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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
81/139

081


「さ、殺人?」

「まあ…正確には今の所”未遂”になるんじゃが」

「未遂?」

「医者が言うには二、三日が”ヤマ”らしい。急所は外しちょるが、出血が酷いようじゃ」

「まあ…!」


思わず口元に手を当て、千香は身を震わす。どおりでいつもより閑散としていると思った。大体買い物以外ほとんど町に出ることはないし、その買い物すら一週間か二週間に一度なのだ。のどかな植木村でも、更に奥地に住む千香達にとって、町の情報など皆無に等しく耳に入ることはないのである。


「被害者は三人の若い男で、どうも薩摩のもんらしいが。……しかし物騒な世の中ばなったもんじゃ。こんな辺鄙な村で大層な事件が」

「あのっ」


千香は話を遮るように身を乗り出した。


「犯人はまだ?」


中島は首を縦に振ると額の汗を拭った。


「ばってん心配せんでええ。直ぐに捕まるじゃろ。役人だけじゃなくワシらもこうやって見廻りしちょるから」


中島は真っ青の千香に気付き、安心させるように肩を叩く。千香も僅かばかり歯を見せたが、それは引き攣った笑顔にしかならなかった。


「さて、もう一踏ん張り頑張ってくるかの」

「おじさん!くれぐれも気を付けて!」

「ああ。千香ちゃんもなるべく一人でウロウロせんようにな」

「はい!」


中島と別れた彼女は、一気に冬が振り返したような冷たい空気を感じた。


怜も薩摩から戻った。

あの吉川という警護の男も薩摩藩士だと聞いている。偶然かそれとも関係があるのか、千香はいつの間にか早足になって帰路の道を急いでいた。



◇◇◇◇◇◇、



その頃怜は、緊張した面持ちで手のひらを見つめていた。自然と笑みがこぼれてしまうのは今日という日がようやく夢への第一歩に近付いたからである。


手のひらで黒々と輝く種は「可愛い怜ちゃん。大きくなるまで待っててね」「甘くて美味しい西瓜になるからね」と語りかけているように見えた。(※怜の理想的幻聴である)


「さあ…いよいよや」

「お、おう……」


怜を除く全身泥だらけの4名(佐吉・ピ◯太郎・鈴木君・佐藤君)は生唾を飲んで見守り、今か今かと待ち詫びる。


「最初の一粒 」


腐葉土を混ぜ合わせた目の前の(うね)は、高さ15センチ、幅80センにずらりと一直線に並ぶ。怜は勿体ぶって右人差し指を高く突き上げ、皆を見回した。


「いくで」


身動き一つ無く沈黙が続く中、怜は人差し指をブスリと突き立てて約2センチほどの穴を開ける。左手に握り締めた西瓜の種を一粒摘むと、ポトリとその中へ落とした。


「鈴木君!」

「ギョ!」


直ぐさま反応した鈴木氏は翼を一振りする。バサリと音が鳴り、風と共に回りの土がその穴を塞いだ。


「よし」


怜はフーッと息を吐いて満足そうに頷く。この方法はが合っているかどうかなど、怜には全くわからない。正直なところかなり適当であった。前世でも家庭菜園は経験がない。唯一小学生の頃朝顔とひまわりを育てたくらいである。しかし何事もやってみなければ始まらない。怜の信条に”失敗を恐れる”という言葉は皆無であった。


「やり方わかったよね?大体三尺間隔で種を植えていけばええわ。なるべく列を乱さんように真っ直ぐな」


怜は手のひらの種を皆に配り始めた。


「わ、わかったばい」

「承知した」


佐吉らは緊張した面持ちで受け取り、それぞれ畝の前に立つ。怜は皆が持ち場についたのを確認し、「始め!」と声を張り上げた。



◇◇◇◇◇◇◇



「下へーー下へーー」


薩摩街道を北へ進行する大名行列。

その中間からやや前方、大名乗物を取り囲むように馬に乗るのは小松である。


先を見れば、慌てて下馬する若者、小さな子供を無理矢理座らせる母親、荷物を置いて土下座する行商人、様々に沿道に並び、各々その場でひれ伏す。


因みに自領内で大名行列は、領民の土下座は必須であるが、他藩を通り過ぎる際は、大名乗物が前を過ぎる時だけ頭を下げる程度で、特に行列を横切ったり、列を乱す行為以外は別段問題はない。(※御三家は別)


