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呪い






 「静野さん、もしかして、疲れてる?」



 夕食の席、いつものように美味しそうな料理を目の前にしても、珍しくあまり食の進まない晶の様子に、香月が心配そうに顔を覗き込んだ。


 「え?……いえっ!大丈夫です!」


 校舎の屋上に人影を見た時から、帰り道ではずっと後ろから視線を感じていた。その明確な悪意の籠った視線は晶の神経をすり減らし、屋敷の敷地内に入ってもなお、誰かに見られているような感覚は消えなかった。


 それでも晶は心配をかけまいと、止まっていた手を動かして今日のメインであるチキンのトマトソテーにナイフを入れる。


 パリッとした皮目にナイフを入れたところから溢れ出す肉汁はいつもなら食欲をそそるところだが、今はあまり食べる気が起きない。それでも一口大に切り分けたチキンを頬張ると、その様子をじっと見ていた香月が堀越に目線で何かを伝えた。堀越はその視線を受けて軽く一礼すると、ダイニングを出ていく。


 それを静かに見送った香月は、何事もなかったように食事を再開しながら切り出した。


 「学校生活は順調かい?」


 「は、はい。毎日充実してます」


 「そう。それは良かった。ところで、君は今も『見える』のかな?」 


 「えっ?」


 突然の問いかけに、晶は思わず顔を上げる。この場合、香月が聞きたいのは自分に幽霊が見えているのかということだろうか。


 「えっと…多分、見えてます。どこまで見えているのかはわかりませんが、ハッキリ見える時もあれば、感じる程度の時もあります」


 晶は香月と出会うきっかけとなった事件で幽霊に取り憑かれて以来、霊的な存在が見えるようになった。


 見えると言っても最近はこの屋敷に住み着く幽霊しかはっきりその姿を見ていないし、屋敷の外ではその存在を時折感じる程度で、意識して見ようとしなければまったくと言っていいほど幽霊を見ることはなかった。なので、どんな霊でも見えるとは言い難いのだが、たまに電車やバスに乗っている時に乗客の中に人間じゃないモノが混じっているかもと思うことはあった。そんな時はあえて見えないふりをして、それ以上深く考えないようにしていた。


 そう伝えると、香月は「そう…」と何やら思案気に相槌を打つ。何故そんなことを聞いたのか晶が問うように香月の顔を見ると、彼は困ったように微笑んだ。


 「…静野さんは霊が見えるようになってまだ日が浅いから、少し心配でね」


 「心配…ですか?」


 「うん。この屋敷にいる分には害のあるものは余程のことがない限り遭遇しないけど、外はそうもいかないから。中には悪意の塊みたいなものもいて、そういった霊に遭遇することもある。特に人が集まる場所…例えば学校や公共施設なんかは霊も集まりやすいから、厄介な霊に遭遇する確率も高くなる。――だからもし、静野さんが今現在困っていることがあるなら相談に乗ろうと思って」


 「え…」


 心当たりがあり過ぎて、晶はまじまじと香月を見つめてしまう。不思議な人だとは思っていたが、まさか彼は人の心を読むエスパーなのだろうか?


 そんなことを考えながら、彼の穏やかな顔に釣られた晶はおずおずと話し始めた。


 「あの、実は……最近、帰り道で視線のようなものを感じるんです。でも、振り向いても誰もいないから不思議で…。ですが、今日の帰りに、人が立ち入らないはずの校舎の屋上に人影が見えて、そこから同じような視線を感じたんです。…それがずっと気になってしまって」


 「そうだったんだ…。今もそれは感じる?」


 「いえ、お屋敷の敷地内にいれば感じないのですが…でも見られている感覚が抜けなくて」


 今日の帰り道で、屋敷のある丘の麓までずっと感じていた視線は、敷地に入った途端に消え去った。この時ばかりはレンの言っていた『結界』という言葉が頭に浮かんだが、結局視線を感じなくなった後もその感覚はずっと残っていた。今も時々気になって、つい後ろを振り向いてしまう。


