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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
66/139

066




大坂京都間を行き交う船は、立入り検査を受ける為、小型船に乗った役人らに一隻ずつ誘導されていた。順番を待つ船はさほど多くはないものの、戦々恐々としている。更に怒号が飛び交う場面も見られ、差し押さえられる船も少なくなかった。


オンボロ舟は淀川のやや右寄りに漂っていたが、念の為灯りを一切点けていなかったことが幸いし、まだ気付かれてはいない。


「思ったより早いな」

「おい…どないするんや」


淀屋が焦るのも無理はない。このまま見つかれば、怜は被害者として(ある意味)役人に助けられる状況になるだろうが、自分は誘拐犯として捕縛されるのは間違いないからである。


「獄門やね」

「うおいっ」

「冗談や。それより神風号は何処に置いとるん?」

「磯島や」


この先の楠葉を越え、上島・下島を過ぎて更に下流、枚方宿の手前辺りである。


怜は周囲を見渡した。左奥に見える小高い丘陵は楠葉(現・樟葉)である。淀川の河川敷はボウボウと葦が茂り、小舟であっても中には入り込むのは難しそうだった。


「仕方ないな。ほな行くわ」


怜は草履を脱いで懐に入れた。


「は!??何をするつもりや」

「これ貰うで」

「ちょちょ」


淀屋から(たすき)を奪い取ると、自分の着物を襷掛けにし、準備運動を始める。


「向こうで待っといて」

「まさか泳いで行くつもりか!?」

「それしか方法ないし」

「泳がれへんやろ!」

「余裕や」

「そやけど前は……」

「あれは海が荒れとったからや。とにかく私は大丈夫やから、あんたは自分の心配しい。京都の役人は、小汚い男見たら即捕縛する習性があるんや」

「なにィ!?」(※嘘である)


「ほんなら後でな」


怜はそう言って手を振ると、舟の後方から音を立てないように川へ飛び込んだ。



あの仙台での海中遊泳(?)のおかげか、不思議と冷たくはない。怜は平泳ぎで左へと寄り、右横に別の屋形船が通り過ぎるのを待って、高く葦の茂った中へ潜り込んだ。しばらくするとぬめった土が足の裏を触る。


「きもちわるー」


泥の中に突っ込むような形なので、足を取られてなかなか前に進めなかった。それでも何とか前に進み、葦を掻き分け、ようやく上陸に成功した怜の姿は異臭漂う泥だらけの妖怪そのものだった。


「泥って保温効果あるんかな」


冷たい冬の風は小さな身体に堪えるが、泥が遮ってくれたせいか思ったほど寒くはなかった。むろんそのまま町を歩くとわけにもいかないので、町外れの井戸場で身体に付いた泥を洗い流したが、着物に付着した泥までは洗い流せず、身が凍えそうになりながら一先ず役人に見つからないよう民家に続く小道を歩いた。


コジキのフリでもして着替えを貸してもらおうと考えたのである。右往左往と進んでいると暖簾を掲げた商店や、民宿・旅籠屋などがちらほらと見えてくる。怜はその一軒、”酒蔵”と掲げられた店に入った。


「ごめん下さい!」

「わっ!何や何や!そんな格好で店入るな!」

「なんか着る物貸してくれませんか?」

「んなもんあるかい!邪魔や!出て行け!」


至極当然の扱いである。

普通コジキなど相手にされるわけがないし、もし少しでも情けをかければ居座られる結果になるかもしれないのだ。


「なんちゅう態度や。だから嫌いやねん団塊世代は」


怜はあっかんべーと捨て台詞を吐いて次のターゲットに向けて歩き出した。因みに酒蔵の爺さんは団塊世代ではない。”団塊世代”とは戦後に産まれ、バブルや高度経済成長を経験した者達を指すのである。


爺さんの年齢は70歳。生まれたのは実に1791年の春である。ちょうど寛政の改革から天保の改革に変わる世代であり、言うなれば”大塩平八郎世代”の方が正しいだろう。


幼気(いたいけ)な子供を助けてくれる優しい人はおらんやろか」


ある時は通りすがりの若い男を、ある時は食事処の年配女将を、そしてある時はお使い帰りの少女を。老若男女問わず、色んな人に声をかけたのだが、皆返事は「NO」だった。


大概歩き疲れた怜は、明るい方向へと導かれるようにフラフラと歩を進める。しばらくすると遊郭が立ち並ぶ所謂”風俗街”に辿り着いていた。ただ吉原のように塀や堀に覆われているわけではない。現在に近い状態で点在する感じである。


