六人目を数える
三つ目の踊り場で、ガロウの足が止まった。
右腕には、青い紐を手首へ結ばれた小さな身体がある。肩へ回された腕の重みも、浅い呼吸が首筋へ触れる感覚も消えていない。それなのにガロウは、自分が何を運んでいるのか確かめるように腕の中を見下ろした。
「……俺たち、何人だった」
カイは答える前に、自分の記憶を疑った。先頭に自分。後ろにミナ、セレス、リゼット。最後尾にガロウ。その腕の中に、礼拝堂の床下から救い出した一人。数えれば六人だ。だが「誰を」と考えた瞬間だけ、輪郭の中央が抜け落ちる。
「五人と、運んでいる一人。合計六人だ」
名前を探さず、今ある事実だけを言う。ミナがすぐ青い紐を握り直した。紐の片端は救助対象の手首、もう片端はミナの左手へ二重に巻かれている。ガロウが抱えている重さを忘れても、紐が一人分の存在を引き戻すためだった。
セレスは二枚の地図を重ねず、別々の板へ固定していた。学園側の測量図は左手、礼拝堂で見つけた地図は右手。二枚を近づけると、間にあった十二歩の空白が消え、床下の部屋も、青い紐の一人も最初から存在しなかったように記録から抜け落ちる。だからリゼットが二枚の間へ鞘を横たえ、指二本分より近づかないよう保っていた。
「記録を更新します。移動者五名、運搬対象一名。総数六。対象の固有名、年齢、所属は記録不能。身体所見は呼吸あり、右足首に擦過傷、低体温の疑い」
セレスが読み上げた文字は、最後まで板に残った。名前を書こうとした欄だけは、墨を置いた端から白く戻る。彼女は空欄を埋めず、その周囲へ四角い枠を描いた。
「空欄は一件。消去禁止」
アステリアの投影は階段の壁へ淡く揺れていた。白銀の髪も星の杖も向こう側が透けている。彼女は踊り場の前後へ二つの観測点を置いたが、救助対象の位置だけは光点にならなかった。
「観測できる生命反応は五。床へ加わっている荷重は六人分。観測値と物理値が一致しません」
「見えないから五人に直す?」
ミナの声には、礼拝堂で見つけた生活の跡を消されたくない怒りがあった。アステリアは星の杖を下げ、首を横へ振った。
「訂正しません。観測できない一人が存在する可能性ではなく、六人分の荷重がある事実を保持します」
その答えを確認し、カイは階段の上へ目を向けた。次の区画までは、本来なら二十段。だが学園側の地図では十六段で壁に突き当たり、礼拝堂の地図では二十八段先に扉がある。二枚を重ねれば、どちらも二十段の直線へ整ってしまう。整った地図ほど、今は信用できなかった。
「セレス、二枚を見比べないで、左の地図だけ説明して」
「十六段目で右壁。壁の裏に保守空洞の記号があります」
「リゼット、右の地図だけ」
「二十八段目に扉。十七段目から二十七段目までは、階段ではなく空白よ」
カイは十六段目と二十八段目の間を頭の中で重ねなかった。片方の壁と、片方の空白。その間に、二枚が消そうとする十二歩がある。
「十六段目で止まる。壁を壊さず、音だけ確かめる」
五人は一段ずつ上がった。ミナは青い紐を緩ませず、セレスは左の地図だけを見て段数を数える。リゼットは三呼吸ごとに後方を確認し、ガロウは救助対象の呼吸へ歩幅を合わせた。カイは先頭で、一歩ごとに踵を石へ置いた。黒影歩なら一息で抜けられる距離だが、認識が欠ける場所で先へ出れば、後ろの一人を数え直せなくなる。
十六段目に着く。正面には地図どおり石壁があった。継ぎ目も取っ手もなく、古い湿気だけが表面を黒く染めている。
カイは剣を抜かず、黒い鞘の先で壁を軽く叩いた。一度目は鈍い。半歩右は同じ。左へ一歩移ると、音が奥へ抜けた。
「空洞がある」
ガロウが救助対象を抱えたまま耳を寄せる。
「壁の向こうで、水が落ちてる。近い」
ミナの手の青い紐が、下ではなく壁の方へ引かれた。意識を失っていると思っていた小さな指が、わずかに紐を握ったのだ。瞼は開かない。それでも、戻る道を知っているように、指だけが二度動いた。
