No.101
しばらくすると、アイマナがモニターの画面を切り替えた。
そこには、ゆったりとした緑色のローブを着た女性が映し出されていた。
長い髪を編み込み、植物系の装飾品で身を飾り立てている。
「オクサ・グリーンシード様がメリーナさんたちに接触します」
アイマナが報告してくる。
それから程なくして、メリーナの前にオクサが通りかかった。
『オクサ様。ご挨拶させていただいてもよろしいでしょうか? わたし、この度サンダーブロンド継王となった……』
先に声をかけたのはメリーナだった。
相手の女性は、ゆったりとした口調で応じる。
『メリーナ様ですね。知っていますよ。そんなに畏まらなくても大丈夫です。せっかくのご縁ですし、少しお話ししましょうか』
オクサは性格通りの穏やかな笑顔を浮かべていた。
継王の中では、最も平和的な人物なので、メリーナも幾分か気は楽なはずだ。
俺はそう思っていたのだが。
『あの……ありがとうございます。よろしくお願いします』
メリーナは変わらず緊張しているようだった。モニター越しだとわかりづらいが、やはり継王は誰でも、それなりの迫力があるらしい。
『メリーナ様も、こちらでお休みになられていたのですね』
『舞踏会にはまだ慣れなくて……』
『私もあのような騒がしいパーティーは苦手なんですよ。ちょうどウェイターの方から、静かな場所を教えてもらったんですが、もしかしてメリーナ様もですか?』
『えっと……はい。わたしも教えてもらって……』
当初の予定では、オクサとは別の場所で話す予定だったせいか、メリーナはしどろもどろになっていた。
その様子を目の当たりにし、アイマナがつぶやくように言う。
「マナ、メリーナさんの弱点がわかっちゃいました」
「……どういう意味だ?」
「メリーナさんって、まったくウソがつけない人なんですね」
「それがどうした?」
「こういう交渉事というか、腹の探り合いみたいな事には、絶望的に向いてないです」
そんなことはわかってる。でも、だからこそ俺たちも信頼関係を築けたのだ。ビオラが支持したのだって、それが理由だろう。
「他はともかく、オクサが相手なら、腹芸はしなくて済むはずだ」
「……でも、話の主導権は握られっぱなしですよ」
確かにアイマナの言う通りだった。
モニターに映る二人は、平和的に会話しているようにも見えるが、実際はほとんどオクサが一方的に話している。
『メリーナ様はお好きな植物はありますか? 今度ウチの庭園に、継王家の方々をイメージした植物園を作ろうと思っていまして。ぜひ皆さんのお好きな植物や花などをお聞きしたいんです。もちろん、野菜や果物でも構いませんよ』
話の中身も、オクサの趣味であり、生きがいでもある植物に関することばかりだ。
メリーナも必死に話を合わせようとしていたが――。
『その……わたしはタンポポとか……好きかも……』
同じレベルで話すのは厳しい気がした。
だが、オクサは優しげな口調でメリーナに話を合わせてくれる。
『メリーナ様は、なぜタンポポがお好きなんですか?』
『……幼い頃に、母と綿毛を飛ばしていたことが記憶に残っていて……。今ではもう、それくらいしか思い出が残っていなくて……』
メリーナの表情が悲しみに染まる。
俺も少し胸の辺りがざわついた。
そういえば、メリーナから母親のことを聞いたことはなかったな。
メリーナはあからさまに元気がなくなってしまった。
すると、ふいにオクサがメリーナの手を取り、穏やかな声で語りかける。
『素敵な思い出ですね。それでは、メリーナ様のためにタンポポの花園を作って差し上げます』
『そんな……わたしのためにわざわざ……』
『いいのですよ。私が好きでやることですから』
『オクサ様……ありがとうございます』
そんなやりとりを聞いていたせいか、アイマナも毒気が抜かれたようだった。
「なんだか良い人ですね、オクサ様。メリーナさんを助けてくれそうじゃないですか」
「それとこれとは別の話だ」
「センパイ……人を疑いすぎじゃないですか? もう少し人を信じたほうが――」
「静かに」
俺はアイマナの口を閉じさせる。
メリーナの瞳に、決意が宿ったのだ。
『オクサ様にお願いがあります』
『なんでしょうか? 私にできることならいいのですが』
『次の大帝王降臨会議で、私が大帝王になるのを支持していただけませんか?』
その言葉を口にしたメリーナの様子は、懸命というか、必死さが伝わってくる。
思わず応援したくなるような純粋さが感じられた。
一方、それを受けたオクサはというと。
『大帝王……』
彼女は驚いた顔で、一言だけつぶやく。
そして、すぐに元の穏やかな笑顔へと戻った。
その友好的な雰囲気に、アイマナも「やった」とつぶやいたほどだ。
しかし――。
『お断りします』
穏やかな笑顔のまま、オクサは簡潔な結論を口にした。
「なんで……」
アイマナが唖然としたようにつぶやく。まるでメリーナの気持ちを代弁するかのように。
モニターの向こうでも、メリーナは驚きのあまり固まっていた。
それを見かねたのか、オクサが丁寧に理由を説明し始める。
『メリーナ様には、個人的に好感を抱いております。ただ、我がグリーンシード家が求めるのは、平穏、静寂、調和なのです。残念ながら、メリーナ様がグランダメリス大帝王になったとしても、平和な世を実現するのは難しいでしょう』
グリーンシード家自体が伝統的に平和主義だが、オクサはそれに輪をかけて、超平和主義者なのだ。
これまでの出来事を考えれば、支持を得るのは難しいと思っていた。
『わたし、そんな暴力的な人間ではありません!』
メリーナが必死に反論する。
すると、オクサは眉尻を下げ、同情するように言った。
『もちろん、存じております。最近メリーナ様が巻き込まれているトラブルは、ご自身が望むものではないのでしょう。ですがこの先、またあのような問題が起こらないとも限りません』
『わたし以外が大帝王になれば、平和な世の中になるんですか?』
『それはわかりません。しかし、フィラデル様が大帝王を務めていた40年の間に、継王家の王宮が破壊されるような大事件は起こりませんでした』
オクサの説明に理があるとは、俺は決して思わない。
だが、メリーナを黙らせるのには充分だった。
しばらくしてオクサは、メリーナを置いて去っていった。
一人にしてやるのが優しさだと思ったのだろう。
実際、メリーナが受けたショックは計り知れない。うなだれたまま、なかなか顔を上げようとしないほどだ。
「この展開は、センパイの想定通りなんですか?」
アイマナがわざとらしく唇を尖らせ、睨んでくる。
「アイマナだってわかってたはずだ。事前の予想では、オクサが支持してくれる確率はどれくらいだった?」
「30%です……」
「だったら、この結果も不思議はないだろ」
「でも、あんなに親しげに話してくれたのに……」
「俺は継王なんてものに、なんの希望も持ってない。たとえ表面がどんなふうに見えようがな」
「……メリーナさんもですか?」
その質問には答えなかった。
考えるまでもないことだ。
それよりも、今はくだらないことに頭を使ってる場合じゃない。
「みんな、聞いてくれ。あと接触する予定なのは、スタナム・マッスルアンバーだ。ただし、無理そうなら諦めていい」
俺がそう呼びかけると、画面の向こうでジーノとソウデンが動き始める。
ロゼットは、メリーナに声をかけるが、まだ動けそうにはない。
そろそろ、この式典も終わりの時間が近づいてきていた。




