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二人きりになると、怜はハーッと息を吐き出した。政宗に成り切るのも疲れるらしい。坂本はくっくっと笑いを噛み締め、その場にドカリと座り込んだ。
「おまんは怖いもん知らずじゃの。嘘がバレたらどうするんじゃ」
「こうするしか方法がなかったんよ。仙台人は政宗の言うことしか聞かんし、土佐だって同じやろ」
「土佐?……土佐に人民を動かすほど立派な奴なんぞおったかの」
「坂本君やん!」
「俺ェエ!?」
「う、嘘に決まっとるやん....そんなことより、いつ出航出来る?」
「もうここから離れてええが?」
「政宗(私)がおらんかっても、もう大丈夫やろ。復興も順調に進んどるし」
「そうじゃの。あんまり長居すると中央(仙台藩)の役人に目ェ付けられるかもしれんき」
噂が噂を呼べばそれだけ危険なものになる。ゆえにまだ混乱冷めやらぬ今のうちに姿をくらます方が安全だと判断した。
「船に異常はないし、燃料も確保しちょる」
「船はどこにあるん?」
「表浜の辺りじゃ」
「ほんなら先行っといて」
「場所わかるんか?」
「キョキョ」(わしを誰や思とる)
「……ほうか」
坂本は立ち上がった。
「沖合いで待っといてね。追いかけるから」
「お、沖合い?」
「政宗は政宗らしく消えるんやよ」
もう坂本は何も言わなかった。
(大体予想がついたのである)
話がまとまれば早いもので、謁見が終わると直ぐに坂本らは浜へと向かい、船に乗り込んだ。
怜はと言うと引き止める民衆や役人達を適当に宥め透かし、最終的には有無を言わさず強引に去るのだが、その去り行く姿に誰もが度肝を抜かれた。
「な、ななななんと!?」
「あり得ぬ……まさかそんな……」
さもあろう。
何せ海面を沖へ向かって歩いているのだ。
「働かざる者食うべからず!!」
怜は最後のメッセージを発し、そして手を振った。
「おお……政宗様」
「なんと雄々しきお方…」
人は海面など歩けない。唯一歩いたのはイエスキリストぐらいである。しかし怜は不可能を可能にさせる悪知恵の天才である。
「さーらーばーじゃーー!」
人々は信じられないその光景に、腰を抜かす者、南無阿弥陀仏を唱える者、涙を流す者まで様々だった。
「政宗様ァアァ!」
「お達者でェエ!」
怜は海面を歩いているように見せかけて、佐藤君の背に乗ってはいるだけである。海中で息を止めたままの佐藤君は「来るんじゃなかった」と後悔していた。
「お、来た来た」
言われた通りに沖合いで待っていると、予想通り猪の背に乗った怜が現れた。怜は坂本に手を引かれ、素早く船に乗り込んだのだが、続いて当たり前のように乗り込もうとした佐藤君を、淀屋が制した。
「さすがにこんなん乗せたら沈没するわ…」
「ブヒィィイィイ!?」
佐藤君の絶叫に淀屋は恐怖におののいた。
「心配せんでも佐藤君の泳ぎは半端ない。そやけど休憩は必要やわ」
「そ、それやったら心配せんでええ。この辺りはちっさい無人島がぎょうさんあるんや。休みながら進めばええやろ」
せっかくクルージングを楽しめると思っていた佐藤君の目論見は脆くも崩れ去った。
「さあ神風号!!出発や!!」
「オォォオォォオ!!」
目指すは「京」である。
長州に行く前に、怜はどうしても実家に一度帰りたかったのだ。きっと心配しているだろう。怜の頭の中はもう直ぐ会えるであろう家族のことばかりで、中村との約束は元より、東郷や小栗、久坂のことも過去の遺物となっていた。
その後、海は地震など無かったかのように穏やかだったが、船を追いかける憐れな猪の遠吠えは、大坂に到着するまで鳴き止むことは無かったのである。
◇◇◇◇◇◇◇
この世はいかにその人物に権力があったとしても、理想通りにいかぬ物事の方が多い。寧ろ、一般庶民の方が何事にも自由である。
人は皆、無い物ねだりなのだ。
不思議なことに、それはいつの時代も変わらない。
高貴なる男は、生まれながらにして尊き地位にあった。人々にかしずかれ、人々に敬われ、それは彼にとって実に日常の一つに過ぎないのだ。しかし逆に考えれば籠の鳥と同じだった。
「頼んだぞ」
「は。我が命に代えましても必ずや」
彼はスヤスヤと眠る我が子を、最後とばかりに抱き締めた。伝えたいことは山ほどあるが、どうしても言葉を紡ぐことが出来なかったのである。
”権力者が容易に涙を見せてはならぬ”
そう言いきかせて、堪えたのだ。
「……さらばじゃ。我が娘よ」
六年前。
極秘裏に生まれた赤子は、その母親にすら知らされることなくこの世から抹消された。
