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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
83/139

083


「なんて顔だよ」


高杉はさも楽しげに「くく…」と含み笑いをする。怜は頭を整理するのに精一杯で口を開いたまま呆けていた。


「手荒な真似して悪いな。けどこうでもしなきゃ来ねえから」


高杉は軽々と怜を持ち上げ、荷物を担ぐように肩に乗せるとそのまま歩き出した。


そこは船の後方に積み荷された人気のない場所で、夜ということもあり誰もいない。むろん少し離れた場所に見張り役の男が数人いたが、何故か皆気持ち良さそうに眠りこけている。周囲には酒瓶などがあり、どう見ても「眠らされた」風であった。


むろんこの男が犯人であるのは明白だが、それよりも気になったのは、前方に見える旗である。


夜風にはためくそれを見て、怜の声は知らず知らずのうちに震えていた。


「なんで…」


雄々しいまでのその旗は、威厳たっぷりに己の存在を主張し暗闇でも輝いて見える。


「うそやろ……」


まさにそれは徳川幕府の象徴「葵の御紋」であった。


波を蹴って進み行く船が、まさかの御用船などと考えもしなかった怜だが、反射的にこの船の行き先が頭に浮かんだ。


「……上海」


怜の一言にニヤリと笑みを浮かべた高杉は、放心する彼女を地面へ降ろす。小さな少女は咄嗟に船縁へと走ると、身を乗り出して海の後方を見た。


闇の中をひた走る外洋船は和船とは比べ物にならないほど速い。むろん陽が落ちているため速度は上げてはいないだろうが、それでも船足は速かった。


何もない暗闇の水平線は、辛うじて海空の境目がわかる程度だ。そしてそこには山影も島影も無く、ただただ”海原”であった。


「早いよな~。たった一週間ほどで着くんだってよ」

「一週間!?早っ!!」

「向こうに着いたら美味いもん食わしてやるから楽しみにしてろよ?」

「えー上海料理?…何か悪いわぁ……」


条件反射というものは恐ろしい。

怜はハタと言葉を切って瞬間的に飛びかかった。


「ちゃうやろ!そんなことより鈴木君に何したん!?なんでみんなを殺したんや!」

「ちょ!殺してない殺してない!」


高杉は落ち着かせようと肩に手を置き、膝をついて怜と目線を合わせた。


「心配ない。蘭方薬を飲んで眠ってただけだ」

「ら、蘭方薬?でもいくら薬や言うても……」

「長崎じゃあ簡単に手に入る代物だ。お前の鳥は人よりも身体が小さいから効きすぎたんだろ。猪は効かなかったらしいから」

「はっ!!そうや!ピ◯太郎!あれがあんたの仲間か!?一体何者なん!?」

「ピ……彦太郎な」

「どっちでもええわ!どうせそれも偽名なんやろ!」

「ご名答。あいつは……」

「あんなん知らんし!どうでもええわ!」

「へえ。お前でも知らない奴がいるんだ」


高杉は優越感に浸るよう腕を組んで怜を見下ろした。しかし怜はそれをスルーし、尚も問い詰める。


「他にも仲間がおるやろ!桂君か!?それとも憎っくき吉田か!?」


常に怜に付き従っていた彦太郎に、不審な動きはないように見えた。その理由は、あの夜佐吉らと彦太郎が部屋から出ていった直後に、倒れた鈴木君を発見したからだ。怜と別れた後、直ぐに庭に出て鈴木君を探し出し、更に薬を盛るのことは殆ど不可能だ。となれば複数人が関与したのは火を見るよりも明らかであった。


「そりゃそうだろ」


高杉は当然、と肯定した。


「もう一人いたからね」

「まさか玄瑞先生……」

「それは十割無い。もう1人は和作だ。”九一”の弟」

「和作……弟……いや待て。”誰”の弟って?」


怜はゴクリと唾を飲み込んだ。


「入江九一の弟」


”入江九一”

高杉、久坂、吉田にならぶ松門四天王の最後の一人である。知らぬ筈が無かった。4人の中でも一際吉田松陰の意思を受け継いだのは、入江九一といっても過言ではない。獄中の松陰による幾度かの無謀な計画を、ことごとく反対した三人に対し、入江だけはその意思を受け継いできたのだ。それだけに松陰は入江兄弟を心から認め、その人となりを高く評価している。



「あいつ、入江九一か...」

「知ってるのか?」

「ししし知らん!」


怜は即座に否定し、頭の中から彦太郎を排除した。そんなことよりも、今現状を打開する案を考えねばならないからである。


「私を上海まで連れていってどうするつもり?」

「観光~」

「帰る!」


悔しさと苛立たしさ一杯の怜は、くるりと反転し暗闇を歩き出した。今なら間に合うかもしれない。大体こういった船には小舟が常備されている。それを借りて陸を目指せばーーー


