6.想像以下の予想以上
扉の奥、部屋の中央に置かれた机の前に、一人の人物が立っていた。
「やぁやぁやぁ、久しぶりだねリンネ。君自身がここに来るのは幾年振りだい?」
「来る必要がないなら来ないでしょ。室長会議で会ってるのだから、久しぶりという感じもしないわね、リーティア」
鑑定室室長リーティアは、リンネを見るなり両手を広げて歓迎の意を示す。
身体のサイズに合っていないダボついた服の袖をバサバサと振っている。
リンネよりも小柄な身体にウネウネと腰まで伸びる鮮やかな橙色の癖っ毛が、動く度にぴょこぴょこと跳ねている。
「それよりも、そちらの方が気になってしょうがないんだけど。ロンディーダから聞いたよ、迷い人なんだって?」
その深紅の目がリンネよりも少し後ろに立つアンクに向けられる。
「そうよ。ちょっと素性を調べて欲しくてね」
リンネの答えを最後まで聞く前に、リーティアの意識はもうアンクへと向いていた。面白そうなものを前にすると周りが見えなくなる。長い付き合いだから分かる、彼女の悪い癖だ。
「いやぁ、面白いものを連れてきてくれたね。迷い人自体は珍しくないけど、君が直々に連れてくるとなると話が違う」
リーティアはアンクの周囲をゆっくりと一周しながら、品定めするような視線を向ける。値踏みというより、美術品の前に立ったときの鑑賞眼に近い。
「俺、そんなに珍しいのか?」
「君がというより、この状況がね。リンネが動くには理由がある。つまりそれだけ君には価値があるかもしれない、ということだよ」
「そんな大層なもんじゃ……」
「謙遜は結構」
さて、とリーティアはアンクの言葉を軽く遮り近づく。
「そこでじっとしててくれる? さて、鑑定を始めよう」
「立ってるだけでいいのか?」
「あぁ、すぐ終わるよ」
そう言ってリーティアは手をかざし、静かに目を閉じた。
「さて、何が出てくるかな——『価値を示せ』」
開かれた目には鋭い光が瞬く。
リーティアの権能である『審眼』が発動している証拠である。
その口元には、価値あるものを前にしたときの、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「……んー? これは……ふーん」
リーティアには何が見えているのか、興味深そうにジロジロとアンクの全身を見渡している。
普段より三割増でギラギラと輝く赤い双眸が、アンクの全身をゆっくりとなめるように動いた。これほど審眼が発光するのを、リンネはあまり見た覚えがなかった。
しばらくして、鑑定が終わったのかリーティアは目を閉じる。
再び開くと先程の眼光はなりを潜め、元の状態に戻っていた。
「……もう終わったのか?」
思ったより早かった、とアンクは息をついた。確かに、審眼の鑑定としては異例の速さだ。早いということはそれだけ読み取れる情報量が少ない——もしくはあまりにも特殊すぎて長く見続ける必要がなかったか。
「あぁ、非常に興味深かったよ」
鑑定中の様子を見るにリーティアにとっても疑念の残る結果だったように見えたが、その口元にはすでに笑みが零れていた。どうやらリーティアのお眼鏡には叶ったようである。
「ふふっ、ふはは! やはりというべきかなんというか……期待を裏切らない結果だったよ、リンネ」
満足気なリーティアを眺めながら、リンネはその続きを静かに待った。
「なんだ? 実は俺ってめちゃくちゃ凄いやつ、とか?」
冗談交じりに話すアンクに、リーティアはにっこりと笑顔を向け、ビシッと迷わず指を差した。
「結論! 君、価値なし!」
容赦のない宣言に、アンクが盛大に顔を引き攣らせた。声も出ず固まるアンクを置き去りにして、リーティアは何事もなかったようにリンネへと向き直る。
「いやー流石だよ、リンネ! 予想以上に面白い物を持ってきてくれた」
「それで、どんな結果が出たの?」
問いかけると、リーティアは勿体ぶるように一拍置いた。答えを急かす気にはなれなかった。こうなったリーティアは自分のペースで話す。それはもう長い付き合いで分かっていることだ。リンネは腕を組み、続きを待った。