 「それは、『呪い』の原型だね」


 「の…呪い…?」


 不吉な言葉に晶の胸はドクリと嫌な音を立てる。不安な顔をした晶に、香月は真剣な目を向けると静かにカトラリーを置いてテーブルの上に肘を付き顔の前で指を組んだ。


 「『呪い』とは人や霊が悪意をもって物理的手段によらず、精神的・霊的な手段で相手に災いや不幸をもたらそうとする行為のことを言うんだけど、心にダメージを負わせることも呪いの効力の一つなんだ。静野さんの状態はまさに、精神的な攻撃を受けて心に負荷がかかり、それによって行動を縛られている状態だと言える」


 「えっ…」


 確かに、実際に見られているわけではないのにずっと後ろを気にしてしまうのは、一種の悪い暗示にかかったようなものだ。それは人から何か言われたらその気になってしまい、その後の言動に影響してしまうのと一緒で、それが『呪い』のメカニズムなのだという。


 「日本には古くから言霊信仰というものがあって、『言霊』とは文字通り、言葉に霊力が宿るという意味なんだ。簡単に言えばその言葉に霊力をのせたものを祝いの言葉として使ったのが神を寿ぐ『祝詞』で、呪いの言葉として使われた場合は『呪詛』、つまり呪いとなる。一般的に人は褒められたり励ましの言葉を受ければ力が湧くとされているし、逆に貶める言葉をぶつけられたら心にダメージを負う。それは言葉に力があるからだと言われているね」


 「…言われてみると、確かに。そう考えると言葉って怖いですね…。言ってみれば、誰でも自由に霊力を操れるってことですもんね…」


 誰かの悪口を言ったりするだけで、その誰かの心にダメージを負わせることができる。それがきっかけでその誰かは命を落とすかもしれないのだ。これは『呪い』そのものだ。


 香月は琥珀色の液体が入ったグラスに手を伸ばし、それを持ち上げるとくるりと揺らした。ランプの光を反射して煌めく液体の中で、小さな泡が立ち上る。


 「そうだね。だけど、その言葉を上手く操ることができれば、きっと世界を牛耳ることも不可能ではない。過去にいた強い指導者なんかがその良い例だね。今でもインフルエンサーと呼ばれる人たちの発言が強い影響力を持っていたりするし」


 そう言ってランプの光を受けて煌めく瑠璃色の瞳を細め、冗談ぽく笑う香月は怯えた様子の晶を気遣ってくれたのだろう。晶もつられて表情を緩めると、香月は「さて」と改めて晶に向き合った。


 「では、本題に戻ろう。静野さんは誰かに『呪い』を受けるような心当たりがある?」


 「いえ…ない、と思ってますが…でも、今の話を聞いたら、私の言葉で誰かが傷ついていないとも言えない気がしてきました」


 自分にとって何気ない軽口でも、相手を深く傷つけているのかもしれない。そう思うと、もう何も話せなくなってしまいそうだ。


 「呪われるほどの言葉を相手にぶつけるって、相当強い言葉だと思うけどね。でもまぁ、きっかけなんてほんの些細なことだったり、相手の勘違いだったりする場合もあるから」


 「そう、ですよ…ね」


 香月の言葉に、晶はハッと思い出す。勘違いされたことと言ったら、今日、美稀に目障りな女と思われたばかりではないか。まさか彼女が晶に呪いをかけているなんてことがあるのだろうか。


 そんな馬鹿なと思う反面、今日見た彼女の顔が思い浮かぶ。晶のことを敵視する鋭い視線には、憎悪が滲んでいなかったか。考えだしたら彼女しかいないような気がしてきたが、不確定な思い込みは良くない。一旦冷静になろうと晶は頭を軽く振って香月を見た。