よって領外では殊更警戒が必要で、特に宿場などの人が集まる場所では、より神経を集中させなければならないのである。


「関所まで一刻ほどにござりまする」

「怪しい動きはないか?」

「先発隊の報告では特に…」

「承知した」


ここを過ぎればもう肥後は目前である。スムーズに進めば、あと数日ほどで怜と合流出来るだろう。


小松は陣笠を上げ、遠く霞む肥後の山々を眺めた。表情はいつもと変わらずだが、心中は穏やかではない。無論その理由は東郷の文に他ならないが、今は先ず、怜を確保することが最大の目的であった。


「小松殿。何かご心配事でも?」


険しい表情に気付いた中山が声をかけてきたた。ハッと我に返った小松は、平静を保ったまま余裕の笑みを浮かべる。


「いえ。天候がどうにも気になりましてね」


中山は空を見上げて頷く。


「成る程。確かに雲が出て参りましたね」

「降り出す前に到着出来れば良いのだが」


小松の心配に後方の役人が答えた。


「この調子であれば、予定より少々早く着くことができましょう」

「そうか。ならば良いのだが」


小松が心配しているのは、この大名行列ではなく、中村のことである。実は最初の宿場で”事”が発覚した際、彼を再び用心棒として先行させたのだ。長崎から腕の立つ数人の藩士を派遣したとはいえ、中村には遠く及ばない。それにまさかとは思うが、怜が逃げ出すことも想定しなければならなかった。あのお転婆娘のことだ。急に気が変わることも充分あり得る。


「……小松様」


不意に耳に入った声と後方からの足音に小松はちらりと振り返った。身を屈めて近付いて来たのは、薩摩から肥後まで怜の警護に就いていた男である。


「少々お時間を」

「……」


小松はそのやつれた表情から、何か予想し得ぬ”事”が起きたと察すると、小さく頷くて脇で待つよう手で差し示す。


「小松殿、いかがなされた?」

「どうにも馬の調子が悪いようだ」

「……そうは見えませぬが」

「乗っているとわかる。もしや身籠っているやも……」

「な、身籠って!?」

「申し訳ない。少々席を外す。直ぐに追い付きますから」

「承知した!こちらは我らにお任せを」

「すまない」


小松は思い付きでホラを吹き、列を乱さぬようゆっくり沿道に馬を寄せる。警護の男は忍者のように進み出て、下馬した小松の前に片膝を付いた。



「引継ぎの警護の者らが、何者かに襲われました……!」

「何…!?」


男に視線を合わせるよう膝を付いた小松は、声を低くして体を寄せた。


「詳しく話せ」

「は!負傷者は三名。某らと別れた後、怜様と共に植木に向かったのですが、その途中消息を絶ち、数日後金峰山の山中にて……」


その言葉にひやりと冷たいものが背筋を通り抜けた。


「れ、怜は…」


小松はゴクリと息を飲む。


「…………行方不明にござりまする」




◇◇◇◇◇◇◇




夜も更け始めた頃、鬱蒼と生い茂る林の中から一つの影が動いた。


「ブヒ…」


先ず最初に気付いたのは庭先で横になっていた佐藤君である。微かな気配に気付き小さな耳をパタパタ動かした後、薄っすら目を開いた。


「ブヒヒ……」(筍の来襲やろか……)


そんな来襲など聞いたことはない。

しかし従来食べ物のことしか考えていない佐藤君にとって、先ず真っ先に思い付くのはやはり”食べ物”のことなのである。


「ブヒヒブヒ」


彼は「どっこらしょ」と巨体を持ち上げ、ブルルと身体を揺すると、クンクンと地面を嗅ぐ。寝起きの所為で少々足元がフラつき気味ではあったが、前を見た林の奥に何かを発見し突如走り出した。


「ブヒン!!!」(筍や!!!)


