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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
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深夜降り続いた雨は今朝方に静まり、全てを洗い流したような真っ青な空が眼前に広がっていた。怜は早々に身支度を整えると、間口から外に出て手水場へ向かう。ちょうど前から大きなタライを持った千香と出くわした。


「怜ちゃん。もっとゆっくり寝ちょいたらええのに。帰ってきたばっかりで疲れとるじゃろ?」

「大丈夫や。それより私も手伝おか?」

「もう朝餉は出来ちょるよ」

「ほんなら運ぶの手伝うわ」


昨日の昼前に佐吉の家に戻ってきた怜だったが、着いた早々雨に見舞われ外に出ることが出来なかった。佐吉によれば、このところ降ったり止んだりの雨模様でぱっとしない天気が続いているという。二、三日前までは風も強かったらしく、佐吉の家は所々つぎはぎの板で覆われていた。


「春一番やな」

「早速種植えするんか?」

「その前に雨で濡れた土をもう一回起こして、腐葉土と元の土を混ぜて馴染ませようと思っとるんよ。ほんでその状態で何日か寝かせて種を植える予定やよ」

「今日中には難しいぞ?」

「私も手伝うよ。いつも任せてばかりで悪いし。それに今回は佐藤君だけやない。ピ◯太郎もおるし」

「某も……?」

「混ぜ合わせるの得意やろ?」

「……どこからの情報でござろうか」


怜は粥の残り汁を一気に飲み干しらすっくと立ち上がった。


「一週間しかない。一週間でなんとか終わらせなあかん」

「相変わらず忙しいんじゃのう」

「そうや。千香ちゃん」


怜は巾着から紙に包まれた小判を取り出し、千香の前に差し出した。


「五両入っとる。二人の生活費やよ」

「五両も!?……怜ちゃん。そんなにウチらに気を使わんでええんよ?私ら質素に暮らしちょるけど、お金に困っとるわけじゃなかと。熊屋の件で玉屋さんにいくらか頂いたし、贅沢せんかったら充分やっていけるんやから」


しかし怜は首を横に振る。


「それは私からの給金やから。受け取ってもらわな困る。正直、これが軌道に乗るまでどれくらい時間がかかるかわからん。もしかしたら一年、二年……いや三年かかるかもしれん。そやのに、一方的に私の夢の為に二人を付き合わせとる」

「怜…」

「これは私の責任なんよ。つまり私が雇い主っちゅうこと。だから二人にお金を渡すのは当たり前やし、その辺は割り切って受け取ってほしいねん」


当初はまさかあんなに荒れた土地とも思わなかった為、大きな誤算であったのは否めなかった。しかし最初から畑を作り直し、そこから始まった大きな夢への第一歩。少なくとも二人を巻き込んだことに違いはなかったしそれに伴う全てのリスクは、いわゆる”代表者”である自分の責任なのだ。ゆえに怜は二人に出会い、その構想を練り始めた時から、義務を一身に背負う覚悟を決めていたのである。


「よっしゃ!ほんならやろか!」

「某も手伝うでござるよ!」


佐吉と吉川は勢い良く立ち上がった。

小さな子供のプライドと心意気にいたく感じ入ったようである。怜は大きく頷いて二人の後についていった。



◇◇◇◇◇◇◇



水上坂を進む大名行列は最初の休憩場所に到着した。島津久光は家臣に促され近くの武家屋敷にその姿を現す。その屋敷は先祖代々、身分の高い武士らの休憩所として機能しており、小松自身も以前長崎へ留学した際は世話になった屋敷でもあった。


「なかなか居心地が良い」


久光は満足気に頷く。


「恐悦至極にござりまする。只今お茶を用意させておりますゆえ、しばしお待ちを」

「酒は無いのか?」

「殿…一刻ほどで出発致します。次の宿場が本日の宿泊予定地となっておりますゆえ、この地ではお控え下さいませ」

「……うむ。そうか」


御小納戸役・中山尚之介の言葉にやや不満気味の久光ではあったが、出発早々失態は出来ないと思い直したのか直ぐに諦めた。


「ところで西郷は」


久光が周囲を見渡し、返答を求めるように視線を投げかける。それに応えて小松の正面に鎮座する中山が「恐れながら」と恐縮気味に口を開いた。


久光の言う西郷とはあの”西郷隆盛”である。久光の上京に先行して馬関へ向かい、その地で合流することになっているのである。


「ここ二、三日中には馬関へ到着することと存じまする」

「ふむ…」


中山はちらりと大久保を盗み見るが、大久保はその表情を変えることなく固く口を引き結んでいた。


西郷は最近その禁を解かれ、復帰したばかりである。それは大久保と中山の働きによるものであった。つまり大久保が久光の信頼を得る中山に頼み込んで、西郷を呼び寄せたという背景があった。


今回の久光上京計画は必ず成功させなければならず、それには西郷が必要と考えていたのである。そもそもこの計画は亡き斉彬公によるものであり、その腹心だった西郷は絶対的支持者であった。よって結果的には主人は代わったものの、斉彬による上京計画を自らで推し進めようとする久光と、斉彬に追随していた西郷の思惑は一致していたといえる。


ところが、折角周旋して復帰させてやったにもかかわらず、西郷は久光による上京計画を突っ撥ねた。西郷にとって斉彬は唯一尊敬出来る尊き人物であり、それこそ”斉彬”だからこそ成就出来ることであり、久光にその器は無いと断定し、反対の意思を全面的に表明していたのである。


そういった経緯から、久光と西郷の間には見えない亀裂が生じており、今回の馬関への沙汰はある種西郷への牽制と、勝手な振る舞いをさせない為の”足止め”いう意味合いが強いと言えよう。


