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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
89/139

089

残酷な表現あり。苦手な方はスルー推奨です。


大奥



和宮の膝に座る人形(菊姫)がぺこりと頭を下げた。


「この御人がうちの御義母上様や。菊姫もご挨拶しなさい。『菊姫と申しますぅ。どうぞよしなにぃ…』」

「………」


腹話術士の真似事のようだが、和宮は至って真剣である。周囲に緊張が走ったことすら彼女は気付かなかった。


「御台様に一つご質問が御座います」


天璋院はコホンと咳払いをした。


「お幾つになられましたか?」

「菊姫はまだ九つや」

「人形の歳ではございませぬ!」


対峙するように座る天璋院と和宮を、周囲の女官達はハラハラと見守る。その構図は、"幼気なお嬢様と厳格な女家庭教師"と言ったところだろうか。


「恐れながら…天璋院様」

「そなたは?」

「わたくしは上臈の桃の井と申しまする」


天璋院は顔を顰めた。

上位の者の会話に割り込むのは不敬にあたる。しかし、桃の井の当然のような振る舞いは、天璋院その人を下に見ていると他ならない。


「そなたの話は後で聞きましょう」

「今、聞いて頂きまする」

「何をっ…」

「宮様の御身に関わることでありますゆえ」


さすがは年長者と言うべきか、天璋院は桃の井の気迫にすっかり飲み込まれた。


「本日はどのような御用件で御座りましょう?」

「…何と?」

「宮様におかれましては、先刻申し伝えましたように、御体調が芳しく御座りませぬ。恐縮では御座りますが、日を改めて…」

「全く以ってそのようには見えぬが」

「宮様は辛抱強い御方で御座いますれば、義理とはいえ御義母上様の御前において、華奢な御身で気丈に振る舞っておられるので御座いまする」


胸を張って発言した桃の井の態度は、公家出身の誇り高さというより、武家を侮蔑する意味が込められているように見えた。




「ほう…」


天璋院は意味ありげに微笑んだ。


「それでは御典医をお呼び致しましょう」

「なっ……」


桃の井は驚愕の表情で天璋院を凝視した。


「当然じゃ。上様の大事な御正室様が、明日をも知れぬ病というのに」

「い、いえ、そこまで御重篤では…」

「だとしても!」


天璋院の一声に、桃の井の肩が跳ねた。


「ちょうど良い機会。江戸へお越しあそばしてより、大奥御典医の御訪問すら御断りの様子」

「恐れながら宮様には、京より御随行あそばされた御典医様がいらっしゃいまする。こちらの御典医様には…」

「その者は帰らせた」


天璋院はニヤリとほくそ笑む。


「な、っ…!?」


桃の井の手から扇を滑り落ちた。


何も知らない。何も聞いてはいない。侍女が連絡を怠ったのが、いやそれよりも何故、帰京する前に宮様に挨拶に来なかったのだ。


桃の井はハッと我に返った。


来なかったのではない。

"来られなかった"のだ。



「さて」


天璋院は目を細めて侍女らを見る。


「今日より、御台様の御衣装はもちろんのこと、御化粧、御言葉使い、御簾も撤去致すゆえ、そなたらも御台様に倣うがよい」


そう宣言した天璋院は、くるりと和宮に向き直った。



「お聞き遊ばれましたか?御台様」



「菊姫、どないしはったん?『お腹すいたぁ』」



聞いていなかった。



◇◇◇◇◇◇◇



上海



「あ、い、う、え、お」

「あーいーうーえーおー、アル」

「アルは要らん」

「アルはいらんアル」

「………ぐぬっ」


日本語を覚えさせるのは難しい。

清人が何故「アル」を使用するのか甚だ疑問だが、兎にも角にも怜には『教師』は向いていないことは一目瞭然で、それを肴にニヤニヤと酒を煽る男どもが無性に腹立たしかった。


「やっぱ日本語って難しいんかな」

「ごめんアル…」


眉を下げて申し訳なさそうに俯く小麗。怜は首を振りつつ頭を撫でた。


一度は役所に連れて行かれた小麗だったが、直ぐに解放された。簡潔に言えば、たかが子供にいちいち構っていられないのだろう。実際多くの孤児は物乞いや盗みを働いて生きていくか、奴隷商人に売り飛ばされるか、その辺で野垂れ死ぬかの三択である。そう思えば、"小麗"にとって怜との出会いは幸運と言わざるをえなかった。


「可愛いから許す」

「おおきにアル」


ある程度理解しているところを見ると、元々頭は良いらしい。怜は常に小麗をそばに置き共に行動した。小麗自身嫌がりもせず、嬉しそうに付いてくる。周りからすれば姉妹にしか見えなかった。


