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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
79/139

079


東郷は一分ほどで作業を終え、産着を元の場所に戻した。速やかに廊下を出て、裏口へと足早に歩く。通り過ぎ間に道子の口ずさむ鼻歌に、少々の安堵と罪悪感を覚えながら外へ出ると、周囲を警戒しつつ勝手口から通りへ。


袈裟懸けに背負っていた風呂敷を解くと、さも使いを頼まれた程を装い、両手で抱えて歩き出した。


風呂敷の中は何の変哲もない手拭いが入っているだけで、重要なのは懐にしまい込んだ紙一枚のみである。


東郷は早足で通りを駆け抜け、小栗邸が見えなくなったところで足を止めた。周囲に注意を配り、懐から取り出した紙を広げて視線を落とす。


その紙に描かれているのは、言わずもがな双葉葵唐草の文様である。


東郷にとって、目的の物を盗み出すなど朝飯前だ。しかしその相手が小栗だということが彼の良心を咎め、少々危険ではあったが、あの文様を紙に書き留めたわけである。


とはいえ、東郷は家紋について詳しくはなかった。見たこともない家紋である。ただ言えるのは、小栗家のそれとは決定的に異なるということ。(小栗家は”丸に立波”)


例えば”紋付き袴”と言うように、家紋を着物に入れるのは一般的である。豪商などは自分の家の屋根瓦に家紋を入れることも珍しくない。あの有名な”三井”も同様、家紋をそのままグループの象徴としたり、武士ならば刀の鞘に入れたり。つまり家紋というのは、いわゆる出自や苗字を表す意味合いが強いのである。


だが、それらはあくまで中流以上の家柄、つまり代々受け継ぐ家系に存在するものであり、所謂武士階級に多く普及されているのが現状である。


それらを鑑み、加えて産着の素材等を考慮すれば、これがいかに”普通”ではないということが誰しも理解し得るものであった。


「小松さんなら知っているはず…」


藩邸内の他の者に聞くことも考えたが、大事になるのは得策ではない。小栗のあの様子から、これは外に漏れてはならぬことだと容易に想像出来るし、これ以上自分の一存で勝手な行動をすれば、最悪な事態にもなり兼ねない。


東郷は藩邸に帰るや否や、早速文を出すことにした。もちろんあの文様を記した紙を同封してーーー



◇◇◇◇◇◇◇



薩摩藩


「怜、一つ言っておきたいことがある」

「?」


小松は改まって姿勢を正した。


「もし、本当に薩摩藩との取引を考えているならば、無論協力は惜しまない。しかし、それには条件がある」

「勘違いも甚だしい。上海行きの道筋を付けたんは私なんやけど」

「……その見返りが今回の板硝子製造案なのは理解したいところだが、”西瓜かんぱにー”なるものの出資者が薩摩藩という話は聞いていないのだが」

「あ、…………」


(五代君め!要らんことを……)


