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No.117

<ニュールミナス市/リブラフォー魔導病院/第一診察室>


 ――大帝王降臨会議まで、あと3日となった日のこと。


 白い壁に囲まれた診察室は、しんと静まり返っていた。清潔な空気の中に、かすかな消毒液の香りを感じる。


 マリオン・ホワイトリブラは机に向かい、熱心に何かの本を読んでいた。彼女は俺が部屋に入っても一瞥もくれない。


「こんな遅くまで仕事ですか?」


 そう声をかけても、彼女は俺の方を見てくれなかった。本に顔を向けたまま、声だけで相手をしてくる。


「魔導医療は驚くべき早さで進歩しています。ついていくには、休んでる暇はありません」

「継王なのに、勉強家ですね。だけど、もうすぐ大帝王降臨会議だ。あまり根を詰めると、当日に体調を崩してしまうかもしれませんよ」


 俺がその話題に触れると、ようやく彼女は本を閉じて俺の顔を見てくれた。


「GPAのライさん。回りくどいのはやめて、単刀直入に話してください」

「俺が何者か知ってるんですか?」

「ブルトン様とは懇意にしていました。患者と医師という立場で。あなたのことも聞いています。ですから、私への敬意も不要です」


 そういえばブルトンは、マリオンに診てもらってたんだったな。

 彼女がそう言うなら、俺も普段通りにさせてもらうか。


「それじゃ、はっきり言う。3日後の大帝王降臨会議で、メリーナ・サンダーブロンドを支持してほしい」

「……それに答える前に、一つ質問があります」

「ブルトンが知りたがっていた俺の正体についてなら、答えられない」

「あなたが何者かなんて、私には全く興味ありません」

「では、何が聞きたい?」

「ブルトン様の死について」


 マリオンの目に力がこもった気がした。わずかに敵意のようなものも感じる。


「彼の死について、何か疑問でも?」

「後で聞いたのですが、ブルトン様の死に際して、私を呼ばないように助言した者がいたと」

「残念ながら、あの朝に倒れた時点で、手の施しようはなかった」

「やはり、あなただったのですね。なぜですか? 私なら、彼を救えたかもしれません。なのに、なぜ医者でもないあなたが判断したのですか!」


 マリオンが声を荒げる。やはり彼女は、俺がブルトンに何かしたと思ったらしい。

 しかたない……誤解は解いておかないとな。


「【死神の抱擁(ハーベストソウル)】」


 俺は一言だけ魔法名を告げた。

 それだけで、聡明なマリオンは理解したようだ。


「<死呪(しじゅ)系>の魔法ですね……。残りの寿命がわずかな人間の命を散らせる効果がある。ただし、その者の心身が耗弱していないと効果は生まれない。それがブルトン様に使われたと?」

