No.133
魔獣の咆哮と共に、ジーノの声が聞こえてくる。
俺は魔法に意識を注いだまま、どうにかそっちに視線を向ける。
と、すぐ近くにワイバーンの姿が見えた。
最悪だ。俺は動けない。メリーナも。
プリも俺が指示したことを守り、この場から動かないだろう。
ワイバーンの羽ばたきの音が迫ってくる。
だが、ここで中断するという選択肢は選べない。いま魔法を解除すれば、当分は同じようなことができないのだ。
「集中するんだ……」
俺はつぶやく。あるいは、メリーナが口にしたのかもしれない。それさえわからないほど、俺たちの集中力は高まっていた。
グオオォォッアアァァァォッオオオォォォォ――。
再び咆哮が聞こえた。
ぼんやりした視界の端で、ワイバーンが炎を吐いたのが見えた。
「ナメんじゃねえぇぇっ!」
ロゼットの叫ぶ声が聞こえてくる。炎と炎がぶつかり、辺りが光に包まれた。熱風が頬を撫で、焦げた臭いが鼻をつく。
「よっしゃー! やったぜ!」
ジーノが歓喜の声を上げている。ワイバーンを撃退したのか。さすがロゼットだ。
一時的ではあるが、これで次の復活まで時間を稼げた。
あとは魔法を発動させるだけ……。
そう思ったが、ふいにメリーナから、激しい動揺が伝わってくる。
理由はすぐにわかった。ワイバーンから感じていた魔力の気配が消えているのだ。恐らく、ロゼットが迎撃した時に、髪の毛も一緒に燃えてしまったのだろう。
このままだと、あのワイバーンにだけメリーナの魔法を当てることができない。それはつまり、すべての魔獣が復活することを意味している。
「くぅ……」
俺のものとも、メリーナのものともわからない吐息が漏れた。
次の瞬間、俺は無理やり意識を現実の方へ引き戻した。
「ロゼット! アイマナ! ジーノ! ワイバーンに付いてた髪が燃えた!」
俺がそう叫ぶと、ロゼットたちは慌てて話し始めた。
どうやって再びワイバーンにメリーナの髪の毛を付着させるのか、対応策を練っているようだ。
しかし三人は、すぐに沈黙してしまう。
俺も何か言おうと思ったが、これ以上メリーナから意識を切り離すわけにはいかなかった。
俺はすぐに、再び彼女の意識の中に潜っていく。
深く深く、感覚が自分の身体から切り離されるところまで、深く集中していく。
「どうすればいいのよ……あたしのせいで、こんな……」
ロゼットの絶望的な声が聞こえてくる。彼女は責任を感じているのだろうが、さっきの対応には、むしろ俺たち全員が助けられた。
そのことを伝えられないのがもどかしい。
「こうなったら、ワイバーンだけは魔導地図を見ながら攻撃してもらうのはどうですかね?」
アイマナの意見は建設的だ。ただ、それはあくまで理屈の上での話でしかない。それを、ロゼットも指摘する。
「マナには悪いけど、魔法ってそこまで器用に扱えないのよ。いま、メリーナちゃんがやろうとしてることだって、ライライの力を借りてギリギリ起こせる奇跡みたいなことなの。その上で、残りの一匹だけは、目視でどうにかしてっていうのは……」
「すみません……マナは魔法の感覚まではわからないので……」
「いいのよ。ありがとうね。あたしのミスをカバーするために考えてくれて」
珍しくロゼットが殊勝なことを言っていた。
そして、これまた珍しく、力強い声が聞こえてくる。
「バカやろう! なに勝手に反省してんだよ! 誰もロゼットのミスだなんて思ってねぇよ!」
ジーノだ。普段は仲が悪くても、さすがにこういう時に責めたりはしない。
なんだかんだ言って、みんなで一つのチームなのだ。
「……うるさいわね。あたしだってそう思いたいわよ。でも、あたしの責任なの。そのことだけは誤魔化しちゃダメ……」
「ちげーよ! ボスが言ってたこと忘れたのか? このチームで何かあったら、それは全部ボスの責任だってな!」
ジーノ……いや、それでいいか。ロゼットが責任を感じる必要はない。
任務の失敗は、すべて俺の責任だ。
