No.104
グランドホールを抜け出し、メリーナたちは再び庭へ出ていた。
そして人の少ないところへ行くと、メリーナは勢いよくロゼットに抱きついた。
『よく頑張ったわね、メリーナちゃん』
ロゼットは優しい言葉をかけ、メリーナの長い髪をしばらく撫でていた。
それでメリーナも落ち着きを取り戻せたようだ。
『いろいろなことがあって……ちょっとだけ疲れちゃった……』
『ごめんね。あのクズ男を遠ざけようとしないで、そばにいるべきだったわ』
『ううん。ロゼットさん、今日はずっとそばで励ましてくれたでしょ。本当に感謝してるわ。ありがとう』
メリーナは抱きついたまま、素直に礼を言う。
すると、ロゼットが珍しく照れたような表情を浮かべていた。
『お礼なんて……あたしはライライの代わりをしただけよ。結果はともかく、メリーナちゃんが無事でよかったわ……』
ロゼットは、もう今日の仕事が終わったかのような雰囲気で話していた。
実際、もうすべき事は残っていない。今夜の宴もそろそろ終わりだ。
「後は見守るだけですね」
アイマナは大きく息を吐き出すと、イスに寄りかかりながら言う。
「最後まで気は抜くなよ」
「わかってます。でも今日の厳重な警備体制を見たら、『泥だらけの太陽』も諦めたんじゃないですか?」
「そうだといいんだけどな……」
アイマナの言ってることは何も間違っていない。許可を得てない者は、シルバークラウン家の王宮に近づくことさえできないだろう。
それは俺も理解している。しかし、妙に胸がざわつくのだ。
俺は緊張感が抜けないまま、監視カメラの画面を眺めていた。
すると、グランドホールで楽しそうにしていた人々が、急に動きを止めた。
彼らの顔には、驚きと怯えの表情が浮かんでいる。
視線は、グランドホールの入口に向けられているようだが。
「アイマナ、大広間の入口を出してくれ」
「了解です」
中央の大型モニターに、グランドホールの入口の様子が映し出される。
そこに、頭からつま先まで、全身真っ黒なローブに身を包んだ人物が佇んでいた。
「リン・ブラックサイス……」
俺はそいつの名をつぶやく。
するとアイマナが、驚きの声を漏らした。
「いま来たんですか? もう舞踏会は終わっちゃいますよ」
「こういう場が似合わない奴だからな。もしかしたら気をつかったのかもしれない」
「えぇ……? 何を考えてるのかわからない方ですね」
「実際、名前以外は、ほとんどが謎に包まれてる奴だ」
「そんな人が大帝王になれるものなんですか?」
「奴がどこまで本気なのかは、俺にもわからないよ」
そんな話をしていると、耳の奥から声が聞こえてきた。
『団長、招かざる客です』
その報告を聞き、アイマナが映像を切り替える。
映し出されたのは、王宮の廊下にいるソウデンの姿。
そしてその目の前に、ちょうど一人の男が立ち止まったところだった。
「今度はレンジ・レッドリングですか」
その男の名をつぶやくアイマナの声にも、緊張感が戻っていた。
奴は以前と同じように、真っ赤な短髪を逆立てている。細い眉毛は吊り上がり、瞳はルビーのように赤い。
『よォ、確かテメェもヤツの一味だったよなァ?』
レンジがサディスティックな笑みを浮かべ、ソウデンに話しかける。
相変わらず両手は指輪だらけだ。ただ、派手な赤色とはいえ、礼服を身につけているあたり、最低限の常識はわきまえているらしい。
「リン様の付き人として来たんでしょうか?」
アイマナが確認するように聞いてくる。
確かにその可能性は高いが。
「わからないが、メリーナに近づかせるわけにはいかない」
アイマナにそう答えてから、俺はマイクをオンにし、無線の向こうに語りかける。
