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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
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099

不快な表現に注意です。



小栗家


「お初にお目にかかります。後藤怜と申します。宜しゅうお願い申し上げます」

「"道子"と申します。どうぞよろしくね」


小柄で可愛らしい人だった。

くりっとした大きな瞳が栗鼠(りす)を連想させる。小栗は「どうだい?私の妻は可愛いだろう?」と言わんばかりの表情で、ちらちらと妻を見ては鼻の下を伸ばしていた。


「家のことは何でも私に相談してね」

「はい!ありがとうございます!」


怜は元気良く返事をした。


「道子はね、ずっと怜が来るのを楽しみにしていたんだよ。それは毎日毎日」


怜は目を大きく見開いた。


「先生ェエェ!」

「ん?」

「やっと!自分の妻の名を覚えたんやね!ーーーーーーブフッッ」


小栗は怜の口を塞いだ。


「さ、さあ!優しいお父様がお前の部屋を案内するよ!」

「えっ、まだお饅頭が…」

「そんなものはどーでもいい!さあ来なさい!」


小栗は怜の首根っこを掴むと即座に襖を開けた。


「あなた…」


ヒュウゥゥと冷たい空気が流れた。

小栗の首がグギギギと後ろに動く。


「な、なんだい?」

「このお饅頭は…」


道子は「ふふ」と皿を持ってニッコリと微笑んだ。



「私が作ったんですのよ?」



◇◇◇◇◇◇◇



「これからは"お父様""お母様"と呼ぶように。それから方言は使わない」

「え?なんで?」

「肥後守様にお仕えするのだから当然だろう。京に出立するまでの間、作法、剣術……」

「先生!」

「"お父様"」

「おおお父様!」

「もう一度」

「お、父様!」

「もう一度」

「お父様…」

「うむっ!!!」



小栗は悶えた。

こんな甘美な響きがあるのだろうか。


"お父様"


「いい…」

「え?」

「いや、それでいい」


怜はきょとんとしたが、ハッと我に返った。


「剣術って?」

「小太刀だ。肥後守様の小姓になるということは、全てに精通しておかなければならない。武芸はもちろんのこと、書道、香道、華道…」

「そ、そんなに」

「明日は早起きするように。わかったね?」

「私、先生と江戸城に行って、また前みたいにお金稼ぎたいんやけど…」

「"お父上様"ァァァーー!!」


小栗はカッと目を見開く。


「お、お父様…」

「うむ!!!」


怜は訳がわからなかった。


「怜。お前に一つ言わなければならない。今、幕府は非常に揺れている状況だ。江戸城内はその対応に追われている。私も家を空けることが多いし、帰れないこともしばしばある。そんな場所にお前を連れて行くことは出来ないんだよ」


怜は"文久の改革"を思い出した。

これによって京都守護職や総裁職、参勤交代の緩和や軍事改革など、様々な改革が遂行されていく。その余波は多大なもので、最終的に幕府滅亡へと繋がっていくのだ。


「怜、約束してほしい」

「約束?」

「自分から危険な場所へ行ってはいけないよ?お前はそれでなくても多方面から目をつけられている。出来れば肥後守様の小姓などやらせたくはない……」


怜は小栗の表情にきょとんとしたままだった。何か言いたげで、けれど躊躇しているような、いつもの余裕さが見えない。


「何かまずいことあったん?」

「そうならぬように注意しなさい、ということだよ」


小栗は溜め息を吐いた。

我が身の重要性について怜はわかっていない。何も知らないのだから無理もないが、もどかしくて仕方が無かった。


「誰かに利用されるのは嫌だろう?」

「はい...」

「なれば、余計なことに首は突っ込まず、"ただの小姓"として任務を全うすればいい。何かあれば私に相談しなさい」


怜はこくりと頷いたのだった。



◇◇◇◇◇◇◇




早朝、道子と下僕を伴って小栗家を出発した怜は、歩いて二十分ほどの早乙女家へ到着した。


推定年齢七十二の早乙女先生(女)は、四白眼の持ち主だった。真一文字に結ばれた唇が不機嫌さを象徴し、冷ややかな眼差しが「蛇」を連想させる。


「これはこれは奥様」

「ご無沙汰しております。先生」


早乙女はじろりと怜を見た。


「このお嬢様が」

「ええ。本日よりお世話になります、娘の"怜"と申します」

「小栗怜と申します!宜しゅうお願いします!」


ガバッと頭を下げて挨拶をすると、早乙女の眉間に皺が寄る。


「奥様。お任せ下さいませ。この早乙女姫子が責任を持ってお嬢様を素晴らしい女人にしてみせましょう」

「まあ頼もしいこと」


道子は満足そうに笑みを浮かべ、怜に向き直った。


「怜さん。早乙女先生はね、この道ではとても有名な先生なのよ?きっと貴女のお役に立ってくださるわ」

「はい!お母様!」

「(きゅん)……一刻ほどしたら、お母様がお迎えにあがりますから、先生の仰ることを良く聞いて頑張るのですよ?」

「はい!お母様!」

「……くッ」

「奥様っ」


控えていた下僕が慌てて道子のそばによる。道子は頬をわずかに赤らめて微笑んだ。


「だ、大丈夫よ。……では、お、お母様は帰りますね。先生よろしくお願い致します」


道子は下僕に支えられ、胸を苦しそうに抑えながら家に帰った。その後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた怜だったが、突然腕を掴まれた。



