No.103
「センパイ、助けに行った方がいいんじゃないですか?」
「ロゼットがついてるなら大丈夫だろ」
「ロゼットさんがついてるからダメなんじゃないですか。どうするんです? 舞踏会が火の海になったら」
「さすがにロゼットでも、継王相手にそんなことは――」
いや、あいつならやるかもしれない。
そう思ったところで、モニターの向こうではメリーナの引っ張り合いが始まった。
『キミ、ただの侍女だろ? 許可もなく私に話しかけるな。下がっていたまえ』
フォンタはメリーナに対する態度とは違い、偉そうにロゼットに命令する。
おかげで、ロゼットの眉間にシワが寄り始めた。
『私は、メリーナ様の身の安全を守るのが仕事ですので、下がるわけにはいきません』
『俺がメリーナ様を傷つけると言いたいのか? 失礼だぞ。俺ほど女性の扱いが上手い人間は、この世に存在しないのだからな』
『メリーナ様はお疲れなのです』
『そうか、わかったよ。女の嫉妬は恐いな。メリーナ様と遊んだ後、キミとも遊んでやる。それでいいだろ? ……おっと、でも勘違いはしないでくれよ。あくまでキミはオマケだからな』
そう言うと、フォンタはいやらしく微笑む。
一方、ロゼットの眉間のシワは、どんどん深みを増していく。
『このゲス野郎が……』
ロゼットの低く抑えた声が、無線を通して聞こえてきた。
そこで俺は、即座に話しかける。
「ロゼット、落ち着け。そんな奴を相手にするな」
するとロゼットは、一瞬だけ監視カメラを見る。
それから床を見つめ、何度も深呼吸しながらつぶやいていた。
『あたしにはライライがいる。あたしにはライライがいる。あたしにはライライがいる……』
そのつぶやきを聞くと、アイマナが引きつった笑顔を俺に向けてきた。
「センパイ……冗談じゃなく、いつかロゼットさんに殺されますよ」
「この場を穏便に済ませられるなら、一回くらい殺されてやるよ」
とはいえ、俺が覚悟したところで意味はない。
モニターの向こうでは、フォンタが煽るようなことを言い続けているのだ。
『急に黙り込んでどうしたんだい? 嫉妬にまみれた侍女さん。嬉しすぎて泣いてるのかい? まあ噛み締めたまえ。俺の相手をするなんて幸運、キミの人生では二度と訪れないからな』
……こいつ、継王じゃなかったら、とっくに死んでたんじゃないか?
多少の耐性がある俺ですら愕然とするほど、フォンタの言動はひどい。
それでもロゼットは、ぐっと堪えていた。
『では陛下、先に私と踊ってくださいませんか?』
ロゼットは、怒りを無理やり抑え込んだ笑顔でフォンタに願い出る。
すると、さすがにフォンタも何かを察したのだろう。メリーナから手を離し、小さくうなずいた。
『……まあいいだろう。我慢のできない女も嫌いじゃない。遊んであげるよ』
ロゼットはフォンタに伴われ、広間の中央の方へ歩いていく。
残されたメリーナは、ほっと一息ついていた。
ひとまず難を逃れたが、このままメリーナを放っておくわけにはいかない。なので、俺は誰かを呼ぼうと思った。
その時、耳の奥から呼びかける声が聞こえてくる。
『ボス、まずいっす!』
「ジーノか。どうした?」
『メリーナ様のとこに、ヤバい奴が近づいてる』
「じゃあ止めろ」
『でも接触したら、俺が捕まっちまうんすよ』
「捕まる? 相手は誰だ?」
俺の質問にジーノが答える前に、モニターの画面に見覚えのある人物が現れた。
その姿を見て、俺は内心で舌打ちした。
まさかこいつが来てるとは……。
『お久しぶりです』
水色のローブを着たその男は、蛇のような目で睨みながら、メリーナに声をかけた。
『スネイルさん……?』
奴の名をつぶやくメリーナの顔にも、緊張感が滲む。
「センパイ、メリーナさんを助けなくていいんですか?」
アイマナの言う通り、誰かをサポートに向かわせたいところだ。ただ、俺も含めてチームの全員が、帝国魔法取締局から追われる身。迂闊には動けない。
「慌てるな。さすがにスネイルでも、継王には手出しできないはずだ」
「でも帝国魔法取締局の人は、絶対に恨んでますよ。センパイを逃がしたことで、結構な処分を受けたらしいですし」
「それこそ、ここでメリーナに何かしたら、仕事を失うだけじゃ済まない」
俺の想像通り、スネイルはメリーナに手を出そうとはしなかった。
それどころか、あからさまに媚びるような態度を取り始めた。
『メリーナ・サンダーブロンド陛下。これまでの数々の無礼、どうかお許しください』
『いえ……わたしは別に気にしてないから』
『ありがとうございます。それでは、一つ頼みを聞いていただけないでしょうか?』
『頼みって、わたしに?』
『はい。どうか、あの男の居場所を教えてほしいのです』
スネイルの狙いは、やはり俺のようだ。
しかし、その要求をメリーナが受け入れるはずがなかった。
