表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍翼のディオスクロイ  作者:
十一章
64/66

 勝鬨の声を背に聞きながら、駆ける。

 金切り声じみた断末魔が鳴りわたったとき、無力化された護神兵は散り散りに逃げ出した。剣一つで使命を果たそうとした者たちもじきに捕えられるだろう。残るは幕引きの方法を探るだけだ。その騒ぎの裏に隠れるようにして、ラケイユは王宮を抜け出していた。

 護神兵らの身に何が起こったのか。想像するのは容易い。

 法術はかき消され、護符はその意味を失った。力の源が消えうせたためだ。ディルカメネス全域にまで響いたであろう叫び声を、命龍のものだとするならば納得がいく。

 ならば彼女は剣を取ったのだ。

(ハルミヤ)

 銀龍は国を裏返し得る駒だった。それと盟約を交わしたハルミヤもまた。他に方法はない、逆らえないと知っていて、ラケイユは彼女を王宮に引き込んだ。善良な助力者の皮をかぶりながら、足場なき少女を利用したのだ。

 残された結末は二つ。ハルミヤが死ぬか、エツィラが死ぬか――王家が滅びるか、神殿が滅びるか。ハルミヤを選択へと導いたのもまたラケイユ自身だ。

 法術が失われたことが、まま、彼女の答えだった。王宮の前庭が静まり返ったあの一瞬を、ラケイユはこの上ない怖気とともに迎え入れたのだ。

 望まれていた――そして望んでもいた筋書きだった。命龍は死を迎え、神殿は役割を終えた。国の全権は再び王の掌に委ねられ、ディルカメネスは王国の名を取り戻す。しかし上がった喝采、活気を取り戻す兵たちの歓声を聞いても、ラケイユの体の震えは止まらなかった。


「――――」


 足が鈍ったのは、声が届いたからだった。

 変わりない景色だ。まき散らされた瓦礫、それを埋めて生い茂る草花。かれらは穏やかな空気の中にあって、憂うように葉を揺らす。風は葉をこすりあわせるには弱く、静寂をもって修道院を過去に沈めていた。

 けれども、泣き声だけは。

 声の殺し方を知らない彼女の泣き声だけは、誰の耳にも止まらず、誰の目を引くこともしないまま、蒼空の彼方へと昇っていった。

 小さな背中だ。何度となく見送り、遠目に眺めた背中だった。いつ崩れ落ちても不思議ではなく、また座り込んでしまうことを望んでもいた。ようやく草原の上に折りたたまれた足はあまりにも細く、裸足の足裏には幾重もの切り傷が残っていた。厚い皮膚に覆われたその足は、途方もない数の亡骸を踏んできたのだろう。

 彼女の腕の中には、もう、なにもなかった。

 膝をつく。なにかを抱えていたかのように曲げられた腕ごと、彼女を背から抱きしめた。細い骨格がぴくりと跳ねても、嗚咽は途切れることなく溢れていった。

「ハルミヤ」

 泣き方を知らない少女だった。誰を呼ぶこともできない少女だった。ゆえに響いた嗚咽は、弔いの他には意味を為さなかった。ひとりで泣いて、二度と立ち上がることはないのだろうと思った。

「終わった、終わったんだ。もうきみは走らなくていいんだ」

 何を言ったところで、彼女には届いていないのだろう。

 ラケイユはこぼれ落ちる涙を拭ってやることもせず、その声だけに耳を澄ましていた。

「椅子を用意する。ほかのなによりも高いところに、用意するから」

 星が落ちる。人の手の上に。

 赤い光が瞳を焦がすようで、目を開いてもいられなかった。

「俺の隣に、座ってくれないか」

 少女の腕が解かれた。抱いた名残すら解き放つかのように。途端に一際強い風が吹き抜けて、その胸の中を攫っていく。

 ――おやすみ、エツィラ。

 掠れた声が、空に融けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