その後
◇
執務室の扉が閉まると、そこは一瞬にして極寒の地へと化した。
クヴァレは、手にした資料を握りしめたまま、その場から動くことができない。殺気などという生易しいものではない。アイスベルクの背後に、物理的に目に見えそうなほどの暗黒のオーラが渦巻いていたからだ。
「ベル……ク……?」
恐る恐る声をかけると、アイスベルク様はゆっくりとこちらを向いた。
その顔には、完璧な――しかし、瞳に光が一切宿っていない、凍りつくような笑顔が貼り付いていた。
「……殿下。大変ご多忙な国王陛下が、わざわざ宰相の私的な執務室にまで足を運ばれるとは、感服いたしました」
アイスベルク様の口調は、この上なく丁寧で優雅だった。だが、その一言一言が、鋭利な刃物のようにクヴァレ様の首元へ突きつけられる。
「……あ、いや。その、例の件について……」
「例の件、ですか。……なるほど」
アイスベルク様は一歩、また一歩と優雅な足取りで近づいてくる。
「人の部屋、もとい執務室に無断で侵入し、あまつさえ私の最も寛ぎの時間を無作法に破壊された、その『例の件』について……ですか?」
「ち、違うんだベルク! ちょっとノックを忘れただけで……」
「そうですか。ノック、という簡単な作法すらも忘れてしまうほど、国王陛下は公務でお疲れなのですね」
笑顔を深めたまま、アイスベルク様の声のトーンが一段と低く、冷たくなった。
「ならば、なおさらです。休息が必要なようですね。……明日から、現在の執務の倍量をこなしていただく。それが陛下のためであり、王国のためです。ご不満はありませんね?」
「……っ!?」
拒否権など端から存在しない、慇懃無礼な宣告。クヴァレ様は蛇に睨まれたカエルのように震え、青ざめた顔で「は、はい……」と頷くことしかできなかった。
◇
一方、王宮の庭のアーチの下。
私は荒い息を整えながら、冷えた石造りの柱に額を押し当てていた。
(ああああ……もう、どうしましょう……!)
頬の熱が引かない。それどころか、先ほど唇を撫でられた感触が、脳内で何度も何度も再生される。
「……っ! あんなの、ずるい……!」
逃げ出しても、あの時のアイスベルク様の朱色の瞳が、耳元で響いた囁きが、私を追いかけてくる。
あの甘い空気、彼が私だけに見せたあの表情。今まで感じたことのない、心臓を締め付けられるような感覚が、今の私を支配していた。
「まだ……まだ、鼓動がうるさいわ」
心臓の音を隠すように両手で胸を抑えるが、逃げ込んできたはずの庭の静寂さえも、今の私には騒がしく感じられた。
これから先、彼に会ったとき、私はどんな顔をすればいいのだろう。考えるだけで、再び顔が真っ赤に燃え上がるのを感じた。
(……せめて、今は誰にも会いませんように。この顔を見られたら、きっと何かを勘ぐられてしまう……!)
◇