怜は口止めしていなかったことを後悔した。隠しているわけではなかったが、折りを見て自分から小松に話しを付けようと思っていたのだ。


「そ、それは別に今すぐってわけちゃうし」

「ではいずれ、ということなんだね?」

「ま、まあ…」

「さらに聞くところによれば、君は幕府の名を騙って清国の者を勝手に処罰し、その者の店から商品を根こそぎ奪ったと聞いたが」

「奪ったんちゃう!くれたんや!」

「幕府の名を騙ったことは認めるんだね?」

「う……」


怜は言葉に詰まった。


「残念だがこのことは君の父上、つまり小栗殿に報告せねばなるまい。現状我が薩摩藩は幕府と余計な争いはしたくはないんだ」

「!」


怜はハタと思い出した。


「そう言えば江戸に行くんやったっけ」

「順調に事が進めば、だ」


怜は言葉を選びながら慎重に口を開く。


「あの、私が言うのもなんやけど」

「なんだい?」

「帰りは気をつけた方がいいよ」

「帰り?」

「ほら、誰かに狙われるかもしらんし、何やったら街道は避けて船で……」

「心配はいらないよ。それはどこにいても同じことだ。大体我々を狙う奴など限られているし」

「日本人とは限らんやん!?もしかしたらマナーを知らんエゲレス人かもしれんし!!」

「エゲレス……?」

「いやだから!もしかしたらってこと!日本人だけやなくて異国人も注意しなあかんって言いたいだけや」

「それも一理あるね。ならば横浜から船という選択も視野に入れなければ……」

「それやったらあかんやん!あの道を通ることになる……」


史実とはあやふやな面も多々あるが、大きく見れば間違いは無い。心の隅に置いてあったあの”生麦事件”は、やはり今後起きる歴史の一つなのだ。


「あの道?」

「い、いや……何もない」


怜は深い溜め息を吐いた。どうすることも出来ないジレンマと戦っているのだ。小松はそんな怜の様子にやや不信感を抱く。


「何かあるのかい?」

「何もないよ!そんなことより私は忙しいねん!やらなあかんことがいっーぱいあるんや!あんたらみたいに自分の利益しか考えへん奴らとは違う!」


その言葉に、小松はおもむろに手を伸ばした。


「どの口が言うか!」

「痛い痛い痛いーーー!」

「全く!何でもかんでも勝手に決めて、勝手に行動する!君には相当の躾が必要だ!」


抓られた頬を撫でながら、怜は小松を睨み付けた。少なからずやり過ぎた感が否めない怜にとって、出資者になるであろう小松に関して、今までのように済まされるわけがない。


「板硝子については、まあこちらにも利益がある分考える余地はある。しかし”西瓜かんぱにー”については、今後の()()次第で決める」

「働き?」


小松は怜の問いすら無視し、畳み掛けるように話しを続けた。


「来週、我々はここを発つ。怜もついて来なさい」

「は?」

「共に上京し、江戸まで同行してもらう」

「ど、どういうこと?」

「久光様が年端もいかぬ子供に出資金など出すと思うのかい?まず、一つ一つ足場を固めていかなければ、君の求めるものは得られないだろう」

「ええ!?私が久光…様と会うん!?」

「当然だろう。私の一存で決める問題ではない」

「そ、それはちょっと………」

「怜ならうまく成し遂げるだろう?何せ今まで数々の修羅場を潜り抜けてきたのだから」

「でも……」

「大丈夫だ。君の素性は隠しておく。その辺りの心配はしなくて良い」


しかし怜は首を横に振る。


「そういう問題やない。これから肥後に戻って種植えにかからなあかんのにそれだけは絶対無理や」

「ならば先に戻って用事を済ませてからでいい。我々は薩摩街道から肥後、筑後、豊前へ出て、小倉から船で大坂へ向かう予定だ。途中で合流すれば問題ないだろう」


怜は考えた。

確かに種を植えた後、それを記録するのは何も自分でなくとも良い。むろん成長を見たいのは山々だが、気掛かりである”生麦事件”のことを考えれば、人の命と引き換えには出来ない。更にそれが薩英戦争を引き起こすとあれば、”西瓜かんぱにー”出資に影響を及ぼすの必至であり、加えて板硝子の製造においても大きな痛手になり兼ねないのだ。


「……わかった」

「おお!」

「けど、一つ約束して」

「何なりと」

「私は幕府から追われとる身やから、もし捕まったらもう二度と江戸から出させてもらわれへんかもしれん。だから……」


小松はにっこりと笑みを見せる。


「わかっている。けして君を表には出さない。事が順調に済めばきちんと肥後まで送り届けよう」


怜は複雑な思いを抱えながらも素直に頷いた。小松が胸を張って言うのだから、おそらく相当な自信があるのだろう。


「じゃあ……お願いします」



翌日、再び薩摩を発った怜は来た道を逆走して肥後に降り立った。ちょうど小松を加えた、久光以下三千の薩摩藩精鋭部隊が薩摩を出発した日である。


だが、世の中そう甘くはないのだ。

どんなに緻密に練られた計画であっても、それがいかに有能な小松帯刀による計画であっても、”絶対”という二文字は存在しないのである。


更にそれは、奇しくも東郷からの文が到着した日でもあった。



◇◇◇◇◇◇◇


肥後


薩摩からの船旅には小松の命で男二人が怜に同行していたが、到着早々、また別の男らが怜を待ち構えていた。(※中村は上京組)


「某は吉川彦太郎でござる。以後は某らが怜様をお守り致しまする」


一番若そうな男が代表で頭を下げる。


「小松様より話は聞き及んでおります。我々は早々に薩摩に戻らねばならぬ故、恐縮ではござるが、くれぐれも怜様をお頼み申す」

「ご安心くだされ。けして危険な目に合わせませぬ。万が一狙われるようなことがあれば、この命に代えましても」


肥後に常勤しているという吉川らは、自信に満ちた表情で鋭い視線を投げかけると、先の二人と二、三言葉を交わした後、怜の前に跪いた。


「向こうに馬を用意しております。乗り心地は少々悪うござるが、しばらく辛抱頂きたい」


見たところ久坂と変わらない年の功に見える。他の者もほとんど若く、十代の風貌の者もあった。


「ご安心ください。我々が無事に植木までお届けし、本陣と合流するまでお守り致しますゆえ」


怜はジロジロと吉川を値踏みしつつ言った。


「”お守り”ねぇ……てか、俗に言う見張りやろ」

「……ま、まあ」

「この者らは、我々よりも剣の腕が確かと小松様から聞き及んでおります。けして粗略には扱いますまい」


先の二人は補足するようにそう言うと、陣笠を深く被り一礼した。


「では我々はこれにて」

「ご苦労さんやったね。おおきに」

「怜様。くれぐれも…」

「私の心配より自分の心配しときぃ」

「は、はぁ……」


怜はくるりと反転し、先頭を切って歩き出す。背後から「吉川殿、くれぐれもお気をつけてー!」「けして目を離してはなりませぬぞー!」という言葉から、薩摩からの船旅がどれほど彼らに疲労と困惑をもたらせたか、想像に難しくはなかった。