「レンジ・レッドリングが現れた。ロゼットはメリーナと撤退してくれ。ジーノはビオラに話して、一緒に帰れるよう手筈しろ。ソウデンはレンジの足止めだ」
そう指示すると、画面の向こうでは、それぞれが動き始める。
特に重要なのは、ソウデンだ。
『レンジ様。あの時は挨拶もできず、失礼いたしました――』
ソウデンは、さっそくレンジに話しかけていた。
しかし全くと言っていいほど相手にされない。
『ウッセーよ。ペチャクチャと』
レンジはさっさと歩いて行ってしまう。
ソウデンはそこで一瞬悩んだ素振りを見せる。
だが結局、足止めの方法が思いつかなかったらしく、肩をすくめていた。
……諦めが早いな、こいつ。ジーノならもう少し粘るのに。
『メリーナちゃん、行くわよ』
庭の片隅では、ロゼットがメリーナの手を引き、歩き出していた。
こっちの方は問題なさそうだ。
『ボス、いまビオラ様と接触するのは厳しそうっす』
その報告を聞き、アイマナはジーノを中央のモニターに映し出す。グランドホールの奥の方にいるようだ。
ジーノの視線の先では、ビオラがピアノの演奏をしていた。
「そういえば、そんな予定が入ってたな」
ビオラは世界一と称される音楽家でもある。そのため、フィラデルを祝すための演奏を依頼されていたのだ。
この状況だと、まだ数十分は身動きできなそうだ。
「センパイ、メリーナさんたちだけで退出させては?」
「ダメだ。ピンクコイン家の護衛隊なしで帰らせるのはリスクが高い」
「センパイやロゼットさんたちがいれば、なんとかなると思いますけど」
「確かにそうかもしれないが……」
今すぐにメリーナだけを連れて帰ることは可能だが、そうなると後の様子がわからなくなる。俺たちが撤退した後に、ここで不測の事態が起こらないとも限らない。
「いや、やっぱりビオラのことも心配だ」
「まぁ今のメリーナさんにとっては、後ろ盾みたいなものですしね」
「そうだな……。レンジがメリーナに何かすると決まったわけじゃない。少し様子を見よう。ソウデン、ジーノ。二人でレンジを見張れ。メリーナには絶対に近づけるなよ」
俺の指示に、画面の向こうの全員が大きくうなずく。
それからしばらくの間、俺たちはレンジの様子を窺っていた。
どうやら奴は、リンと示し合わせて来たといった感じではない。それに、メリーナを探してる様子もない。
これなら、舞踏会が終わるまで待っていても大丈夫そうだ。
俺がそんなことを考えていた時だった。
『ライちゃん! なんか来たわね!』
突然、プリの声が聞こえてきた。かなり緊迫した雰囲気だ。
「プリ、何があった?」
『いろんな方向から、たくさんのヒトがこっちに向かってくるわね』
「空はどうだ?」
『空飛ぶ船は見えないわね〜』
「サリンジャーの臭いはするか?」
『チョウカンの臭いはわからないけど、メリちゃんの家を壊したヒトの臭いがいっぱいするわね!』
俺はアイマナと顔を見合わせる。
そしてアイマナが、眉をひそませ尋ねてくる。
「浮遊魔導艦を使わずに、地上からシルバークラウン家の王宮を襲撃するつもりでしょうか……」
「王宮の中も、周りも、十三継王家の護衛隊で埋めつくされてるんだ。いくら人数が多くても、正面から戦って勝てるわけがない」
「じゃあ、他に何か手があるんでしょうか――」
アイマナがつぶやいた瞬間だった。
フッと、部屋の明かりが消えた。
ライトだけじゃない。部屋に並んでいた数十台のモニターも、一斉に電源が落ちた。
「停電か!?」
俺は急いで窓の外を確認する。
そこには、暗闇が広がっていた。どこまで目を凝らしても、少しの明かりも見えない。あれだけ明るく輝いていたシルバークラウン家の王宮も、完全に闇の中に溶けていた。