「ああ。誰の仕業かまではわからないが」

「では、あなたの可能性もあるのですね」

「俺がわざわざ罪を告白しにきたって言うのか?」


 抑えていたつもりだったが、俺は少しだけ感情が漏れてしまった。マリオンはそれに気づいたかのように、ふっと息を吐く。


「……すみません。少しだけ試させてもらいました」

「どういうことだ?」

「あなたの所見は、私と一致しています」

「まさかブルトンのこと、知ってたのか?」

「死の原因を突き止めるのも医者の仕事ですよ」

「それなら、なんで俺を試すようなことをした?」

「あなたが嘘をつかず、正直に話したなら、大帝王降臨会議でメリーナ様に投票しようと考えていたのです」


 マリオンはあっさりと、メリーナへの支持を口にした。

 しかしあまりに突然のことだったので、俺はすんなり受け入れることができなかった。


「俺の話と、メリーナへの支持が、どうして関係するんだ?」

「私は後悔しているのです……。世界最高の魔法医師と呼ばれていながら、ブルトン様の治療も、暗殺も防げなかった」

「それは俺も一緒だ。あなたが気にすることじゃない」

「私の気持ちをあなたに決められても困ります」

「……悪かった。それで、贖罪の意味でメリーナを支持するって言うのか?」

「勘違いしないでください。私は、メリーナ様を()()しているわけではありません」

「どういう意味だ?」


 俺にはマリオンの話が、いまいち要領を得ない。彼女の思考回路はかなり複雑に感じる。


 マリオン自身も、それはわかっているようだ。俺にどう伝えればいいのか、考えを整理しているようだった。


「このような言い方が正しいのかわからないですが、私はブルトン様の命を奪った人間が、大帝王になることを防ぎたいのです」

「フィラデルがやったと?」

「いいえ。誰がやったのか、あるいはやらせたのか、窺い知ることはできません。ですが、メリーナ様が違うことだけは、先ほど確信できました」

「当たり前だ。自分の父親なんだぞ」

「大帝王になろうとする者にとって、肉親の価値などあってないようなものです。GPAの方なら、よくご存知のはずでは?」


 確かに、マリオンの言ってることも間違いではない。大帝王どころか、継王が代替わりする時にも、親子や兄弟間での争いが発生するのだ。


「あり得ないことだが、仮にメリーナが()()を考えたとしても、【死神の抱擁(ハーベストソウル)】は使えない」

「ええ。だからこそ、あなたの意見を確認したのです」

「……なるほど、メリーナが俺にやらせたかもしれないと思ったのか」

「あくまで可能性の話ですけれどね。しかし違っていました。疑ってしまい、悪かったですね」

「構わない。俺が求めてるのは、大帝王降臨会議での結果だけだ」

「……あまり期待させるのも酷なので、言っておきます。私がメリーナ様を支持したとしても、大勢に影響はないと思いますよ」


 マリオンは気づかうように言ってくる。だが、厳しい現状については、他の誰よりも俺が理解している。


「心配しなくていい。俺は必ずメリーナをグランダメリス大帝王にする」



 ◆◆◆



 俺は3日前のことを思い返していた。あの日、明確に約束したわけではないが、マリオンはちゃんとメリーナを支持してくれた。


 こうなることを想定はしていたが、実際に目の前で現実になると、ほっとした気分になる。


「ふぅ……」


 思わず息が漏れた。そんな俺の様子を、アイマナやロゼット、ジーノたちが見つめていた。

 詳しいことを話したわけではないが、みんなは何かを察したようだ。ジーノとロゼットが嬉しそうに声をかけてくる。


「さすがライライ! すごいわ! これでメリーナちゃんが4票よ!」

「ボス! オレは信じてたっす! マジ、最高っす!」


 二人は、飛び跳ねるくらい喜んでいた。その気持ちも、わからないでもない。崖から落ちるところだったのが、ギリギリ指が引っかかったのだ。

 とはいえ、落ちかけている状況に変わりはない。


「……残りの二人は、特にフィラデル様と親しい継王です。マリオン様とは、明らかに立場が違います」


 アイマナが冷静な分析を口にする。

 それを聞き、ロゼットとジーノの喜びも、一瞬で冷めてしまった。


「そうよね……まだ決まってなかったわ……」

「ていうか、それならやっぱり終わりじゃん……」


 一喜一憂するのは本人の勝手だが、もう少し静かにしてほしいものだ。

 俺がそんなことを思っていると、誰よりも無感動な声が聞こえてくる。


「さて、決めるのはどちらの継王か……」


 ソウデンは魔導スクリーンを見つめたまま、独りつぶやいていた。

 それに合わせたかのように、画面の向こうでは巨漢の老父が立ち上がる。


 キャンドー・レッドリングだ。


 圧巻の迫力、その存在感に、降臨の間の空気が引き締まったように見えた。

 フィラデルであっても、さすがに口を挟むことはできず、ただ成り行きを見守っている。

 

 そして、全ての視線が注がれる中、キャンドーは『金色』の札を手に取った。


「ウソ……」

「マジで!?」


 ロゼットとジーノは、ほぼ同時に驚きの声を上げていた。


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