「無駄だ」


高杉はさらりと言った。


「”密航者”は子供と言えど海に捨てられて鮫の餌食にされるだけだ。この船は普通の船じゃない。幕府の御用船なんだぜ?それに操縦はエゲレス人らが請け負っている。つまり奴らが指揮を執っているも同然だ。それでなくても奴らイライラしてやがるのに、ここへ来てまた問題が発生したらどうなるか」


良くも悪くも日本人というものは、形式ばった流儀を重んじる人種である。海の安全は元より、身の安全や物事の成功、様々な祈祷やセレモニーなどが執り行われるのもしばしばであった。また、ちょっとした問題が生じれば日が改られる為、出航日に出航出来ないという事態が当然のように起こっていた。


日本特有の風習(?)は外国人には到底理解出来ないもので、そういったトラブルが頻繁に起きては、彼らは不満を募らせる結果となっていた。


「それに……怜」


高杉は切り札を切った。


「お前の大事な”コレ”がどうなってもいいのか?」


高杉が懐から出したのは見覚えのある巾着だった。ジャラジャラと擦れ合う金属音は、怜にとってすればまさに”天使の羽音”である。


「それは……」


忘れるわけがない。

それは怜が以前吉田に預けたあのーーー



「金子ーーーーッ!!!」


怜にとって、金に勝るものがあるのだろうか。



◇◇◇◇◇◇◇



「お前は今日から俺の小姓だ。いいな?」

「はっ!閣下!」

「一先ずこれは預かるが、もし途中放棄するようなことがあれば、永久に没収する」

「ぬぅぅぅ!?」

「しかし帰国するまで小姓として任務を全うすれば、それ相当の金子を上乗せしてやる」

「御意!」


怜はピンと背筋を伸ばし敬礼した。

何とわかりやすく単純な子供だろうか。しかしその気持ちもわからないでもない。戻ってこないと諦めていた金と、まさかこんな場所で再会するとは思っていなかっただけに、喜びもひとしおだったのだろう。


「じゃ、行くぞ。くれぐれも身元がバレないように」

「どこ行くん?」

「俺達の寝床」


怜は思い出した。

そういえばこの船には、五代やグラバーも同乗しているはずである。ということは、二人とバッタリ出くわす可能性は極めて高い。いや高いどころか100%だ。


グラバーは心配ない。なにせ日本語がカタコトだからどうとでも誤魔化せる。しかし五代が怜に気付いたら、十中八九「怜!やはり来てくれたんだね!」などと大喜びで怜を抱き上げ、”飛行機ぶーん”をするかもしれない。


「どうした?難しい顔だな」

「……私はさっきの箱におった方がええと思うんやけど。密航者みたいなもんやし」

「それなら大丈夫だ。うちの番の随行員は二名で届けられているからな」

「あ、そう。高杉君のくせに用意周到なんやね」

「どういう意味だよ」


怜は泥酔した男の一人に近付くと、その男がかけていた鼈甲(べっこう)の眼鏡を分捕った。


「借りるで」


レンズだけを抜き、おもむろにそれを装着する。この眼鏡は未来ではとんと見られない代物で、左右のレンズを繋ぐブリッジ部分が、山のように反り上がっている丸眼鏡である。抜いたレンズは御丁寧に男の瞼に乗せ(怜なりの親切心)、更に刀に巻き付けてあった組紐を取り上げ髪を一つに束ねた。


「よし。行こか」

「わざわざ男装しなくても、誰も間違えないと思うぞ?」

「そうゆう問題やない。知らん顔ばっかりとは限らんやろ?何せ江戸城内で私は、殊のほか有名人やったんやから」

「あ、そう...」


これで全ての不安感が拭えたわけではなかったが、現状仕方あるまい。怜はそう自分を納得させ、高杉の後を付いていったのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