「日本語なんて教えてどーするつもりなんだ。怜、お前まさかまだ諦めてないのか?」


責めるような表情で高杉が問う。

怜はフンと、鼻を鳴らした。


『小麗を日本に連れて行きたい』


怜はずっと考えていた。

この少女は一人ぼっちだ。親も親戚もいないし、家も無い。このまま見放せば残された道は想像に難しくない。


けれど、それが無謀なのも事実だ。

今回の上海渡航は幕府の重要な視察であるのは明白で、役人の監視も著しく厳しい。小さな子供であったとしても、高杉や五代、その他様々な協力がなければ不可能なのだ。しかし彼らは予想通り頑なに拒否した。怜が泣いても(嘘泣きだが)喚いても、その姿勢を変えることは終ぞなかった。


勿論独断で決行することも考えた。

しかし成功する確率が極めて低い以上、露見されれば高杉、ひいては長州藩が責任を取らされる。更に怜の素性も明るみになり、後藤家そして小栗家が取り潰しになる危険性もある。


今までどんなことがあろうと怜は諦めたりしなかったが、この異国の地での大きな壁は簡単に壊すなど出来ないことを理解したのだ。


自分がしてやれること。

それは何も庇護することが全てではない。上海にいる間に生きる術を身につければ少女の未来は明るいと考えたのだ。


「日本語が話せたらこんな小さい子供でも職にありつける。身を削ったりもせんでええし、将来は通詞とか翻訳とか、色んな仕事が出来るから」


高杉は「お節介」と飽きれているが、五代は感激したようだ。


「私も手伝うよ!」

「嫌アル」

「えっ」



◇◇◇◇◇◇◇



上海渡航から数日。


高杉や中牟田、五代の三者は蒸気船を見学に行くとかで朝から出かけていった。本来なら怜も同行すべきだが、小麗の体調を理由に宏記洋行に留まることにした。どっちみち上海そのものに関心が無い怜であるからラッキーこの上ない。


今日も朝から小麗と日本語の勉強をし、一息ついたところで食堂に移動した。


「さっぱりわからんな」

「やはり英学を学ばねばならぬ」


男達がテーブルに英字新聞を広げて物珍しげに見ている。その中の一人が怜に気付いた。


「あ、お前たしか英学が出来る小姓だったよな?」

「はて?どなたかとお間違えでは?」

「これを読んで聞かせてくれ」


おもむろに怜の手を握る。

引っ込めようとした手の中に違和感を感じた。


「先払いだ」

「ありがたき幸せ」


怜は椅子に座った。


「えー... ホームステッド法が制定された、とありまする」

「ほーむすてっど?」

「農地の法律の事でござりまする。合衆国西部の市民どもに公有地を貸与し、五年以上開拓に従事した者は後々無償で与えると書いておりまする」

「へえ。気前が良いな」


怜は首を振った。


「南北戦争を有利する駒みたいなものでござりまする」

「どういうことだ?」

「土地を開拓すれば人が集まりまする。そして五年以上の従事で自分の土地になるとあれば、民はそこから離れられなくなりまする。必然的に彼ら西部の市民どもは政府を支持するわけでござりまする。つまりリンカーン大統領ら北部に西部の民が共闘することになり、南部は不利になりまするな」

「なるほど.,..勝負はついたようなものか」


「面白そうな話ですね」


中牟田が話に加わった。

後ろには高杉もいる。


「ちょうど良いところへ」


怜は即座に立ち上がった。


「後は中牟田様にお任せ致しまする。それがしめより異国語に通じておりますので」

「もう少し話を...」

「用事がございまする。では失礼」


くるりと背を向けた怜の肩はガッシリと掴まれた。


「同行しよう」


高杉がにんまりと笑みを浮かべていた。



◇◇◇◇◇◇◇



大砲の音が鳴り響いた。

高杉はピクリと肩を揺らし立ち止まる。

もはや日常的になりつつあるが、やはり気持ちいいものではないらしい。


「さすがにこの辺りは異臭もマシだな。死体も無いし」


黄浦江付近の程近い場所では、糞便やら死体やら当たり前に放置されているのが現状である。実際黄浦江にもおよそ判別つかぬ水死体が浮かんでいたりして、彼らの神経をすり減らしていた。


三人は今、英国租界地に来ている。租界地とは日本でいうところの外国人居留地である。尤も日本とは少々異なっている。そもそも日本の場合は外国人を一箇所に集めることで対人トラブルを避ける意味合いが強かった。よって日本人と商売や取引をする場合は居留地で行うのが原則で、外国人の行動範囲も限定されている。