「こちらへ来なさい」


声色が先程より冷たい。

蔑むような姿勢が突き刺さった。

半ば引き摺られるように屋敷の中へ入ると、数人の下女が廊下に並び恭しく頭を下げていた。


無言のまま案内された部屋は広々とした和室で、長卓の他には何もない。唯一床の間には、生けたばかり花が飾ってあった。


「最初に言っておきます。この屋敷内では身分など関係ありません。例えあなた様があの小栗家と繋がりがあろうとも、私の前では門弟の一人に過ぎないのです」


冷ややかな目で怜を一瞥し、懐から取り出したのは竹で作られたしなやかな(べん)


「失敗は二度まで」


つまり三度目はそれで打つ。

そう目で告げた後、ピシリと畳を打った。



「座り方ァァァ!!」

「はいぃぃい!!」


早乙女のスパルタ教育は始まったばかりである。




◇◇◇◇◇◇◇



早乙女指南所



通い始めて幾日が過ぎた。

指南所には怜だけでなく、数十人の少女が教えを受けている。もちろん時間で区切られているため、一緒に習うのは数人ずつで、それぞれ「組」で分けられていた。


怜は「桔梗組」である。

大体年齢によって分類されているので、皆同じ歳ごろの少女だった。とはいえ、怜の育った環境と全く異なる彼女らは、幼い頃から躾けられている為、ちょっとした動作すら気品に溢れている。もちろん着物も髪飾りも小物も、身に付ける全ての物が洗練されていた。



「父は御家人ですの。禄高は百俵ですわ」

「まあぁ!素晴らしいですわ!私なんてただの商家の娘ですもの」

「何を仰いますの。由緒ある商家じゃありませんか。近頃は羽振りも良く、大坂の方にまで進出してらっしゃるとか」

「大したことありませんわ。それを言うなら綾乃様の方が凄くてらっしゃるのよ?何せお父様は旗本ですものね」

「旗本ぉぉぉ!!」


綾乃は口元を隠し、くすくすと笑う。


世も末だと思った。

ずらりと居並ぶ少女の面々はその殆どが家柄の良いお嬢さんばかりだが、さすがにこれはない。



「それをおっしゃるなら、そこの怜さんも旗本の御家柄よね」

「まあ綾乃様、あの子供は小栗家のご養女らしいですわ。血の繋がりは一切ございませんのよ?」

「まあそうだったの?ごめんなさいね?」


何度聞いたかこの会話。

怜は心の中で舌打ちした。


「背筋ィィ!!」バシィィン

「ふぎぃッ!」


怜は今、庭で正座をさせられている。他の少女達は皆のんびりと休憩をしているが、落第生の怜には許されなかった。


「なあに?あの声~お下品だわぁ」

「何だか蛙を絞め殺したような声ね」

「嫌ぁ気持ち悪いぃ!」



(おのれ……)


怜は恨みがましい目で少女達を見た。

あらかさまに人を貶し、見下したような冷笑を向ける。「近頃の子供はなんと生意気か!」と自分を棚に上げて憤っていた。


「顔ォオォ!」ビシィィイ

「ぎゃふッ」


更に鞭が飛ぶ。

あまりの痛みに涙が出たが、早乙女は少女達の悪口を止めることはしなかった。



◇◇◇◇◇◇◇



京から江戸まで約百二十六里。

人間の場合、何日もかけて旅をしなければならないが、言わずもがな鈴木氏は鳥である。人と違って直線距離を進むので、実質的には数時間もあれば江戸に着く。(直線距離約三百六十八キロ)


とはいえ、どんなに急いでいてもつい余所見をしてしまう鈴木氏なので、スムーズとは言い難い。時にはどこぞの武家の姫さまの着替えを覗いてみたり、時には男女が朝っぱらから情事に耽る様子を見たり、時には不倫現場に遭遇することもあった。



そんな鈴木氏だったから、漸く江戸城を目前にしたところで、ふと視線を落とした。


「キョキョ…」(おぉ…)


桜色の美しい着物を着た女性が歩いていたのだ。帯飾りの鈴の音が軽やかに鳴る。しゃなりしゃなりと上品に歩く姿は、女性特有の色香を漂わせている。鈴木氏はふらふらと惹き込まれるように後ろをついていった。