「この先?」
ミナが尋ねても、返事はない。名前を呼んで反応を確かめることもできない。カイは問いを変えた。
「上へ帰る道なら、一度。下へ戻る道なら、二度握って」
青い紐が、一度だけ引かれた。
ガロウの腕の中にいる一人は、話せなくても選べる。カイはその選択を地図より先に置いた。
壁を斬る必要はなかった。十六段目の左端には、石粉で埋まった細い溝がある。ミナが拳大の《火花》を灯し、熱を上げずに陰影だけを作る。セレスが溝の走りを記録し、リゼットが全員の同意を取って《蒼律》へ一つだけ条件を表示した。
「条件は『六人で通過する』。救助対象には術式を向けません。私たち五人が、一人を置かずに動くための条件です。同意しますか」
カイ、ミナ、セレス、ガロウが順に頷く。リゼット自身が最後に同意すると、青い文字は五人の視界へだけ浮かんだ。六人目を拘束せず、五人の判断を同じ数へそろえるための使い方だった。
カイは溝へ鞘の先を差し込み、基本剣術の短い捻りだけを加えた。石壁の一部が内側へ半寸沈み、音もなく横へ滑る。現れた通路は人一人が横向きで通れる幅しかない。奥には十二枚の薄い足場が並び、その下を黒い水が流れていた。
アステリアの二つの観測点が、一枚目と十二枚目へ置かれる。だが中央の足場は数えるたびに十一枚になり、次の瞬間には十三枚へ増えた。
「視覚上の枚数が安定しません。荷重記録では十二枚です」
「なら、一枚ずつ踏んだ結果だけ残す」
カイは最初の足場へ通常歩法で乗った。体重をかけると、石板の縁が白く光る。セレスが一と記録する。二枚目。三枚目。後ろから同じ順序でミナ、リゼット、セレスが続き、ガロウは最後に一人分の重さを抱えて入った。
七枚目で、通路の入口が閉じ始めた。
石壁が戻り、ガロウの背へ迫る。彼は救助対象を片腕へ寄せ、空いた左肩で壁を受けようとした。
「受けないで! 右腕もまだ完全じゃない!」
ミナが叫ぶ。ガロウは歯を食いしばりながらも、肩を壁へ入れる直前で止めた。代わりに足場の中央へ身体を寄せる。しかし一人分の重みが加わった瞬間、八枚目の石板が沈み、前後の足場が逆向きに傾いた。
カイは振り返った。虚空掌握なら一対象を三秒だけ支えられる。だが石壁と十二枚の足場を同時には扱えない。蒼天鎧で全員を覆えば、狭い通路へ反動が返り、救助対象を壁へ挟む可能性がある。
必要なのは、閉じる壁を止めることではない。六人分の重さを十二枚へ分け、出口まで運ぶことだ。
「ガロウ、その場で抱え直さないで。重さが一枚へ集まる。ミナ、青い紐を前へ。リゼット、俺たち五人へ『一歩ずつ』を追加できる?」
「条件変更には全員の再同意が必要よ!」
「取って!」
リゼットが短く説明し、四人の返事を受ける。青い表示が『六人で通過する』『一歩ずつ』の二条件へ変わった。強制ではない。焦りで走り出さないための共通確認だ。
ミナが青い紐を前へ引くのではなく、たるみだけを取った。救助対象の腕を引かず、ガロウの次の足場を示す。セレスは石板の沈みを数え、荷重が戻った板だけを告げる。
「五枚目、復帰。六枚目、まだ沈下。ガロウ、左足を五枚目へ」
ガロウが従う。救助対象の重みが二枚へ分かれ、八枚目の傾きが戻った。
閉じる壁は、もう腕一本分まで迫っている。カイは黒影歩を一歩だけ使った。視界から消えるためではなく、十二枚目へ先回りして出口の留め具を押すためだ。二歩目へ進まず、踵を石へ置いて止まる。
留め具は動かなかった。黒い水の圧力が反対側から扉を押している。
「一対象、三秒だけ支える。三秒で全員を出すんじゃない。扉が開く位置を作る」
カイは自分の限界を先に告げ、虚空掌握を扉の下端だけへ絞った。見えない掌が黒い水の流れを横へ曲げる。一秒。留め具が浮く。二秒。カイが鞘で押し上げる。三秒に入る前に力を切った。
扉が指一本分開き、外側から白い光が差し込んだ。
「こちらだ!」
レイガの声だった。
