No.130
ワイバーンと目が合った気がした。
俺は嫌な気配を感じ、すぐに指示を出す。
「プリ、上昇しろ!」
ワイバーンの喉が赤く輝き始めた。
首の付け根から徐々に上昇していく光が、まるで体内を這い上がる溶岩のように見える。その光は次第に強さを増し、ワイバーンが大きな口を開ける。喉の奥に一瞬、小さな太陽かと思うほどの眩い光が見えた。
その瞬間――。
ゴオオオオオォォォォォォ――。
轟音と共に、ワイバーンの口から炎が放たれた。
赤い灼熱の奔流が、大気を引き裂くように迫ってくる。それは単なる炎というには、余りにも凶暴すぎた。
プリはさらに速度を上げ、雲を突き抜け上昇していく。
「きゃっ!」
メリーナが必死に俺の腕にしがみついてくる。
そして――。
「ピイイィィ〜!」
プリがひときわ大きな声を上げたところで、炎の渦がギリギリ横をかすめていった。
直撃は免れたが、それでも肌がヒリつくほどの熱波を感じた。
何かが焦げたような臭いが鼻をくすぐり、俺は慌てて周りを確認する。
「みんな、大丈夫か!?」
声をかけると、全員がうなずいて応えた。
「プリも大丈夫だったか?」
「ピイィ……」
プリの返事は、少し元気がない。単に熱かったせいなのか、あるいはどこか火傷してしまったのか……。
「ライライ、また来るわ!」
ロゼットの声が聞こえた時には、すでにワイバーンが目の前に迫っていた。
グオオォォッアアァァァォッオオオォォォォ――。
ヤツの咆哮が大気を震わせる。
それから間髪入れずに、炎が吐かれた。
「プリ、とまれ!」
俺は指示をしたと同時に、魔法を発動させる。
【巨人を守りし盾】
あっという間に、広範囲に渡って空間が固着し、透明な盾を形成する。
ワイバーンから放たれた炎の渦は、その盾に衝突し、轟音を上げながら弾け散る。
ゴオオオオオォォォォォォ――。
炎の渦も、その熱も、今度は届いてこなかった。
「完全に封じ込めたぜ! さすがボス!」
ジーノは無邪気に喜んでいるが、まだワイバーンが目の前にいる状況は変わらない。
奴はこの空域を縄張りと考えているのだろう。このままだと、飛行している限り攻撃にさらされる。
ソウデンも同じことを考えていたらしく、声をかけてくる。
「団長、僕が出ましょうか?」
「いや……このまま空中で戦うのは分が悪い。いったん下に降りて、メリーナたちの安全を確保してからだ」
俺がそう言うと、さっそくプリが降下を始めた。
しかしワイバーンも追ってくる。
またヤツの喉が赤く輝き始め、口が開かれようとしていた。
俺は迎撃するため、魔法の準備に入るが――。
その瞬間、雷光に似た光の線が、俺たちの目の前を横切る。
ズドンッ!
一瞬遅れて、空気を震わせる衝撃音が聞こえてきた。
光線は、浮遊魔導艦から放たれたものだった。それが、見事にワイバーンの腹部を捉えていた。
「おおー! すげー!」
落下していくワイバーンを見て、ジーノが歓声を上げる。
「なんで……? あの魔導艦と魔獣は味方同士なんじゃないの?」
メリーナが俺の腕を引っ張りながら、唖然とした声で聞いてくる。
「太古の魔獣を呼び出せても、制御はできないんだろうな。逃げるにしても、浮遊魔導艦の速度じゃ、ワイバーンは振り切れない」
「そうなんだ……」
メリーナは素直に納得してくれた。
すると、今度はロゼットが話しかけてくる。
「一発で魔獣をやっちゃうなんて、思った以上に強力な魔導兵器なのね。やっぱりライライ、もらっておいた方がいいんじゃない?」
「そうだな……。ただ、一発で仕留められたかどうかは――」
いや、違う。
俺はそのことを思い出した。
「ワイバーンは復活してくるぞ! プリ、最速で離脱しろ!」
「ピイイィィィ〜!!」
俺が指示を出すとすぐに、プリが大きな声を上げる。
そして、浮遊魔導艦とは反対の方へ飛翔していった。
◆◆◆
ワイバーンと遭遇した地点からだいぶ距離を置いたところで、プリはいったん空中に静止する。
後ろを確認するが、ワイバーンの姿は見えない。どうやら追ってきてはいないようだ。
「あの魔導艦、大丈夫だったかしら……?」