「さあ行くで!ピ◯太郎!」

「彦太郎でござる」



◇◇◇◇◇◇◇



一方薩摩では、仰々しく絢爛たる大名行列が、跪坐く人々の間を闊歩し、先頭から延々と続く最後尾が、ようやく城下から見えなくなった頃であった。


小松は二日ほど前から城に泊まり込み、その足で久光公に付き従っている為、屋敷の方は主人不在の状況である。


「よう!お美代ちゃん」


屋敷の門前に立っていた小松家使用人・お美代の背後から、馴染みの男達が声をかけてきた。


「あら、皆さんおはようございます」

「ぼうっと突っ立って何やってんだ?」

「男でも待っているのか?」

「まさか。ふふ…」


お美代はクスクスと笑った後、ハッと我に返った。


「あの、……今からどこへ?」

「街道の見回りだよ。不審者が入り込んでいるって連絡があったんだ」

「まあ……」

「何かあったのか?」

「ええ……ちょっと文が届いたのだけど、旦那様はもう出発してしまったし、どうしようかと」

「奥様は?」

「先日から湯治に」

「急ぎか?」

「江戸の仲五郎さんからなんです」


男達は”東郷か”と頷くと、やおら右手を差し出した。


「届けてやるよ。まだそんなに先には行っていないだろう」

「いいんですか?」

「ああ」


お美代はにっこり微笑み、屋敷に一旦戻ると、他の文と一緒に風呂敷に包んでそれを手渡した。


「申し訳ありません。本当に助かります」

「おう。任せとけ」

「お気をつけて」



◇◇◇◇◇◇◇



肥後


吉川は前方を指差した。


「あの馬にござる。少々気性の荒い馬でござるが、某にかかれば赤子のようなもの」

「私に馬なんか必要ないで」

「いやいや。さすがに馬が無いと子供の足で徒歩は……」


最後まで言い終わらぬ内に鈴木君が短く鳴いた。


「キョ」

「きた?」

「キョキョ」


答えるや否や、脇の茂みがガサガサと動き出す。吉川は瞬時に刀を抜き、その方向へ刃を向けた。


「皆の者、下がれ!」

「怜様!私の後ろへ!敵でござる!」

「怜様をお守りしろ!」


茂みからヒュンと音がすると、真っ直ぐと物体が飛んでくる。吉川は軽やかに数歩前方へ跳ねた。


「トリャァア!」


上から下へ空を切った刀にザクリと鈍い音がする。と同時に、切っ先から滴る雫が、ポタポタと地面を濡らした。


「こ、これは……」


切っ先を貫いたのは蜜柑である。


「何故こんな物が…」


吉川は刀先に刺さった蜜柑をマジマジと見つめたまま首を捻った。


「さすが佐藤君。粋な計らいや。パイナップルと林檎やったら尚良かったけど」


怜は腕を振りほどき、吉川の前に進み出た。


「佐藤君とは……」

「私の友達やよ」

「危険でござる!」

「大丈夫や。あんたらに怯えとるだけやから」


怜は更に茂みへと歩を進め、背丈より伸びた雑草を掻き分けた。警戒心の強い佐藤君は、初対面の相手には特に慎重である。加えて怜の許可が下りない限り、人前では姿を現さないよう心掛けているのだ。


「お迎えおおきに」


怜の声に反応し、ようやく姿を現した佐藤君。ヌッと頭を持ち上げると、再会の雄叫びを上げた。


「ブォオォオォ!」

「うわぁあああ!!」

「ヒィイィィイ!!」


真っ青になって腰を抜かす藩士達。

吉川だけは一歩後退したくらいで、何とか踏み止まっていた。


怜は佐藤君を抱き締め、安心させるように顎下を撫で、鈴木君は頭の上に乗る。佐藤君はチラチラと男らを気にしながらも、落ち着きを取り戻したのか身体を低くして怜に乗るよう促した。


「さあ帰るで!」


大猪に跨る子供は、高らかに拳を上げる。突き進む先は、吉川らの意に反して鬱蒼と生い茂る獣道だ。慌てて追いかける彼らだったが、無事辿り着いたのは、吉川ただ一人という散々たる結果であった。


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