だから、たとえ上手くいかないとわかっていても、最後まで望みは捨てない。
(メリーナ……集中するんだ。ワイバーンには、俺が必ず当てる)
俺は心の中で語りかける。
今は、それだけで彼女に伝わるとわかっていた。
(うん……わたしはみんなを……ライを信じてるから……)
まるで、心の奥底から響いてくるように、メリーナの返事が聞こえてきた。
さらにメリーナの集中が高まったのを感じる。もう魔獣の位置も、35561体はつかんでいる。あとは、【天地を貫く光柱】を放つだけ。
最後の1体は、俺がなんとかしてやる。
そして――メリーナが決意を固めた。
その時だった。
「しゃーない」
ふいにジーノのため息まじりの声が聞こえてきた。
意識の外で、ジーノが俺たちに近寄ってくるのを感じる。
「どうしたんですか、ジーノさん?」
アイマナが心配そうな声で尋ねている。
「魔導地図、見てみな」
「あっ! 赤い点が動いて……」
「ワイバーン、もう復活しちまったみたいだ。でも、ちょうどよかったよ」
ジーノの言葉の意味がわからない。
しかし、その答えにたどり着く前に。
グオオォォッアアァァァォッオオオォォォォ――。
ワイバーンの咆哮が聞こえてきた。
もう近くまで迫ってきたのか。
「メリーナ様、すんません! また会うことがあったら、マジで土下座しまくるんで……お許しください!」
プチン。
と、脳内に音が響いた。
髪の毛が抜かれたのだ。でも、俺のじゃない。メリーナの髪の毛だ。
ジーノ……メリーナの髪の毛を持って何を?
俺が疑問に思った時には――。
「しつけえぇんだよっ! こんちくしょおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
ジーノが叫び声を上げながら、プリの背中から飛び降りた。
「ジーノ!」
「ジーノさん!」
ロゼットとアイマナの悲鳴が聞こえる。
だが、すぐにロゼットは自分のすべきことを理解したようだ。
「ライライ、メリーナちゃん……あのバカ、ワイバーンに飛びついたわ……今なら、たぶん……」
ロゼットの言葉を聞いた瞬間――。
(いまだ!)
心のうちで叫び、俺たちは、魔法を発動させた。
――――――――。
夜が割れて太陽が生まれたかのように、世界がパッと明るくなった。
まるで、激しい雨が降り注ぐように、光の柱が天から地上へと降り注ぐ。
そのひとつひとつ、合わせて35562の柱は、寸分の狂いもなく、正確に魔獣だけを貫いた。
魔獣たちが倒れる気配を感じる。奴らが放つ、地鳴りのような断末魔の合唱が、遥か上空にまで響いてくる。それは、永遠を思わせるほど長い時間聞こえていた。
しかしその喧騒がふいにやみ、沈黙が訪れる。
それからしばらくして、下の方から、歓声が鳴り響いてきた。生き残った群衆の歓喜と解放の声だ。
「……………………」
俺はぼうっと、歓声に耳を傾けていた。
「終わったの……?」
ロゼットが最初に口を開いた。
それに対して、俺は短く応える。
「たぶんな」
「ライライ……大丈夫?」
ロゼットが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫とは言えないが、俺よりもメリーナはどうなってる?」
あいにく俺は、プリの背中に倒れ込んだ状態で、指さえ動かせなくなっていた。
「メリーナちゃんは……気を失ってるけど、安らかな寝顔というか……苦しんでる感じはないわ」
「よかった……。まあ、しばらく魔法は使えないだろうけど」
「ライライも?」
「さあな。でも、その程度で済んでくれたらラッキーだよ」
「そうよね……最小限の犠牲で済んだのよね……」
ロゼットは自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。
そんな彼女を励ますつもりだったのか、アイマナが口を開く。
「マナ、ジーノさんのこと、尊敬します」