メリーナが心配そうに尋ねてくる。
それに対して、俺は正直に話した。
「逃げる途中で爆発音が聞こえた。無事では済まなかっただろうな」
「そんなっ――」
重い沈黙が場を支配する。
遥か下の方からは、悲鳴や、咆哮、破壊音が絶え間なく聞こえてくるが、この高度からでは、もう人影を識別することはできない。
「どうするの……?」
ロゼットがあえて空気を読まずに尋ねてくる。
その問いかけに対する回答は、まだ俺の中でも固まっていないが……。
「問題は、太古の魔獣を同時に攻撃しないといけないことだ。しかも確実に命を奪えるほどの威力で」
「そんなこと、できるんすか?」
ジーノが当然の疑問を口にする。
俺が言うまでもなく、みんな同じようなことを考えていたのだろう。
このミッションは不可能だと……。
「ライでも無理なの?」
メリーナはどこか期待するような目で、俺を見つめてくる。まるで親に期待する子供のように。
だから俺は嘘をつかず、はっきりと答えた。
「正直に言うと、難しい」
「どうして? なにが難しいの?」
「これだけの数の敵を、同時に攻撃するっていうのがな……」
「それは魔獣が見えない場所にいるから、ってこと?」
「ああ。魔獣の位置を把握できてないと、そもそも攻撃が当たらない。そして1体でも討ち漏らしたら、全員が復活するんだ」
さっきからずっと、色々な方法を考慮していたが、やはりその点が一番の難題だ。
「センパイ、この魔導地図は使えないですか?」
「ヤツらがずっと止まってれば使えるんだけどな。魔法を発動させる瞬間に、直感的にすべての魔獣の居場所を把握できないと、攻撃を当てるのは無理だ」
「そうですよね……」
アイマナはしゅんとなってうつむいてしまう。
すると、ソウデンが何か思い出したような顔で話し出す。
「太古の魔獣に、団長の発信機でも埋まってればいいんですけどね」
「……そうだな。それなら魔力を察知して、魔獣の居場所も把握できる」
「団長の髪でも貰えれば、僕の魔法で魔獣たちにビーコンをつけてやりますよ」
「あいにく俺の髪には、そこまでの魔力は込められてないよ」
「それなら指あたりにしておきますか?」
「ビーコン10コ作るために、指を切り落とすつもりはない」
「足もあるので、20はいけますよ」
ソウデンが微笑みながら言う。
どこまで本気なんだ、こいつは……。
「ねぇ、ビーコンってなんのこと?」
横からメリーナが腕を引っ張ってくる。
なので、俺は簡単に説明してやった。
「前に、メリーナの髪を目印にして、さらわれたロゼットを探しただろ。あんなふうに、魔力が込められた髪の毛や、物を、ソウデンは便宜的にビーコンって呼んでるんだよ」
「じゃあ髪を使えばいいんじゃないの?」
「いま言った通り、俺の髪にはそこまでの魔力は込められていない」
「そうじゃなくて、この髪のことよ」
メリーナは自らの長い後ろ髪を掴み、俺の方に差し出してくる。
あまりに突然すぎる提案だったせいで、少しだけ気圧されてしまった。
「確かに可能だけど……いや、でもメリーナの髪を使うわけには……」
「ライ、悩む時間が長くなるほど、被害も大きくなるんじゃない?」
メリーナが真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
いつの間に、こんな覚悟の決まった顔ができるようになったのか。
俺はソウデンの方に目線を送る。
「可能か?」
「マップの位置情報が正しければ恐らく。もちろん、初めて試すことになりますが」
「それじゃ少し試してみるか。メリーナ、髪の毛を――」
俺はそう言いながら、再び彼女の方に視線を向ける。
その時には、メリーナはその手に短刀を握っていた。サンダーブロンド家の印璽だ。
それから彼女は躊躇うことなく、長い後ろ髪を、根元からバッサリと切り落とした。
「「「――――ッ!?」」」
その場にいる全員が絶句していた。
なんと声をかけていいのか、その行動の意味をどう受け取っていいのか、まるで理解が追いつかない。
そんな中、メリーナだけが穏やかな微笑みを浮かべていた。




