No.135
<ニュールミナス市/大勇峰/大勇神殿跡>
大帝王即位式を終え、俺は大勇神殿の跡地に来ていた。
そこには、かつての巨大な神殿はない。周りに散らばるのは、高熱で溶かされた石やガラスの残骸ばかり。見るも無惨な光景が広がっている。
「来たか」
ふいに声をかけてきたのは、全身真っ黒なローブに身を包んだ人物。
リン・ブラックサイスだった。
俺は、こいつに呼び出されてここまで来たのだが。
「なんの用か聞いてなかったな」
俺は声をかけてみるが、リンは何も答えようとしない。
そして、赤い液体の入った小瓶を差し出してきた。
「飲むがいい」
リンはそれだけしか言わない。
俺はその小瓶を受け取り、よく観察してみた。
魔力の臭いがする。間違いなくコレは魔導薬だ。しかし、どんな効果があるのかわからない。
本来なら、絶対に飲むわけにはいかないモノだが……。
「お前には二度、救われてるからな」
舞踏会の夜に、ロゼットを助けてくれたこと。
大帝王降臨会議の際に、メリーナに票を入れてくれたこと。
狙いがなんであれ、俺を害するつもりなら、とっくにやってるはずだ。
それに、これは俺にとって必要なことのような気がする……。
直感的にそう確信し、俺は渡された薬を一気に飲み干す。
――瞬間、頭の中で何かが弾けるような感覚が走り、目の前が真っ暗になった。
◆◆◆
大勇神殿の地下には、真っ暗闇の広大な空間が存在している。
入口も出口もわからず、普通の人間が入ろうとしても、決してたどり着けない。仮に、奇跡的に中に入れたとしても、二度とは出てこれないだろう。
そんな暗黒空間の一角に、わずかに魔法の火が灯された場所がある。
わずかな灯りが、巨大な円卓を浮かび上がらせていた。その周りには十八つの椅子が並べられている。
その一つに腰掛けながら、俺は他の十七つの空席を見回す。
「久しぶりだな、みんな」
俺が声をかけると、十七つの空席に、光の塊が浮かび上がる。まるで人魂のようなソレは、すべてが異なる色を放っていた。
赤、銀、緑、黄、紫……十七色の光が、闇の中で美しく輝いている。
「元気にしてたか?」
俺が冗談めかして言うと、ようやく返事が聞こえてくる。
(我々は、もはや人ではなく、ただの思念に過ぎない。その質問は無意味だ)
声は、俺の頭の中に直接響いてくる。
それが、たまらなく寂しい。
「こんなことなら、俺もそっち側にいっておけばよかったか……」
(我々を思念として甦らせたのはあなただ。すでに肉体の滅んでいた我々を)
「そうだったな……。だんだん記憶がはっきりしてきたよ」
俺はしばらくのあいだ、蘇ってくる記憶を確認する。
そうして、自分の中で整理をつけてから、再び話し始めた。
「今回の任務を出したのは、いい判断だった。これからも変わらず、『聖賢枢密院』としての役目を果たしてくれ」
(無論。すべては、<大勇者グランダメリス>、<大賢者ホールコール>のために。我らの子孫のために。この世界と、人々のために)
色とりどりの十七の光が、輝きを増し、大きく揺れていた。
それが、まるで笑っているかのように見えて、俺は少しだけ懐かしい気分に浸ることができた。
「それじゃ、これからも『グランダメリス』のことをよろしくな」
俺は最後にそれだけを言い、かつて共に旅した十七人の仲間たちと別れた。
◆◆◆
地上に戻ると、すっかり夕暮れ模様だ。
少しだけ感傷に浸っていると、黒いローブの人物が近寄ってくる。
「あの……ホールコール様。あっ、いえ! そうお呼びしてもよろしいでしょうか?」
最初に会った時とは違い、リンはびくびくした態度で話していた。まるで主人を相手にするかのように。
その変わりっぷりも、さっきまでの俺なら驚いただろう。だが、今はもう彼女の態度に疑問を感じない。
「ホールコールでも、ライでも、どっちでもいい。それより、リン。フードを上げろ」
「は、はい! それでは失礼します」
黒いフードの下から現れたのは、幼い容姿の女性だった。こうして見ると、随分と弱気な顔をしている。
「あの……私の態度、失礼じゃなかったでしょうか? 可能な限り、親しげな態度は取らないようにとのご用命でしたので、私なりにあのようなキャラ作りをしてみたんですが……」
リンが恐々とした態度で聞いてくる。
ただ、正直なところ俺にはどうでもよかった。
「まあ、いいんじゃないか」
「お褒めいただき、ありがとうございます! 嬉しいです!」
リンがパッと明るい笑顔を見せる。傍目には十代の少女に見えるが、そんなわけがない。
「リンが俺の記憶を戻すのは、これで何度目だ?」
「300年で、8回目になります」
「そうか。いつも助かる」
「いえ、これがブラックサイス家の役目ですので。ただ、私がお役目を務めさせていただくのは、今回が最後になりそうです」
「死を司るブラックサイス家でも、生きられるのは300年程度が限界か」
「私もずっとお仕えしたいのですが、ホールコール様のように不老不死になるには、やはり不死鳥との契約が必要でして……」
「不老不死なんて、なるもんじゃない。やめておけ」
俺は厳しい口調で言い聞かせる。するとリンはおどおどしながら、何度も頭を下げていた。
「申し訳ありません。ホールコール様の言う通りにいたします」
「謝らなくていい。むしろ感謝してるよ。ブラックサイス家の人間には世話になりっぱなしだ」
「身に余る光栄です。ただ……私の代でも、グランダメリス様の魂を呼び戻すことは叶いませんでした……」
「構わない。それは本来、俺がやるべきことだからな。他に報告はあるか?」
「その……メリーナ様のことなんですが……」
「彼女がどうした?」
「ホールコール様……いえ、ライ様のことを伝えなくて、本当によろしいのでしょうか?」
そう言われた瞬間、脳裏にメリーナの笑顔が思い浮かんだ。
胸の辺りがざわつく。
長い長い時間の中でも、確かに彼女は、俺にとって特別な存在になりかけたのかもしれない。
だが……。
「俺には何より優先すべきことがある。1万年前、魔王と共に封じられたグランダメリスの魂。それを見つけ出し、解放することだ」
「承知しております……。しかし、メリーナ様なら力になってくれるかと……」
「大帝王を任せるだけで、随分な重荷を背負わせてしまったんだ。これ以上、負担させられない」
「はい……。メリーナ様が帝位に就かれている間は、グランダメリスは平和で安定した国として栄えるでしょう」
「それを助けるためにも、まずはGPAを再建する。リン、青い方を出せ」
俺がそう告げると、リンは青い液体の入った小瓶を差し出してくる。
中に入ってるのは【記憶洗浄】の効果を持つ魔導薬だ。
さっそく俺はそれを飲もうとするが、直前でリンが声を上げる。
「本当に記憶を消す必要があるのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「あなたは、必要がある時だけホールコール様の記憶を甦らせ、聖賢枢密院と話します。そして用が済めば、またすぐにホールコール様の記憶を消して、GPAのエージェントに戻られます。しかし、わざわざ記憶を消さなくても良いのでは?」
「耐えられないんだよ……」
「……なにがでしょうか?」
「ホールコールのままでいると、グランダメリスを失ったことを一秒たりとも忘れられない。俺は、それに耐えられないんだ……」
「そんなことが……」
彼女はまずいことを聞いてしまったという表情になり、顔を伏せる。
「リン、今までありがとう。さようなら」
俺は最後の言葉をかけ、青い液体を一息に飲み干した。




