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第5話「ロドリゲス博士の独白(データの墓場)」

 君は、私を冷酷な怪物だと思っているのだろう――


「科学者とは、真実を追う者ではない。真実を取捨選択する者だ」


 退官後、人里離れた北欧のコテージで、ロドリゲスは古びたデジタル・オーディオ・テープを暖炉の火にかざしながら独りごちた。

 彼の手元には、あの日『バベル号』で記録された未公開の生データ、ポセイドンのゴミ箱に捨てられたはずのログが残っていた。


 隠蔽された拍動。

 画面に映し出されているのは、個体Bが痛くないと微笑んでいた瞬間の、裏側の記録だ。

 心拍数240。

 筋肉の異常な硬直。脳波に刻まれた、文字通りの悲鳴。

 それは、どんなに鈍感な学生でも一目で極限の苦痛と判断できるほど明快なデータだった。


「君は、私を冷酷な怪物だと思っているのだろうな」


 ロドリゲスは自嘲気味に笑い、ウイスキーを口に含んだ。

 あの日、彼はサキがその異常を指摘する前に、管理権限を使ってログを上書きした。

 彼は知っていたのだ。

 もしも、超クジラは実は痛がっているが、嘘をついている、という結論を出せば、世界はさらに修復不可能な混乱に陥ることを。


 偽りの平和という選択。


「もし、あの時真実を公表していたらどうなった? 人類は捕鯨をやめたか? ……いや、逆だ」


 ロドリゲスは、当時の国際情勢を回想する。

 エネルギー危機、食糧不足、そして知的生命体を殺すという倫理的重圧に押し潰されかけていた大衆。

 彼らが求めていたのは、免罪符だった。


「痛がっているのに、高潔だから我慢している、などという事実に誰が耐えられようか? それは超クジラを悲劇の犠牲者に仕立て上げ、殺すたびに人類の魂を削る毒になる。だが、最初から痛みを感じない、ただの肉の塊だという嘘なら、世界は回る。経済も、食卓も、そして人々の平穏な良心もな」


 彼は、超クジラたちを救うために嘘をついたのではない。

 人類が、自分たちの残酷さに耐えきれず自壊するのを防ぐために、超クジラたちの嘘に加担したのだ。


 墓守の終焉。


「超クジラたちは賢すぎた。彼らは、自分たちがただの家畜として扱われる道を選んだ。ならば、私はその選択を尊重し、完璧に家畜としての証明書を書いてやるのが、科学者としての最後の慈悲だと思ったのさ」


 暖炉の中で、ついにテープが溶け始める。

 個体Aの欠落も、Bの忍耐も、Cの虚勢も、Dの哲学も。

 それらすべてを無痛という一行の嘘に変換し、墓場まで持っていく。

 それがロドリゲスという男の、歪みきった正義の形だった。


 窓の外では、冬の海が暗く静まり返っている。

 もはや誰かが歌うことのなくなった海。

 ロドリゲスは、最後に残った一通のメールを削除した。

 それはサキからの、データの再検証の依頼だった。


「すまないな、サキ。真実は、時に邪魔なのだ」


 炎が青く燃え上がり、世界から超クジラの痛みの物理的証拠が完全に消滅した。

 これで世界は、もう痛みを知らずに済む――


 人類はこれからも、何も知らないまま、静かな海から豊かな恵みを享受し続けるだろう。

 それが、どれほど滑稽で、残酷な対話の結末であったとしても。


 番外編、全5話。

 これにて、完結。

 本編から前日譚、そして後日譚まで。

 物語の断片はすべて繋がりました。

 様々な嘘に彩られた物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。



 痛い?<Y/N>


 痛い?<Y/N>


 痛い?<Y/N>


 痛い?<Y/N>

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