「さすがに”沙汰”となれば身勝手な行動は出来ますまい」


中山は苦々しげに一息つくと、茶が運ばれてきたのを機に、途端話題を変えた。


そこへーー


「小松様」


ちょうど小松の背後、襖隔てた向こう側から小さな声が聞こえた。


「文が届いております」


小松はほとんど口元を動かさなかった。


「誰からだ」

「江戸より、東郷仲五郎と申す者です」


”仲五郎?”と一瞬訝しむ。さもあろう。つい先日文が届いたばかりなのだ。江戸のことは逐一報告するよう申し付けてはいるが、立て続けに寄越すとなると”何かがあった”としか思えない。


「お話の途中で申し訳ありません。関所の使いの者が来られたようなので、少々失礼を」


小松は小さく一礼し他の者へ目配せする。そっと腰を浮かせて後ろへ引き、音も立てずに退出した。



◇◇◇◇◇◇◇



時は島津斉彬が存命中の頃である。

当時小松は”肝付尚五郎”という名であった。肝付家の三男として生まれ、勉学に励んでいた彼は二十歳を過ぎた頃、江戸藩邸に出仕した。


藩邸では”江戸奥詰奥小姓与近習番勤”という、ある意味優秀、或いは有望な人物でなければ務まらない御役目に就いていた。”奥小姓与近習番勤”とは、簡単に言えば主君(斉彬)の身辺警護に始まり、身の回りの世話や雑用など秘書的な役割を担う職である。


時を同じくして天璋院篤姫は、”島津本家”所謂『島津斉彬』の養女を経て近衛忠煕の娘となり、徳川家定に嫁ぐ為、江戸藩邸に滞在していた頃である。


つまり常に斉彬に従う小松であるだけに、図らずしも篤姫を拝顔したことは幾度かあった。むろん言葉を交わすことなどなく、ただ篤姫が義父である斉彬と共に過ごしている際に、几帳や、御簾越しに垣間見た程度である。


この時、世はまさにペリー来航に沸き、幕府はその対応に日々追われる極めて不穏な時期であり、篤姫と家定公による正式な婚礼の沙汰は延期となっていた。とはいえ、着々と婚礼の準備は進められており、篤姫自身は日々花嫁修業に明け暮れ、また薩摩藩邸には膨大とも言える花嫁道具で溢れかえっていた。


その花嫁道具の中でも、一際目を見張る豪華な”女乗物”があったのを小松は今でも覚えている。


それは婚礼用に作られた篤姫専用の『姫駕籠』であった。


外装は黒漆の上に輝くばかりの金の蒔絵、二葉葵をあしらった所謂『双葉葵唐草文様』が細部まで描かれており、加えて徳川家を表す三葉葵、更に近衛家の牡丹紋まである。また内装はと言うと、上部は天井の中でも最も格式高い(伝統ある神社や寺、城などによく使われる)”格天井”が張られ、側面は源氏物語の一場面である”胡蝶”の絵が配されており、それは見る者全てを魅了する絢爛たる姫駕籠の姿であった。




「……どういうことだ」


数年前のその記憶を辿りながら、小松は小さく呟いた。


似ている。というより、東郷の描いた文様は、そのまま”双葉葵唐草”であることに間違いはなかった。しかし、そのような”事”があるわけがない。篤姫と家定の間に生まれた子が、よもやあの”後藤怜”であるなど、いやその前に篤姫が懐妊していたなど、噂でも聞いたこともないのだ。


小松は思い起こすように目を閉じる。


「双葉葵…」


こうした権威を示す様々な花嫁道具。

主君・島津斉彬にとって、いかにこの婚姻が大事であるか誰しもわかることである。調度品の数々、身の回りの物、仕立て上げられた色とりどりの着物、帯、髪飾り…


「そんなまさか……」


小松の脳裏に怜の顔が浮かんだ。それと同時に一瞬見えた篤姫の涼しげな横顔。似ているかどうかなどおよそ判断出来ないし、確かめる術もない。


手掛かりは東郷が描き記した一枚の文様のみ。慎重派の東郷が筆を誤るなどあり得ない。いや、もしかしたら自分の思い過ごしかもしれない。あれは、あの時見た文様は双葉葵では無く……



小松は大きく首を振り空を仰いだ。


今でも覚えているのだ。

あれは間違いなく、篤姫を象徴する文様。東郷の”それ”と全く同じである。


「中村はいるか」


しかし結論を出すには尚早であった。


「呼んで参りましょうか?」

「頼む」


ただ万が一『そうであった』場合、怜が亡き家定公と篤姫の御息女だったとすれば、よもやあのままにしておけるはずもない。


小松は再び視線を落とした。


この文様が何を示すのか、この”双葉葵唐草”が一体何を指しているのか、それは怜のみならず、幕府そのものの根底を覆す、最悪の事態になり兼ねないのは考えるまでもなかった。



◇◇◇◇◇◇◇



肥後


「千香ちゃん」

「あら。おじさん」


声をかけたのは町組の中島である。

千香がぺこりと頭を下げると、温厚そうな笑みを浮かべた。


「佐吉とうまいことやっちょるか?」

「ええ。おかげ様で」

「子供はまだか?」

「ふふふ。おじさんったら会う度にそればっかり」

「そいじゃったの。つい一週間前も聞いたけの」


ハハハと笑う中島だったが、その声はいつものような張りも無く、少々疲れた表情をしている。


「何かあったんです?」


千香は咄嗟に口に出して、慌てて言い訳をした。


「少し元気がないみたいじゃから」


中島は困ったように眉を下げ、浅く息を吐いた。


「ちょっと事件があっての」

「事件?」


千香が聞き返すと、中島は周囲を警戒しながら千香を引き寄せ、耳元で囁いた。


「殺人事件じゃ」


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