猪の嗅覚は驚異的である。


「ブォオォオォ!ブォオォオ!」


あまりの嬉しさに小躍りする巨大猪。慎重派の彼の最大の弱点と言えるだろう。バキバキと豪快に食らいつきながら、あっという間に食した佐藤君は、ご満悦で元の場所へ戻ろうとする。しかしふと前方に視線を走らせた時またも数メートル先に筍を発見した。


「ブォオオォン!」(うひょぉお!)


すかさず走り出す佐藤君。二つ目の筍にカブリと食らいついた後、また更に前を見て、今度は涙を流した。


「ブヒィイィイィイ!」


誘導するように数メートル間隔で置かれた筍。もはや彼にしてみれば天国である。「もういつ死んでも後悔はない!」と歓喜の雄叫びを上げながら、進んでは食べ、また進んでは食べ、と繰り返していく内に、いつの間にか森の奥へと消えていった。


「……」


その様子を木々の隙間から見送る影が一つ。佐藤君はその不審な”気配”に気付かなかった。筍を見つけた喜びが全てを狂わせたのである。


一方……


「キョキョ?」(おや?)


次に気付いたのは鈴木君である。彼は庭とは反対側の、畑のある拓けた場所でミミズを探していた。もちろん向こう側で佐藤君の声を聞いてはいたが、いつもの夢遊病だと決め付けていたのだ。


しかし鈴木君は風に混じって嗅いだことのない「何か」に気付く。


「……キョ」


一匹のミミズを咥えたまま、彼は屋根を飛び越え庭の方へと降りていく。既に佐藤君の姿は無かったが、特に気にも留めず「何か」の方向へと向かっていった。


「キョキョキョキョ」(何やアレ)


木々の隙間からチラチラと見え隠れする影。不審に思った鈴木君は敢えて翼を使わず、やや離れた場所で地面に降りると、ピョコピョコと歩き出した。


「ギョギョ!?」


と、その途中、何かが逆方向から投げ込まれた。思わず退いた足元には、本来山や森では生息しない生き物。


「キョォオォオ!」


それは大好物の伊勢海老であった。

見るからに採れたて新鮮な伊勢海老は、「さあ私を食べて下さい」と言わんばかりに神々しく輝いている。鈴木君はすかさずそれに飛び乗って、両脚でガッチリ捕まえた。


「キョキョキョキョ……」


彼は言う。

『飛んで火に入る夏の虫とはまさにこれやな』


普段の彼なら大抵部屋の中か、屋根の上でご馳走を頂く。しかし思いのほか暴れ出した伊勢海老は、鈴木君の力を持ってしても飛んで運ぶのは困難であった。


「キョキョォオ」(いただきます)


鋭い嘴を突き立てた鈴木君。香ばしい海老の香りが彼を包み込む。ところが一口、二口、更に三口目に差し掛かった時、視界がグニャリと歪んだ。


「……キョ…」


考える間もなかった。

ただ頭の中が急速に冷えていき、力が全く入らない。彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは怜の顔だった。


「キョ…オ……」


警告を知らせる声は、木々の揺れる音に掻き消され1メートル先にすら届かない。意識がフェードアウトすると同時にその場に崩れ落ちた。


「………」


ニヤリと笑みを浮かべた男。

その怪しい影は真下に倒れた鳥を見た後、猪が消えた林の方を見つめた。口元には六尺手拭い、額には鉢金、服装は至って軽装で、鯉口シャツに股引といった出で立ちである。


男は上空を見上げた。

月はちょうど一時の方向にあり、計画通りであれば、そろそろ頃合いである。


「……よし」


影は音を立てないよう木から飛び降り、庭先へと滑り込む。そして身を屈めて外縁を並行に進んだ。更に踏石の前で一瞬停止した後、縁と地面の隙間にスルリと潜り込むと、耳を澄ませて室内に神経を集中させたのだった。