肥後・宿場


肥後入りした薩摩藩は、夕刻のうちに豊後街道の宿場町に到着した。


「雨足が強くなって参りましたな」

「しかし降り出す前に到着出来たのは幸いだ」

「いや。聞くところによれば、二、三日前から天候が荒れていたらしい」

「天は我らに味方していると殿が仰っておられた。まこと幸先が良い」

「それはそうと、さあ皆様。殿はもうお休みなられたご様子。あとは番役に任せ、我々も旅の疲れを落とすとしましょう」


上役が追い立てるように促すと、皆それぞれホッとした表情になり、途端そわそわと落ち着かない調子で門に向かって歩き出す。


「ひと風呂浴びたら地酒でも頂くか」

「それより良い店があると聞いたのだが」

「それがしもお供する」

「俺も俺も」

「これこれ。明日に差し支えないよう程々にするのだぞ」


誰かの言葉にドッと笑いがおきる。

長い旅路では、ほとんど無言で朝から夕方まで歩かなければならない。常に警戒し気を張っている彼らにとって、それらは唯一の楽しみなのである。


「我らも一杯やりますか?」

「良いですな。お付き合い致そう」

「小松殿もいかがです?」

「申し訳ない。これから各所との打ち合わせがございますので」

「本陣に戻られるのでございますか?」

「ええ」


「本陣」とは身分の高い人々が宿泊するための施設であり、所謂大名や公家、役人などが宿泊出来るようになっている。とはいえ、参勤交代などの大所帯となれば、当然その人数を収容するのは不可能であるため、その場合は脇本陣と呼ばれる本陣より大差ない(が、少々格下の)旅館に宿泊し、それでも捌き切れない場合は、一般の旅籠屋、もしくは野宿もあった。


「下の者に任せればよいものを」

「相変わらず仕事熱心でござるな」

「日を改めてお付き合い致しますゆえ、今宵はご勘弁を」


小松は一礼し、門の方へと歩き出す。

近侍の男二人も後に続いた。


「中村が戻りました」

「一人か?」

「はっ…いえ。鳥が」

「二人は……どこにいる」

「町外れの使われていない廃屋で待たせております」

「よし行こう」


泥が跳ねるのも気にせず、小松は半ば早足で案内に従う。鈴木君がここにいるということが、不安を一層現実に変えてしまったのだ。


鈴木君が怜の命令無しにその傍を離れるなどあり得ないことである。万が一不可効力によって引き離されたとしても、鈴木君が怜の匂いをたどってその居場所を突き止めるのは、非常に容易いことなのだ。それをもってしても尚見失ったということは、この先怜を探し出すのは簡単ではない。


(何か手がかりでもあれば……)


小松は祈る思いで空を見上げた。

隙間無く垂れ込めた濃灰色の夜空は、風に流され蠢めいている。雨は一層強さを増し、傘など全く無意味なものでしかなかった。


「あちらです」


腐った木材が積まれた土地は、結構な広さはあるものの、ボウボウと草が生い茂り土の姿は見えない。脇にはいくつかの切り株があり、子供達の格好の遊び場となっているのか、欠けた茶碗や湯呑みがきちんと並べられていた。指を差した方向を見れば半分崩れかけた廃屋がある。男は行灯で足元を照らしつつ慎重に歩を進め、小松もそのあとに続いた。


「キョオ」


雨音に混じった声に振り返れば、直ぐ横の大木から鈴木君がこちらへ向かってくる。小松が腕を伸ばすとふわりとそこに降り立った。


「キョキョ」

「うむ。……一先ず中に入ろう」

「我らはここで見張りを。何やら先ほどかや不気味な気配が致しまする」


「すまない。頼む」


昼夜を問わず探し回ったであろう鈴木君は、その様子からも見てとれた。前とは違い酷く疲れた表情で、翼は雫が滴るほど濡れ果てている。因みに不気味な気配の正体は佐藤君だが、別に威嚇しているわけではなく、見知らぬ者達の出現に怯え、廃屋の裏に隠れているのだ。


小松が中に入ると、暗闇の中を微動だにせず正座する、中村の姿があった。目を閉じる彼の表情は苦悶に満ち、小松がその前に座ると一礼して顔を上げ、真一文字に結んだ口を、ゆっくりと開いた。


「申し訳ございませぬ」

「一体何があった」

「……それがしが到着した頃には時既に遅し。連れ去られた後にございました」


中村は今までの経緯を説明し、怜(の匂い)を追って沿岸にやってきたまでは順調だったが、不幸にもそこで強い雨風に見舞われ、完全に途絶えてしまったということだった。


「有明は囲まれた一帯ゆえ、何処へでも抜けられます。ただ地元漁師らの話では、あの夜出航した船はそれほど多くなく、三隻は長崎、二隻は馬関……」

「何者の手引きか……」

「わかりませぬ。夫婦の話ではやはり”薩摩”の者と聞いていたそうで、特段怪しい動きもなかったと」

「犯人は複数いたのだろうな……」

「おそらく」

「我々を出し抜くとは素人の犯行ではあるまい」

「まさか幕府の」

「いや。違うだろう。そうならば手の込んだやり口などせずとも、堂々と申し付ければよいのだから」


小松はそれ以上口にはしなかった。

意図はともかく、”後藤怜”という少女が、ずっと何者かに付けられていたのは事実であり、可能性として一番高いのは…………


「では一体どこの者が…」




”長州”以外にないのだ。




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