 「…今のところ、そこまで呪われる心当たりはありません」


 「そう…それなら、単純に質の悪い霊に目を着けられただけなのかな…一応、前回みたいなこともあるし、静野さんに何かある前に僕が調べてみよう」


 「え!!…良いんですか!?」


 驚き目を丸くする晶に、香月は片眼を瞑って見せる。


 「もちろん。静野さんの安全を守ることは僕の特権だって言ったでしょ?」


 それを受けて、晶はボンッと瞬時に顔を赤くして狼狽えた。


 「ででで、でも、香月さんは忙しいのに…そんな手間をかけさせるわけには!」


 「そんなこと、君を守るためなら何でもないことだよ」


 (どわぁぁぁぁぁぁ!!!)


 今度こそ晶は全身を真っ赤にして何も言えなくなってしまう。この王子は自分の発言の破壊力を分かっているのだろうか?それこそ言霊の力で晶の心は破裂してしまいそうだった。


 彼は晶のことを友人として尊重しているだけであって、その発言に深い意味はないはずだ。だけど、その王子様のような美しい顔でそんなことを言われた小娘の心臓は、ビックバンのごとく弾けて撒かれ宇宙を創造してしまう。

 

 この罪作りの王子をどうにかしてくれと息も絶え絶えに胸を抑えていると、晶の目の前に綺麗にカットされたフルーツの盛り合わせがコトリと置かれた。


 「え?…これは?」


 目を丸くして見上げると、皿を置いた堀越が晶に微笑んだ後、ゴホンと咳払いをする。


 「食欲がなくてもフルーツならと用意してみました。いかがですか?」


 「私のために?…嬉しいです!ありがとうございます」


 瑞々しい旬のフルーツが盛られた皿は見るからに美味しそうで、晶は堀越の心遣いに感謝しながら早速フォークを手に取り、カットされた桃を刺して口に含む。瞬間、濃厚な香りとトロリとした甘味が広がり、思わず笑みがこぼれた。


 「美味しいです!これなら食べられそうです」


 「それは良かった。ところで瑠依様、先ほどの発言は些か誤解を招きかねない発言かと」


 「?事実を言っただけなのに?」


 「人によっては曲解する可能性がありますので、たとえ本心だとしても言い方には注意が必要です。相手と場面を良くお考えください」


 「…日本語のニュアンスって難しいね。勉強になるよ」


 解せないと言った表情で首を傾げる香月をよそに、堀越は笑顔で晶の方を向いた。


 「晶さんも、瑠依様がこんな調子ですからさぞ苦労するかと思いますが、今のように軽々しい発言は女性の視点からビシバシ指導していただいて結構ですからね」


 「!!そ、そんな、滅相もない…!」


 晶が畏れ戦いていると、香月からも笑顔が向けられた。


 「僕からも頼むよ。迂闊なことを言って、僕が君を傷つけるようなことがあったら、僕はもう生きていけないからね」


 「そういうところです」


 (そういうところやぞ!)


 ビシリと突っ込む堀越と同時に、晶もつい心の中で突っ込んでしまった。








***









 次の日の放課後、昨日決まった方針のもと組織分けをしたグループごとに仕事を割り振った実行委員会の役員たちは、その進捗の確認と、新たな仕事の割り振りのために各教室を飛び回っていた。


 インフルエンザの流行で人手不足だった委員会は、話を聞いた有志が集まり想定以上の人手が手に入った。しかし今度はそのとりまとめ役が不足していて、役員たちはそれぞれ複数のグループを掌握し、スムーズに作業を進行させるために駆けずり回ることとなった。


 晶が受け持つグループも、人数は多いもののいつ抜けるかわからないといった生徒も多く、これでは作業内容が上手く伝わらないと思った晶は、作業工程を書いたプリントを数枚印刷してそれを各教室に配り回っていた。


