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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
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095

残酷描写あり注意です。




「你是我的宝物」(あなたは私の宝物よ)


繋いだ手から熱が無くなった。

何度も何度も呼んでいるのに、いつもみたいに微笑んだまま眠っている。


小麗はその時まで"死"というものが良く分からなかった。ただ砂のように簡単に消えるものだと思っていたから、自分の周囲で次々と倒れていく人々を、呆然と見ることしか出来なかったのだ。


「我爱你妈妈(お母さん大好き)」


そう伝えれば「お母さんも小麗が大好き」と返してくれる。


だっていつもそうだったから。


「我爱你妈妈」


けれどその日は二度と来なかった。



死体の山に紛れて、普通の人なら耐えられないような腐乱臭の中に小麗はいた。形を変えて行く母親の姿に、何の恐怖心もなかった。一番怖いのは母親と離れることだったから。


しかし運命は二人を引き裂いた。


沢山の役人がやって来て、遺体の山を次々と運んで行くのだ。遺体を積んだ荷車は、大きな穴の前で止まり、数十人の役人が息つく暇も無く次々と遺体を放り投げる。まとわりつく小麗を押し退け、縋り付けば棒で叩く。小麗はその場で小さく蹲って、痛みに耐えるしかなかったのだ。


ーーーーー

ーーーーー

ーーーーー


妈妈(まーま)...」


小麗は薄暗い部屋で目を覚ました。


キョロキョロと周りを見渡しても誰もいない。


「れい…?」


小麗はゆっくり寝台から飛び降りると、脇に置いてあった草履を履いて扉を開けた。



"♬~"



ハッと息を飲んだ。

あの音が聞こえたのだ。

母が昔聞かせてくれた笛の音。川のせせらぎのように柔らかく繊細で、いつも優しく小麗を包み込んでくれた。



「妈妈!」



小麗はまるで見えた"何か"を追うように、走り出した。



◇◇◇◇◇◇◇




「そうだったのか…」


母親は生活の為に質屋に物を売っていたのだ。小麗は何度も連れて来られるうちに漢字を覚え、読み方を母親に教えてもらったのだ。


「けど、もう随分昔の話やし」


小麗と母親との思い出の物は、多分もう無いだろう。


「でも、もしかしたら、名前くらいはわかるかなーって」

「しかしなぁ、見ろよ。この数」


支配人の性格が表したように、出納帳にはぎっしりと文字が書き綴られている。二人とも中国語に精通していない為、"婦人"の意味をもつ「妇女」という漢字を探していた。


支配人は物を買い上げる時、必ず名前を書いてもらい、自分で性別を足し記しているようで、偽名を使ったとしても性別ははっきりしている。


「探すのは四年前だけでええ」


更に小麗の育った地域、つまり怜と初めて出会った場所は、三年ほど前までは租界地ではなかった為、その時の争いで母親を亡くしたのだと予想がついた。となると、子供が物心つくのが二歳くらいと想定すれば、ちょうど四年前、小麗が二歳~三歳の間に"徳興館"に出入りしていたことになる。


