342 羽毛
「いい腰付してるねえ。背筋もしっかり伸びてて、いいねぇ」
キツネ面の男は、場に似つかわしくない明るい声でイヴリンを誉めた。
対するイヴリンは、怪訝な表情のまま半歩後退する。
男は既に、畳の上にいたのだ。
一体いつから……?
それがわからない。ゆえに、イヴリンは警戒を最大級にせざるを得ない。
「質問に答えなさい」
「ごめん、なんだっけ」
「貴方は何処の誰?」
「そういう貴女は?」
「……本気で言ってる?」
ヴァリアント王国の第二王女を知らない。
それ即ち、ヴァリアント王国民ではない、もしくは、第二王女をおちょくっている、そのどちらか。
「イヴリン・ヴァリアント、第二王女よ」
イヴリンが名乗ると、キツネ面の男は「おお」と感心したような声をあげた。
「ほら、私は名乗ったわ。貴方は?」
「ひ・み・つ」
「どうやら殺されたいようね」
イヴリンはおちょくられていると確信し、半歩踏み出した。
「まあまあまあ! 待ってくれ。すまないとは思っているが、少し事情があってな。名乗れないんだ」
「……何よ事情って」
第二王女と知って尚、この口調。
イヴリンは、なんとなく、この男の正体を察した。
確信は持てないが、そうである可能性をほんの少し感じているという段階だ。
であれば、あまり下手な真似はできない。国際問題になりかねないからである。しかし、そうであると明言されていない今ならば、多少の失礼は許されるだろう。なるほど、あえて正体を隠すことで逆に円滑なコミュニケーションができる、それが彼の狙いか――と、イヴリンは明敏にそう推察した。
「事情も話せん」
「はあ?」
「お詫びにいくつか助言をしてもいいか?」
「助言? 不法侵入者の貴方が?」
イヴリンは鼻で笑う。
キツネ面の男は、そんなイヴリンの悪態を歯牙にもかけず、もう言いたくて堪らないという風に口を開く。
「勝手に見てたのは悪かった、謝る。その上で、お詫びと言ってはなんだが、イヴリンさんの合気術にちょっとしたアドバイスをさせてほしい。マジで。ちょっとだけだから、ちょっとだけ。な、いいだろ?」
この男は何を言っているのか?
イヴリンは今度こそ呆れた。
何故なら、この男が仮にあのセカンド・ファーステスト八冠であったとしても、合気術のアドバイスなどできるはずもないからである。
合気術は門外不出。風心館か山心館のどちらかの道場に所属しなければ、“道着”を作ってもらうことができない。
その道着がなければ、《香車合気術》~《龍王合気術》までのスキルは習得しようもないのである。
ゆえに、セカンドが覚えていたとしても《歩兵合気術》のみ。そんな男に、【合気術】全スキルを習得しておりその殆どを高段にまで上げているイヴリン・ヴァリアントが、一体何を教わるのやら。
イヴリンはそのように考えていたのだが――。
「受けが苦手だろう?」
「っ」
図星。
いや、しかし、イヴリンの感覚からすれば、苦手と言うほどではない。たまに困る時があるくらいなものだ。
「早めに手を離されたり、逆に手をずっと持たれたり。それで受け身のリズムを崩されて、立ち上がりが少し遅れる。違うか?」
「!!」
――言い当てられた。それも、完璧に。
まさにイヴリンが悩んでいたことズバリそのままであった。
「腰はいいし、姿勢もいい。どちらもこう動かせばいいとわかっていて動かしているだろうが、足運びだけはどうにも自信がなさそうだ。足運びは投げでももちろん重要だが、受けにこそ最重要。そのままではいけない」
キツネ面の男の口は止まらない。
「おまけに言うと、視線の意識も少し甘そうだ。投げの時に下を向いたり手元を見たりすると、思ったように投げられない。逆に受けの時には相手の全身をくまなく観察しないと、フェイントに引っかかって上手く受け身を取れない」
ほんの数分、イヴリンの一人稽古を見ただけである。
にもかかわらず、ここ最近イヴリンが伸び悩んでいることを全て、いとも簡単に見抜いてしまった。
何故?