 「じゃあ、できるところまでで結構ですので、よろしくお願いします!」


 「は~い!副委員長まかせて~!」


 ぺこりと頭を下げて教室を出た晶は、次のグループが作業している教室へと足を向ける。こちらは体育祭の看板製作を受け持つグループで、絵具やペンキを使うために美術室のある別校舎の教室で作業していた。


 「この人数なら短時間でも作業が捗るし、遅れを取り戻せるかもしれないな…」


 渡り廊下を急ぎ移動しながら頭の中で進捗を整理してた晶は、ふと窓の外を見る。空には今にも降り出しそうな曇が広がり、まだ早い時間帯だというのに、日暮れが早まったかのように辺りは暗くなってきていた。


 「雨、降るかな…今日は早めに解散したほうがいいかも」


 歩きながら視線を前に戻せば、古びた渡り廊下は天気のせいで薄暗く、どこか寂しくて陰鬱な印象をより一層深めている。


 その光景に思わずゾクリとした晶は、ずっと気にしないように努めていたあの視線のことを思い出し、つい後ろを振り返ってしまった。


 しかし、そこにはシンと静まり返った廊下があるだけで誰もおらず、ホッと息をついた晶は廊下の突き当りにある階段を上ろうと一段目に足をかけた。


 その時唐突に、階段にまつわる学校の怪談があったことを思い出した。


 (そういえば確か、階段の数を数えて上ると、あるはずのない十三段目があって、そこは異界と繋がっているって話だったっけ…)


 小学校の頃に読んだ怖い話の本の中に、そのような話が載っていた記憶がある。確か十三段目を踏んでしまうと、途端にあちら側へ連れ去られてしまうのだったか。


 なぜ今それを思い出したのだろう。理由はわからないが、晶は何気なく階段を上りながら頭の中でゆっくりと段数を数え始めた。


 (いち、に、さん、し……)


 もし、香月に出会う前だったら、こんな子供だましみたいな話でも縋っていたのだろうか。あの頃の晶は、この世とあの世を踏み越えるくらい何とも思っていなかった。今考えると、その時の自分は思っていた以上に精神的に参っていたのかもしれない。


 (なな、はち、きゅう…)


 でも、もし本当に異界へ行けるのだとしたらと晶は考える。


 その一歩を踏みとどまる理由が、果たして今の自分にあるのだろうか。今、生きるために必死に探し出そうとしているものは、本当に必要なものだろうか。本当はただの悪あがきで、実際には何の意味もないのではないだろうか。


 誰かに必要とされているわけでもなく、何かを成し遂げられる確約もない。こんなちっぽけな人間が、必死に生きる理由に縋って生きて行く意味とは何だろう。


 晶が必死に上ってきた階段のそのすぐ後ろには、ポッカリと底の見えない暗闇が口を開けて、晶が落ちてくるのをいつでも待っている。晶はもう振り向かないと決めたから、自ら暗闇に足を踏み入れることはない。


 でも、前を向いた先があちら側だった時、晶は立ち止まることができるだろうか。


 少し前に、救いたかった人を救えなかったことを後悔して泣いている男の子に会った。晶にもそんな存在がいたら、踏みとどまることができるだろうか。


 (じゅう、じゅういち、じゅうに……)


 晶にそんな存在はいない。孤独な晶を待ってくれているのは、あちら側にいる両親だけ。


 (……じゅうさん……)


 目の前にある十三段目を躊躇なく踏もうとした時、咄嗟に肩を掴まれた。


 まるで暗闇の底から伸びてきたかのように冷たいその手の感触に、晶は一気に恐怖がせり上がり、思わず膝の力が抜けてバランスを崩す。


 (あ…ヤバい…落ちる…)