と、ちょうど角を曲がると、直ぐ先の楼閣の前に、陣笠をかぶった役人が聞き込みをしているのが見えた。怜は咄嗟に小道の間に滑り込み、聞き耳を立てる。


「六つの娘と二人組の男を探している。見たことはないか?」

「さあ。知りませんねえ」

「隠し立てしておらぬだろうな?」

「滅相もございません!なんでしたら中へ入ってもらっても……」


怜は溜め息をついた。どこもかしこも一翁の手が広がり先に進むのも困難である。鈴木君や佐藤君もいないとなると、自分一人で切り抜けなければならないのだ。しかしこんなコジキのような形りの子供に何が出来るというのだろう。


「今日はお役人さんがウロウロしとるけど、一体何があったんやろう」

「なんでも誘拐犯探しとるらしいよ」

「まあ物騒やねぇ」

「ホンマに。それにしても役人がうろついとる所為で商売上がったりや。どうにかならんやろか」


不平満々に複数の遊女が通り過ぎ、諦めモードだった怜の頭脳が閃いた。


「そうや!ええこと思い付いた!」


立ち飲み屋や食事処が立ち並ぶ一角に場所を変え、通り行く人々は観察していると、すぐ脇の細道から一人の女が現れた。襟ぐりを大きく開き、帯は二周巻いて腹の辺りで蝶々結びにしている。後れ毛を気怠そうに掻き上げながら、それでも眼光は鋭く男ばかりを値踏みしていた。



「ねえねえおねーさん」

「あん?……何や?」


振り返った女は目の前に立つ小さな子供を上から下までジロジロと見た後、あからさまに嫌な顔をした。


「小汚い(わらし)が何の用や?」

「大事な話があるんやけど」

「あっそ」


女は全く興味なくスルーし、通りがかった中年男に声をかけた。


「なあ兄さん。一晩買うてくれん?」


甘ったるい声で囁く女は、流し目で男の肩に手を置き、自分の両足で男の片足を挟んで絡ませる”夜鷹歴八年”のベテラン娼婦”弥生”である。本名は”トメ”という名だが、とんでもなく糞ダサい為、偽名を使っているのだ。


「うーん…でもなあ」

「ええやん。安くするしぃ」

「いくらや?」

「そうやねぇ……」

「一晩1000文や!」


怜が隙間から割り込んだ。


「せッ!?そりゃいくら何でも無理じゃわ!」

「ちょ!?違っ……」


弥生は訂正しようとしたが遮られた。


「ねえちゃん悪いけど、そんな価値ないやろ。歳もだいぶイッとるみたいやし」

「違うんよ!1000文やなくて…」

「一日2000文や!」

「おいフザケンナ!お前みたい年増のババアが何で二千やねん!不愉快や!俺ァ帰る!」

「や!?待って!ウチが言うたんちゃう!」


しかし男は腕を振りほどいてプンスカと闇に消えていった。がっくり肩を落とした弥生は、次の瞬間クルリと振り返り、鬼の形相で怜に詰め寄った。


「アンタ!どういうつもりや!商売の邪魔せんといて!」

「まあまあ落ち着いて」

「落ち着けるわけないやろ!せっかくええカモ見つけたのに!」

「カモやったら私が紹介したるわ」

「はあ!?アンタみたいな餓鬼が!?」

「これでも結構顔広いねん」

「悪いけど、そんな出まかせ信用するほどアホやないんや!」

「信じんのは勝手やけど、他の娼婦らは商売に行きよったよ?」


弥生は怒りを飲み込んで首を傾げた。


「ど、どういうことや?」

「楠葉の方で京都のお役人らが集まっとるんよ。役人言うたら羽振りもええし、多分普通の相場より高めで商売出来ると思うけど」


怜の発言に弥生はギョッと目を見開いた。


「それホンマか!?」

「うん!おねえさん、友達とかいっぱいおるやろ?みんなにも教えてあげて。かなりの数やから余ることはないわ」

「わ、わかった!仲間にも言うてくるわ!」


さっきの怒りはどこへやら。弥生は動き易くする為、着物の裾を捲り上げ、ガニ股で走り出した。


「おおきにな!ほなまた!」

「頑張りや!」


走り去る弥生を眺めながらニヤリと微笑む。


「さーて、いくか」


怜はこの辺りの遊女、娼婦など楠葉に派遣し、一帯を混乱に陥れようとしているのだ。見積もった女の数は約二百人。そんな人数に突然押しかけられたら、いくら役人と言えど鎮圧するのに時間がかかるだろう。