それが間違いだったのだ。


「ようよう姉ちゃん。その荷物、こっちに寄越しな」

「え、あ、あの」

「ホラ!もたもたするんじゃねーぞ!この不細工がぁ!」

「きゃっ」


男は女性が大切そうに抱えていた風呂敷を分捕った。


「か、返して下さい!それはおとっつぁんの大事な物なんです!」

「うるせえ!!」


男は力任せに女性を押し、その拍子で女性は水たまりの中に倒れた。


「ブスが綺麗な着物着ても所詮ブスなんだよ!!」

「うっ…」


泣き崩れる女性。

鈴木氏の怒りが頂点に達した。


「ギョオオォオ!!」

「うわっ!なんだ!どけ!」

「ギョギョォオォ!」

「いってぇ!!くそっ!覚えてやがれ!」


鈴木氏の攻撃に恐れをなし、男は荷物を放り投げて退散した。


「キョキョ…」(ったく…)


鈴木氏は荷物を拾い女性の元へ行く。


「キョキョ?」(大丈夫かい?お嬢さん)

「あ、ありがとう。鳥さん」


女性は荷物を受け取り顔を上げた。



「!!?」


鈴木氏は固まった。


「本当に親切な鳥さんね。なんて素敵なのかしら。なんだか恋しちゃいそう」


うっとりと鈴木氏を見つめる女は、この世のものとは思えぬ面構えだった。


「ぐふふ…。良かったらウチに来ない?」

「ギョギョーー!」(貴様!騙したな!)

「いいじゃない!来なさいよ!」

「ギョオオォオ!」(おえぇえっ!)


無我夢中だった。

女の顔を踏み付け、髪をめちゃくちゃにし、ギャーギャーと騒ぐ女に更に追い討ちをかけるように顔目掛けて荷物をぶん投げた。


「鳥!!待ちなさいよォオォ!!」


「ちょっと男子!ちゃんと掃除しなさいよ!」と先頭切って言う奴の大半は不細工だが、それと似たようなものだ。


「ギョーーギョ!」(ブース!)


鈴木氏は最低の捨て台詞を吐いて、逃げるようにその場を後にした。


「キョキョ…」


あの女の所為でドッと疲れが出た。

何だか生気を吸い取られたような気がする。


(キョキョキョキョ)


頭の中で悪態をつきながら更に飛行を続けていた鈴木氏だったが、多摩川を差し掛かったところで、とうとう限界がきてしまった。


海から吹く湿った風が、広げた翼に纏わり付く。それだけでも不快だというのに、突如降り出した雨。


せめてこの川を渡ってからにしてほしかった。


フラフラと何とか渡りきったら鈴木氏だったが、あまりの激しい雨に、土手に降りた瞬間ぺたりと力尽きた。


「キョ……」


大粒の雨が全身を叩く。

何より大事な顔を庇おうと必死で翼を動かした。しかし思うように動かない。雨は弱くなるどころかどんどん強くなっていくのだ。


「ョョョ…」


鈴木氏は泣いた。

せっかく怜の匂いを辿って江戸まで来たというのに、あと少しだったというのに……


鈴木氏には、もう瞼を動かす力さえ残っていなかった。しとどに濡れそぼった身体を、成すすべもなく地面に放り出し、「キョ……(怜…)」と一声鳴いたその時ーーー


足音が近づいてきた。


「おい鳥じゃねーか」

「キョ」


飛んで火に入る夏の虫。

とは少し異なるが、鈴木氏にはその声の主に聞き覚えがあった。


「怪我でもしてんのか?」


男は無造作に鈴木氏を掴んだ。

だらりと翼を広げたまま、持ち上げられた眼前には、約一年前に面識のあった顔。



「おい大丈夫か?」

「キョ、キョー……」(き、貴様は…)

「お前、あの時の鳥だよな?」




土方歳三であった。




◇◇◇◇◇◇◇




「お父様、お母様、行って参ります」

「うむ!」

「気をつけて行くのですよ」

「はい」


怜は下僕を一人連れて小栗家を出た。

肩までの髪を二つに結び、淡い黄緑の四つ身を着ている。静々と歩く姿は側から見れば良い家柄のお嬢さんにしか見えなかった。


後ろから感じる二人の視線をひしひしと感じつつ、二つ目の角を曲がる。その突き当たりを右折すると雑木林があり、怜はそこで立ち止まった。


「良い感じの棒が欲しいんやけど」

「棒…でございますか?」

「うん。こんくらいの」


怜は両手を前にして20センチくらいの長さを示した。


「少々お待ち下さい」


下僕は腰ほどの長さまで伸びた草を掻き分け、中へと入っていく。バキバキと枯木を踏む音を鳴らしながら、足元に落ちていた丈夫そうな枝を数本拾って持って来た。


「どちらにしましょう」

「これにする」

「わかりました」


下僕は他の棒を雑木林に投げ込み、素早く短刀を取り出すと、怜の選んだ棒の表面を器用に削っていく。シュッシュッと何度か削ると表面が滑らかになった。


「ありがと」

「いえ」


怜はそれを袖の中に入れた。


「お嬢様、それをどうなさるおつもりですか?」


怜はニヤリとほくそんだ。



「自分の身は自分で守らなあかんからね」






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