 後ろに重心が傾き、そのまま底なしの暗い穴に落ちていくかと思ったその瞬間、夜の匂いとともに温かい何かに包まれた。


 「―――静野さん、大丈夫?」


 耳に心地良い低音の声が頭上から聞こえて、晶はハッと覚醒する。振り向くと、眼鏡をかけてこの学校の制服に身を包んだ香月が、晶のことを後ろから抱えていた。


 「……え?…え?え?香月…さん??その恰好は…」


 「これ?君の周りを調査するのに必要かと思って」


 驚きすぎて固まる晶は、先ほどまでの恐怖心を一瞬でどこかへ消し去り、まじまじと香月の顔を凝視する。いつもより暗い髪色にこげ茶色の瞳の彼の姿はまるで別人のようだが、よく見れば整った美しい顔立ちは香月そのものだった。


 そんな晶にニコリと笑いかけた香月は、首を傾げて「どうかな?」と晶に尋ねる。


 慌てて彼の腕から抜け出し自分の足で立ち上がった晶は、少し離れて彼のことを上から下まで観察する。晶と同じ襟に紺色のラインが入った白いワイシャツに紺色のチェックのスラックス姿の香月は、どこからどう見てもこの学校の男子生徒の姿だ。


 「……びっくりしました…でも、すごく似合ってますね…」


 同じ学校の制服を着ている香月に一気に親近感が湧き、晶はドギマギしながらも彼の姿を目に焼き付けようと必死に脳内シャッターを切る。そんな晶の様子に、香月は困ったような笑みを向ける。


 「そう?例によって堀越に言ったらすぐに用意してきたよ。―――ところで、今まで静野さんを見つけながら校内を回って見てたんだけど、これと言って害意のある霊の姿は見られなかった」


 「え…じゃあ、屋上はどうでしたか?」


 「それも、何とか行ってみたんだけど、何もいなかった。でも、移動してる可能性もあるから、まだ断定はできないな。それと―――」


 香月は制服のスラックスのポケットを探ると、何かを取り出す。その手には掌に乗る位の小さな箱が乗っていた。


 香月がその箱の蓋を開けると、中には大粒の真珠のジュエリーが二つ収められていた。一つは片側だけのイヤリングで、もう一つはブローチ型のそれは少し歪みのある楕円形をしていて、その二つの真珠から小さな子供の声が聞こえてくる。


 「おい、わしは今ここで姿を見せられないからこのまま話すぞ。いいか、良く聞け小娘。お前の周りには、何か良くないものが纏わりついているぞ。屋敷ではそうでもなかったが、ここへ来てその影が濃くなっておる」


 「タマ様!…それは、本当ですか?」


 「うむ。わしの加護がついた真珠を常に身に着けておけ。そうすれば、最悪なことにはならんじゃろう」


 タマは香月が救った女神で、この二つの真珠に宿っている。晶は香月に贈られた真珠のバレッタにタマの加護を授けてもらっているのだが、ついこの間、帰り道でその効力を使ってしまった事を思い出した。


 「ええっと、タマ様…あれの効力って、無限ですか?」


 言い難そうにそう尋ねる晶に、香月が眉を顰めた。


 「…静野さん。まさか既に女神の加護が発揮される事態が起こったの?」


 「あ、あの…大したことでは…」


 香月から何とも言えない圧を感じて晶が狼狽えていると、タマがゴホンと咳払いをした。


 「わしの加護は、そんじょそこらの雑魚を追い払った程度では無くなりゃせん。じゃが、大物から直接攻撃を仕掛けられたら、守りきれるかちと分からんのう」


 「大物?…例えばどんな?」


 香月が僅かに目を細めて手元の真珠に尋ねると、タマはフームと考えるような声を出した後、「ああ…」と思い出したように言った。


 「わしと同業のやつ。つまり、神と奉られているやつらじゃ」


 「か、神様…って、そんな大物に攻撃を受けるなんて、どんな罰当たりなことしたらそうなるんですか!?」


 事の壮大さに晶が震えあがると、タマはカラカラと笑って言った。


 「そんなもの、わしらは気まぐれだからな!いつ、どんないちゃもんを付けられるとも限らんぞ?まぁ用心に越したことはない。いざとなったらわしか主殿が助けてやる。のう?主殿?」