そして付近の男共には「役人が民衆を労い、”振る舞い酒”を提供している」と持ちかけ、老人と子供達には淀川で花火大会があるとホラを吹いた。


そして仕上げは酒蔵のジジイである。

怜は再びジジイの元に訪れると、近くを通りかかった身なりの良い旅人に紙と筆を借り、着払い注文書を託したのである。


「ひーっひっひっひー!」


怜は自分の賢さに笑いが止まらなかった。何故ならその注文書には「四斗樽を五十個、楠葉船番所へ届けられたし」とした上、その依頼主を”大久保忠寛"と記したからである。


「あ、そうや。大事なこと忘れとった」


これだけでは気が治らない生意気な子どもは、もう一文加筆した後、またも周囲が驚くほど馬鹿笑いした。


”但し、一つの価格を十両と致す”


「あかん……しぬ……ぷくく」


ドン引きである。


結局替えの着物を入手するのは無理だったが、それよりも計画が上手くいくさまを想像すると、自然と腹を抱えてしまうのだ。もはや敵など何処に居ないも同然だった。




半刻を過ぎた頃、ちょうど怜が楠葉に到着すると、想像よりも拡大した状況が目の前にあった。慌てる役人に色仕掛けで迫る遊女という構図に、男共の「酒寄越せー」の大合唱。淀川河川敷には老若男女が立ち並び、まさにお祭り騒ぎだった。


タイミング良く現れた酒蔵のジジイは、恭しく口上を述べつつ、あの請求書を差し出した。一翁はざっと目を通した後、グシャリと紙を握り潰し池田に押し付けた。


「撤収だ」

「よ、良いのですか?」

「深追いしてもこちらが損するだけだ。もう一度計画を練り直す」

「はは!」


池田は受け取った請求書を広げた。


「ご、五百!??」


怜がわざとこの値で提示したに違いないと一翁は思った。あの怜がそんな値段で取引するのはあり得ないからである。


「…馬鹿者が」


しかし、その反面感心したのも事実だ。

一翁は後方でニヤニヤと手揉みしながら待つ酒蔵のジジイを見て憐れだと思った。


役人相手にあり得ない金額を請求するなど言語道断。死に値する行為とも言える。しかし怜はそれを踏まえて実行したのだ。この憐れな男は、おそらく怜に恨まれているのだろう。


「池田。あとは任せる」

「承知しました!」


その後酒蔵のジジイがどうなったのかはわからない。ただ噂によれば、刑こそ免れたものの、店をたたみ逃げるように田舎に引っ込んだという話である。


こうした二人の戦いは、結果的に怜の大勝利で幕を閉じたのだった。



◇◇◇◇◇◇◇



全員が合流を果たしたのは、さらに一刻が過ぎた頃であった。途中淀屋と怜が再会し、直ぐに坂本らがやって来たのだ。


「ふふ冬の川遊びもわわ悪ないっちゃ」

「れれれ怜さん、かかか風邪を引きますからははは早く着替えを」

「私よりアンタらの方がヤバイやろ」


三人は淀屋に伴って神風号が置いてある磯島のとある船着き場に来ると、そこで船を乗り換えた。


「ブヒブヒ」


皆が乗船するのを見ながら、佐藤君は寂しそうに見送っていたが、淀屋が思い出したように手を叩いた。


「ああ。お前も乗ってええぞ」

「ブヒ!?」


淀屋はこの大猪を、ずっと不憫に思っていたのだ。外洋を頑張って付いて来る佐藤君に、時には涙を流したこともある。自分と重ね合わせたのかもしれない。


大坂に到着した時、淀屋は船を強化する為無駄な物を一切省き、水夫の人数も最小限にした。また外輪船だった神風号をスクリュー式に改造したのである。


というのも大猪を乗せるとなると、重要なのはやはり「安定化」である。外輪船というのは船体の一番下から水面までの垂直距離が浅い。よって河川や浅瀬での運行に非常に適しているが、逆にバランスが崩れやすいのと、破損しやすいという難点があるのだ。


「ブヒン…」(アンタ、ええ人や)

「いやァ。それほどでも~」

「目出度いのう!佐藤君」

「キョキョ~」

「淀屋にしては中々やるやん」



一行は淀川から大坂湾へ向けて出発したのであった。


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