No.105
「プリ、そこから明かりは見えないか?」
俺は屋上からの景色を確認したかった。
しかし返ってきたのは、最悪の回答だ。
『どこ見ても、真っ暗わね! なにも見えないわね!』
プリが目を凝らしても見えないということは、相当な範囲の停電が起きているということだ。
その時、ふいに俺の目の前でわずかな明かりが灯った。
アイマナが携帯用のランタンに火をつけたのだ。
「恐らくニュールミナス市内全域が停電してますね」
「ああ。街のいたるところで、トラブルが発生してるはずだ」
「『泥だらけの太陽』が動き出したタイミングでの停電。これが偶然だとは思えません」
「やってくれたな、サリンジャー……」
まさかこんな手を使ってくるとは思わなかった。
この周辺には、十三継王家それぞれの護衛隊が詰めかけているが、これで連携が取れなくなる可能性が高い。
「センパイ、メリーナさんを助けに行かなくていいんですか?」
「まずは状況を確認したい。無線は使えるんだよな?」
「……プリちゃんとは連絡可能です」
「どういう意味だ?」
「停電の直前、王宮との無線が切断されました。<魔導ジャミング>が発生したものと思われます」
「なんだと?」
「通常の無線も魔導無線も、まとめて使用不能にされたはずです。恐らく『泥だらけの太陽』の工作員も舞踏会に潜入していたんでしょう。ウチのチームのように――」
アイマナの話が終わるのを待たずに、俺は無線に呼びかける。
「ロゼット! 聞こえてたら返事をしろ! ジーノ、ソウデンでもいい!」
俺は繰り返し、何度も呼びかける。しかしロゼットたちからの返事はない。
聞こえてきた声は、ただ一つ。さっきと同じ、甘ったるくてクセのある声だった。
『プリ、聞こえてるわね!』
「……ああ、わかってるよ。そこからシルバークラウン家の王宮は見えるか?」
『ちょっとずつ明かりが出てきたわね!』
「魔法か非常灯だな。よし、プリは今すぐ王宮に行ってメリーナたちを救出しろ」
『はいわね!』
プリの返事と共に、風を切る音が聞こえてきた。オレンジ髪の少女が、屋上から羽ばたいたのだ。
これでプリと連絡を取ることもできない。
俺も一刻も早く、王宮に向かわなければならないが。
ふと、目の前の白銀色の少女と目が合う。
すると彼女は、静かに微笑みながら言うのだった。
「センパイ、マナのことは気にせず行ってください」
「いや、お前を残していくわけには……」
「大丈夫ですよ。こう見えて、マナは魔導ロボットですからね。ただの人間ごときには遅れを取りません」
「……絶対にここから動くなよ」
「もちろんです」
アイマナの返事を聞いてから、俺はすぐにホテルの部屋を飛び出した。
◆◆◆
ホテルの廊下は不気味なほど静まり返っていた。
真っ暗な中、非常灯だけがわずかな灯りを生み出している。
今夜はこのホテル自体を、ピンクコイン家によって借り上げてもらっている。その上、従業員も立入禁止にしたので、本来は誰もいないはずだ。
なのに、妙な気配を感じた。
俺は全速力で、ホテルの階段を駆け上っていく。あと2フロアで屋上だ。
屋上に出れば、シルバークラウン家の王宮まで一気に飛ぶことができる。
次の行動を想定しているうちに、俺は最上階にたどりつく。そして勢いのままに、屋上と繋がるドアを開けた。
その瞬間――。
「待ってたぜ、マイヒーロー」
妙に芝居がかった声が聞こえてくる。
そっちを見ると、月明かりに照らされた屋上の片隅に、一人の大男が佇んでいた。
「タツミ……」
俺がその名をつぶやくと、奴はゴツゴツした顔に嬉しそうな笑みを浮かべる。
相変わらずクマのような体型をしていて、灰色のスーツがまるで似合ってない。
「マイヒーロー、そんなに焦ってどこへ行くんだ?」
「わかってるだろ? てっきり、お前も招待されてるものだと思ってたんだけどな」
「もちろん呼ばれていたよ。一応この国の首相だからな。だけど、遠慮させてもらった。貴族ですらないオレは、ああいうところに行っても蔑まれるだけだ」
「……そんな泣き言を言うために、ここで俺を待ってたのか?」
「もちろん、そんなわけがない」
タツミがナイフを抜いた。そのクマのような身体と比較すると、すごく小さく見える。
だが、殺傷能力は充分だ。
「俺の命を殺りにきたのか? 一国の総理が自ら、たかが一組織のエージェントを?」
「あんただからこそ、他の奴には任せられないんだよ」
「お前ならできるって?」
「軍の特殊部隊に所属してた頃、俺はナイフ一本で、100人以上の魔法士を暗殺してきた」
「今さら自己アピールか?」
「いいや、自己暗示だよ!」
言うが早いか、タツミが地を蹴った。
その巨大な身体からは想像できないほど、素早い動きだ。
俺は一瞬、魔法を使うのを躊躇った。
その隙に、タツミはもう目の前に迫っていた。
「――くッ」
ギリギリでかわしたつもりだったが、タツミのナイフが俺の服をかすめていた。
「どうした、マイヒーロー。魔法は使わないのか? それとも使えないのか?」
「お前……」
タツミはこの状況をよく理解している。
俺が魔法を使うのを躊躇ったのは、この周辺が警戒地域になっているからだ。魔法を使えば、十三継王家の護衛隊、帝国魔法取締局、そしてテロ組織の連中にまで気づかれる恐れがある。
もし誰かがこのホテルを調べに来れば、アイマナの身が危険に晒されるのだ。
「タツミ、なぜ今さら俺を殺そうとする?」
「あんたにはずっとムカついてたんだよ。せっかく国の頂点に登りつめたってのに、アレコレ口出ししてきやがって」
「すべて、グランダメリスのためだ」
「聞き飽きたセリフだ。それがGPAの役割だって言うんだろ? だが、もうGPAはなくなった」
タツミの真意がわからない。元々、血気盛んな奴ではあったが、わざわざ俺に喧嘩を売るほど愚かな奴ではなかったはずだ。
もしかしたら、タツミの意思ではないのか?
ふと、そんな想像が頭をもたげる。だがこの男は、思考を深める猶予を与えてはくれない。
「マイヒーロー、いいのか? オレに時間をかければかけるほど、あんたの大事な陛下の身が危うくなるぜ」
「……安心しろ。お前に時間をかけるつもりはない」
「やる気になってくれて嬉しいよ。それじゃ、存分に殺り合おうじゃないか」
「その前に、二つ質問がある」
「チッ、相変わらずノリの悪いヒトだな。これ以上、何を聞くってんだ?」
「一つ、狙いは俺だけか? そしてもう一つ、お前はサリンジャーとも連携してるのか?」
「オレの狙いはあんた一人だ。仲間にも、サンダーブロンド陛下にも興味はない。サリンジャー? 誰だよ、そいつ!」
吐き捨てるように言うと、再びタツミが突っ込んでくる。
さっきの数倍に感じるほどのスピード。あっという間に距離が詰まる。
そしてタツミがナイフを繰り出して――。
速い!
よけきれない――。
その刹那、俺の胸元にナイフが突き立てられた。