イヴリンは絶句し、必死に考えるが、理由はわかるはずもない。
「解決策があるが、言ってもいいか?」
キツネ面の男は、黙りこくるイヴリンを気遣って尋ねた。
フジのようにアドバイスを求めていそうならすぐさま押し売りしていたが、イヴリンはもしかすると求めていないのかもしれないと思ったからだ。
実際のところ、イヴリンは求めていた。それは喉から手が出るほど欲しいものであった。
しかし、それを受け取ってしまっては、果たして“努力”したと言えるのか? それは本当に自分の力で勝ち取ったものなのか? 彼女の中で、そこが引っかかってしまっている。
「……施しは受けないわ」
「!」
イヴリンは鉄の意志で断った。
キツネ面の男は、少し驚いたような様子を見せ、それから首を傾げて言った。
「理由を聞いても?」
「言ったわよ。施しは受けたくないの。意味わかるかしら?」
挑発だ。「貴方ってプライドないの?」と言っている。
イヴリンから煽られたキツネ面の男は、それでも尚、首を傾げて口にした。
「わかんねえ。施しのつもりはないけど、まあ嫌ならやめとくか」
やれやれとポーズをとって、「自分で掴み取りたい派ね、はいはい」と呟く。
そのどこまでも飄々とした態度に、イヴリンは苛立たしげに反応した。
「確かに見る目はあるんでしょうけれど、合気術を使えない貴方が私に一体何を教えられるというわけ?」
「言っていいの?」
「言うまでもないと言っているのよ」
拒絶を示す。
するとキツネ面の男は、暫しの逡巡の後、閃いたというように指をピンと立てて言った。
「じゃあ、ちょっとこれ、投げてみて」
「え? は?」
キツネ面の男が《歩兵合気術・受》を使い、イヴリンへゆる~っと近付いていく。
どうぞ投げてくださいと言わんばかりの、ゆる~っとした接近。
イヴリンは瞬時に数多くの疑問が頭を過ったが、それらを一先ず忘れ、即座に《歩兵合気術・投》を準備して迎撃に入った。
キツネ面の男が少しスピードを上げる。
男がイヴリンに対して体当たりを仕掛けるように突っ込むと、イヴリンはその勢いを受け流すようにして半身になり、男に手を添えながら《歩兵合気術・投》を発動した。
「なん――っ!?」
――瞬間、途轍もない感覚がイヴリンを襲う。
羽毛。
たとえるなら、それは羽毛であった。
なんの抵抗もなく、ふわりと軽く、風に舞うようにして、キツネ面の男はイヴリンに受け流されると、前回り受け身で畳にころんと転がり、そしてするりと立ち上がる。
一切、滞りのない動き。
その場に在る全てのものが、彼の力の動きを何一つ邪魔していなかった。
今、しっかりと投げたはずのイヴリンは、何か信じられないものを見たというような顔で自身の手を見つめ、それからキツネ面の男へと視線を移す。
投げたという感触が全くなかった。
まるで、風に揺れるほんの一枚の羽毛を撫でたような、初めて経験する感覚だった。
「わかった?」
キツネ面の男は、楽しそうな様子でイヴリンに問いかける。
イヴリンの表情が、より一層険しさを増した。
「……もう一度」
「もちろん」
キツネ面の男は《歩兵合気術・受》でイヴリンへと接近する。
イヴリンは《歩兵合気術・投》を準備し、それを受け流す。
今度は、先ほどと変えて左足を前にした左半身で、受け流す方向もあえて自分の周囲をぐるりとUターンさせるようにして、捻りに捻った対応をした。
「…………」
そのはずなのに。
感触は、やはり羽毛であった。
あり得ない。
投げているのは、イヴリンの方。しかし、これではまるで、イヴリンが投げさせられているかのような……。
「何か掴めたか?」
キツネ面の男が、毒気なく尋ねる。
イヴリンは、憎々しげに男を睨んだ。
「何も。貴方、天才ね?」
相手を天才と称える。否、称えるにしては、表情と一致していない。
キツネ面の男には、イヴリンの口にする「天才」という言葉が、まるで蔑称のように聞こえた。
「よく言われるが」
「道場で合気術を学んでいないはずなのにこの受け身って……ああ、嫌になる。本当に馬鹿らしいわね」
イヴリンの顔には憎しみが浮かんでいる。
それは、キツネ面の男に向けられたものでもあり、彼の持つ“才能”にこそ向けられたもの。
「天才が嫌いなのか?」
「嫌いよ。大嫌い。そんな持って生まれたもので誇っても、なんの意味もない」
「!」
吐き捨てるように言うイヴリン。