「自分の名を書けない人もいるんじゃないのか?」

「そういう人は代筆やろうけど、コレ、はっきり言うて全部同じ字に見えるわ」

「ま、そうだな」


高杉ははぁーと溜め息をついて、また視線を戻した。


「あれ?」


高杉はふと気付いた。


「おい、支配人」


腕を掴まれた支配人は頬を紅潮させて深々と頭を下げた。


『何でございましょう…』

「この下の名前は、買い手の名前か?」

『そうでございます』

「湖心亭って、お前が行った店だよな?」

「そうやけど…」


高杉が指していたのは、確かにあの茶楼の名前だ。


「ちゃんと見ろ。この"朱 神美"って女が売りに出した"物"だけ、湖心亭が買い上げている。他の物は一切買っていない」


怜は「あっ」と声を上げた。


「そうか……」


走馬灯のように様々な映像が写し出された。


湖心亭に行った時だ。

小麗は飾り棚の調度品を見て、それから様子がおかしくなった。



「だからあの時…」




◇◇◇◇◇◇◇



湖心亭



「あれ…?」


戸締りの確認をして二階から下に降りて来た呉は、入り口で佇む小麗に気付いた。


何処かで転んだのか、足は擦りむけて草履もボロボロである。


「趙麗…だったよね?」


小麗は俯いた。


「小麗…」

「小麗?」


この前と随分印象が違うと思いながらも、怪我をしている子供を放置するわけにも行かず、呉は店の中へと促した。


「薬を持ってくるから座ってて」


しかし小麗は脇目も振らず、取り憑かれたようにふらふらと奥へ歩いて、調度品の置かれた飾り棚の前に立った。


笛子(てきし)に興味があるの?」


こくりと頷いた小麗を見て、呉は微笑んだ。


「これは私の妻の笛子なんだよ。ほら二本あるだろう?赤と黒が妻のもので、こっちの緑と紫が…」

「妈妈の」


小麗は呟いた。


「え?」

「かえして」


涙をいっぱい浮かべた子供は、悲しそうに苦しそうに、嗚咽を凝らして訴える。


呉は困惑した。


「君は一体…」



とその時だった。


「貴方、どうしたの?」



いつもなら、とうに夫妻の住居スペースである二階の角部屋にいる夫が、なかなか戻ってこないのを心配し、妻・鈴玉が様子を見に来たのだ。


「鈴玉、いやこの子が……」


呉がそう言いかけた時、小麗が叫んだ。


「妈妈!」


暗がりに現れたのは、確かに小麗の一番大好きな顔だった。


黒くて長い髪。

切れ長の涼しげな目。

すうっと伸びた鼻筋。

薄い唇。


「妈妈っ」

「待ちなさ…」


呉が呼び止める前に、小麗は駆け出した。目を見開いた鈴玉は、泣き濡れた幼子の顔を見て、何故か胸が打ち震えた。


「あ…あなた……」

「妈妈っ...妈妈っ」


胸に飛び込んだ小麗は、何度も何度も母を呼ぶ。


「鈴玉…この子…」


呉が言いかけた時、鈴玉は震える声で呟いた。


「鈴麗…?」


小麗はふるりと首を振って、顔を上げた。


「小麗…」



ああ、思い出した。

姉は(わたし)の一文字を取って、娘を「鈴麗」にしたのだと書いていた。けれど昔から私を小鈴(シャオリン)と呼んでいたから、娘には小麗(シャオリー)と呼んでいるのよ、とーーー





「小麗っ…!」



大好きな姉の子。

ずっと探していた愛しい子。

小麗の髪も、目も、鼻も、全て姉の面影を残している。





ーーーーーやっと会えた。



「小麗……っ」



私(姉)達の娘ーーーー




◇◇◇◇◇◇◇




「良かったな」


湖心亭から三つの影が離れていった。

「小麗がいなくなった」と血相を変えた五代が徳興館にやって来て、まさかと思いながらここまでやって来たのだ。


推測が正しいなら、湖心亭の呉鈴玉は朱神美と姉妹で、行方を捜していたのだろう。出納帳の買い手欄に記されていたのは常にその名前だったからだ。


鈴玉は徳興館で姉の名を見つけ、姉が売りに出した物を全て買い取った。そしてそれを店内に飾り、"誰か"に見つけてほしかったのだと……


「もしかしたら、あの話も小麗の母親を探すのが目的だったのかもしれないね」


"字が読める者で、身元のしっかりした者、出来れば英語が話せる者が良い"