「基本的にこの世に存在する物には全て等しく価値がある。その辺に転がってる石ころや目に見えない空気にだってね。けど、それが彼にはない。これが異常なことくらい分かるだろう?」
そこでリーティアはリンネに視線を向けた。
「価値の判定基準ってそれが世界に与える影響度を総合的に見て数値化したものなんだ。どんなに微細なものだろうと存在しているなら多少なりとも影響力は生まれるはずなんだけど、彼にはそれがない!」
そう言ってリーティアはアンクのそばに近づき、その腕に軽く触れた。こうして確かに触れているのに、この世界への影響はゼロのまま。確かに矛盾だ。
「つまり、彼は実在するが世界的には存在しないという矛盾を孕んだ存在というわけさ!」
興味深いだろう? とリーティアはさらに続ける。
「それだけじゃない。私には彼のルーツが辿れなかった」
「ルーツ?」
アンクは言葉の意味は分かるが、文脈が読み取れないらしく首を傾げる。一方でリンネは、その言葉が示す意味の大きさに気付いて思わず表情を引き締めた。
「ルーツとは起因。その存在が何処で生まれ、どのように今に至るかを示すものさ」
リーティアの説明を聞いてもまだよく分からないといった顔のアンクの様子を見て、リンネは言葉を噛み砕いて続けた。
「つまりは出身地と経歴よ。ここに来るまでにどういう人生を歩んできたのかを示すのがルーツであり、全てのものにあるのが当たり前なのよ」
全てのもの、にだ。それなのに鑑定室の室長であるリーティアが辿れないとなると話は変わる。鑑定においてこの世界でリーティア以上の存在はいない。つまり、これ以上詳しく調べることは出来ないということだ。その重さを、リンネはゆっくりと噛みしめた。
「正確には、ルーツがこの世界との繋がりしかない感じだね。突然この世界に湧いて出たってことになるかなぁ」
「知らないうちに湧いたって……なんかアレだな」
「ゴキブリみたいね」
「わざと濁したんだから言うんじゃねぇよ!」
言ってから特段フォローする気も起きなかった。現象を正確に言い表しただけだと思う。リーティアが楽しそうに目を細めるのを横目に、リンネはアンクの抗議を聞き流した。
「さて……じゃあ、どうする? 現状、情報がないという情報以上は私にも読み取れなかった。本来の目的であるルーツから元の世界に帰すという手段も取れなくなった」
困ったね、とリーティアは笑う。笑い事では無いのだけれど——さて、どうしたものか。
様子を見かねたのか、エリルが発言失礼します、と小さく手を上げた。
「リンネ様、やはり後腐れなく消すべきなのでは?」
「だから発想が物騒!」
相変わらず物騒な従者である。
けどその結論に関して、リンネは特に否定する気にもならなかった。
「確かに、消しても問題ないならそれもアリかもね」
どこかの世界から来たのなら、その世界の管理をしている神とトラブルになる可能性があった。
けどその心配もないのなら、無かったことにするのも悪くない気がしてきた。
正直、面倒臭くなってきたのが本音である。
「そんな人の迷惑にならないならなんでもしていいみたいな考えは捨てるべきだと思うぞ」
至って合理的な判断のつもりだったが、アンクには不評らしい。リンネは小さく溜め息を吐いた。議論が妙な方向に転がりつつある。
「消すなら私の観察対象として預かろうか? 捨て方が分からない粗大ゴミの扱いって困るもんねぇ」
「人権って言葉知ってる? 捨て方よりも有効活用する方法を考えようぜ!」
三人の発言に対するアンクのツッコミのキレが増していく。尤もな怒りではあるが、実際問題どうしたものか。
最初は出自不明の迷い人を送り返せばそれで済む話だと思っていた。それがこんな面倒なことになるとは思っていなかった。
やはりエリルの言う通り処分するのが一番か——と思考放棄しかけたところで、ロンディーダがすっと手を上げた。
「それなら、リンネ様の案件を片付けてもらうのはどうでしょう?」
「……なるほど、そういうことですか! 確かにそれは可能かもしれませんね!」