しかし、上海における租界地は"半植民地"と言っても過言ではない。彼等は土地を開発しながら、少しずつ範囲を広げているのが現状だった。


「これ、なんて読むんやろ。デ、シング、ギュアン?」

「見せてみろ」


高杉は手紙を分捕った。


「英語なんぞわかるか!」ぐしゃり

「……」


手紙の送り主はトーマス・グラバー。

現在ホテルに滞在していると五代から聞いた怜は、グラバーに手紙を書いたのだ。その返事が今朝届けられ会うことになったのである。指定された場所は英国租界地内で、ホテルからほど近い現広東路(north gate street)にある"De Xing Guan"というレストランだった。



「でー、しんぐー、ギュアン、でー、、ギューアンー、牛ーアンー、牛ー庵ー牛庵ー牛庵牛庵」


キョロキョロと辺りを見渡しながら"牛庵"を探す怜。おそらく10年経っても見つけられまい。


とその時、小麗がくいくいと袖を引っ張った。


「ドー・シン・グアン…?」

「ん??」

「あそこアル」


小麗が指をさした先には、"徳興館"と書かれた中華料理店が建っていた。


「あ、ほんまや。下に"De Xing Guan"って書いてある~」

「あるアル~」

「え、小麗って漢字読めるん?」


少しだけ、というジェスチャーをした小麗はにこりと微笑んだ。世界的に識字率が低いこの時代に、小麗のような子供は無きに等しい。今まで育った環境からしても考えられないことである。


「お母さんに教えてもろたん?んーと、妈妈(マーマ)?」

「妈妈アル」

「へえ」


もしかしたら小麗の母親は、元々家柄の良い身の上なのかもしれないと怜は思った。


「さあ、入るぞ」


高杉に促され、三人は店内へと足を踏み入れた。


「おお...これはなんと」


煌びやかな壁には巨大な金色の龍が描かれていた。緑色の瞳は翡翠で、今にも動き出しそうなほどの迫力だ。


「Welcome to our restaurant.」


出迎えた男は顎髭を生やした清人の店主(オーナー)だった。

上から下までじろじろと見、取って付けたような笑顔を見せる。


「If you don't mind me asking. Where are you from?」


三人の身なりから"清人ではない"と判断したのだろう。高杉は袴姿であったし、怜と小麗も同様だ。(小麗は怜の袴を借りている)


「from Japan.」

「オウ…」

「I am Japanese.but he is underground people.」

「Underground People!?」

「yes yes」


支配人は大きく目を見開いて、高杉の前に跪く。


「It’s an honor to meet you!Mr.Underground People.」


恭しく高杉の手を取り、そっと唇を落とした。その目は尊敬と畏怖を表しており、涙さえ浮かべている。高杉はじろりと怜を睨み付けた。


「お前なんつった…」

「なんも」

「うそつけ!」



高杉が煩いので、上記の会話を訳してみよう。


「差し支えなければ、どちらからお越し頂いたかお聞きしても?」

「日本やよ」

「おぅ…」

「私は日本人やけど、この男は地底人やねん」

「えっ、マジで地底人!?」

「マジマジ」


「お会い出来て光栄でございます。地底人様」


支配人は地球外生命体愛好家である。



◇◇◇◇◇◇◇



グラバーの名を出すと、一行は個室に案内された。二十帖ほどのこじんまりとした部屋である。中華料理店とは思えない洋風的な内装は、フレンチベージュの壁に床はモスグリーン。チャコールブラウンの丸いテーブルが中央にあった。


「む?」


セッティングされた食器の数は五人分。怜達が三人となると、グラバーの他にもう一人来るはずだ。


「そういやお前、一体なんの目的であの英国人に会うんだ?」

「西瓜の種もらう約束しとるんよ」

「西瓜?」


九一(入江)の報告書にも書いてあったな、と高杉は思い出した。


「…ああ、アレか」


高杉は吹き出した。


「なんで笑とるん?」

「いや別に」


大人に引けを取らぬ怜の知性や行動力は、誰が見ても脅威である。この子供を味方にし、力を貸してもらえたら、それは百万の兵を得たのも同意ではないか。なのに本人は"西瓜"を育てるのに必死で、それを使って儲けようなどと考えている。これほどの知能を有していれば、儲ける方法など五万とあるだろうに……そう思うと、不思議と笑みがこぼれたのだ。


「閣下が狂た」

「狂たアル」

「黙れ」



とそこへ、先ほどの支配人が再びやって来た。


「Traveling with like is coming」

(お連れ様がお越しです)



「待たせたネ、怜」


颯爽と現れたのはイケメン男子・トーマスグラバー。

給仕係の清人女が数人意識を失い、数人離婚を決意した。


「急で申し訳ないんだけど、君達に会いたいと言う人がいてネ」


その後ろに姿を見せたのは、黒いフロックコートを着こなした品のある英国紳士。


「この方は、駐日総領事にして公使でもあられるーーーー」



ラザフォード・オールコックその人であった。




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