 「ああ、静野さんを守るのは、僕の……義務、だからね」


 その言葉を聞いて、晶は固まる。


 昨日堀越に注意された香月が、晶に期待を持たせないように選んだ言葉だと気付きはしたが、『義務』という言葉に思いのほかダメージを受けている自分がいた。


 (…そうだ。雇用主である香月さんが、私の身の安全を考えるのは『義務』以外の何物でもない)


 その事実を改めて認めてしまうと、途端に魔法が消えたように頭が冷めていく。本当に言葉の力は恐ろしい。思わせぶりな会話ひとつで、こんなちっぽけな存在であるただの小娘を有頂天にしたり、奈落の底へ突き落してしまうのだから。


 そんなことを考えていると、同じく考え込んでいたらしい香月が何かに納得したという風にひとつ頷いた。


 「違うな…静野さんを守るのは、僕がそうしたいからだ。それは義務とかではなくて、僕の…身勝手な『願望』なんだ」


 「……え?が、願望…?」


 思わず顔を上げて聞き返す晶に、香月はふわりと柔らかい笑みを向けた。


 「そう。義務とは『しなければならないこと』だけど、静野さんに怖い思いをさせずに守りたいという思いは『願望』だよね?これは僕の心からの願いだから」



 ドカン



 今、宇宙の創造が始まった。無数の塵とガスが渦を巻く混沌とした空間はやがてその質量によって個々に星が誕生し、寿命を終えた星は超新星爆発によって惑星を生みやがて銀河を―――


 「あちゃ~主殿が小娘を壊しよった。くわばらくわばら…」


 「え?何で?おーい!静野さん、戻ってきて!」

 




 



***








 

 「はぁ〜…あれはアウトだわ…マジで死ぬかと思った」


 暗くなった帰り道。帰宅する生徒に交じって一人駅へと向かう大通りを歩いていた晶は、そう呟いて溜息を落とした。香月の兵器並みの高威力発言の後、宇宙の創成期を脳内で繰り広げていた晶は何とか正気を取り戻すと、問題の視線について検証するため、とりあえず一人で帰ってみることになった。


 一人と言っても、離れた距離に香月とタマが様子を窺ってくれているので、いつもより心強い気持ちで晶は駅へと向かう帰り道を歩く。


 今のところあの視線は感じない。なので、晶は大分気持ちに余裕ができ、つい先ほどの香月の発言について考えてしまった。


 彼は晶のことを守るのは自分の願いだというようなことを言っていた。つまり、晶のことを守りたいという意味で。これは果たして友情の範囲内なのだろうか。


 「どうして守りたいと思うのか、だよね…」


 表面的に捉えれば、晶のことを大切に思っているからだという答えになる。だが、晶には大事にされる理由がない。もちろん、大事な被雇用者だからという理由も考えられるが、だったら彼が最初に言った通り『義務』という言葉を使えばいいだけだ。


 「願望って言ってたな…。意味は『願い、望むこと』…」


 守ることを願い、望むというのはどういう意味だろう。もしかしたら、単純に『守りたい』というのとは少し違う意味なのかもしれない。


 「もしかして、そういう人間になりたい……とか?」


 それは穿ち過ぎかもしれないと、晶は頭を振って自分の考えを取り消す。すると、既に学校からの最寄り駅に到着していた。


 駅構内は帰宅ラッシュの時間帯のため混雑していて、晶は人波に乗ってそのまま改札を抜け、階段を下りて帰りの電車が発着するホームに降り立つ。学生やスーツを着た社会人の波に押されつつ、晶は比較的空いている乗車口の列を探す。


