078
「勝手に決めてしまって申し訳ありません!!」
「五代……」
長崎での委細を説明した五代は、話し終わった瞬間顔を畳に擦り付けるように土下座した。どのような経緯があったにしろ、例え相手が小さな子供であったとしても、薩摩藩を背景にある種の契約を交わしたには違いないのだ。
「その見返りが”板硝子”というわけか」
「……はい。正確にはいつの間にか”そういうこと”になっていたのですが」
小松は腕を組んで思案を巡らせた。
あざとい怜のことだ。大体の予想はつく。こちら(五代)の足元を見てそれを利用し、恩を売って自分の思い通りに”事”を進める。怜の得意分野だ。
「ま、良いだろう。一先ず上海行きは決定されたのだから」
「ありがとうございます!」
五代はホッと息を吐いた。重要なのは上海に行ってからだが、それでも一歩前進したのに変わりはないのだ。それに怜が来ないのは残念極まりないが、最悪グラバーにこの件を話し、いっそ仲介役も頼んでしまおうかなどと考えていた。
「それでいつ発つ予定なんだ?」
「予定では四月の中旬かと」
「ふむ。ならばあまり時間がないな」
「ええ。名目上”水夫”ということですので、早々に長崎に戻り、準備をしなければなりません」
「では数日養生して戻りなさい」
「は、……それはそうなのですが……その前に怜が言っていた円筒法の技術が、我が藩で可能かどうか是非とも確認に参りたいのですが」
「…いや。その件は私に任せてもらいたい」
「は……」
五代は一瞬何か言いかけて口を噤んだ。
もしこれが成功すれば、藩にとって多大な収入源になるのは火を見るよりも明らかだ。当然それは自分だけではない。小松自身もそう考えているだろう。
「言いたいことはわかっている。しかし、今日明日に解決出来る問題ではない」
確かに小松の言う通りだ。
そう簡単ではない技術的な理由、そしてそれに伴う期間も必要である。怜は物事を訳無く論じるが、職人技に関しては、実際に携わる者達の能力や感性が無いと殊の外厳しい。いや、それは職人に限らず、あらゆる職業においても言えることなのかもしれない。
「確かにその通りですね」
見届けたい気持ちが大半の五代であったが、引き際を察するに至った。目下彼の第一の任務は蒸気船購入であり、他に気を取られて油断すればそれこそ大失態に繋がる。小松の発言はその辺りも熟慮してのことだろうと五代は推測した。
「では、この件は小松さんにお任せし、私は早々に長崎へ戻ります」
そうと決まればいつまでもここに留まっても仕方がないと、五代は怜に別れも告げず、次の日には再び薩摩を去った。
遠い異国に行くのだ。しかも水夫としてである。つまりそれに伴う(密航の)危険を回避するには、早々に小曾根の協力のもと、幕府方と合流しなければならないのである。もしバレでもしたら、自分だけではない。手引きした者全てが命を散らすことになってしまうのだ。
まさしくこれは五代にとって命懸けの上海行きに他ならなかったのである。
◇◇◇◇◇◇◇
「忙しいのにすまないね」
「いやはや。わざわざ足を運んで下すって、何とも有難いこってす」
責任者の男は見上げるほどの巨体の長身。毛むくじゃらの薩摩人であった。汗まみれの真っ黒な顔を拭いつつ、ヘコヘコと頭を下げる。
「ではこちらへどぞ」
城下郊外の海岸線、磯浜を中心とした一帯には”集成館”という島津斉彬が造り上げた工場群が立ち並んでいる。(前述)怜は小松の案内で、その一つである”硝子製作所”に足を踏み入れた。
工場は想像以上の敷地面積で、硝子吹き場は勿論のこと、溶解所や研磨室、検品所などもあり、そこには百人以上の職人が汗を流している。興味深くじっくりと一通り見学した怜は、最後の検品所に入った途端、感嘆の声を上げた。
「凄い!こんなに綺麗な硝子、初めて見たわ」
それは溜め息が出るほど精巧で、美しい色合いをしていた。薩摩切子は”色被せ”と呼ばれる、硝子を着色させる方法を用いている。透明のクリスタル硝子の上に、着色硝子を厚く被せ、その着色硝子に籠目紋内や魚子紋などの細かい文様を浮き立たせる技術を施しているのだ。
「あれ?こっちは普通の硝子や」
「近頃は庶民用も手掛けるようになりもうして」
高級品ばかりではなく、日用品として使える無地や色付きのものまである。
「贅沢品ばかりでは成り立たないからね」
「ふうん。薩摩藩抜かりなしってことか。なかなかの守銭奴ぶりや」
「君にだけは言われたくなかったよ」
「なあ。もう一回吹き場に連れてって」
「へい。んだらばこちらへ」
二人は責任者の後に続き、踵を返して再び硝子吹き場へと向かう。熱気が籠らないよう建設された吹き場は、半分外に面した造りで、そこには数人が隊を組み、一定の間隔に広がって作業を行っていた。
「凄いだろう。日本中探してもこれほど設備が整っている場所はないんだよ?」
「……ふーん」