「へー事件ねぇ」

「感心しちょる場合やなかと!狙われちょるんは薩摩の人ばかりらしいんよ!もしかしたら怜ちゃんやピコ◯郎さんも……」

「彦太郎でござる」

「千香ちゃん。心配せんでええ。私は大丈夫や。京人やし」

「じゃけんど!」

「あ、そういえば」


千香の言葉を遮って、怜はポンと手を叩いた。


「小松君から派遣された他の人どこ行ったん?」


怜はふと思い出した。

先日植木に来る途中、佐藤君の走りについてこれたのは、この彦太郎だけだったからである。もう顔すら覚えていないが、あと三、四人いたはずだ。しかし彼らはあれから一向に現れなかった。


「は。あの者らはどうも山に慣れておらぬゆえ、宿場で待機させております」

「ふうん。薩摩隼人も大したことないんやな」

「それより怜様。明後日には本陣が肥後に入る由。そろそろ旅の支度を始めてもらいたいのでござるが」

「え?ちょっと早くない?」

「予定通りでござる」


怜は心底嫌そうに顔をしかめた。

約束したとはいえ、行きたくないのは当然だ。しかしそれを反故にすれば、西瓜カンパニーの夢は消え失せる。


「ま、ええわ。とりあえず今日はもう寝よか。明日は重労働が待っとるし」

「重労働?」


キョトンとする千香に佐吉が説明を始めた。


「板硝子が出来るまで、一先ず柵を建てることにしたんじゃ。猪やら猿やらに荒らされるわけにはいかんから」

「あ…」


畑の脇に大量の木が積み上げられていたのを千香は思い出した。


「一日で出来るん?」

「千香ちゃんも手伝ってな」

「それはもちろんええけど」

「ほんならみんな。明日は五時起きや。寝坊したら罰金一両な」


その言葉に姿勢を正した吉川は深々と頭を下げる。


「……では、某はお先に失礼致す」

「お、俺も寝る。ーーーー千香」

「は、はい。ほんならお休み。怜ちゃん」

「お休み」


慌てて部屋を去っていく三人。怜なら本当に請求しかねないという表れである。


「あれ?」


と、ここでようやく怜は鈴木君がいないことに気付いた。


「鈴木君?」


縁側へ続く襖を開けて庭先を見渡す。


「あれ、佐藤君もおらん……」


さっきまで声が聞こえていたのに、と首を傾げた怜は踏石に置いた自分の草履を履いて外へ出た。


「佐藤くーん!鈴木くーん!」


周囲一帯に怜の声がこだまする。

街灯も何もない空間は、部屋からの明かりがほんの少し庭先を照らすだけで、あとは月の光だけが頼りである。


「どこ行ったんやろ」


キョロキョロと辺りを見回す怜。

ふと何かが動いた気がして左の方向を見た。


「あ…」


目に飛び込んだのは伊勢海老。

何故こんな場所に、と口を開きかけて一気に熱が冷めた。


「鈴木君!!」


横たわる大切な相棒は何の反応も見せない。怜はもつれそうな足を精一杯動かして鈴木君の元へ駆け寄った。


「鈴木く…」


目の前の光景が信じられず、怜は息を飲んだ。


無造作に広がった翼。

ピクリとも動かない身体。

ただ体毛が風に煽られて僅かに靡いているだけ。


「嘘やろ…?」


死ぬわけがない。

自分の相棒がそう簡単に死ぬわけがない。

そう言い聞かせるように怜は小さな手を伸ばした。

次の瞬間ーーーーー




「鈴ーーー」


首筋から肩に鈍い衝撃が怜を襲った。

背後の気配に気付く間もなかった。

ただ伸ばした手が痙攣したように震えるのを見た。


膝から崩れゆく小さな少女。


「……っ…」


最後に見た顔はーーーー




「任務完了」



不敵な笑みで怜を見下ろす吉川彦太郎であった。




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