも少し照れくさくなった。
うまく伝わったかわからないけど、ただ感じたままを、言葉にしただけだった。
ふと横を見れば、エルザがじっとこちらを見ていた。
無言で、まっすぐに。
その大きな一つ目が、驚きと…どこか揺れる光をたたえていた。
心臓が、ひとつ跳ねた気がした。
どうしよう、何か変なことを言ってしまっただろうか。そんな不安がよぎる。
「ご、ごめん。…一人で喋っちゃって」
照れ隠しのように頭をかいた。
でも、どこかで…その視線から、目を逸らしたくなかった。
そのときだった。
そっと、温もりが伝わってきた。
気づけば、俺の手の上に、グローブを外した彼女の手が重なっていた。
(…え?)
細くて、冷たくて、でも確かな温度がそこにあった。
視線を上げると、エルザは何も言わず、ただ静かにこちらを見つめていた。
一つ目が揺れている。けれど、その奥には、迷いとは別の、強い“想い”があった。
鼓動が高鳴る。呼吸のリズムが、少しだけ狂った。
でも、不思議と、嫌じゃなかった。むしろ受け止めたいと思った。
「…怪我、しないで」
声はかすかに震えていた。けれど、そこに込められた熱は確かなものだった。
彼女はすぐに手を離し、道具箱を抱え直すと、それ以上何も言わずに背を向ける。
遠ざかっていく足音のなかで、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
鼓動はまだ早く、手のひらには彼女のぬくもりが残っている。
(…不器用で…でも、優しいな)
その背中を見送る俺は、胸の奥に灯ったものを言葉にできないまま、静かに息を吐いた。
◇ ◇ ◇
いよいよ、ライアとの対決の時だ。
俺は闘技場の中央に立ち、ライアと対峙する。
真っ直ぐに構えたその姿は、無駄がなく研ぎ澄まされていた。
鋭い目つき、揺るがぬ気配。剣を構えたまま、彼女は一歩、俺の方へ踏み出した。
「…小手先の技は、私には通じない」
「正面から来い。真正面の勝負で、私にお前の意志を示してみろ!」
堂々とした声が、観客席にまで響き渡る。
その目に宿るまっすぐな光に、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「…望むところだよ」
剣を構え、呼吸を整える。
やがて試合開始の合図が鳴り響いた。
刹那、ライアが地を蹴った。
瞬間的に迫るその動きは、見た目以上に速い。
咄嗟に剣を構えると、彼女の斬撃が重く叩き込まれる。
「……ッ、重い……!」
剣と剣が激しくぶつかり合い、火花が散る。
(押されてる……!)
鋭さも、力も、迷いのなさも……すべてが俺を上回っていた。
攻撃を弾かれ、踏み込もうとしてもすぐに距離を詰め返される。
リズムを掴めないまま、徐々に追い詰められていく。
「どうした!受けているばかりじゃ、つまらないぞ!」
ライアは息を切らすことなく叫ぶ。口調は厳しいが、どこか期待を込めた響きがあった。
「そっちが強すぎるんだよ……!」
「なら、力で応えるしかないだろう!」
「っ……!」
再び剣を交える。今度は俺の一撃に、彼女が目を見開いた。
だがそれでも、軽やかに受け流される。
「悪くない!でも、それじゃ届かない!」
「ちっ……!」
斬り結びながら、俺の剣は押され続ける。
鍔迫り合いに持ち込むも、力比べでは分が悪い。
「いい目をしてるな。だが今のお前は、“想い”だけが先を走っている」
ライアの言葉が突き刺さる。
技術も、覚悟も、すべて“本物”の彼女に、俺の未熟さがあらわになる。
「それでも……俺は、負けたくない!」
叫びながら踏み込む。全身の力を込めた一太刀。
だが、ライアはそれを真正面から受け止め、鍔と鍔がぶつかり合う。
「もっとお前の全力を見せてみろ!」
互いに譲らぬ力比べの中、闘技場の空気が熱を帯びていく。
観客席からも大きな歓声が上がる。
──だが、その熱気の中に、妙な違和感が混じっていた。
「……?」
どこかから、ざわめきが聞こえた。
一瞬、俺とライアは同時に剣を引き、視線を外に向ける。
ふらついた足取りで、男が闘技場の敷地内に入ってきていた。
「な……?」
剣を腰に提げてはいるが、まるでそれを扱える様子はない。
手はだらりと垂れ、足取りは覚束ない。
顔色はひどく悪く、虚ろな瞳で、こちらを見ていた。
「おい君!勝手に入ってきちゃダメじゃないか!」
スタッフの一人が駆け寄り、制止に向かう。
だがその瞬間だった。
男が胸を押さえ、突然苦しみ出した。
膝をつき、呻き声をあげながら、地面に手をつく。
「た……たすけて……くれええええええええ!」
その絶叫と同時に、彼の身体から黒い粘液のようなものが噴き出した。
「なっ……!」
観客席から悲鳴が上がる。スタッフ達は慌てて距離を取る。
粘液は勢いよく噴き出し、男の全身を包み込んでいく。
「うわああああああ!た、助け――!」
近くにいたスタッフが巻き込まれ、粘液に飲み込まれていく。
俺が駆け寄ろうとした、その時。
「ダメだ!近づくと危険だ!」
ライアが叫び、俺の腕を引き止める。
剣を構え、すでに異常に対応する姿勢をとっていた。
次の瞬間、男を包んでいた粘液がはじけ飛ぶ。
黒い飛沫が、闘技場内と観客席の一部にまで飛散する。
「くそっ……!」
目の前で粘液に包まれるスタッフ。
やがて、粘液がぐにゃりと形を変えながら、
人一人が入るほどの黒い人影へと姿を変え始める。
──そして、その“人影”の腕から、
禍々しい剣のようなものが、ずるりと生えてきた。
(なんだ、こいつは……!)