珍しくドヤ顔の小松に対し、怜は至って冷静な面持ちである。確かに圧倒されるほどの設備ではあるが、怜の心はそれとは別にあった。
「なあヒゲモジャ君」
「……あ、あっしでごわすか?」
「あんた以外に誰がおるんや」
怜は矢立を取り出し、折り畳んであった予備の紙に何やら書き記すと、「よし」と頷いてそれを手渡した。
「明日からこの計画表通りに動くように」
「これは一体……」
困惑の表情で食い入るようにそれを見る小松と責任者。その紙には”体力づくり”と題された、二つのトレーニング方法が書かれていた。
「なんでごわすか……?」
怜はさも当たり前の表情でにこりと笑みを見せる。
「肺活量を上げるトレーニングや」
「はいかつりょう?」
「そう。肺から吐き出す空気量のこと。ほら、あんた。大きく息を吸って。”もう無理!”ってとこまでやよ?」
言われるままに息を吸う責任者。巨体の上半身、特に胸の辺りが膨らんだ。すかさず怜は指示を出す。
「ハイ!吐いてー」
「ズボボボーー」
「ウッ!?」
息と一緒に放出した鼻水が小松の顔面に飛び散った。
「……あんた人間ちゃうやろ?」
「す、すまんこってす!」
「まあええわ。ーーーーつまりこれが肺活量や。あんたは身体が大きいからまあまあやけど、あの人ら見てみ。顔は厳ついし、それなりに力もあるように見える。……けど、痩せ過ぎとる。あんな身体じゃ板硝子は作られへんよ」
「板硝子?……で、ごわすか」
「そうや。板硝子を生み出すには、相当な肺活量の持ち主やないと無理。それなりの大きさにする必要があるからね」
怜の言う円筒法とは、所謂”手吹き円筒法”と呼ばれるイギリスで1830年頃に確立された製造方法である。簡単に説明すると、吹き竿という細長い鉄管に溶けたガラス種を巻きつけ、其れこそ風船のように吹いて長い円筒状のガラスを作り上げた後、それをカッター等の刃物で切り開いて、”延べ手”と呼ばれる木の棒で熱しながら板状に広げるという方法である。
長い円筒を作る為には、からめたガラス種を吹きながら左右に振って長くしていくのだが、鉄管を扱いながらの作業ではやはりそう簡単ではなく、熟練者であってもちょっとした加減でガラス表面に歪みが生じることも多々あった。
また手吹き円筒法の機械化、所謂蒸気で吹く”ラバース法”の開発は約50年先の話だであり(※米国人ジョン・ラバースが考案)、日本ではようやく1909年に手吹き円筒法での板硝子製造が導入されたのだから、いかにこの国が出遅れているか想像に難しくないだろう。
よってまたしても結果的に歴史を変えてしまった怜であったが、本人はそんな詳細まで知る由も無く、この先どんな影響が出るのか不明ではあるものの、従来の「何とかなるやろ」で自分を納得させていた。
「水泳は分かるが、布袋は一体どうやって使うんだい?」
小松が割り込んだ。
「あ、それね」
怜は巾着の中身を小松に預けると、自ら手本を見せる為、風船を膨らせる要領で口元にそれを当てた。
「こうして息を吹き込んだ後、ーーーー今度は息を吸い込む。ーーーー袋がぺったんこになるくらい吸い込むんよ。それを五分間何回も繰り返すだけ」
「それで、肺活量とやらが強化されると?」
「一番効果的で簡単な方法や。大事なのは毎日続けること。水泳は二日に一回でええよ」
怜が指示を出したのはそれだけではなかった。食事改善はもちろんのこと、生活習慣、身嗜み、ついにはーーーー
「飲み会?」
「そうやよ。月に一度慰労会を開くねん。頑張ってる職人さんを労わるのも藩の務めやろ?」
「えっ、ちょっ」
「おお……ほんなことまで考えてくださっとるとは、有難いこってす!」
「泣かんでよろしい。部下のこと考えるのが上司の仕事や。な?小松君」
「あ、ああ……そそそうだね」
ズルルと鼻をすすって涙を拭いた責任者の男は、決意を固めたように胸を叩いた。
「わかり申した!!ワシにお任せくだせい!必ずやご期待に添えるよう皆で力合わせて頑張りますけん!!」
怜は満足げに頷き、責任者と怜は固い握手を交わす。何故か大男と小さな子供によくわからない結束が生まれていた。
◇◇◇◇◇◇◇
江戸・小栗邸
先生は何かを隠している。
重要な何かを……
もしもそれが小栗でなかったら、東郷も気にも止めなかったに違いない。もしもその「何か」が怜にまつわることでなかったら、こんな風に気にはしなかっただろう。
不運なことに、それは小栗の態度が一因であり、道子の言葉よりも疑念を感じずにはいられなかった。
「……よし」
小栗の外出を見計らって屋敷に潜入した東郷は、足音も立てず廊下を曲がり、奥からやって来た道子が、手前の部屋に入ったのを確認し、そっと襖を開けた。
「……」
中には当然誰もいない。
殺風景な室内は、いつものように変わった様子は見られなかった。身を屈めて襖を閉めた東郷は、忍び足で続きの間に進むとあの押入れの前に立つ。
「すみません……先生」
押入れの引手に触れ、一瞬辺りの気配を読み取って、音も立てず慎重に手をかけた。