 ホームの後ろ側を目指して階段脇の狭いスペースを通り過ぎようとした時、「あ!」という聞き覚えのある声がした。振り向くと、宮代が右手を上げてひらひらと振っている。


 「静野さん、お疲れ!ここ空いてるよ」


 「宮代先輩!お疲れ様です」


 今日の委員会の仕事を終えた後、晶は香月たちと落ち合うために急いでその場を後にした。宮代とはその時別れの挨拶を交わしただけだったが、彼は部活に顔を出すと思っていたのでここで会うとは思わなかった。


 晶は断る理由もないので宮代の隣に並ぶ。ホームは帰路に就く人々で溢れ返り、晶たちの前を何人もの人が通り過ぎて行った。


 「宮代先輩は今日こそ部活に顔を出すと思っていました」


 「ああ、俺もそうしようかと思ってたんだけど、雨降りそうだったろ?外の部活は早めに撤収してたから、うちの部もそうかと思って諦めた。それより、静野さんこそ今日は予定があって早く帰ったんじゃないの?」


 「まぁそうなんですが…」


 何と言えばいいか言葉を探していると、電車の到着を知らせるアナウンスと共に、先頭車両がホームに入ってくるのが見えた。


 それを何気なく見ていた晶は、突然背後から刺すような視線を感じて、ゾワリと肌が泡立つ。


 それを意識する間もなく、次の瞬間、晶は何者かに背中を思い切り押されていた。


 (え…?)


 まるでスローモーションのように身体が傾いていく。


 晶が立っていた場所は狭い階段脇で、後ろに人が立つスペースなどなかったはずだ。それを頭の隅で認識しながら、晶はただ迫り来る先頭車両のヘッドライトを見つめた。



 (あ、死ぬ)



 自分の身体が車両の前に投げ出されていることを意識した晶は、目を見開いたままその光を見つめるしかなできない。


 すると途端にものすごい力で身体が引き戻された。そのままの勢いでホームに転がった晶は、呆然としながらも手首に熱いものを感じて顔を上げる。


 そこには晶の手首をつかんだままの宮代が、青い顔で晶を見ていた。


 「…おい!大丈夫か?今の何!?」


 彼の焦った様子を見て、晶は逆に冷静になった。


 (今のは……きっと人間の仕業じゃない)


 背中を押される寸前で感じたあの視線は、やはり晶を狙っていたのだ。


 「…ごめんなさい、ちょっと躓いちゃって…先輩のおかげでまた命拾いしました」


 恐怖で引き攣る顔を誤魔化すためにペコリと頭を下げた晶に、宮代はしばらく呆気にとられた様子だったが、やがて彼は長い息を吐くとその場に蹲った。


 「ビビった……頼むから、ホント気を付けて」


 「はい…助けてくれて、ありがとうございました」


 頭を下げたまま礼を言う晶の頭をポンと叩いて、宮代は「行こう」と到着した電車に乗り込む。晶はそのまま動かず、少しだけ顔を上げた。


 「あの、先輩…私、用事を思い出したので、ここで失礼しますね。さよなら!」


 「え、あ?」


 言い終わるや否や、宮代が乗った電車のドアが閉まる。晶はくるりと身体の向きを変えるとホームの出口に向かって足早に進みだした。その様子を呆気にとられたまま見ていた宮代は、動き出した電車と共にホームから遠ざかっていった。


 人の波を縫って晶はホームの階段を上り、改札を出る。足早に駅の出口に向かって歩いていると、そっと後ろから手を掴まれた。


 そのひんやりとした感触と、鼻孔を擽る夜の香りを感じた瞬間、晶は今まで張りつめていたものが緩んで身体が勝手に震えだす。それを抑えようと自身の腕を掴むと、香月は後ろから肩を抱くように晶を支えた。


 「…大丈夫?僕が支えるから、このまま車まで行こう」


 「…はい…」


 香月の声を聞いた瞬間、晶は泣きだしそうな気持ちになる。それが何故なのかはわからないまま、晶は無様な顔を彼に見られないようにそっと俯いて歩き出した。














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