闘技場の空気が、明らかに変わっていた。
粘液に包まれていた人影が、ずるりと形を変えた。
黒く濁った人型の輪郭。腕からは、金属のような質感を持つ剣のような器官が生え、
それはもはや人の姿とは呼べないものだった。
その“何か”が、ゆっくりと顔を上げた。
目のように見える窪みが、無機質な光を放ち、こちらをじっと見つめている。
──そして。
闘技場のあちこちで、同じような異変が次々と起きはじめた。
「う、うわあああああっ!」
「た、助けてくれぇ!」
観客席の一部から悲鳴と怒号が混じり合い、爆発的に広がる。
黒い粘液に触れた者たちの身体が、まるで感染でもしたかのように包み込まれていく。
悲鳴は咳に変わり、咳はうめき声に。
そしてそのうめきも、やがて言葉を失い──人の形が崩れていった。
「っ……くそ、まさかこんな……!」
俺は奥歯を噛みしめる。
さっきまで平穏だったはずの試合会場が、
一瞬にして混沌と恐怖の渦に呑み込まれていた。
◇ ◇ ◇
余は目を細める。
あの男――いや、あの異様な気配。見間違えるはずもない。
先日、屋根の上から垣間見た得体の知れぬ者…まさか、今ここで再び出会うとはな。
その男が今、カケル達の試合に乱入し、謎の粘液をばらまいて会場を騒然とさせている。
ふん、ただの勘違いかと思っていたが…どうやら、見逃すには惜しい獲物だったようだな。
「こっちよ、急いで!」
リリアがその羽根を翻し、滑るように群衆を導いていく。
その瞳には、いつもの妖艶な微笑みはなく、凛とした静かな強さが宿っていた。
まったくあの娘は本気を出すと、やたらと頼もしいのだ。
混乱する観客達の中を、彼女は驚くほど冷静に誘導している。
「前方の階段を使って!落ち着いて!」
セレナの鋭い声が空気を切り裂き、怯えた人々の意識を繋ぎとめた。
彼女は転びそうになった子供を抱き上げると、そのまま駆け抜ける。
ふむ、意外と面倒見がいいのだな。
「……無差別か、まったく……汚らわしい真似を」
余は冷ややかに吐き捨て、観客席に現れた黒い影の一体へと視線を向けた。
その黒影が、まるで本能に突き動かされるようにこちらへと襲いかかってくる。
動きは粗く、殺意だけが剥き出しだった。
「…遅い」
余はひらりと身をかわす。
裾が舞い、足元の砂埃がうっすらと軌跡を描く。
刃が空を裂き、床を深く削ったが…ふふ、惜しいな。
「ふむ…取り込んだ者の能力に依存しているようだね」
独り言のように呟きながら、奴の動きを冷静に見極める。
次の一撃も、さらに続く一太刀も、まるで舞でも踊るように避けてみせる。
が──
「何遊んでるのよ!ちょっとは反撃したらどうなの!?」
セレナの怒声と共に、火球が一閃。黒影の肩を撃ち抜いた。
ふむ、彼女は本当に怒ると怖いな。
「そうしたいのは山々だがな。余は昼間の戦いは不得手でね、実に不本意ながら力が半減するのだよ」
「はぁ!?それを先に言いなさいよね!」
「余も好きでこの時間に活動してるわけではないのだがね」
ふふ…言い合いの最中でも、セレナの瞳が妖しく光り始める。
石化の魔眼が、奴を睨み据えた。
一方、リリアは空中へと舞い上がり、全体の状況を掌握しようとしている。
その羽ばたきは、群衆の不安をわずかに和らげていた。
ああいう所、実に見事だ。
「この場は、私達が守る……行くわよ、カケル。任せて!」
彼女の声が、澄んだ鐘の音のように場内に響く。
……さてはて。ここからが本番、というわけか。