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(b)正義担当


葛山信貞は、信玄の子で、勝頼の弟。今川方の駿東郡葛山氏が離反したのを継いだ。1582織田に攻められ自害。

【鑑定】表立っての行動が見られない。正義力は軋轢を生みやすいので、一門では封印されたのだろう。


甘利虎泰は、信虎追放晴信擁立の中心人物で、宿老だった。1548村上氏との上田原決戦で板垣信方が戦死し危機になったとき、晴信を守って戦死した。

【鑑定】信虎追放については、信虎の能力がずば抜けていたことからかなり困難があったようである。それを晴信擁立に舵を切らせる原動力となったようである。


馬場信春は、1562までは信房と名乗っていた。駿河攻略、西上作戦に加わり、三方原で敗走する徳川家康を浜松城に追撃した。勝頼の重臣筆頭だったが、長篠で戦死した。

【鑑定】外交力に加え、正義力を兼ね備えることになった。1562以降は、それまでの粘り強さから一転、勇猛な行動が見られる。今川や織田に対しては、外交による服従作戦は効かないので、時を得た改名だった。


小幡信貞は、上野出身で信玄に仕え転戦。1582織田に降った。

【鑑定】目立った動きがない。ただ日々の戦闘で、能力を生かしていただろう。


横田高松は、近江出身で、信虎に仕え弓矢を得意とし、信濃攻略では原虎胤と併称される猛将ぶりだった。1550砥石崩れで戦死。

【鑑定】正義力を見出だされ活躍した。


山本勘助は、三河出身で、軍師という伝説がある。ただその戦略は勘に頼っていたため、後にヤマカンと皮肉られる。

【鑑定】正義力の天命能力は、臨機応変の直感によって発揮される傾向がある。また、その寄って来るところはあながち誤っておらず、当を得ている。ヤマカンというより、達観の域に達している。軍師という伝説も、その的を射た行動から連想されたのであろう。



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