キツネ面の男は、イヴリンがようやく本心にほど近い言葉を口にしてくれたような気がして、仮面の下でニヤリと笑った。
「持って生まれたもので誇ってるやつが嫌いなのか?」
「そうよ」
「持って生まれたものに負かされるのが嫌いなんじゃなくて?」
「!!」
まさしく憤怒といった表情で、イヴリンはキツネ面の男を睨み付ける。
「ははは、図星?」
「……貴方には一生わからないでしょうね」
「全然わかんねえや」
イヴリンの表情は怒りを通り越して呆れさえ浮かぶ。
「何に悩んでんのかは気になるけどな」
「私は庶子よ。生まれた瞬間から冷遇され続けることがどういうことか、わかるかしら?」
「わからん」
「死ぬまで抜け出せない地獄よ」
キツネ面の男は「へぇ」と他人事のように相槌を打つ。
「お母様は山心館道場の合気術指南役だったわ。だから私は合気術を学べた。私がお父様から許された唯一と言っていいもの、それが合気術よ。いい? たったそれだけなの。私には、たったそれだけ」
山心館道場に所属する合気術指南役だったイヴリンの母は、国王セオドア・ヴァリアントに見初められ側室となった。
第一王女アウロラと第三王女ウィロウは、正室の娘である。
この二人とイヴリンとの間には、与えられる環境に天と地ほどの差があった。
合気術だけ許された……この言葉が、誇張ではないほどに。
「私は負けるわけにはいかない。才能で、血筋で、持って生まれたもので全てが決まるなんて、そんなの……絶対におかしいもの」
イヴリンの感情は怒りから哀しみへ、そしてまた怒りへと振れる。
「貴方みたいな天才、きっと挫折も屈辱も知らずに生きてきたのでしょうね。でも見ていなさい。いつか、いつかその鼻っ柱が折れる日が必ず来るわ」
己が勝ち、女王となる。
それこそが、イヴリンの悲願であり、復讐だった。
彼女自身が証明するのだ。彼女自身のために。
才能や、血筋など、持って生まれたものが全てではないと。それらは、努力という正義の前にいつか膝を屈するのだと。
「116回」
「何?」
キツネ面の男は、静かに口を開いた。
「116回。俺が挫折した回数だ」
「は?」
「全て覚えている。負けた相手も、内容も、全て。昨日のことのように思い出せる」
そう言い切った後、男が吐いた溜め息は、わずかに震えていた。
悔しいのだ。不意に思い出しただけで震えてしまうほどに悔しくて悔しくてしょうがない。
1651勝116敗8分――。
この、たったの116敗にこそ、彼の成長が詰まっている。
「天才とか才能とか、知らん。究極、関係ない」
彼の声には、名状しがたい迫力があった。
「どんな言い訳しようが、どんな理由があろうが、なんの意味もない」
イヴリンは思わず二歩後退する。しかし、視線は彼から逸らせない。
「勝つしかないんだよ」
イヴリンは、完全に呑まれた。
彼がその仮面の下で、どのような顔をしているかわからない。
怒っているのか、笑っているのか、泣いているのかもわからない。
ただ、一つわかることは、それが……彼の過ごしてきた人生から滲み出た、魂の言葉だということだけだった。
「負けるのが嫌なんだろうが。才能とか努力とかごちゃごちゃ言ってんなよ? 誰にも負けたくないんだろ? もう挫折とか屈辱とか勘弁してほしいんだろ? だったら話はシンプルだよ。勝て。勝ち続けろ。勝つしかないんだよ」
「か、勝つしかないって、そんな、簡単に」
「何様だ? 勝ち方選べんのは勝ってるやつだけだ。施しは受けない? 順番が逆なんだよ。負けたくないなら方法なんて選んでられないはずだ。挫折を経験してるなら尚更だ。地べた這ってでも勝つための手段を集めろ。御託は勝ってから並べればいい」
「……っ……」
イヴリンの中に反感はあった。
強く言い返してやりたいとも思った。
だが……彼の言う通りだと思う自分の方が、遥かに多くを占めていた。
「一日頭冷やしとけ。明日また来る」
キツネ面の男はそう言い残し、山心館道場を去っていく。
イヴリンは、ただ無言でその背中を見送ることしかできなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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次回更新情報等は沢村治太郎のXにてどうぞ~。