悪しき誰かの手によって潰されるくらいなら、この手で自ら潰してしまおうと決断したのだ。
それが正しいのかどうかまだわからない。
いや、恐らく永久にわかるまい。
衣擦れの音が小さくなると、彼は脱力したようにその場に座り込む。袖に隠した数珠を握り直し、固く目を閉じた。
最も信頼する部下に託したのだ。
きっとやり遂げてくれるだろう。
きっと……
数年後、彼はこの世を去った。
心に小さな懸念を残したまま。
◇◇◇◇◇◇◇
懐かしい故郷。
真っ青な空には小石を散りばめたような白い雲が無数に広がっている。
「もう直ぐや!」
高さ54、8メートルを誇る東寺・五重の塔を背に、怜達一行は七条方面、木津屋橋通を目指す。もう目と鼻の先である。猪に乗った子どもは、道行く人々が振り返ることすら気にならなかった。
「急に元気が出ちゅうが、よほど嬉しいじゃのう」
「半年ぶりやもん!……あ!!」
通りに入れば見知った顔がいくつかある。怜は民家の前で遊んでいた男の子に手を振った。
「喜助や!きーすーけェエ!!」
振り返った男の子は一瞬眉間に皺を寄せ、途端パッと笑顔になる。隣りにいた子ども達も「あー!!」と声を上げた。
「怜ちゃん!??」
「怜ちゃんや!!」
”喜助”と言えば怜の長兄の子だ。
歳は三つほど上だが、怜の子分みたいなものであった。他にも仲良しの”みっちゃん”やら数人の友達、ご近所さんらがそれに気付き、皆が怜の前に集まってきたのだが、ここで予想だにしないことが起きた。
怜がひらりと猪から飛び降りると、突然皆が頭を下げたのだ。
「な、何しとるん…?」
驚いたのは怜だけではない。坂本や山田も目が点である。(因みに淀屋は大坂の我が家へ帰宅。後に合流することになっている)
スッと前に出た”みっちゃん”の母親はにっこり笑みを浮かべた。
「怜様。この度は養子縁組おめでとうございますぅ」
「よよ養子?」
キョトンとした怜の前に、横から割り込んできた八百屋の顔見知りは赤ら顔の顔をより一層赤くして、興奮気味に怜の手を握り締める。
「聞けばご奉行様との縁組やとか。流石は怜ちゃんや。ワシらまで鼻が高いわ」
「ご奉行…?」
「どん兵衛さん、”怜ちゃん”は失礼やわ~」
「あ、そうや!”怜様”が妥当やな!えろうスンマヘンな!ガハハハ!」
直立不動の怜。何が何だかわからない。
しかし「ご奉行様」という言葉に我に返った。
「怜!?」
怜は百メートル先の懐かしい我が家を目指して一気に駆け出した。振り返る人々の祝いの言葉も、坂本の呼び止める声も怜には届かない。
「後藤屋」の看板と、入り口の両横に掲げられた「米」と書かれた大きな暖簾。その前に立った時、中から一つの影が出てきた。
「お父…ちゃ…」
それは外の騒がしさに、何事かと様子を見にきた父・善治郎であった。
たった半年。
それでも父が小さく見えるのは何故だろう。前より痩せたような気がするのは気のせいだろうか。
されど半年。
刻まれた皺と幾つかの白髪を見て、怜の視界が涙に濡れた。
「怜……?」
「お父ちゃん……」
よろよろと一歩ずつ前進して、互いの手が触れた時、怜は嬉しさと切なさに声を上げて泣いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
一方、久坂と高杉は瀬戸内海を航海中である。
結局あの後加茂神社へ出向いたのだが、有力な手がかりは得られずじまいだった。
その腹立たしさを晴らすために祇園と島原へ通いまくっていたのだが、とうとう費用が無くなり、工面しようと立ち寄った長州藩邸で年寄りの上役に捕まったのだ。
その後は言わずもがな、丸一日こってり絞られた後「ちゃっちゃっと帰国せい!!」と鬼のごとく詰め寄られ、仕方なく長州行きの船に乗り込んだのであったが、二人の周囲に五人の藩士がいるのを見れば、”連行”されていると言った方が正直なとこだろう。
「高杉」
「んー?」
「もしかしたら怜は……」
「ん?」
「公家の血が流れているのではないだろうか」
「……は?」
久坂の突拍子もない発言に、高杉は目を丸くした。この男は、たまにトンデモナイ想像をすることがある。それは仲間内では有名な話だ。
「あの知性はさることながら、気品、優雅、可憐そして」
「待て待て待て!」
「なんだ?」
「だ、誰のことを言ってるんだ?」
「”怜”に決まっているだろう」
「………!」
怜について語る中で、合致しているのは「知性」だけである。高杉は久坂の脳内で紫の上と怜が混同していると思った。
「……何を泣いている」
「向こう着いたら病院行こ?」
ちょっと短くなりました。