従者同士で何か通じているようだったが、当の主人達には意図が伝わっていない。リーティアが首を傾げ、リンネも同様だ。そもそも何故この流れで自分の案件が話題に上がるのかさっぱりである。
「どういうこと? エリル」
「リンネ様も当然知っていることですが、私達には神の掟があります」
「そうね。私達の常識ね」
この世界の住人で、異世界人材派遣センターで働く者ならば誰もが知っている原則だ。当然、説明を受けていないアンクの顔には疑問が浮かんでいる。
「神の掟?」
「私達上位世界の住人が守らなくてはいけない五つの理のことよ」
大昔に下位世界の均衡を保つために上位世界に対して定められた五つのルールだ。リンネ達にとっては空気のように自明のものだが、アンクには馴染みのない話だろう。
神は世界に直接干渉してはならない。
神は個人の望みを叶えてはならない。
神は名を知られてはならない。
神は人の因果を変えてはならない。
神は世界に異物を持ち込んではならない。
これを破った者は天罰が降ると云われている。
これによりリンネ達は直接問題解決することは許されない。
それにより異世界転生、転移により人材を派遣するという形で問題解決を図っているのがこのセンターである。
「私達が神の掟に縛られる理由としては下位世界に干渉した際の影響が大きすぎるため、その世界の理を崩壊させかねないからです。それはその世界の管理神も例外ではなく、直接の干渉はできず神託という形でアドバイスをすることで世界を導いています。……まぁ、それだけでもエネルギーを結構消費するので大変ですが」
自身の世界を管理することに苦労している神は多い。
基本放置するしかないのだが、それだとどうしても自然発生する突然変異によって世界が発展するのを待つしかないのだ。
それを出来るだけコントロールするために人材を派遣して、故意に世界の発展を進めようとしているのである。
「しかし、彼は違います。そうですよね、ロンディーダ?」
エリルがロンディーダに視線を向けて同意を求めた。
「はい。価値がないとリーティア様に判定された彼にはおそらく他者に対する影響度というものがありません。すなわち、それは世界に干渉しても理の崩壊に繋がる可能性が低いでしょう」
「転生や転移が許されているのはその世界の理に合わせてリンネ様が存在を調整しているからです。ですが、神様達の希望する人材となるとそうそういないので、リンネ様に申請される案件を解決するのって骨が折れるんですよね」
困ったものです、とエリルが小さく溜息をこぼした。
普段は感情を表に出さないエリルが嘆息するのだから、それだけ骨身に染みているのだろう。
確かに条件に合う人材を確保することは難しい。
そもそも優秀で使い勝手の良い人材を自分の世界から手放す神など、基本的にいないのである。
ではなぜそんな人材が派遣可能リストに登録されているのかといえば、答えは単純だ。
大抵の場合、その性格に難がある問題児だからである。
能力があるからといって一癖も二癖もある彼らを転生させたとしても、思い通りに動いてくれるかというとそんな訳がなく。
下手をすれば問題に問題を重ねて、収拾のつかない状況を生み出しかねない。
まぁ、全く使えないのかというとそんなことはないのだが……性能がピーキーで使い所に困る、というのがリンネの正直な評価である。
「そこで彼の出番です。神の掟に縛られず、こちらと意思疎通が可能でフリーな人材。そんな都合のいい存在なんてまずいません。彼を通すことで間接的ではありますが、問題となっている部分を私達の裁量で解決することができるんじゃないでしょうか?」
言い切ったエリルが、確認するようにもう一度ロンディーダへ視線を向ける。
自分の見解に自信はあるが、念を押さずにはいられないらしい。
エリルらしい几帳面さだとリンネは思った。
ロンディーダは表情を崩さないまま、ほんの少し口元を和らげた。
「エリルさんにほとんど言われてしまいましたが、概ねその通りです。一考の余地はあるかと思います」
「確かにそれが出来れば助かるけど……」
そんな上手くいくだろうか?