「そうね……あんな奴をライライが仲間にしたの、初めは不思議だったけど……。今ならわかるわ……」
ロゼットの目から涙がこぼれ落ちた。
その顔を見てると……さすがに俺も気まずい思いがしてくる。
「ソウデン」
俺はその名を呼ぶ。
と、ロゼットとアイマナが驚いた顔を浮かべる。
二人は当然、ソウデンも気絶していると思っていたはずだ。
「団長、さすがですね。まさか気づいてるとは……」
この目で直接見ることはできないが、ソウデンの涼しげな笑顔が想像できる。
しかし動く気配がないということは、奴もだいぶダメージを負ってるみたいだ。
「はぁっ!? なに? 起きてたの?」
ロゼットが慌てた様子でソウデンに話しかける。
すると、すぐにソウデンの返事が聞こえてきた。
「意識が戻ったのはちょっと前だよ」
「いつ目を覚ましたのよ?」
「彼が勇敢な突撃をする寸前だ」
「そっか……じゃあ、あんたもジーノの勇姿を見られたのね……」
ロゼットはすっかり落ち込んでいた。いくらケンカばかりしてた相手とはいえ、さすがにショックなのだろう。
それだけに、俺は長引かせたくなかった。
「ソウデン、いい加減にしろ」
「ハハッ、団長はなんでもお見通しなんですね」
「俺は魔力の臭いを嗅げるからな」
「なるほど。しかし、せっかく団長の驚く顔が見られると思ったのに……。ロゼットくんの方じゃなくてね」
ソウデンがわざとらしく煽るようなことを言う。おかげでロゼットも、何か勘付いたようだった。
「ライライ、ソウデン……あなたたち、あたしになにを隠してるの?」
「ロゼットくん、これは僕からのプレゼントだ」
ソウデンがそう言うと――。
「うひゃあああぁぁぁぁぁっ!」
聞き慣れた間抜けな声とともに、プリの背中に何かが落下してくる。
俺にはその姿を見ることはできなかったが……。
「なんで……ジーノ……」
ロゼットの呆然とした声が聞こえてくる。
「いやぁ……オレも何がなんだか……絶対死んだと思ったんだけど……」
ジーノ本人も理解していない様子だ。
すると、ソウデンが実に意地の悪そうな声で解説を始める。
「ジーノくんがプリくんの背中から飛び降りる瞬間、僕が魔法を使ったんだ。彼の足に、風の綱をつけたと想像してもらえればいい。その綱を、メリーナ様の魔法が当たる瞬間に、引いたんだ」
「ウソでしょ……? それで、あの雷の柱が当たらないで……下にも落っこちなかったってこと……?」
ロゼットは、まだ信じられないといった感じだが、理解は早かった。
一方、当の本人はあまりわかっていない様子だ。
「マジで? オレってソウデンに助けられたの? なんでだよ?」
「安心してくれたまえ。僕の方から見返りを催促するつもりはないから」
「うおぉいっ! その言い方、めっちゃ恩着せるつもりじゃねぇか!」
「少なくとも、金銭は要求しないよ」
「要求されても困るっての! オレがどんだけ借金あると思ってんだよ! ……ん? でも待てよ。一回死んだみたいなものだし、これで全部チャラになんねーかな?」
ジーノは一人だけ大声で騒ぎまくっていた。案外、死にかけた本人は気にしないものらしい。
「……マナ、あの人を尊敬するのは延期します」
アイマナがなぜか俺に報告してくる。本当にどうでもいい。
「ライライ……知ってたのよね? なんですぐに教えてくれなかったのかしら?」
ロゼットが見下ろしてくる。その顔からは、すべての感情が抜け落ち、瞳からは光も失われていた。
今は動けないせいもあって、普段とは比べ物にならないほど恐ろしい。
「俺は気づいてからすぐに言ったつもりだ」
「……じゃあ、悪いのは向こうの二人ってこと?」
「まあ……そうかな……」
「ライライ、新しいメンバーを探しておいてね」
そう言って、ロゼットはソウデンたちの方へ向かっていった。
その後、何があったのか、俺の視界には映らなかったので、わからない。
ただ、よく聞くジーノの悲鳴と、初めて聞くソウデンの呻き声が、夜空に響いた気がした。