カイの胸へ安堵が走るより早く、レイガの白い領域が通路へ伸びる。だが光はカイ、ミナ、セレス、リゼット、ガロウの五人を包んだところで止まった。ガロウの腕の中だけを、白い領域が空白として避けている。
「先生、数は六です!」
レイガの視線がガロウの腕を通り過ぎた。見えていない。それでも、カイの声を聞いた瞬間に白い領域の形を変えた。
「了解した。見えない一人を含め、六人分を支える。ガロウ、重さを預けろ!」
白い力が空白の周囲を包み、直接触れずに荷重だけを受け取る。ガロウの腕が軽くなった。彼は見えないものへ手を離さず、十二枚目から外へ踏み出す。ミナの青い紐も、扉の向こうへ切れずに続いた。
六人目が白い領域を越えた瞬間、全員の耳へ小さな咳が届いた。
それまで音として認識できなかった呼吸が、急に一人分の音へ戻る。ガロウの腕の中には、青い紐を手首へ巻いた子どもがいた。顔は煤と泥で汚れ、名前を思い出そうとすると頭の奥が白くなる。それでも、そこにいることだけは誰も見失わなかった。
ミナが膝をつき、紐を握ったまま顔を近づける。
「もう大丈夫、とは言わない。ここは上の人たちが守ってる。痛いところを教えて」
子どもの唇が動いた。声は掠れ、最初の言葉は聞き取れない。二度目、名乗ろうとしたらしい音だけが途中で消えた。三度目に、子どもは名ではなく数を選んだ。
「……にじゅう、きゅう」
セレスが記録板を持つ手を止める。
「下に残っている人数?」
子どもは一度だけ頷いた。青い紐を握る指が、来た道の方へ伸びる。
礼拝堂にあった寝台、器、濡れた衣服、壁へ刻まれた背丈の印。セレスが推定していた生活者の数と一致する。一人を運び出した。残りは二十九。合計三十人が、地図にも記録にも載らない区画へ取り残されている。
レイガは子どもを救護員へ渡す前に、カイたち五人の顔と装備を確認した。水は減り、ガロウの腕は震え、ミナの指先も冷えている。今すぐ戻れば、救助する側が次の要救助者になる。
「正規救助へ切り替える。お前たちは位置、人数、認識干渉の条件を報告しろ。再突入は装備と交代要員を整えてからだ」
カイは反射的に階段へ戻りかけた足を止めた。二十九人が下にいる。早く行きたい。だが、今の五人だけで戻ることは、二十九人へ希望ではなく不足を運ぶ。
「分かりました。二枚の地図は離したまま保管してください。重ねると、十二歩と人の存在が消えます。救助班は名前ではなく、人数と荷重と生活痕で確認を」
自分で撤退条件を口にすると、焦りが行動へ変わった。セレスは三種類の記録へ複製し、リゼットは次の救助班が同意すべき条件を整理する。ミナは子どもの青い紐と同じ結び方を予備縄へ作り、ガロウは震える腕を医療官へ差し出した。
子どもは担架へ移されても、青い紐を離さなかった。紐の先は、閉じた扉の向こうへ向けられている。
カイはその方向を見た。名前を呼べなくても、一人は一人として数えられる。地図に載らなくても、生活の跡は消えない。なら次に必要なのは、敵の名を知ることではなく、二十九人全員を帰還後の数へ加えることだ。
救助鐘が三度鳴り、学園とギルドの正規班が地下へ集まり始める。白い領域の内側で、セレスの記録板に新しい一行が残った。
《救助対象 三十名。生還 一名。残存 二十九名。固有名未確認。存在消去禁止》
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:第一覚醒《七紋人》
個体ランク:B
レベル:未記録
HP:未記録
魔力:未記録
攻撃:未記録
防御:未記録
速度:未記録
技能:基本剣術(B/Lv.8)
技能:黒影歩(B/Lv.7、安全十五歩・反動十秒)
技能:迅雷駆(C、直線三射)
技能:鏡砕返し(C、二連続)
技能:焔皇砕(D、威力三割)
技能:蒼天鎧(C、十五呼吸)
技能:虚空掌握(D、一対象三秒)
技能:《天断》(未完成/潜在:特殊・ランク外)
状態:認識干渉下/救助継続中