正直、不安要素が多すぎてアンクに任せられる気がしない。
「……なぁ、黙って聞いてたけど、結局俺は何すればいいんだ?」
沈黙を保っていたアンクが、ようやく口を開いた。
置いてけぼりにしていた自覚はあったので、リンネは改めてアンクに向き直る。
「簡単に言えば、貴方には世界を救ってもらうわ」
「いきなり無職から勇者なんて大出世だな」
「これから貴方には私達の手足となって馬車馬の如く働いてもらうから覚悟しておきなさい」
「勇者じゃなくて奴隷の間違いだったか」
やれやれ、と肩を竦めているアンクを、リンネは特に気にした様子もなく見返した。
文句を言いながらも話の筋は飲み込んでいるあたり、状況判断は早い。
……だからこそ自分に選択肢がないと理解しているだけかもしれないけれど。
「とはいえ、貴方に仕事をさせるかどうかはこれからの話よ。何が出来て何が出来ないかも分からない相手を働かせる訳にはいかないもの」
「働くのは決定なのな」
「働かない奴に与える慈悲はないわよ」
「しょうがない……肩でも揉みましょうか?」
「セクハラで首を斬るわよ」
「比喩じゃなくて物理でされそうで怖えよ!」
軽口を聞き流しつつ、リンネは思案する。
まずは運営室の許可だ。
アンクをセンターの戦力として使うとなれば、業務全体の調整を握る運営室に話を通さなければ話が進まない。
「エリル、運営室にアポを取ってちょうだい。事情を説明して、室長との面会を取り付けて」
「かしこまりました。すぐに向かいます」
エリルは一礼すると、迷いのない足取りで部屋を出ていった。相変わらず指示への反応が早い。
あれが一人いるだけで仕事の速度がまるで違う。
「ふぅん、運営室まで通すんだ。本気なんだねぇ」
成り行きを楽しそうに眺めていたリーティアが、にやりと口の端を上げた。
「返答が来るまで暇でしょ。その間にこれの品定めを済ませておきたいの。守護室の訓練場でも借りようかと思っているのだけど」
「あぁ、それなら態々よそまで行くことないよ」
リーティアはひらひらと袖を振って遮った。
「うちに丁度いい部屋があるんだ。鑑定品の中には大きい物だの暴れる物だの、扱いに気を遣う代物も持ち込まれるからね。そういうのを安全に調べるための部屋さ。少々手荒に試したところで壊れやしないよ」
なるほど、それは都合がいい。鑑定室の管轄なら手続きも要らないし、何かあってもこの部屋の主が責任を持つ。わざわざ守護室まで足を運ぶより余程効率的だ。
「助かるわ。借りるわよ」
「どうぞどうぞ。私も彼が何を見せてくれるのか気になってたところだしね」
リーティアの好奇心は鑑定の時から一向に収まる気配がない。
実験台にされる側はたまったものではないだろうが、リンネとしては好都合だった。
「おい、なんか今、不穏な単語が並んでなかったか。暴れる物とか、手荒にとか」
話の流れに不安を覚えたらしいアンクが口を挟む。当然の反応である。
「ロンディーダ」
「はい」
控えていたロンディーダが静かに進み出た。
「彼を部屋まで案内して。ついでに逃げ出さないよう見張っておいてちょうだい」
「承知いたしました。──では、こちらへ。道中、必要なことはご説明いたします」
ロンディーダは表情を変えないまま、アンクに歩み寄る。穏やかな物腰だが有無を言わせない圧があった。
「逃げ出さないようって、俺は囚人か何かか?」
「滅相もございません。賓客として丁重に扱わせていただきます」
「その丁重さが一番信用ならないんだよなぁ……」
ぼやきながらも、アンクは大人しくロンディーダの後に続いていく。抵抗しても無意味だと察してるあたり、やはり物分かりは悪くない。
その背を見送りながら、リンネは小さく息を吐いた。
さて、あの何処の馬の骨とも知れない迷い人は、仕事の役にたってくれるだろうか。
期待はしていない。
だが、少しくらいしても罰は当たらないだろう。