『ライを引き渡せという話なら、お断りします』
『お願いです、メリーナ様! このままでは、私のキャリア……いえ、貴族としての地位まで危ぶまれるのです!』
スネイルは今にも泣き出しそうな顔で、必死に頼み込んでいた。
メリーナはその迫力に押され、一歩二歩と後ずさる。
しかしスネイルは、獲物を追い詰める蛇のごとく、ジリジリとにじり寄る。
「ジーノ、構わないからスネイルを止めろ!」
『オレが捕まっちゃうじゃないですか!』
「メリーナの身の安全が最優先だ。お前は後で必ず助けてやるから、早く行け」
俺がそう指示を出した直後だった。
『おいおい、なにやってんだ〜?』
フォンタがスネイルに声をかけていた。
ロゼットとのダンスが終わり、戻ってきたのだ。
『あっ……あの、フォンタ様……これは違うのです……』
スネイルはフォンタの姿を見ると、あからさまに狼狽していた。
対してフォンタは、冷酷な顔でスネイルをこき下ろす。
『違うって、何が違うんだよ? お前のようなゴミ貴族が、継王に直接声をかけていいと思ってるのか?』
『申し訳ございません。メリーナ様とは、以前の仕事で関わりがあったものですから……』
『黙れ、ゴミ。お前みたいな底辺貴族は、美しいメリーナ様の視界に入ることすら恥だと思え』
フォンタは演説するかのように、大げさな身振りでスネイルを罵倒する。
周りの招待客もそのことに気づき、嘲笑うような表情を浮かべていた。
「……あの人、すっかり没落しちゃったんですね」
アイマナがしみじみとつぶやく。
俺も見ていて気分はよくなかったが、かといってスネイルに同情する気も起きない。
「帝国魔法取締局は失態続きだったからな」
「彼は、アクアリウスブルー家の<第一類貴族>でしたよね? つまりフォンタ様の遠い親戚にあたるわけじゃないですか」
「だからこそ、フォンタからすれば、顔に泥を塗られた気分なんだろ。あれほどアクアリウスブルー家の権威を振りかざしてたんだからな」
「まぁ自業自得ですね。マナもまだ許してませんし。あの人は、センパイに酷い拷問をしたんですから」
確かに俺は、スネイルに尋問され、殴られ、挙句に地下の牢に何日も繋がれた。
今さらやり返そうなんて思っていなかったが。
画面の向こうではフォンタが、さらにスネイルにプレッシャーをかけていた。
『そうだ、スネイルくん。キミはメリーナ様に無礼を働いたと聞いたよ』
『無礼など、そんなつもりじゃ……。私は仕事をしていただけで……』
『なんだって? そんなに小さな声じゃ聞こえないよ』
『いえ、あの……』
『もういい。黙れ。とりあえず彼女に謝罪したまえ』
『しかし、メリーナ様は気にしないとおっしゃられて――』
『反論すんじゃねぇよ』
フォンタの冷え切った声が響く。
スネイルは真っ青になり、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。そしてそのまま、床に額をこすりつける。
『申し訳ございません。私のような愚かな人間が、メリーナ・サンダーブロンド陛下に多大なご迷惑をおかけしました。何卒お許しください』
スネイルは必死に、何度も謝罪の言葉を繰り返す。
華やかな舞踏会の中で、それは明らかに異様な光景だった。
さすがに周りの客たちも、表情を引きつらせている。
しかしフォンタだけは心から楽しそうな笑みを浮かべていた。
そして奴は、何度か満足そうにうなずくと、メリーナに言うのだった。
『さあ、メリーナ様。ヤツの頭を踏んでやってください』
『えっ……そんなことできません……』
メリーナは怯えた顔で、どうにか言葉を振り絞っていた。
すると、代わりだと言わんばかりに、フォンタがスネイルの後頭部を踏みつけた。
『ほら、メリーナ様は許してないじゃないか! お前の謝罪が足りないせいだぞ! アクアリウスブルー家の恥晒しが!』
フォンタは罵倒しながら、スネイルの頭を何度も踏みつける。
スネイルは抵抗することなく、ひたすら謝罪の言葉を口にしていた。
『申し訳ございません! 申し訳ございません! 申し訳ございません!』
異常すぎる光景に、メリーナは完全に固まり、動けなくなっていた。
しかしフォンタの注意が、完全にスネイルに向いた時だった。
『メリーナちゃん、行くわよ!』
一瞬の隙をついて、ロゼットがメリーナの手を引き、その場から離脱した。
フォンタはそれに気づくと、メリーナたちに何か声をかけようとする。
しかし、すでに距離があったので諦めたようだ。フォンタは軽く肩をすくめると、再びスネイルの頭を踏み始めた。
そんな様子を見つめながら、アイマナは呆然とつぶやいていた。
「マナ……この人とは絶対に関わりたくないです」
「安心しろ。こいつは、ガチガチのフィラデル派だ。交渉する余地もない」