もちろん朱神美が英語を話せるのか知る由もないが、おそらくそうなのだろう。ここまで三拍子揃う人間など滅多にいないのだから。




「……っ…」

「怜、泣かないで。私まで涙が出てしまうよ」ぐすん

「男が泣くなよ…」

「だって可哀想じゃないかー!怜が…あの怜がこんなに涙を流してぇ!」


出会った時は、小麗に"同情"しただけだった。ただ生まれた国とか環境が、たまたま違うというだけで、仮に二人の運命が少しずれていたら、自分が小麗になっていたかもしれないのだ。


そう思ったら、人ごとのように思えなくなった。


なのに、いつの間にか小麗が隣りにいるのが当たり前になって、本当の家族みたいに絆が出来て、もしも許されるなら、小麗を日本に連れて帰りたいとさえ思った。


その思惑が崩れて自分の無力さに嘆いたことも、何とかして小麗が幸せになれる居場所を探したことも、様々な"想い"が一つになって、その全てがこの瞬間に繋がったのであれば、何よりも、誰よりも、祝福したかったのだ。



だからこそ……


「小麗…」


ただ少し寂しくなったのだ。

まるで妹のようだったから。

かけがえのない家族のようだったから。



「小…麗ぃぃ…小麗ぃ…小…」

「ああぁ……怜ぃ…怜ぃぃ…」

「麗ーー……」


欄干を抱き締めるようにして泣き止まぬ怜に、高杉は苦笑した。


「……ったく」


ヒョイと抱き上げると、怜は顔を見られたくなくて、その首に腕を回す。


「た、高杉君…私も…抱っこ…」

「テメーは歩け」

「そんなぁ…」



小麗が笑ってくれたらそれでいい。

小麗が幸せだったらそれでいい。



もう二度と会えなくても



それでもあの子が誰よりも幸せならーーー




◇◇◇◇◇◇◇



帰国の日。

天気は上々。


全ての準備を終え、後は出航を待つばかりだった。


「別れは言わなくていいのか?」

「文書いたから大丈夫」

「そうか」



港では待ちわびた帰国に嬉しそうに手を振る者や、男同士であるのに抱き合ったまま離れない清人と日本人の変態的恋模様。更には跪いて『チョウシュウ万岁』(長州万歳)などと雄叫びをあげながら涙を流す男もいた。(高杉は目を逸らした)



「長いようで短かったな」

「閣下の足のようでございまする」

「どういう意味だオイ」



見上げれば三つの旗が風に揺られている。眩しいほどの青空と賑わしい上海の街並は、ここへ来た時より輝いて見えた。


遠くの方ではまだ大砲の音が響いているけれど、きっとそれは遠くない未来に終息するはずだ。



「出航ーーー」



怜は大海へ続く東を見た。

水平線の向こうに懐かしい顔が次々と浮かんで、少しだけ元気を分けてもらった気分だ。


怜はかぶりを振り、何かを払拭するように踵を返す。



そして千歳丸がゆっくり動き出した。




「おい、怜」


高杉が船縁に手を置いたまま、声をかけた。


「ん?」

「見ろ、小麗だ」

「えっ…」


怜は思わず駆け寄って、飛び出さんばかりに身を乗り出した。




「れーいーーー…」


見違えるような可愛らしい水色の旗袍に白の下衣を着た少女がいた。


「小麗!!」

「れい!」


小麗は怜に気付くと、千歳丸を追いかけるように走り出した。後方には呉と鈴玉がいる。呉は大きく手を振って、鈴玉は深々と頭を下げた。



「太谢谢你了!!」(本当にありがとう!)


小麗が叫んだ。


「我們永遠都是朋友哦!」(ずっと友達だよ!)


波の音と人々の声が、その言葉を掻き消すけれど、怜は何度も何度も頷いた。


「小麗!!」


二人の距離が離れても、絆で結ばれている。そして、きっといつかまた会えると信じて。


一生懸命手を振る友達を

小さく消えていく友達を


怜はその姿が見えなくなるまで

いつまでも見つめていた。



「永远喜欢你(ずっと大好き)…小麗」





千歳丸は日本へ向けて出航した。



もう少し長くする予定でしたが、切り上げて帰国します。

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